コンバットRECさんがTBSラジオ『タマフル』の企画、『史上最高のアイドルは誰だ!?評議会 女性アイドル編』で映画『時をかける少女』のカーテンコールの原田知世さんを推薦。アイドル映像作品最高峰の魅力を語っていました。
(宇多丸)コンバットRECさん、お願いいいたします。
(コンバットREC)はい。えー、私、ちょっとね、真面目に本当に考えたんですけど。真面目に考えれば考えるほど1つに絞れなくて。ちょっと今日ね、2つ私、提案させていただきたいと思います。それで、聞いてみなさん、最後挙手制なので。もし、なるほどと思ったら手を挙げていただいて。僕も決めきれないんで。
(宇多丸)まあ、いま聞いている中で、僕らがまあ、ぜんぜんみなさん途中で意見を言っていただいて構わないんで。変わったらそれで絞っていただいて。じゃあ、お願いします。
(コンバットREC)1つ目がですね、まずアイドルっていうのが、いろんな楽しみ方があるじゃないですか。なんで、なかなかなにを基準にして1つに絞るのか?ってすごく難しいと思うんですけど。
(宇多丸)また定義から考えこんじゃった。
(コンバットREC)1つ、女性アイドルの真理としてあるのは、ある年齢とかの女の子の輝きみたいなものを、その瞬間の輝きを見せるエンターテイメントであるってことは間違いないと思うんですよ。
(宇多丸)なるほど。
(コンバットREC)だからアイドルがやるものっていう、歌でも芝居でもダンスでも。まあ、日常生活でもそうですよ。なんでもいいんだけど、アイドルがやっていることって、全部ある意味ドキュメンタリー作品で。その刹那の輝きを見せていくみたいなものだと思うんですよ。なんですけども、その女の子の輝きって、たとえばビデオとかで漫然となんにも考えないで撮っていても、その輝きの瞬間っていうのはたくさんあるし、たくさん映るんだけども。本当に一流の、プロのマエストロたちはその瞬間の輝きだけを意識的に撮影したりとか、ある意味・・・
(宇多丸)引き出すじゃないけど。演出したりとか。
(コンバットREC)そう。記録メディアに残すことができるんですよね。その、やっぱりいまの時代って、なにかひとつ、国民的みたいなのってなりづらいじゃないですか。
(宇多丸)全員が全員一致して、みたいなね。
(コンバットREC)共通体験ってものがなかなか持ない時代になっているんで。1個、信用できるものがあるとしたら、私ね、映像が大好きっていうのもあるんですが。映像という記録メディアに残されているアイドルっていうのが全員で共有できるものじゃないか?って考えまして。
(宇多丸)ええ。
(コンバットREC)その映像作品にアイドルの輝きを収めるっていうことで言うと、別に難しい話をしてるわけじゃなくて、テレビCMとかっていうのはすごく一般的に、その部分だけをプロの人たちが輝きを収めていて。まあ名作もすごくいっぱいあって。僕が大好きなので言うと、コカコーラの1984年?3年?早見優の『夏色のナンシー』。
(宇多丸)あれは素晴らしいですね!
(コンバットREC)ねえ。あれこそ、帰国子女ファンタジーでね。すべて、あそこに収まっている。あの60秒。15秒。
(宇多丸)あの、プールの上でなんかね、タイプライターなんか叩いてやがってね。飛べねーじゃねーか!っていうね。
(コンバットREC)とかもあれば、90年代で言うとですね、一色紗英さんのポカリスエットとか。
(宇多丸)出ました。素晴らしい。
(コンバットREC)ZARDの『揺れる想い』とか。もうキラキラしてて、しかもこう、映像作品に収められているから、輝きが永遠に残るんだけど、映像作品だから永遠に手が届かないっていうのもわかっているから身悶えするわけですよ。我々は。もう永遠に苦しめられるわけですよ。
(宇多丸)もうあそこには、もう絶対に行けないんだ!っていう。
(コンバットREC)俺には一生かかっても行けない場所なんですよ。あそこにしかないから。
(宇多丸)まあ、当時ですら行けてないしね。
(コンバットREC)そうです、そうです。なんだけど、でもこんな世界があるんだっていうファンタジーをちゃんと成立させているっていう意味では、いっぱいいろんな名作があるんですけど。そのジャンルの中の最高峰がなにか?っていうのを考えてみたんですが。
(宇多丸)いまの挙げたのでも結構クラシックですけど。
(コンバットREC)『時をかける少女』、カーテンコールの原田知世じゃないか?っていうのが。
(宇多丸)おっ、そうきた?
(吉田豪)CMではなく。
『時をかける少女』、カーテンコールの原田知世
(コンバットREC)CMではなく。でも、もともと大林宣彦監督はCM畑の方で。その輝きを意図的に。間違いなくだってあんなの構造からしたって、もうアイドルってなんだ?っていうことに出せる答えみたいなものじゃないですか。あのカーテンコールの。
(吉田豪)時かけが終わった後の部分。
(宇多丸)物語が結構暗い感じで終わる話なんですよね。過去にとらわれたまま終わってしまうんだけど、あそこで生身の、当時16才の原田知世が歌っているところを見せることで、ちょっとこう、フッと救いを用意するようなさ。
(コンバットREC)もともと大林監督って、別にああいう、時をかける少女とかじゃなくて、普通の劇場映画を撮っている時でも、『映画って現場で起きたことを収めるドキュメンタリーみたいなものだから』とか言い切っている人で。脚本に『よく晴れた日の』って書いてあっても、『雨が降ったほうが面白いよな』みたいなことを言っちゃう人なんで。
(宇多丸)それはそれで取り込んでいっちゃう。
(コンバットREC)そうです、そうです。だからよく、この番組で出るワードですけど、『ほつれ』みたいなものを意図的に収めるみたいな人で。で、アイドルの構造とか映画の構造とかにもすごく意図的に、あそこでアイドルの輝きをちゃんと収めようとした結果があのカーテンコールじゃないかと思っていて。
(宇多丸)あれ、だってね、撮影の過程で、ずっと同じ場面でカーテンコール用にも回していないと。絶対に意図的じゃないと撮れないものだよね。
(コンバットREC)それぞれのシーンで歌っているところをPV風に撮ってあるっていうね。で、まあ前に宇多丸さんと一緒に時をかける少女を飲んでいて見ようぜ!ってなって、家で見ててね。なんか、1回ケンカになったこともありましたけど。
(宇多丸)そうでしたっけ?
(コンバットREC)あったあった。
(吉田豪)何論で?
(コンバットREC)えっ、いや、俺がだから『カーテンコールは最高だけど、映画としてはよくわかんないよね』って言ったら、キレだして。
(吉田豪)あー。
(小出祐介)(笑)
(コンバットREC)『なに言ってんだよ、お前!』みたいなことになって。『俺の大切な映画に!』って。
(宇多丸)違う!それは、ビデオを見た時にケンカしたんじゃなくて、毎回なんで。別に覚えてないけど。うん。
(杉作J太郎)今日もいいんですよ。キレても。
(一同)(笑)
(宇多丸)まあ、そういう場ですけどね。うん。まあ、でもカーテンコール素晴らしいのはわかりますよ。
(コンバットREC)まあ、そういうことで。ちょっと1つね。もちろん人によってはね、違う映像作品。こっちの方が輝きが収められているんじゃないか?ってあると思うんですけど。考え方の提案として、そういうのがあるかなと。
(杉作J太郎)平たく言うと、原田知世さんね。
(コンバットREC)そうですね。
(宇多丸)でも、時をかける少女のカーテンコールの、だから原田知世っていう限定?
(コンバットREC)だからね、架空のキャラクターなしって言われたけど、2.5次元なんだよね。俺の言っていることってね。
(宇多丸)でもアイドルってまあ、そりゃあね、そういうことであるからね。
(コンバットREC)虚像だからね。やっぱり、我々の見ているものは。
(杉作J太郎)じゃあその役をやった、その作品に関しての原田知世ってことなの?
(コンバットREC)の、カーテンコールの原田知世。
(吉田豪)でも、あの時期の原田知世全体は好きなわけでしょ?
(コンバットREC)まあ、好きですけど(笑)。好きですけど、でも、その時期が好きなアイドルなんてたくさんいますから。
(宇多丸)まあでも、さっきの薬師丸ひろ子・・・
(コンバットREC)映像作品ってことで言うと、やっぱりあれが。あのカーテンコール見た時の衝撃は忘れられないですね。
(宇多丸)それがアリだったら、たとえば『セーラー服と機関銃』の時の薬師丸ひろ子とか。
(コンバットREC)とかね。それは人によって違うかもしれない。でも、それで言うと最初に僕が言ったようにドキュメンタリーっていう話、したじゃないですか。刹那の輝きを捉えるものっていう。だから、実はこれ僕、映像が好きだから映像で言ってるんだけど。実は音源とかにもそういうものっていうのは絶対にあるはずで。
(宇多丸)その瞬間をパーケージングっていうね。
(コンバットREC)そうなんですよ。なんで、ちょっと考え方の提案として1つっていう感じですね。これは。
<書き起こしおわり>