V6の井ノ原快彦さんがTBSラジオ『Music24/7 西寺郷太TAMAGO RADIO』にゲスト出演。ジャニーズ事務所に入ったばかりの頃、マイケル・ジャクソンのライブに行った思い出などを語っていました。
(西寺郷太)ちょっと、1コーラスずつですけど、井ノ原くんがジャニーズに入って、後ろで踊っていたという曲。思い出の曲ということで選んでもらった。ちょっと短いですけど、聞いてもらいますかね。
(井ノ原快彦)いいですね。光GENJI『ガラスの十代』。
(西寺郷太)はい。
(井ノ原快彦)最っ高だね、この曲ね。
(西寺郷太)この曲、最高なんですけど。イノッチの紹介っていうのが、また深みがありますよ。踊っていたわけでしょ?ギリギリ踊ってない?
(井ノ原快彦)これはね、6年生ぐらいだったんで。テレビ出れなかったんです。だいたい9時ぐらいから。
(西寺郷太)ありました。ありました。そういうルール。光GENJI自身が出れませんでしたからね。あの2人。僕と同じ年なんですよ。赤坂(晃)さんと佐藤(敦啓)さんは。だから出れなくて、2人だけ昼間撮ってたりね。ありましたよね。
(井ノ原快彦)そうそうそう!ありましたよね。すっごい!なんか音楽って、一気にそっち戻っちゃうね。その年代に。
(西寺郷太)だけどでも、特にそれはそうじゃないですか?平家派やってたとか。
(井ノ原快彦)なんか変な・・・バブルの時って。バブルの時、ギリギリですけど。
(西寺郷太)まあ、小学生ですからね(笑)。
(井ノ原快彦)なんか、渦巻いていた感じがする。世の中が。
(西寺郷太)特に光GENJIの周りはすごかったんじゃないですか?
(井ノ原快彦)たしかに。ここらへんは、少年隊は『まいったネ今夜』とか。この後に出てくると思うんですよ。あのなんかね、大人っぽい感じ。あの時、いくつぐらいだったんでしたっけ?少年隊。20代前半ぐらい?
(西寺郷太)1965年生まれなんで、だから本当、22・3ですね。これ、87年なんで。ガラスの十代は。87年の10月だか11月。だから本当に、マイケル・ジャクソンがBADツアーで来日してて。夏に『STAR LIGHT』が流行りの・・・本当にトップスピードで。海外は『BAD』、『FAITH』。ジョージ・マイケル。で、光GENJIがドーン!と来て、その裏で少年隊が『ABC』ですから。
(井ノ原快彦)それさ、年表になってるの?
(西寺郷太)頭のなかに入っている。
(井ノ原快彦)僕の頭のなかの年表?(笑)。
(西寺郷太)僕ちゃんの・・・僕ちゃんの年表(笑)。
(井ノ原快彦)僕ちゃんの年表。すごいよね!この時間軸。
(西寺郷太)この1987っていうのはすごい年なんですよ。自分にとっては。1つの、松本隆さんとか、筒美京平さん。作家のお二人も絶頂の。僕にとってはね。
(井ノ原快彦)だってベストテンに3曲ぐらい松本さんの作品がね、入っちゃってたりとか。
(西寺郷太)いっぱいありましたね。当時は。本当に、京平さんなんかもそれこそ、『君だけに』とか。
(井ノ原快彦)あ、そうですね。
(西寺郷太)も、この年なんで。だからたぶんその翌年じゃないですか?
(井ノ原快彦)僕が入ったのは。88年。そうですよ。それこそ、あれ、BADツアーじゃなくて。1人でやったんだよ。東京ドームでやった時・・・
(西寺郷太)BADツアーの、たぶんあなたが行かれたのは88年の。帰ってきたんですよ。最初、後楽園球場でやってて・・・その話も、超面白いからしませんか?
(井ノ原快彦)ああ、いいですよ(笑)。
ジャニーさんは『運』を試す
(西寺郷太)そのジャニーさん、『運』みたいなのを試すんですよね?すごいんですよね、あれ。
(井ノ原快彦)なんかね。試すっていうか、なんで待っててくれたのかわからないんですけど。そのコンサートに呼ばれたんですよ。マイケル・ジャクソンのコンサート。
(西寺郷太)帰ってきた88年のツアーだ。
(井ノ原快彦)そう。僕は入ったばっかりで、まだ仕事もなにもしてなかったんですけど。
(西寺郷太)ドームですよね。東京ドーム。
(井ノ原快彦)『あ、東京ドーム行けるならいいか』と思って。
(西寺郷太)電話かかってきて。急に。
(井ノ原快彦)急にかかってきたんですよ。で、母親が取って。それで、『ちょっと待って下さい。外で遊んでいるので探してきます』って。探しにいった。僕、駐車場かなんかで友達と遊んでいて。そこに母親が来て。『すぐ行こう』って。『えー、ちょっと遊んでいるから』みたいな話をして。
(西寺郷太)もう携帯もないしね。待たしてるんですよね。
(井ノ原快彦)ほんで、まあ東京ドームに行けるらしいっていうから。マイケル・ジャクソンっていうよりも・・・
(西寺郷太)ドームの方がデカかった。
(井ノ原快彦)で、『あ、行くわ』って言って。したら、僕と木村くん以外の・・・
(西寺郷太)改めて聞きますけど、木村くんってどの木村くん?
(井ノ原快彦)木村くん以外のSMAPがいたんです。
(西寺郷太)わかりました。木村拓哉さんですね。
(井ノ原快彦)木村拓哉さん以外のSMAP。で、そのメンバーで僕を含めて、社長と一緒に東京ドーム行ったんですよ。
(西寺郷太)おお!
(井ノ原快彦)木村くんは、たしか自分でチケットを取ってるから、いいって。
(西寺郷太)俺はいいよって。マイケルのチケット、俺取ったと。
(井ノ原快彦)で、そこが空いたんで僕、呼ばれた。たまたま。
(西寺郷太)一枠空いてたんですね。
(井ノ原快彦)一枠空いていた。そこで初めて・・・
(西寺郷太)むちゃくちゃ前で見たってことですよね?
(井ノ原快彦)いちばん前ですよ。
(西寺郷太)うわー!BADツアー、いちばん前!
(井ノ原快彦)本当に、マイケル・ジャクソンの汗がかかったのが印象的で。
(西寺郷太)じゃあ、あんまりチンプンカンプンな状態で、いちばん最初に見たライブがマイケルの。
(井ノ原快彦)最高峰の。日本でまあ、最高峰の東京ドームというところで。いちばん前で見ちゃったから。もう、『あー!』って思って。『こんな世界か・・・』って。思っちゃいましたよね。それから。そん時、まだ仕事してないわけだから。
(西寺郷太)踊ったりもしてない。もう本当、出だし。すごい話ですよね。
(井ノ原快彦)そうなんですよ。
(西寺郷太)それじゃあ、香取さんとか草彅さんとかみんないたということですよね?
(井ノ原快彦)そう。そん時、一緒に原宿で香取くんと降りて。同い年なんで。『いま、勉強どこまで行ってるの?』みたいな。『社会科はこんな・・・』。
(西寺郷太)(笑)。あ、そのへんの年齢がね、不思議なんですよ。
(井ノ原快彦)あー、そう。TOKIOの松岡昌宏くんと、香取慎吾くんと僕、井ノ原が3人とも同い年なんですよ。学年は一緒。
(西寺郷太)あと僕ね、雑誌の話も好きで。
(井ノ原快彦)雑誌?
(西寺郷太)ほら、マンガをジャニーさんが。みんなで読みたい!って。
少年ジャンプでジャニーさん激怒
(井ノ原快彦)これね、よく僕もするんだけど。みんなで読みたい!っつって。したら、『これ買ってきていいよ』っつって、お金をもらったんで、少年ジャンプをみんなで買いに行ったんですよ。したら、5人ぐらいいたのかな?1人1冊ずつ買っちゃったわけ。
(西寺郷太)同じジャンプを。
(井ノ原快彦)みんなそれぞれ、自分の時間で見たいから。そしたら、もう怒られて。ふざけるな!っつって。『お前たち、そんな贅沢するな!もう返してこい!』って。4冊、返しに行ったんですよ。お店まで。で、1冊を社長がビリッビリに破いて。破いたっていうのは、背表紙からビリッ!ってキレイに破くんですよ。で、それを5等分して。1人ずつ、読み終わったら交代しろっていう風な。この効率の良さ!
(西寺郷太)(笑)
(井ノ原快彦)これは帝国が・・・できるはずですよと思った。子供ながらにね。
<書き起こしおわり>
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