湯川れい子が西寺郷太に語る エルビス・プレスリーの魅力

湯川れい子が西寺郷太に語る フリオ・イグレシアスの人間的魅力 西寺郷太TAMAGO RADIO

湯川れい子さんがTBSラジオ『西寺郷太TAMAGO RADIO』にゲスト出演。西寺郷太さんにエルビス・プレスリーの魅力と胸キュンポイントを語っていました。

(西寺郷太)で、このマイケルが結果、最終的に奥さんに。一時期ね。この人の娘を。

(湯川れい子)エルビス・プレスリーの娘、リサ・マリー・プレスリーと結婚して。いかにマイケルがエルビスという人に対抗意識というんだろうか?なんとか越えたい、なんとか記録も含めて越えたいと。キング・オブ・ポップでありたいという。その思いっていうのがマイケルを作ったんだと思いますよ。それはともかくとして、さっき『ザッツ・オール・ライト』をかけてもらったけど。

(西寺郷太)『ブルー・スエード・シューズ』ですね。

(湯川れい子)はい。『ブルー・スエード・シューズ』。ごめんなさい。かけていただいたんだけど、エルビス・プレスリーっていうのはロックンロールを生み出した。ビートルズもローリング・ストーンズもエルビスに刺激を受けてバンド活動するんだけど。それだけの起爆剤を持っていたんだけど。それだけじゃないのよ。やっぱりすごいのは。いま、彼が死んじゃって、今年37年になるんですけど。

(西寺郷太)最近、誕生日。神戸に行かれてたんですね。

(湯川れい子)昨日、神戸でエルビスのオンステージという映画、70年にできた。ちょうどエルビスが35才の時に作った映画で。これが世界的に大ヒットするんですが。それをまた昨日、神戸で上映会があって。たくさんいろいろいらしていただいて。その時のエルビスは35才だったの。それが、わずか7年目に亡くなるんですよ。もうすごいエネルギーで歌っていた人が7年目に死んじゃうの。それって、なんてこんなに儚い。

(西寺郷太)何才で亡くなったんですか?

エルビスの伝説的全世界同時生中継

(湯川れい子)42才。それで、このエルビス・プレスリーという人は実は世界で最初で最後。1秒間いくらのとんでもないお金の衛星放送・サテライトを使って世界同時生中継。36ヶ国した唯一のアーティストなんです。

(西寺郷太)あ、それ以降はないんですか?

(湯川れい子)ないです。1秒間いくらのお金だもん。サテライト使うの。

(西寺郷太)当時は。

(湯川れい子)いまもそうですよ。いまも高いですよね。それで世界に、コンサートを生中継できたっていうのがすごいことなんだけど。そういう人が、それからわずか。生中継した時から数えると、これは1973年なんですけどね。

(西寺郷太)あ、僕が生まれた年ですね。

(湯川れい子)それから4年後に死んじゃうの。で、なんでこれ胸キュンかっていうと、実はその1973年の1月14日に、ハワイから・・・

(西寺郷太)あれ?今日(番組放送日・1月14日)じゃないですか。まさに。いま、ゾクッと来ましたよ。

(湯川れい子)そうなのよ。キュンキュンなの。

(西寺郷太)いま、全身が一瞬痛くなった。え?今日じゃないですか。うわっ!

(湯川れい子)今日です。全世界36ヶ国に生放送したんです。今夜の12時から。

(西寺郷太)いま、震えてます。僕。すごい。

(湯川れい子)それで、12時って日本のゴールデンタイムに合わせて。日本は7時とか8時とかそういう時間だったんですけども。それはどういう生放送だったかっていうと、ハワイが生んだクイ・リーっていう作曲家がいて。その人がガンを苦にしてダイヤモンドヘッドから身を投げて死んでしまうの。それで、そのクイ・リーが作った『I’ll remember you』っていう歌が、エルビスのブルーハワイの中で歌われるんですが。この時、エルビスは実はなぜこれから4年もたたない内に死んじゃうかっていうと、その前の年。もう全世界のキング・オブ・ロックで、ものすごいセクシーな最高のスーパースターだった時に、最愛の奥さんがたった1人の娘を、2才半のかわいい娘を連れて、駆け落ちしちゃうの。空手の教師と。

(西寺郷太)それも聞きましたよ・・・

(湯川れい子)エルビスがズタズタになって。

(西寺郷太)ツアーで寂しいだろうって、空手を習わせてたんですよね。そんな世界中から愛される人が、奥さんを取られちゃう。自分の紹介した空手の先生に。

(湯川れい子)その男がですね、ハワイ人だったんですよ。それでエルビスが前の年にね、そういう事が起きて。その翌年、ハワイから世界中継しなきゃいけなかったの。

(西寺郷太)それは別にエルビスが狙ったわけじゃなくて。

(湯川れい子)じゃなくて。マネージャーがそういう仕事を組んじゃったんだけど。『いま、エルビスを立ち直らせるにはこれしかないだろう』と。ところが、その相手の男の故郷ですよね。そこでエルビスは本当に壁をかきむしって、『あいつを殺してくれ!』って絶叫したって話が残っているんだけど。そんな辛い辛い辛い時に、そのクイ・リー。ダイヤモンドヘッドから身を投げて死んだ男の歌をここで歌ってるんですよ。それが私はね、聞くたびにいまでも胸キュンでね。胸がキュンキュンキュンでね。『エルビス、私はぜったいあなたを忘れない。生涯忘れない』と思うぐらい。この歌はまたロマンティックなのよ。郷太さん、聞いて。

(西寺郷太)わかりました。

(湯川れい子)君を僕は一生忘れない。終わりのないこの夏が過ぎて、ずっと後も。僕は1人寂しく、ただ君を想いながら生きるだろう。エルビス。『I’ll remember you』です。

(西寺郷太)はい。エルビス・プレスリーで『I’ll remember you』。湯川れい子さんの選曲で。

(湯川れい子)はい。1973年1月14日。ハワイからの衛星生中継で歌われた歌です。

(西寺郷太)もう、プロデューサーの野上さんと、全身が震えながら話を聞いていたんですが。僕のすごくエルビスの話で湯川さんに、本当に最初の頃に湯川さんの別荘にお邪魔した時とかによくその話を聞いて思ったんですけど、僕らぐらいの世代というか。ビートルズまではすごくわかるというか。追いかけて60年代の音楽を聞いたんですけど・・・

(湯川れい子)私はね、別に追体験をする必要はないと思うの。やっぱりいつも言うように、ポップスはその時代の空気を吸って、その時代のご飯を食べているから面白い。だからそれはぜったい追体験できないものだから。勉強の資料にはなるでしょ。

(西寺郷太)それで、その時に僕らの、80年代とかに音楽を知った人間のなんとなくの感覚ですけど、衝撃的なデビューを果たし、インディーズで出て。トラックの運転手だったんだけど、自分のお金を出してレコードを作ったら、録音したら『こいつ、すげえ!』ってことで爆発的に人気が出たと。で、すごく世界中の人に影響を与えた。ここまではわかるんですよ。この後、人気絶頂の時に軍隊に行きました。軍隊に行ったところも知ってるんですよ。ビートルズファンの目線からすると。

(湯川れい子)うん。

(西寺郷太)で、軍隊から帰ってきた後、めっちゃ映画とか出るようになって。

(湯川れい子)契約に縛られてね。

(西寺郷太)で、すごくいわゆる昔からの映画スターのような存在になってしまったという。

(湯川れい子)なりたくはなかったでしょうね。

(西寺郷太)というような目線というか。ビートルズ史観といいますか。それで、当時の絶頂期となっていたビートルズと会ったりもしながら、最終的にラスベガスで。ちょっと太って、手にヒラヒラをつけた・・・

(湯川れい子)あ、ヒラヒラついてない。

(西寺郷太)まだついてない?

(湯川れい子)ヒラヒラを、実はエルビスはつけたことがないの。

(西寺郷太)あ、そうなんですか!?

(湯川れい子)みなさん、そう思っているけど。そうじゃないの。

(西寺郷太)あれは、モノマネの人が?

(湯川れい子)違う違う。モノマネがつけて。それでエルビスのバックでギターを弾いていた人はヒラヒラつけてるけど、エルビスがなぜあのジャンプスーツを着たかというと、自分が子供の頃にいちばん影響を受けた、いわゆるアメリカ南部の牧師さんの説法がすごかったんだって。『お前ら、そういうことをやっていると、やがて地獄に行くぞ!』って。それがもう、怖くて怖くて。だけどその後に流れる賛美歌があまりにも美しくて。それで彼は心が震えて。結局、ゴスペルから。ゴスペルを歌いたい。ゴスペルのスターになりたいっていうところから、歌を歌い始めるんですけどね。だから、彼の歌にはゴスペルがあるんですよ。常に。祈りがあるの。

(西寺郷太)うんうん。

(湯川れい子)だからそういうのがずっとエルビスを支え続けてきて。私たちが、いま彼が死んで37年たっても彼の歌を聞くと癒やされるのは、そこに私は祈りと想いがあるからだと思う。

(西寺郷太)その、さっきのエルビスが実際ヒラヒラをつけてないとかも、僕、エルビスのモノマネタレントが8万5千人いるっていう。世界に。

(湯川れい子)はい。この間ね、新しくメンフィスに新しい航空会社が就航したんですって。そしたらそこにね、エルビスのそっくりさんがね、ズラリと20人ぐらい、そっくりさんの格好をして出てきて。出迎えたのが世界のニュースになっていたんですけど。

(西寺郷太)彼の故郷の。

(湯川れい子)そうなんです(笑)。

(西寺郷太)どちらかというと、僕らなんかはモノマネの人からしか。やっぱり当然見れてないんで。当たり前のように、ヒラヒラをつけているからモノマネしたって思ってて。それでね、僕のさっきの話でいうと、70年代のエルビスっていうのは、本当に薄い知識ですけど、バーン!って・・・

(湯川れい子)ラスベガスで歌って、派手な格好してでしょ?違うんだって。

(西寺郷太)そこなんですよ。あそこがいちばんすごいって。あの時代が・・・

(湯川れい子)違う違う。70年の最初にオンステージっていう、いま見てもゾクゾクするような。それ、エルビス、幸せの絶好調でやってるんですけど。エルビスがそこに出てるっていうんで、世界中からわざわざ飛行機チャーターしたりして、みんなラスベガスに聞きに行ってたんで。エルビスは他のサミー・デイビス・ジュニアとかディーン・マーティンとか、他のアーティストのようなラスベガスのエンターテイナーじゃなかったの。そこでエルビスが歌うことによって、世界中から彼を聞きに行けたんですよ。

(西寺郷太)なるほど。

(湯川れい子)そのための劇場。いま、それをやってるのが、今度ブリトニー・スピアーズとか。その前、セリーヌ・ディオンとかのために劇場を建ててます。あれのハシリが。最初がエルビスだったの。

(西寺郷太)世界中をツアーでまわるんじゃなくて。俺はここにいるから、みんな来てよっていう。

(湯川れい子)いや、もうここで歌ったほうが、みなさん来てくれたほうが、みなさんのところに行ってたった2万人の前で歌うよりいいでしょ?って世界よね。毎回。59回ぐらいショーをやって10万人来るんだから。それで、その後。ラスベガスでさっきの73年になって。3年後に奥さんに逃げられて、ズタズタになって。今度エルビスの歌う歌っていうのはステージでもツアーでも、汗が涙に見える時代になってくるの。

(西寺郷太)ほー!

(湯川れい子)もう胸をかきむしられるような。彼は歌うことでしか生きてなかったから。郷太、考えてごらん?あんたの奥さんがさ、あんたのかわいい4才の息子を連れて、どっか他の男と駆け落ちしてごらん?どうなる?

(西寺郷太)嫌ですね。それは。

(湯川れい子)それでも、歌わなきゃいけないのよ。そういう中での歌っていうのは、私たちが聞いてても、もう胸が絞られるような思いで。で、それも含めて。でもエルビスは自分が神様に、僕をエルビス・プレスリーにしたってことは何か?って言ったら、これだけの声を与えたんだから。お前にエレキをあげたんだから、そのエレキで人を幸せにすることがお前の使命だ!って言われたと彼は思ったのね。で、Taking Care of Business。T.C.Bっていうのをずっとマークにしてたんだけど。それで最後の最後。もうボロボロになって死んでいくんだけど。

(西寺郷太)お前の仕事をしろ!って。Taking Care of Businessですね。

(湯川れい子)でもね、ボロボロになって死んだ本当の死因っていうのも、今年、わかるんです。去年か?あの、ドクターニコ・ポロスっていう、彼にお薬毎月80万も渡してて、結局医師免許を取り上げられてしまう。マイケルと同じよ。

(西寺郷太)同じですね。全く同じ。

(湯川れい子)全く同じよ。そのニコ・ポロスがこの間、自分が死ぬ前にこれだけは言いたいと。実はエルビスの、解剖をした時にもわかったんだけど、本当の死因は、彼がアメリカ人にしては、東洋人のように腸が長かったんだって。メガコロン。結腸がね。1メートル80センチも長かったんだって。普通より。その当時、まだレントゲンしかないような時代。MRIなんかない時。胃の検査するためにバリウムを飲んで。そのバリウムがコンクリート状になって、それが発見されなくて。

(西寺郷太)あ、昔で。まだ。

(湯川れい子)そう。本当に便秘で苦しんで苦しんで。で、最期も実はお手洗いで。イエス・キリストの本を読みながら心臓麻痺を起こして死ぬんだけど。だからそんなね、太って死んだとかさ、ドーナッツ食い過ぎて死んだとか、そういう話じゃないのよ!だからそれも。それ自体もキュンキュンなの。次、行かない?

(西寺郷太)行きましょう(笑)。なんていうか、もっとほのぼのしたというか、胸がキュンと痛いですわ。いま。

<書き起こしおわり>


湯川れい子が語る フリオ・イグレシアスの人間的魅力
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