星野源さんが2021年7月6日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中でリスナーからの「褒めることが苦手です。うまく褒めるにはどうすればいいのですか?」という質問に回答。人や物を褒める理由などについて話していました。
星野源「若林正恭は日本テレビ界の希望」#あちこちオードリー pic.twitter.com/8vSCyuGvEC
— うにいくら (@uni_ikura_11) June 30, 2021
(星野源)続いてのメール。「褒めることが苦手で、身近な人になればなるほど恥ずかしさや照れが生まれてしまって、言いたいことが半分も伝えられていないように感じます。育児をする上でも褒めるということの重要さを日々感じています。源さんはいつも相手のいいところをすぐ見つけて、嬉しくなる言葉で自然に伝えていてすごいなと尊敬しています。うまく褒めることができればいいのですが。どうしたらいいんでしょうか?」というようなメールです。
いやいや、そうね。でも、一緒ですよ。僕も、たとえばこういう電波に乗せて褒めたりとか、ゲストが来たらラジオでそういう話をしたりとか。そういうのはできるけど。たとえば、その自分の家族とか。あとは一番身近なマネージャーさんとか。そういう人たちを褒めるみたいなのは、やっぱり近ければ近いほど、なんかちょっと恥ずかしかったり。言い出しにくかったりするとは……それは、わかりますね。
でもね、そうね。褒める……でも、あれなんですよ。生きていきて……40年、生きてきて。30代ぐらいからからな? まあ、倒れる前? 後ぐらいかな? そのぐらいから、なんというか……褒めたい人って、いないんだよね。だから僕、ラジオとかテレビとか……この間も『あちこちオードリー』で話したけども。「若林さんのこういうところが好きだ、素敵だ」っていうのをメールで直接送ったりとか、テレビで話したりとかするんだけれども。
なぜ、それをするのか?っていうと、あの、うんざりするような人が多いんですよ。「いやな人だな」とか「なんでこんなことを言うんだろう?」とか。「なんでここでこんなに冷たいんだろう?」とか。うんざりすることばっかりなんです。世の中が。
うんざりするようなことばかりの世の中
(星野源)まあ、それは人もそうだし、出来事も含めて。毎日、テレビを見ていても本当にうんざりするし。ニュースを見ていてね。「なんでこんなことが起こるんだろう?」とか。あと、なんかネットとかを見てても……たとえば自分のことじゃないことでも、普通に傷付いたりするわけ。なんか記事を読んだり、ネットニュースを見て。「なんじゃ、こりゃ?」みたいな。「なんでこんなニュースなんだ?」っていうこともそうだし、「なんでこんな書き方をするんだろう?」とか。そういうことにいちいち落ち込むわけ。
で、やっぱりこういう、いろんな人がいる世の中だから。「悲しいことを言うな……」とか「がっかりだな……」とか、そういうことがすごい多くて。だから、褒めるよりもけなす方が簡単なんですよ。けなしたり、バカにしたり、ダメ出ししたり、「ここが悪い」とかって言う方が簡単すぎて。それはしたくないなと思って。褒めるべきところとか、「この人のここが素敵だ」っていうことを意外と人って気づいていなかったりするから。「じゃあ、言わなきゃ!」と思って。「言って、俺の周りだけでも素敵な人を増やさなきゃ!」みたいに思ってから……最初はやっぱり身近な人はなかなか言えなかったけど。遠くの人からとか、あとは「こういうのが好きだ」とか。
作品が好きとか、こういうテレビとかラジオとか、音を聞いてとか、本を読んでとか。それで「こういうところが素敵です」とか。そういうのを言うようになって。あとは実際に会った人で「ここが素敵だ」っていうことを実際に言ったりとか。本人に伝えて。「ここ、すごい素敵ですよ」とか。まあ、偉そうって言ったら偉そうなのかもしれないけど。わかんないけど。自分はその偉そうな気持ちっていうよりかは、やっぱりそういう風に言っていると楽しくなってくるんだよね。
「この人、ここが素敵だな」って思うところを発見して、それを「ああ、やっぱりここ、本当に素敵だよな。うんうん。これはもう、完全に素敵」っていう風になって、それを本人に伝える時にやっぱり照れる人もいるし、「ありがとう」って普通に言う人もいるし。ごまかす人とか、いろいろいるんだけども。やっぱり嬉しそうにしてくれる人が多いので。それは僕が本当に思って言っているから。なんか、お世辞とかじゃないから。
そうやっていると、自分も気持ちがいいんだよね。周りの人の欠点を見つけるよりも。だから、なぜ褒めるのか?っていうと、「あまりにもうんざりしたから」っていうのが一番強い答えですね。だから、なんていうの? よく言うじゃん。「好意的な意見があったら、マイナスの意見もないとおかしい」みたいな。俺は本当にそれ自体がおかしいと思っていて。マイナスの意見ってポジティブな意見の何十倍も力が強いんだから、一緒にしちゃダメなんだよね。
マイナスな意見とポジティブな意見の何十倍も強い
(星野源)でも、みんな意地を張ってるわけ。「やっぱり、いろんな批判ももらわないと」って言う人はみんな、「ググググッ」って歯を食いしばりながら。グーッと批判を我慢していて。でも、そんなことは別にしなくてよくて。悪いところってだいたい自分で気づくし。まあ、気づかない人もいるからあれなんですけど。でも、ちゃんと人と接していたら、悪いところって言ってくれたりする人がいるから。ちゃんと接していたらね。
あと、俺の好きな言葉で。バケツいっぱいのミネラルウォーターがあって。それはおいしいでしょう? まあ、なんでもいいよ。すごい大きいきれいな器の中に水がいっぱい入っていて、それはおいしいんだけども、そこにツバを1滴たらしただけで、そのミネラルウォーターはもう飲めなくなるでしょう? そういうことなんですよ。だから、そこは平等じゃないんだよね。だから全く違う次元のお話になってきちゃうっていう。だから僕は自分の周りだけでも……だから「いい」と思ったらね。嘘は嫌だけど。そういう風にするようにしています。
<書き起こしおわり>