吉田豪 松本零士の素顔を語る

吉田豪 松本零士の素顔を語る たまむすび

吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。漫画家 松本零士さんの素顔を紹介していました。

(小林悠)今日はどなたの?

(吉田豪)はいはい。今日は松本零士先生を取材したのが、あまりにもちょっとインパクトがすごかったので。その話をちょっとたっぷりしてみたいなというね。

(玉袋筋太郎)ええ。いやー、いろんなインパクトのある話もあるんだけどね。豪ちゃんね。

(吉田豪)(笑)。まだ無理ですよ!

(玉袋筋太郎)まだ無理ですよね!

(小林悠)ちょっ、ちょっ、ちょっ・・・

(玉袋筋太郎)その筋はね、ちょっと解けない筋がいろいろあって。

(吉田豪)その筋感のある話が(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。まあまあまあ。ねえ。松本零士先生っつったらやっぱり俺たちはさ、『宇宙戦艦ヤマト』だ、『キャプテンハーロック』だ、『銀河鉄道999』とか。すごい影響を与えてくださった先生ですよね。

(吉田豪)日本のアニメブームを作った人ですよ。

(玉袋筋太郎)そうだよ。日本のアニメブームの礎ですよ。はい。

(小林悠)その彼の生き方も、なかなかパンチ力のあるものであると?

(吉田豪)ここまでとは思わなったですね。びっくりしました。

(玉袋筋太郎)おおー!行こう!行こう!行こう!

あらすじとその筋

(小林悠)ではさっそく、松本零士さんのあらすじとその筋をご紹介します。1938年福岡県のお生まれ。現在77才です。幼少期より漫画を書き始め、1954年、高校1年生の時に『蜜蜂の冒険』でデビュー。高校卒業後に上京してからは、少女漫画や動物物など、さまざまなジャンルの漫画を手がけ、1970年代半ばから80年代にかけては松本アニメブームを巻き起こします。ご存知『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』で有名な日本を代表する漫画家のお一人。それが松本零士さんです。

(玉袋筋太郎)うん。

(小林悠)そして吉田豪さんの取材によりますと、松本零士さんのその筋は、その1。幼稚園の頃から血の気が多いヤンチャな九州男児の筋。その2。貧乏から生まれた漫画『男おいどん』。多くの悩める男性を救った四畳半下宿ぐらしの筋。その3。あの蒼き衣をまとった少女と有名なモビルスーツ。名付け親は俺だ!の筋。その4。梶原一騎さんとの仲違い説。その真実は・・・の筋。その5。破天荒な松本零士伝説。ケニアでライオンと戦うつもりが悟りを開き、北方領土の上空でスクランブルの筋。その6。原稿を買い戻し、貴重な漫画を復刻する漫画本コレクターの筋と、6本の筋がございます。

(玉袋筋太郎)いやー、このね、4、5っつーのがやっぱりいいね。梶原一騎さんとの仲違い説。あとこの破天荒ぶりだね!

(吉田豪)破天荒なんですよ。

(玉袋筋太郎)すっごいよね!

(吉田豪)イメージと違いすぎましたね。ちょっと、いきなり5から行っちゃいますかね?

(玉袋筋太郎)行っちゃおう!5から行こうよ。みなさん、イメージですよ。あの松本零士さんのイメージをしながらこの話を聞いていただくと、もうそのギャップに驚くと思うんですよ。

(吉田豪)まあ、小型犬っぽい感じの小さなおじいちゃんですよね。77才の。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

(小林悠)穏やかそうな。

(吉田豪)インタビューを始めて、なんか冒頭からちょっと不思議だったんですよ。『本当、昔はね、ゆるくてよかったんだよね』っていうことをすごい言っていて。具体的にどんな話が出てくるのか?と思ったら、とんでもない話が出てきたわけですよ。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)『外国に行って、ほとんどの飛行機は操縦したね。俺』っていう話で。

(玉袋筋太郎)ええっ?

(吉田豪)『もちろん無免許だけど』って言っていて(笑)。

(玉袋筋太郎)きたきたきた!(笑)。

無免許で飛行機を操縦しまくる

(吉田豪)『えっ?無免許で飛行機って運転していいんですか?』『うん。昔はよかったんだよ』っていう。

(小林悠)よくないと思いますけど(笑)。

(吉田豪)『シミュレーターでね、ただ訓練を受けていたからちゃんと離着陸もできるんだよ』って。『素人は離陸はできても着陸はなかなかできないのに、なんでできるんだ!?』って言われたって。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『シミュレーター、ちゃんとやってたからね』って言っていて。で、出てきたとんでもない話が、『40年ぐらい前に「木綿のハンカチーフ」の太田裕美さんを乗せてジェット機を操縦したことがある』っていう。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『えっ!?』っていう。あの、ソニーの宣伝部長が下宿の仲間だったらしいんですね。で、その関係で太田さんがソニーの社長の専用機で北海道に行くと。『お前、飛行機好きだろ?来い!』って言われて。『俺がじゃあ操縦する!』って言って(笑)。

(玉袋筋太郎)松本さんがでしょ?

(吉田豪)名乗りをあげて。本当に小さくてあまりにもボロボロの飛行機で。『こんなの嫌だ』ってマネージャーが逃げ出したくらいの飛行機だったんですけど。で、それに乗り込んで。まあ、離陸はちゃんと正規の操縦士がやって、上空に行ったら松本零士さんがバトンタッチされたんですけど。

(玉袋筋太郎)なんでそのバトンタッチ、しちゃうかね?

(吉田豪)『任せた!』っていう。で、『せっかく北海道に行くんだから』っていうことで、『まず北方領土を見てから行こう』っていうことになって(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。その発想がいいね!ヤバイよ、それ。

(吉田豪)絶対にアウトじゃないですか(笑)。で、1万メートル以上飛んだところで正規の操縦士が『レーダー!レーダー!』って言い出して。見たら、点々が7つも上がってきていて。ソ連軍のスクランブルだったんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)危ねえ!(笑)。

(吉田豪)『これはヤバイと思ってね、間宮海峡の上で右に旋回して、中標津で下りたんですよ』みたいな。『はっ!?』っていう。

(玉袋筋太郎)太田裕美さんもどうしたんでしょうね?

(吉田豪)忘れられないですよね。

(小林悠)命がけですよ。

(吉田豪)あの、『無免のハンカチーフ』って言われてるんですけど(笑)。

(玉袋筋太郎)上手い!(笑)。『無免のハンカチーフ』、いいねー!しかも真っ赤なスカーフだという。いい話だ、こりゃ!

(吉田豪)で、『なんなんですか、それ?』って言ったら、『いや、昔はね、穏やかな時代だからね。誰でも操縦席に入れてくれたんだよね』って。まあ、そこまでは本当らしいんですよ。操縦席の見学ができたんですけど。そこからなぜか、『操縦させて』って言うと操縦をさせてくれたっていう話になってて。

(玉袋筋太郎)うん(笑)。

(吉田豪)で、『コンコルドの操縦席に入ったら、機長が漫画書いていたんですよ』って言ってて。で、『漫画、好きなんだ』っていう話をしてたんで、『僕、漫画家なんですよ』『そうか!じゃあ、運転していいよ』って。『じゃあ、墜落実験をやろう』ってことになって。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『墜落実験ってなんですか?』って聞いたら、松本零士さんの操縦で1万2千メートルから急降下したらしいんですよ。『それってお客さんは?』『うん。乗ってるよ』って言ってて(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『ええっ!?そんなの、いいんですか!?』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)コンコルドっていうのがいいね(笑)。

(吉田豪)その客席にはちばてつや先生も乗っていたらしいんですよ。で、急降下してから戻っていって、『いま、飛行機揺れたろ?』『うん。気流が悪いんだろうね』ってちば先生が言っていて。『あれ、俺がやったんだよ』って言ったら、それからトイレに行こうとするたびに腕をつかまれて。『もう二度と行かせん!』って。

(玉袋筋太郎)当たり前だよ、それ(笑)。しかも、客が乗っているコンコルドですよ!音速飛行機ですよ。あれ。

(吉田豪)で、ちば先生って本当に人格者で有名なんですけど、松本零士先生に本当にひどい目にあい続けてるんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)で、飛行機の話を掘り下げていったら、最終的には『爆雷投下までやった』って言ってましたからね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)ええっ!?

(吉田豪)『なにやってんですか!?』っていう。

(玉袋筋太郎)すっごいね!

松本零士のアフリカの旅

(吉田豪)なんかね、エピソードがちょっとどうかしてて。その海外の武勇伝話で言うと、『宇宙戦艦ヤマト』の原稿を書き上げた後、アフリカの旅に出て。ケニアの草原でライオンと決闘しようとして、鉄砲を三丁持って。四駆のレンタカーを借りて行ったら、間違ってタンザニア領に入っちゃって。タンザニア兵に取り囲まれて、お互いに鉄砲を向け合ったけれども、『そこは国境だ』って言われて。『ソーリー!』って言ってレモンのジュースをあげたら、『お前、これ飲め』ってビールをもらって。そのままタンザニア兵と宴会になって(笑)。

(玉袋筋太郎)しかし、危ねえよな。銃向けあってるわけだろ?

(小林悠)本当ですよ。一触即発ですよ。

(吉田豪)兵に向けちゃダメですよね(笑)。突きつけられるのはわかりますけど(笑)。まだ。

(玉袋筋太郎)なあ(笑)。それ、でもゆるやかな時代だったってねえ。

(吉田豪)で、すっかり仲良くなって。酔っ払い運転で草原を走って。キリマンジェロが見えて。岩山を登ったんですよね。そしたら、大地が見えて。アフリカが全部見えて。その時に、『俺が生まれる前から、これはここにあって。死んだ後もここにある。人気がなんだ、原稿料がどうした。そんなものはどうでもいい!』と悟りを開いて。まあヤマトがちょっとね、人気がなければ途中で連載中止みたいに追い込まれたりしてたのが、それでもうすっかり悟りを開いて。さあ!と思って元気になった後にライフルの弾倉を開けたら弾が入ってなかったから、本当にライオンに戦うことになっていたら死んでいたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)危なかった・・・っていうね。

(玉袋筋太郎)いやー、悟りを開いて。それ、ライフル(笑)。それをね、向けあっていたわけだろ?撃ち合いになっていても、そこでも殺されてるわけだし。危ねえ!

ムツゴロウとの共通点

(吉田豪)エピソードがいちいちあれなんですよね。故郷が同じだし、年齢も近いんですけどムツゴロウさんに近いんですよ。なんか。

(玉袋筋太郎)ああー!

(吉田豪)あの、海外では1人で行っては危ないっていう場所に勝手に行っちゃって。勝手にそっちの人と仲良くなっちゃってとか。を、繰り返すっていう。『僕、ムツさんのインタビューで聞いた。この話』っていう。

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(玉袋筋太郎)ああ、そう?ムツさんもやっぱそうなんだよ。『よーし、よしよし!』っていう。

(小林悠)それ、動物だけじゃないんですね?

(吉田豪)勝手にスラム街とかに入っていっちゃったりとか。勝手に売春窟とかに行って仲良くなっちゃうっていうのをムツさんから聞いていたんですよ。もう行動、同じなんですよ。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)『福岡のあのぐらいの世代はだいたいこんな感じです』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)北九州だな!

(吉田豪)北九州はこうなんだな!と思いましたよ。僕の中の北九州のサンプルはその2つですよ(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)すげーよね!

(吉田豪)というわけで、1に戻りますかね。

血の気が多くて短気な松本零士

(玉袋筋太郎)まあ、幼稚園の頃から血の気が多かった。それ、いまの話を聞いてりゃそれ、血の気も多かったろうと思うよ。俺は。

(吉田豪)そうなんですよ。温和そうな見た目と違ってね。あのドクロマークは伊達じゃないんですよ。

(玉袋筋太郎)ああー。ドクロマークなんだよ。

(吉田豪)そうです、そうです。子供の頃から関門海峡に飛び込んだりとか、山で暴れたりとか。幼稚園が面白くないから辞めましたってことで、幼稚園中退。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)あの、同世代の漫画家さんは本当、いじめられっ子出身が多いんですよ。でも、明らかに違うんですよね。

(玉袋筋太郎)いじめっ子なんだね。

(吉田豪)そうです。そうです。で、徹夜続きで早死にの人も多いってよく言われているんですけど。『まあそのへんはね、僕、暴れてたんでね。体の鍛え方が違う』っていう話で(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)で、出てくるのがあと短気な話なんですよね。『短気ですよね?』って言ったら『うん。短気』みたいな感じで(笑)。

(玉袋筋太郎)否定しねーんだ、そこ。

(吉田豪)ぜんぜんしてなかったですね。高校時代に運動会でいちばんキレイな女の子の写真を撮りたくて撮影をたのんだことがあったと。で、そんな時に親友の同級生が『おい、松本』と声をかけてきて。松本さんは撮影に夢中。で、写真を撮り終わって教室に帰ったら、その親友がいなくて。翌日、『なんで帰ったのか?』って問い詰めたら、『お前が「勝手に帰れ、このクソッタレ!」ってものすごい声で怒鳴ったんじゃねーか』って。『覚えてないんですよ』っていう(笑)。

(小林悠)ええーっ!?(笑)。

(玉袋筋太郎)松本さんが?

(吉田豪)うん。夢中になるとそうやって怒鳴る人で。で、ケンカも相当したんですけど。『東京に来てからはケンカらしいケンカはしてない』って言ってたんですよ。でも、ちょっと聞いてみると大人になってからも、ある時、ちょっと当時売れっ子だった先輩格の漫画家さんが同じ下宿にいて。『ラーメン食いに行こう』と誘われて。お金がないので断ったらしいんですよ。『いいよ、おごるから』って言われたんで一緒に行って。そしたら、食べ終わった瞬間に『やっぱり割り勘にしよう』って言い出して。松本さんブチ切れと。

(玉袋筋太郎)ブチ切れ?

(小林悠)先輩に向かって?

(吉田豪)そうです。ラーメン屋さんの親父さんは『いいよ、食いたいだけ食え。ある時に払え』って言ってくれたんだけど。そうやって人に無銭飲食させる先輩が許せない!っていうことで。まあこのへんまでは著書にも書いていることなんですけど、こっからが新ネタだったんですよ。

(玉袋筋太郎)おう。

(吉田豪)帰り道、地下鉄の駅を通り抜ける時にぶん殴って。倒して下駄で頭を踏んづけて。『二度と近づくな!ブチ殺すぞ、馬鹿野郎!』って言ったら二度と近寄って来なかったと。一説には漫画家辞めた説もあったりするっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)先輩格だよ、でも?

(吉田豪)先輩です(笑)。

(玉袋筋太郎)先輩を・・・下駄履いてるっていうところがまたいいよね。

(小林悠)ですよね。バンカラな。

(吉田豪)で、『殴られ方や殴り方は子供の時に学んでいる。鼻血が出るぐらいはセーフ。絶対に殴っちゃいけない箇所には手を出さない。それが九州男児のルール』って言っていて。

(玉袋筋太郎)おおー。なんか昔の相撲取りみたいなことを言ってるよね。かわいがりの仕方もね、やっぱり・・・

(吉田豪)いろいろあるんだよっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)『後ろを叩いちゃいけねえ』って。龍虎さんがそう言ってたね(笑)。

(小林悠)まあまあまあ。

梶原一騎と仲違い伝説の真相

(玉袋筋太郎)いや、だけどそんなね、短気な人がですよ、梶原一騎先生と仲違いっていう。これはさ、どういうことなの?相当な、じゃあ血を見るようなことになったんじゃないの?

(小林悠)本当に仲が悪いんですか?

(吉田豪)あの、伝説があるんですよ。これ、噂だったんですけど、『宇宙戦艦ヤマト』がヒットした時に梶原一騎さんが戦艦大和が空を飛ぶ『新戦艦大和』っていう作品を実は書いていたんですよ。昔。ずっと前に。『あれは俺のパクリだ』って怒って。で、どっちも大泉なんでモメたっていう説があったと。

(玉袋筋太郎)おお。

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