吉田豪『書評の星座 紙プロ編』を語る

吉田豪『書評の星座 紙プロ編』を語る アフター6ジャンクション

吉田豪さんが2021年3月1日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』に出演。『書評の星座 紙プロ編』について宇多丸さんと話していました。

(宇多丸)本日は2月26日に出版されました吉田さんの新刊本『書評の星座 紙プロ編 吉田豪のプロレス&格闘技本メッタ斬り 1995-2004』についてお送りいたします。ということで吉田さん。これ、前にご紹介いただいたやつのさらに時代を遡った版ということですよね?

(吉田豪)そうですね。前回が2005年以降の『ゴング格闘技』に連載が移ってからの約15年間をまとめた本について、ここで紹介したんですけどね。

(吉田豪)で、それが結構予想外に売れちゃったらしくて。「じゃあ、前のやつも出そう」という流れになりまして。ただ本当、ここでも言ったんですけど。2005年だったら僕は本当にだいぶまともになってたはずなんですけども……。

(宇多丸)「2005年はまとも」(笑)。

(吉田豪)そう。だいぶ常識的になっていたつもりだったのが、その文章でも正直「うわっ!」って思ったんですよ。やっぱり15年、置いて読むと……っていうね。

(宇多丸)仰ってましたよね。「今だったら絶対こんな言い方や書き方をしない」って。ありますよね。

(吉田豪)そうです。たぶん徐々に変わってきた部分が……。

(宇多丸)いや、そりゃあ、あるに決まってますよ。そんなのね。吉田さんなんか、まだブレがない方のはずだけども。

(吉田豪)そうです。そうです。だから宇多丸さんか「RHYMESTERのファーストアルバムを聞きたくない」って言ってる気持ちがすごいわかるんですよ(笑)。

(宇多丸)フハハハハハハハハッ! いや、僕らはもっとレベルがあれかもしれないけども。たとえば文章……『マブ論』の最初の方とか文体から書いている内容からスタンスから、全然違うから。もう、「なんだこりゃ?」っていう感じもありますからね。だから、前のやつは『ゴング格闘技』だったのが『紙プロ』時代ともなると、95年から……つまり、ライターとして表に出始めたての頃ということですか?

(吉田豪)そうなんですよ。本当にまだまだペーペーぐらいの時から。24ぐらいからの10年間なので。

(宇多丸)まあ、当然尖ってるし。

(吉田豪)一番ギラギラしてる時代で(笑)。

(宇多丸)吉田さんが一番イキッていた時期。

(吉田豪)イキりまくってますよ。

(宇多丸)もちろん、吉田さんのそのある種の毒とか攻撃性、別に今も薄れたわけじゃないけど。刀が鞘に入っていないっていうか……(笑)。

(吉田豪)そうですね。見せ方とか表現とか言葉遣いとか、最低限のことを気がするようになったじゃないですか。本当に(笑)。

(宇多丸)あと、「そこは攻めちゃダメだろ」みたいなこととか(笑)。

(吉田豪)そうそう。やっぱりそれはあるんですよ。今、やっぱり何か批判をする時にも、絶対に相手の逃げ場所を残しておくとか。ちゃんとそういうようなやり方になってきているんですけども。昔は本当、それがない。えげつないです。本当に。

(宇多丸)吉田さん、今はなんなら、全体としては褒めてる感じに……褒めているようには読めるっていうような感じだったりするけども(笑)。というあたりでじゃあ、たとえば吉田さん的に今日、どのあたりまでお話しいただけるんですか?

(吉田豪)まあ、単純に当時の僕、本当に年齢的にも若いし。編集の仕事も始めて数年だし。もっと言うと、プロレスとかを見始めてからも日が浅かったわけですよ。古本とかで学習はしているけれども、ちゃんと会場とか行くようになってからまだ2年とか……雑誌を読むようになってから1、2年ぐらいなんですよ。

(宇多丸)これ、改めて言っておくと吉田さんご自身はだから「プロレスがすごく大好きで『紙プロ』に入った」ってわけじゃないんですもんね。そこがポイントで。

(吉田豪)そうなんです。姉がプロレス大好きで見せられてはいたけれども……ぐらいの感じで。それがなんとなく、バイト先に週プロが置いてあったから読み始めて、とか。テレビは見ていて、ぐらいの人間が、なんか知らないけど入ることになって……みたいな感じだったんですね。ただ、古本の知識はあったんで全然戦えはしたっていう(笑)。

(宇多丸)そこで古本で入れた知識で戦うという発想がもう吉田豪、それは出来上がってますよ(笑)。

(吉田豪)だからそこがベースなんですよ。つまり、僕の当時のルールって、僕自身も全然下だったから。「同業者で自分より年上でキャリアも上の人間に対しては何を言ってもいい」って思ってたんですよ。

(宇多丸)ああ、なるほどね。そうか。強いわけだしね。

当時の吉田豪ルール

(吉田豪)で、古本で知識はあるから、相手の間違いがわかるんですよ。で、「俺ぐらいの知識しかない人間が間違い気づくなんて、あなたはどうなってるんですか?」みたいな詰め方をひたすら続けるんですよ(笑)。

(宇多丸)うわあ……嫌だねえ!

(吉田豪)嫌ですよ(笑)。

(宇多丸)しかも、古本だからね。それでたとえば「ご本人がこういうことを言っていますよ」みたいなことだから。要するに、吉田さんが自分で考えたわけじゃないからっていう言い方もできますしね。

(吉田豪)そうなんです。裏はちゃんと取っていて。それで一応、最低限のルールとして、選手に関しては本当によかった探しで、リスペクトを前提として。選手を批判することはほとんどないんですよ。ただし、同業者に関しては容赦なかったから。

(宇多丸)「同業者」っていうのはその、プロレスについて何かを書いてる人とかってことですか?

(吉田豪)そうですね。当時はまだプロレスブームだったんで、プロレスをよく知らない人が雑な本を出したりしてたんですよ。で、またインターネット以前だから、本当にぼんやりとして記憶だけでとんでもない間違いとかを書いてあったりして。

(宇多丸)書き散らかし放題だったんだ、まだ。

(吉田豪)そうです。それをすべて詰めていく作業ですね(笑)。

(宇多丸)フハハハハハハハハッ! 「詰めていく作業」って(笑)。へー、そうかそうか。

(吉田豪)だから本当、実は連載初回から地雷を踏んでたりとかして。

(宇多丸)どうしてですか?

(吉田豪)いや、これは想像を絶していた感じだったんですよね。たぶん初回の時に、なんてことはないんですよ。骨法の堀辺正史さんという、古武道系の格闘家の方がいて。ちょっと怪しげではあったんですけど、面白い人で。

吉田豪が語る 骨法・堀辺正史師範伝説
プロインタビュアーの吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、骨法の堀辺正史師範に取材して確認した昭和プロレス・バラエティー番組の裏側を語っていました。 (赤江珠緒)今日、豪さんが取り上げるのが骨法の堀辺正史師範ということですが。なんか...

(吉田豪)その人の、ある格闘技漫画雑誌の巻頭カラーが堀辺さんのカラー特写で。ちゃんとクレジットにヘアメイク付きで、それでちょっと爆笑して。「ヘアメイク付きの堀辺さんが見れるだけでも必見!」みたいに書いたら「ヘアメイクと何事だ!」みたいな抗議文が届いて。

(宇多丸)えっ、だって書いてあるんでしょう? 「ヘアメイク」って。

(吉田豪)書いてあるんですよ。でも「謝罪文を出せ!」ってなっていて。それで後でその謎が解けたのが、同じ号で骨法がその時にかわいがっていったライターの批判をしてたんですよ。だからそれを守るためにちょっと難癖をつけてきたみたいな感じで。

(宇多丸)そうか。別角度で。本当に気に入らないのは別の部分だったんだけど……みたいなことだ。なるほどね。へー!

(吉田豪)そうなんです。みたいなことがプロレス格闘技界は意外と多くて。帯にも「あの問題連載が帰ってきた」って書いてあるんですけど、問題は多数起きた……(笑)。

(宇多丸)だってさ、これ普通の連載のを挙げただけじゃなくて、最後に巻末にね、「あの書評のその後」みたいな。「その後、いろんなことがありました」みたいなのもまとめてるんですもんね。これね。

(吉田豪)そうなんですよね。

(宇多丸)そうか。でも、そういう1個1個から吉田さんは「こういう書き方するとある意味、言質を取られちゃう」みたいなのを学んでいったっていうところもあるんですかね?

(吉田豪)それもあるし、あとはだからトラブルの転がし方みたいなものを学んでいった感じはあって。

(宇多丸)「トラブルの転がし方」?

トラブルの転がし方を学ぶ

(吉田豪)当時、もう1個連載してたのが「プロレス用語大辞林」というプロレス用語をふざけて説明するような連載をやってたんですけど。それの記述でアントニオ猪木の片腕だった新間寿さんという人が大激怒しまして。これがユニバーサルという団体を当時、新間さんの息子さんがやっていて。で、選手のグレート・サスケさんとかが社長とモメてみちのくプロレスを立ち上げたですね。で、立ち上げた時にその当時、新間さんの息子さん、新間寿恒さんのことを「バカツネ」って呼んでいたんですね。だからその大辞林の中に「バカツネ」という項目を作ったら激怒されたんですね。

で、激怒の仕方も大変で、最終的には呼び出されて、新間夫妻と息子さんがいる前で僕とあと担当編集が行ったら、僕のことを編集長と間違えて……編集長は山口日昇っていうんですけども。「お前か、山口!」って言って。掴みかかって膝蹴りをされて。「やめるんだ、ツネ!」って言ってお父さんが取り押さえて……みたいな。要するに、本当にプロレスですよね。筋書きのないプロレスにいきなり巻き込まれたんですよ。

(宇多丸)まあ、吉田さんがムダに貫禄があったからかもしれないけども。いきなりなんだ。

(吉田豪)いきなり。下手したら事件になる感じなんですけども。

(宇多丸)だし、そんな急に来られたら受け身の取りようもなくないですか?

(吉田豪)全然取れないですよ。当時、僕はまだ23、4とかですからね(笑)。

(宇多丸)普通に痛いし、顔面蒼白だし、ですよね。そんなね。

(吉田豪)ただ、「プロレスのすごいところを見ちゃった」っていう感じなんですよ。そこで、要するに新間さんっていうのは天才的なマイクパフォーマンス能力で全盛期の新日本のリング上でいろんな演説とかしてた人なんで。もう完全アドリブで僕の前でいろんなカマしをしてくるわけですよ。それが本当にすごくて。「うわっ、今、大変なものを見ている!」って思いながら。

(宇多丸)レジェンドの……(笑)。

(吉田豪)なんかドラマに巻き込まれた感じで(笑)。

(熊崎風斗)その感覚でいられるの、すごいなー。

(宇多丸)まさに星座ですよ、星座。『男の星座』。

(吉田豪)完全にそれですよ。で、僕がまた古本好きだから、新間さんの昔の本をその時、持参していて。

(宇多丸)フハハハハハハハハッ! 取材モードじゃないか、もう(笑)。

(吉田豪)膝蹴りをされた後に「すいません。サインください」って言って。「そうか!」って(笑)。

(宇多丸)で、その膝蹴りの相手を間違えてたっていうのは、これは気付いたんですか? すぐに。

(吉田豪)いやいや、その後も気付いてないと思いますよ。

(宇多丸)だって、おかしいでしょう? そんなさ、「サインしてくれ」なんて(笑)。

(熊崎風斗)状況がもうよくわからない(笑)。

(吉田豪)サインにちゃんと日付が入っているから、僕が膝蹴りを食らった日付もわかるんですよ(笑)。

(宇多丸)フハハハハハハハハッ! ええーっ? 吉田さんもやっぱりよっぽどですよ。その場で……。

(吉田豪)それで、雑誌も狂っているからそのトラブルに便乗して。「謝罪のために休刊します」っていう休刊ギャグをやったんですよね。1回、休刊のふりをして、なんとなく別の雑誌みたいに見せかけて1号、出してみたっていう。

(宇多丸)おおらかな時代だなー(笑)。

(吉田豪)おおらかな時代ですよ(笑)。

(宇多丸)だからさ、吉田さん、最初からやっぱり吉田豪は吉田豪だったっていうかさ。普通、そんなことになったらショックで心が折れちゃったりとかさ。

(吉田豪)「こんな会社、やめてやる!」とかね。

(宇多丸)なりかねないのに。いきなり本を出すってもうその時点でどうかしてますよね(笑)。

(吉田豪)それもそうだし、そういうのも面白がる会社のノリとかに完全に毒されちゃった感じですね。

(宇多丸)そうか。やっぱりそこが『紙プロ』イズムなんだ。なるほど。じゃあ、そういう意味でなんかあってもトータルで、もうちょっと俯瞰した視点で面白くしていけばいいんだ、みたいなのもあったと。

(吉田豪)そうなんです。だから、なんか僕がやらかすっていうか、言いすぎて相手が怒ったりとかしても、会社から怒られたことは1回もなかったんですよ。「お前、こういうことは書くな」みたいなことは一切なくて。なんか一緒になってふざけて戦ってくれるみたいな会社だったんで(笑)。

(宇多丸)まあ、でもそういう意味ではその20代半ばから30代半ばまでのまさにその青春期とも言っていいと思うけど。その成長期にはすごくいい職場だったわけですね。じゃあ、『紙プロ』はね。

(吉田豪)そうですね。ただ、これが『映画秘宝』にも通じる話だと思うんですけども。『紙のプロレス』っていうのは『週刊プロレス』とか『ゴング』とか、そういう権威に対するカウンターだったのが、それがだんだんそういう雑誌がなくなっていったりとか、パワーがなくなっていったりするうちに、そしてプロですが元気がなくなって、PRIDEとかが強くなっていった頃に、その辺を押していた『紙プロ』が権威になって。なおかつ、編集長がそのPRIDEの中の人になったり。そしてPRIDEが作ったプロレス団体・ハッスルの社長になったりとか、中の人になっていって。そのへんの批判が雑誌でできなくなっていったみたいな、歪みが生じ始めて。

カウンターだったものが権威になる

(宇多丸)そうか。元々はカウンターだったのが権威になっていく中で……というね。しかも、その変化そのものに無自覚だったりすると、余計に、そういう歪みが出やすいですよね。

(吉田豪)そうですね。で、その流れで僕の連載が終わることになるっていう話なんですよ。

(宇多丸)ああ、なんかすごい、でもちょっとそのストーリーは青春大河っていうかね、そういう感じがありますね。

(吉田豪)要するに僕が書評で高田延彦さんの奥さん、向井亜紀さんの本の中には「プロレスの仕組みを旦那さんから言われてショックを受けて……」みたいな描写があって。そのへんとかを書評で結構取り上げたら、まあ高田さんが怒る気持ちもすごいわかるんですよ。完全にその頃、編集長が高田さんの片腕みたいになっていて。一緒に団体というか興行をやっていた側だったのに。そして自分のことを押してくれた雑誌がなんでこんなことを書くんだ?っていう風になって。で、その編集長に言われて、ホテルに呼び出されて、僕が結構な詰められ方をして。それで僕は……こういう時、編集は絶対ライターを守らなきゃいけないのに、ここに連れてくる時点で絶対間違ってるっていうことで、編集長とそのぐらいから口を聞かなくなって。1年ぐらいで僕が離脱するっていう。

(宇多丸)たしかに。記事を載っけてるわけだからね。

(吉田豪)そうなんですよ。そこは守らなきゃいけなかったのが、守れなくなっちゃってたっていうのが問題で。

(宇多丸)そうかそうか。でも、卒業し時だったのかもしれないってことですかね。

(吉田豪)でも本当にそんな気はしますね。いいタイミングでたぶん離れて、自由になった気がしますね。

(宇多丸)そうか。その10年……だから吉田さん的には今回、出したやつとかを見ると、やっぱりそのストーリーっていうか。自分の歴史っていうか、成長の過程っていうか。そういうのがご自分でも見える感じですかね?

(吉田豪)まあ、最初の文書は本当に下手ですからね。ただ、でも本当に最低限の直ししか入れてないんですよ。実は。やっぱり、ここで下手に直すのはフェアじゃないなと思って。あきらかに現状、アウトな表現とかをいくつか削ったりとかはして。それこそ、ちょっとルッキズム的っていうか、書き手の外見ディスとかも多少していたんで。

(宇多丸)それは……どの角度から言っても全くダメっていう(笑)。

(吉田豪)ただ、そういうことをしていたっていう痕跡は残しているけれども、基本的にそういう部分はなくしたぐらいで。実はそんなに直してないんですよ。

(宇多丸)まあさ、その90年代……これはだから別に「吉田さんが」とかってことよりは、90年代半ばから2000年代ぐらいまではまだ全然、いわゆる鬼畜系ブームとかさ。悪趣味ブームも全然あって。だからそんな中で、吉田さんは全然変わってない方だとは思うけども。

(吉田豪)そう。そこに巻き込まれなかった方だと思ってたけど、とはいえ……っていうね。

(宇多丸)いや、それはわかるな。やっぱり。

(吉田豪)あと、だから最近Twitterで見たのが「吉田豪はインタビューのクオリティーは落ちてないけど、書き原稿はこの時代が一番良かった」みたいなコメントがあって。気持ちはわかるんですけど、そのやり方を続けていたら大変なことになっていたんですよ。間違いなく。

(宇多丸)だからあれですよ。「宇多丸は酷評の方が面白い」って言われるのとかとも同じで。それはわかるけど。気持ちはわかるけど……っていうね。

(吉田豪)だから、さっき言ったので言うと、同業者、年上、キャリアが上の相手だったからできたことが今、僕がこれだけのキャリアになって。ある種、権威に近いぐらいというか、そういう立場の人が下に対してものすごいキツいダメ出しをしたら、それはもうアウトじゃないですか。

(宇多丸)間違いない。

(吉田豪)それはもう、良かったところを探せるような作業になっていくし……っていう。

(宇多丸)だからそのご自分の立場の変化みたいなのにちゃんと吉田さんは自覚的だったってことですよね。それはね。

(吉田豪)偶然なのかもしれないですけどね。

(宇多丸)あとは「より悪質化した」という言い方を私はさせていただきたい(笑)。

(吉田豪)「巧妙なやり口になった」っていう(笑)。

(宇多丸)「一見、褒めているようだが……」みたいなね(笑)。

(吉田豪)それはでも、ある時期に学びましたね。本当にストレートな批判よりは、もうちょっとクッションを入れた方が面白いなっていう。

(宇多丸)だからより、読み手側に高いリテラシーが要求されるようになっているものをお書きになってるんだと思いますけどね。僕はね。僕はやっぱり今の方が面白いと思うけど。ただ、この「吉田さんがこれを言ってるのか」という喜びはありますね。「ひ、ひどい!」っていう(笑)。

(吉田豪)いやー、ひどいですよ。うん。で、やっぱり感想とかを読んでいてもね、「面白いけれども明らかにいくつかオーバーキルな部分が……」みたいな。「わかる、わかる」っていう。でも、それはそれでしょうがないっていう。

(宇多丸)ああ、感想メールも来てるそうなので。ちょっとご紹介をさせてください。

(熊崎風斗)「今週の土曜日、秋葉原の書泉で豪さんのサイン&ブロマイド付きの『書評の星座 紙プロ編』を購入しました。当時、リアルタイムで『紙のプロレス』『紙のプロレスRADICAL』を愛読していた私は、購入後真っ先に開くのは豪さんの『書評の星座』でした。正義感あふれる主張、愛情と悪意をたっぷりにまぶした文章に毎回ゲラゲラ笑いながら楽しんでいたのを昨日のことのように覚えています。諸事情により連載が中心になった際は心底がっかりしましたし、プロレス仲間の先輩とともに『本にまとまらないかな? もう無理だよね』と嘆いていたものでした。ここに来て、まさかの20年ぶりの書籍化という形になって心底、嬉しいです。当時感じていた以上に手厳しい書評に、やっぱり爆笑しながら読み進めています。豪さん、集英社の皆さん、ありがとうございます」といただいております。

(宇多丸)という喜びの声ですよ。

(吉田豪)よかった。批判じゃなかった(笑)。

(宇多丸)フハハハハハハハハッ! いきなりここで批判をメールを紹介するのはどうかしているでしょう?(笑)。「なにがしたいんだよ?」っていうことですよ。でも本当にその、「まさか出るとは思わなかった」っていうファンの方の反応も、やっぱりそこのところじゃないですかね。歴史の記録にも当然、なってるし。あと、豪さんは言っても、ちゃんとした倫理観がベースでいろんなことをやられてるから。そこはまあ、大丈夫なあたりじゃないですか。それは。

(吉田豪)それは本当に思いましたね。もうちょっと、昔だからもっとひどいこと……道徳にもとるようなことを書いてる可能性があるなと思ってドキドキしながら読んでいたら、一応最低限のルールは守ってました。

一応、最低限のルールは守っていた

(宇多丸)なるほどね。ということで、だから最初から吉田豪は吉田豪だったっていう部分と、違う部分が透けて見えて。僕から見ると、でもやっぱり吉田さんは最初から吉田さんだなって思うけどな。

(吉田豪)はいはい。ありがとうございます。

(宇多丸)この頃に会わなくてよかったって思いますよ(笑)。

(吉田豪)フハハハハハハハハッ! ひどかった頃に(笑)。

(宇多丸)はい。といったあたりで吉田さんの新刊本の情報、熊崎くんから改めてお願いします。

(熊崎風斗)はい。改めてになりますが、吉田豪さんのプロレス格闘技本の書評集の第2弾。『書評の星座 紙プロ編 吉田豪のプロレス&格闘技本メッタ斬り 1995-2004』。95年から2004年までの『紙のプロレス』『紙のプロレスRADICAL』に掲載され、プロレス・格闘技界を騒然とさせた問題連載を完全収録した1冊となっております。発行、ホーム社。発売、集英社。お値段は税抜2900円です。

(熊崎風斗)さらにこの本の刊行記念イベントもございます。3月26日(金)夜7時30分から吉田豪さんと玉袋筋太郎さんによるオンライントークイベントが開催されます。

(宇多丸)これ、玉さんとはどんなお話をするんですか?

(吉田豪)書評に限らず、当時のプロレス・格闘技界の話とかをたぶんいろいろすることになると思います。

(宇多丸)玉さんもお詳しいからね。さらに他にお知らせごとなど?

(吉田豪)その発売記念で『紙プロ』のOBとかともロフトプラスワンかなにかで配信イベントをやると思います。

(宇多丸)それ、すごいですね。

(吉田豪)前回、1回やったんですよ。去年の5月3日に。あの時はもう、登壇する人間の半分ぐらいが泣き出すっていう謎のイベントでした。

(宇多丸)エモい(笑)。

(吉田豪)今回は別のスリリングさをちょっと組んでいるつもりなので。まだ正式な発表前ですけどね(笑)。

(宇多丸)なるほど。それは、いつでしたっけ?

(吉田豪)いつだったかな? 僕も今、日程は覚えてないですけども。すでに発表済みのはずです。

(宇多丸)まあ、SNSとか見ていればわかるっていう感じですかね。じゃあ、吉田さん。また来月もよろしくお願いします。ありがとうございました。

(吉田豪)はいはい。どうもでーす。

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました