吉田豪 松本零士の素顔を語る

吉田豪 松本零士の素顔を語る たまむすび

(吉田豪)『あれ、本当なんですか?』って聞いたら『モメてない』と。モメてないんですけど、梶原さんの弟子から電話がかかってきて。『道を歩いていて何があっても知らないよ』と脅されたことはあったと。

(玉袋筋太郎)ほう!士道館かな?

(吉田豪)まあ、空手関係の方でしょうね。そしたらすぐ梶原先生から電話があって。『うちの弟子がとんでもないことをした。申し訳ない』と謝罪して。で、『同じ町内で友達だったから、大泉の駅前でもずいぶん一緒に飲んだし、銀座でもよく飲んだ』と。銀座のクラブ数寄屋橋っていう梶原先生がちょっと問題を起こしたことでお馴染みの店があるんですけど、そこに行くとボーイたちに周りを取り囲まれて。人が近づけないようになっていたのが、松本さんはそこに平気で入っていって一緒に飲んでいたぐらいの仲。

(玉袋筋太郎)ああー。まあ、そりゃライフルをさ、突きつけられてるような人はもう何も怖くないよね。そこまでいったら。

(吉田豪)空でも大丈夫っていう感じで(笑)。

(玉袋筋太郎)だけどね、『宇宙戦艦ヤマト』のね、プロデューサーの西崎義展さんの本が、すごかったじゃないっすか?

(吉田豪)名作です!

(玉袋筋太郎)狂気(「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気)。

(吉田豪)そして、意外と松本先生に冷たい感じの本で。

(玉袋筋太郎)そうなんだよね。うん。どうだったんだろうね。

(吉田豪)そう。その話もちょっと聞いてみたんですよ。そしたら、意外なんですよね。怒っているのか?と思ったら、『西崎さんに声をかけられてヤマトに参加したわけじゃないですか。そのおかげでアニメの世界に入れたからね、感謝してるんですよ』って言っていて。ああ、そこは素直にそうやって言ってくれるんだ!って。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)『たしかにね、あれだけ大ヒットしたアニメなのに、もちろんお金もくれなかったですよ』と(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そこは。

(吉田豪)『いくらももらってないですけど、感謝はしてます』と。

(玉袋筋太郎)なるほど!

(吉田豪)『おお、大人!』っていう。

(玉袋筋太郎)そうだよね。だから『宇宙戦艦ヤマト』は全部、ずーっと松本零士さんの作品だと思っていたんだけど。やっぱり西崎さんが原案。原作だったっていう。

(吉田豪)裁判でもね、松本先生が敗北しましたから。

(小林悠)ええーっ?

(玉袋筋太郎)そうだよ。敗訴だったんだよ。

(吉田豪)そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)いやいや、まあね、あるね!

(吉田豪)じゃあ、行っちゃいますか?2個目、行っちゃいますかね?

男おいどん

(玉袋筋太郎)2個目。『男おいどん』なんつーのはさ、やっぱ貧乏暮らし。四畳半暮らしっつーのはさ、もう男の夢だったの。俺。『してみてえ!』みたいなさ。

(小林悠)おおー!

(玉袋筋太郎)それの漫画だから。うん。

(吉田豪)下宿漫画ね。まあ当時、本当に下宿で貧乏だったんで、風呂屋にも行けないからインキンタムシになっちゃったんですよね。

(玉袋筋太郎)インキンタムシですよ!

(吉田豪)で、それが白癬菌だという記事を朝日新聞で見つけて。『インキンになりました』と薬屋では言えないけど、病名なら言えるってことで、薬屋さんで買って。で、一発で。マセトローションっていう薬で治って。これが漫画『男おいどん』を書くきっかけになって。このことを書いた結果、いろんな人たちが『自分も元気になりました。あなたのおかげです』ってファンレターが大量に届くようになったっていうのは、これは有名なエピソードで。

(玉袋筋太郎)いい話じゃない。

(吉田豪)で、もう1個、有名なエピソードとして、ちばてつや先生。親友の。

(玉袋筋太郎)よく出てくるね、ちば先生が。

(吉田豪)で、このインキンタムシになった時に、サルマタケっていうのが出てくるんですよ。この『男おいどん』に。

(小林悠)キノコですか?

(玉袋筋太郎)押し入れの中に猿股をもう、汚れたのをずーっと詰め込んでおくと、そっからキノコが生えてくるんだよ。

(小林悠)キャーッ!気持ち悪い。

(吉田豪)で、それが実は実話で。ヒトヨタケとマグソタケというキノコが生えてきたと。

(小林悠)これ、猿股から生えてくるんですか?

(吉田豪)猿股から生えてきて。っていうのがあったんですけど、それをちばてつや先生に食べさせたっていう伝説があったんですよ。

(小林悠)ひっどい!ええっ!?

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)それをちょっと掘り下げてみたら、『インスタントラーメンに入れて食べさせた』まではね、聞いていたんですけど。『それってどうなんですか?炒めたりしたんですか?』って聞いたら、『ぜんぜん。洗いもしてないですけど、まあ熱湯消毒で大丈夫でしょう』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そういう問題じゃねーよ!

(吉田豪)お湯かけただけだったらしいっていうね。

(玉袋筋太郎)危ねえ!

(吉田豪)『でも「美味いか?」って聞いたら「美味い」って言ってたからね』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)ちば先生!

(吉田豪)まあ、だいぶたってから白状して、ちば先生は笑っていたっていうね。

(小林悠)大人ですね。

(吉田豪)大人なんですね。ちば先生は本当に人ができてます。

(玉袋筋太郎)できてるよー!いやいや、最高だね。でも、マセトローションって本当、書いてあるもんね。これ、松本先生が。

(吉田豪)そうなんです。いま、松本先生のイラストになっています。

(玉袋筋太郎)そうだよ。これもな。

ナウシカとガンダムの名付け親

(吉田豪)で、またね、デタラメエピソードで言うと、その3。これ、僕が取材した話じゃないんですけど。ここ最近で僕がいちばん衝撃を受けた松本零士エピソード。

(玉袋筋太郎)この蒼き衣をまとった少女と有名なモビルスーツ。名付け親は俺だ!の筋だよね?

(吉田豪)そうなんですよ。初期に少女漫画を書いてまして。その頃のことを結構ね、また恨みも尾を引く人であって。『少女漫画家時代に年末のパーティーに俺だけ呼ばれなかった』ってことを著書でずーっと書いていたりとか(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。ああ、そうなんだ?

(吉田豪)そういう人ではあるんですけど。まあ、初期の代表作。少女漫画で『銀の谷のマリア』とか、動物物の『火の森のコーシカ』とか。ちょっとどっかで聞いたような名前のファンタジックな作品も書いていると。で、このコーシカっていうのはロシア語で『猫』という意味で。で、日本橋にコーシカという名前のお店があって、店主のロシア人のおばさんにその意味を教えてもらったと。で、いまの猫。『ナウ、コーシカ』をもじって『ナウシカ』という名前も考えていた。

(玉袋筋太郎)ええーっ!?

(小林悠)考えていた?

(吉田豪)考えていた。

(小林悠)なにかで発表してたんですか?

(吉田豪)そして、『宇宙戦艦ヤマト』の企画書にも、護衛艦として『ナウシカ』と書いてあった。

(玉袋筋太郎)おおー!

(吉田豪)で、『惑星ロボ ダンガードA』という作品がありまして。ロボットアニメ。この企画書にも宇宙空母の名前の候補で『バンダム』とか『ジャスダム』とかと並んで、自分がピストルも好きなんで『ガンダム』というのも出していたと。

(玉袋筋太郎)なにーっ!?

(吉田豪)で、『企画書というのは業界関係者がいろいろ見るものだから使ったんだろうけど。まあ、別にいいですよ。先に使った方が勝ちだから』とか(笑)。

(玉袋筋太郎)おおー!そこはあれなんだ。

(吉田豪)『ええっ!?』っていう話を。

(小林悠)じゃあ、自分が考えたものがまわり回ってそうなったと?

(吉田豪)『ねえ。どんどん大きくなって。うれしいもんですよ』みたいな感じで(笑)。『ええっ!?松本先生!』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)いやいや、これはなに?じゃあ・・・

(吉田豪)真相はわからないですけど、まあでもね、『ヤマトを作ったのは俺』裁判とかにもつながっていく話なのかもしれないですよね。

(玉袋筋太郎)たしかにそうだよな。コーシカとナウシカ・・・『火の森のコーシカ』でしょ?『風の谷の・・・』。ううん?そうだね、これ。あらららら。

(吉田豪)ちなみに『次のゴジラの映画のデザインは俺のものだ』とかいう発言も最近されているらしいって。噂でちょっと小耳に挟みましたけど(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。全部『俺が!俺が!』になってくるね。これ。大変だよ。どうだろうね?松本先生にさ、オリンピックのロゴ作ってもらったらいいんじゃないの?それがいちばんいいんじゃないの?

(吉田・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)宇宙的なものでね。イラストで。いいんじゃないかな。おもしれー!

(吉田豪)で、ちょっとね、ヤンチャな九州男児話でさっき言い忘れた話がありまして。本当、あれなんですよ。『ブチ殺すぞ』っていうのが口癖らしいんですよ。あの人って。

(小林悠)いまでもですか?

(吉田豪)いまでもですね。福岡を歩いている時に肩があたって。向こうが『ブチ殺すぞ!』って言ってきて。松本零士先生も『ブチ殺してみれ!』って言い返したら、他の土地の出身の同行者が『殺すって言われて怖くないのか?』って聞いてきたけれども、あんなのは挨拶と。すぐに『ブチ殺す』って言っちゃうから、口癖。『コラッ、バカ!』程度で『ブチ殺すぞ!』って言っちゃうって言っていたんで。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)この前、橋本環奈さんを取材したんですよ。彼女もね、北九州というか福岡の人じゃないですか。『僕、そういう風に聞いたんですけど。そうなんですか?』って聞いたらね、全面的に否定されましたよ(笑)。

(玉袋・小林)(爆笑)

(吉田豪)『違います!言わないです、私は!』みたいな(笑)。『えっ、挨拶がわりに言うって聞きましたよ?』って。スタッフの人も一緒になって『ないです!ないです!世代が違います!』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)世代が違う(笑)。

(小林悠)世代の問題ですか!?

(玉袋筋太郎)だから、『なんだ、バカヤロー!』みたいなもんなんだろうな?

(小林悠)『おい、コラッ!』みたいなことですか?

(玉袋筋太郎)そういうことなんだよ。いや、あれだね。松本零士さん。『宇宙戦艦ヤマト』じゃないけど、無限に広がる大宇宙だね。まさに。

(吉田豪)そうですね。いくらでもまだまだ出てくる気がしますよ。

(玉袋筋太郎)そうなんだよな。

(小林悠)不思議すぎる。

(玉袋筋太郎)こういったね、偉大なる松本零士話。

(吉田豪)まあじゃあ、ちゃんとした話も1個、行ってみますか?6個目。

(小林悠)すごくいいこともされてるんですよね?

漫画原稿を買い戻し

(吉田豪)そうですよ。ちゃんとした活動もしています。原稿を買い戻して。まあ、漫画の復刻に結構協力してるのは有名なんですよ。漫画のコレクターで、たとえばね、藤子不二雄先生とか石ノ森章太郎さんとかが漫画の復刻の時に、原本がない時に松本先生が本を貸して。それをベースに復刻されたりしてるんですよ。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)そういう協力もしてるんですが、それだけじゃなくて、古本屋さん。日本ですごい有名な古本屋さんに漫画の生原稿が持ち込まれたら、それを松本先生が買って作者に返したりの活動もしてたっていう。

(玉袋筋太郎)すげー!いいことしてる!

(吉田豪)そうなんですよ。で、当時は漫画の原稿って出版すると戻らないのが普通で。赤塚不二夫さんの原稿630枚を見つけて、赤塚さんがまだ生きているうちに返却したりとか。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)で、『あなたが預かっているならいいよ』って言ってくれる人もいたりで。小松崎茂さんっていうね、空想科学系のイラストの。あの人の原画もたくさん入手して、返そうと思ったらアトリエが火事になってなくなっちゃったと。で、奥さんに持っていた絵を返したら、涙を流して。『まるで主人が帰ってきたみたいです』って言われたとか。いいこともしてるんですよ。

(玉袋筋太郎)あらー。いや、いいことしてますよ。そりゃ。

(吉田豪)ただのアウトローではないんですよ。うん。

(玉袋筋太郎)『ブチ殺すぞ!』っていう(笑)。

(小林悠)だけではないということですね。

(吉田豪)ちなみに、アシスタントの新谷かおる先生っていう人がいまして。その人からも話を聞いたことがあるんですよ。松本先生のアシスタント時代にどうだったのか?っていうの。やっぱりデタラメというか。すごかったらしいですよ。ヤマトの丸いメーターとかも全部フリーハンドで。なぜか?っていうと、『定規を使うと線が死ぬ』っていうね。

(玉袋筋太郎)ええっ?

(吉田豪)で、『肘で線を書くな!腰で引け!』って言われて。『女の尻や太ももを書くのに定規を使うか?ゼロ戦のこの丸みをフリーハンドでやるっていうのはそういうことだ!』って言われて。ずーっとそれをやり続けていたんですけど。当時の伝説で、秋田書店のプレイコミックで『キャプテンハーロック』連載してたんですけど。

(玉袋筋太郎)はい。

(吉田豪)本の発売当日の朝の4時にあがったことがあるっていう。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)よく間に合いますね。

(玉袋筋太郎)ねえ!

(吉田豪)地方売は完全に遅れたと思うけど、東京は夕方には書店に並んでいたって言う。

(玉袋筋太郎)すっげー!やっぱりいい時代だったんだな。

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