高嶋政宏さんがTBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』に出演。音楽にハマッたきっかけや自身のバンド活動などについて話していました。
今週は、スターレス高嶋氏には、大変お世話になりました。心からありがとうと言いたい。 #nhkfm pic.twitter.com/vvIFspJkhp
— ウエムラXケンジ (@ijnekarumeu) 2015, 9月 4
(田中裕二)でも、そのロックね。今日もKISSのTシャツをね。
(高嶋政宏)今日はKISSの変形バージョンの。
(田中裕二)子供がね、KISSのメイクをした。
(高嶋政宏)なんかヒステリック・グラマーが出したやつで。
(田中裕二)これは、ロックの出会いは何だったんですか?
(高嶋政宏)ロックの出会いは、いちばん最初、小学生の頃、宇崎竜童さんのダウン・タウン・ブギウギ・バンド。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』。
(太田光)最初に買った、僕はレコードは『スモーキン・ブギ』でした。
(高嶋政宏)あ、『スモーキン・ブギ』。それを見て、『エレキギターってなんてかっこいいんだ!』って思って。
(太田光)つなぎでね。
(高嶋政宏)そうなんですよ。3年か4年の時に、父にね、『エレキがやりたい!』って言ったら、『エレキは不良になるからダメだ』って。
(太田光)あ、高島忠夫さんに。
(高嶋政宏)そうなんですよ。それでもう、『なんでうちはね、そんなショービジネスの家なのに、何だよ!』って思って。それから考えて、考えて、『じゃあエレキベースはどうだ?』って言ったら、『ベースは音が低いから、大丈夫だ』って。
(田中裕二)ええっ!?
エレキベースは大丈夫
(高嶋政宏)それでエレキベースをやるようになって。それが最初ですね。で、洋楽との出会いはKISSの『悪魔のドクター・ラブ』っていうね。
(田中裕二)KISS。我々、中学ぐらいですかね?
(高嶋政宏)小学校ですね。
(太田光)でも、早熟だよね。そう考えると。
(田中裕二)いや、だってまだ洋楽は聞かないもん。
(太田光)聞かなかったね。せいぜいベイ・シティー・ローラーズが。
(高嶋政宏)ベイ・シティー・ローラーズも聞いてました。『S-A-T-U-R-D-A-Y NIGHT♪』って。あれもね、聞いてました。あと、いろんな。クイーンとか。当時、小学生にとっちゃディープ・パープル、レッド・ツェッペリンはちょっと難しかった。
(太田光)ちょっと難しかった。
(高嶋政宏)あのブルース。リズム・アンド・ブルースのね。
(田中裕二)が、難しかったと。
(高嶋政宏)ええ。それでちょっとハードブギになってくると、AC/DCっていうのはまだ。でも、そん中でKISSがね、とにかくね、いちばん。
(太田光)まあ、ビジュアル的にもね。
(田中裕二)まあ、食いつきやすいですから。要はこういうメイクをしてっていう。その後はね、こういう人たち、いろいろいるけれども。日本にもいたりするけども。
(高嶋政宏)そう。KISSってね、あれ、みんな歌舞伎にメイク、影響を受けたって思っているんですけど。そうじゃないんですよ。アリス・クーパーなんですよね。アリス・クーパーっていう、ああいうちょっと近い、もうちょっと黒だけなんですけどね。そういう、なんて言うんですかね?オカルト・グロ・ロック、ちょっとエンターテイメントの草分けみたいなね、人がいらっしゃって。その影響だということを豆知識として伝えておきます
(田中裕二)ありがとうございます。
(太田光)えっ、じゃあその頃は、役者というよりもどちらかと言うと、ミュージシャンを目指すと?
(高嶋政宏)もう完全にそうですね。それで、KISSと出会って、その後、1976年にロンドンでパンクムーブメントが起こって、1977年にセックス・ピストルズが登場して。あの時に、『プリティ・ヴェイカント』っていうシングルをね、買って。なんてかっこいいんだろう!って。
(太田光)早いわ。
(田中裕二)だから、違うわ。世の中、だってピンクレディーとかだよ。その頃ね。そういう時代ですよ。
(太田光)ピストルズはもうちょっと、だから我々は大人になってから、後追いで知るぐらいの感じだよね。
(高嶋政宏)で、その疾走するロックンロール。ただ当時、『ロックンロールだ』って言うと、パンクスの友達から『ロックンロールじゃねえ!』っていう論争が起こってね。思想の戦いというね。
(太田光)へー!周りにもいたんだ。
(高嶋政宏)いました、いました。で、中3の時に、仲間のお兄さんがパンクバンドのBOLSHIEっていう、いわゆる東京ニュー・ウェーヴと東京ロッカーズっていう2つの派閥があったんですけど。当時ね、ニュー・ウェーヴ、パンクシーンでは。で、その東京ニュー・ウェーヴの方にいたBOLSHIEのお兄さんが親友の、当時のね、お兄さんだったです。ベーシストだったんです。で、いろいろ話しているうちに、中3の時にバンドを結成して。
(太田光)おおー!
(高嶋政宏)で、その時に、KISS、あと、みんながやる『スモーク・オン・ザ・ウォーター』。ディープ・パープルの。あと、なにやったかな?ちょうどホワイトスネイクがビートルズの『Day Tripper』っていう曲をカヴァーしてたんで、それをやったりとかしたんで。学園祭でやったのがね、バンドデビュー。ベーシスト。
(田中裕二)へー!
(太田光)でもそれ、相当ハイレベルじゃないですか?
(高嶋政宏)いやいやいや、ぜんぜんそんなことない。それで、ちょうどその時、ラビット関根さんが好きで。蝶ネクタイしてね、出ましたね。ベース弾いて。
(太田光)えっ、どういうこと?
(高嶋政宏)ラビット関根さん、蝶ネクタイ。
(田中裕二)してましたよ。
(高嶋政宏)それをね、やりたかったんです。
(田中裕二)いや、それだから、ディープ・パープルっぽい格好をするとかね。KISSみたいなメイクをするとかだったらわかるんだけど。
(太田光)(笑)
(高嶋政宏)蝶ネクタイをしてたっていうね。で、ギンガムチェックのシャツに、赤い蝶ネクタイをしてね。まあただ当時ね、体重108キロぐらいあったんで。
(太田・田中)ええっ!?
(高嶋政宏)もう超肥満児で。蝶ネクタイして。もう滑稽なやつがベースを弾いてるの。
(太田光)すごいね、それは。
(高嶋政宏)で、バンド名がね、これがね、タートル・ヘッズというね。
(太田光)タートル・ヘッズ?
(高嶋政宏)タートル・ヘッズというね、かめあたま。
(太田光)かめあたま。亀頭(笑)。
(高嶋政宏)亀頭という(笑)。これは来て、一同またドン引きですよ。
(太田光)ドン引き。引かすねー!(笑)。引かすね!
(高嶋政宏)本当にね、あの時、家帰って怒られまくりましたね。『なんでそういうね、シモの方にいくんだ?よりによって中学3年が』って。
(太田光)(笑)。いや、たしかに高嶋ファミリーっていうとね。
(田中裕二)あのイメージからするとね、ちょっとそんな、亀頭っつってたらね。
(高嶋政宏)トーキング・ヘッズが好きだったんで。だから、タートル・ヘッズで。
(太田光)タートル・ヘッズで(笑)。
(田中裕二)まあまあまあ、それはいいんですけど。
(高嶋政宏)そうなんですよ。やりましたね。
(田中裕二)トーキングの方、真似すればよかったですね。
高島忠夫に初めて見せられた映画
(高嶋政宏)まあそれで、だいたい映画はすごい好きで。割と父から見させてもらったヒッチコック作品。いちばん最初があれですよ。ヒッチコックの『泥棒成金』ですよ。
(太田光)ああ、『泥棒成金』。
(高嶋政宏)ケーリー・グラントがかっこいい!もう、かっこいい!芝居上手いし、洒落てるんですよ。
(太田光)軽くてね。
(高嶋政宏)そうそう。昔、サーカスのね、アーチー・リーチだっけな?本名。で、とにかく身が軽い。洒落てるんですよ。それと、最初に好きになったのが黒澤監督の『用心棒』。この2本を、まず見させられたんです。
(太田光)さすが、やっぱり高島さん。
(田中裕二)ねえ。それはちゃんとやっぱり、お父さんわかっているからね。なにを見せるかっていう。
(高嶋政宏)ロックと別に、三船敏郎さんとケーリー・グラントという。この2人が好きで。
(太田光)たしかに、お父さんはちょっと洋風の、割とああいう風の感じがありましたもんね。
(高嶋政宏)当時、宝田明さん、小林桂樹さん、で、うちの父という。なんかハイタワーとかなんかね。背、高くて。
(田中裕二)背、高くてね。スラッと。
(太田光)お母さんもきれいだしね。そういう意味じゃ、そういうところ、あったんだね。
(高嶋政宏)それで、バンド活動にずっと行ってたんですね。
(太田光)俳優よりも。
(高嶋政宏)それで、ええとね、実は六本木のクラブ、ちょうどディスコからクラブに変わっていった時に、ビジーフォーさんの前座をやってたんです。
(太田・田中)ええっ!?
(高嶋政宏)ディスコで。ビジーフォーさんの。
(太田光)マジですか!?
(高嶋政宏)ええ。僕たちがやって。ディスコのね、ドゥービーとか。ぜんぜんやりたくないドゥービーとかいろんな、ブルース・スプリングスティーンとか、リック・ジェイムスとかケーシー・サンシャインとか。『That’s the way♪』とかね。
(田中裕二)すっげーバカにしてるでしょ。いまのその雑な紹介。
(高嶋政宏)それをやって、終わるとビジーフォーさんが。だからいわゆる、ステージ料とかっていうのは飲み代タダっていう、それだけでした。
(太田光)ビジーフォーさん、まだ純粋にコミックバンドとしてやっていた頃の?
(高嶋政宏)そうです。そうです。テレビ出ていた時ですよ。ウガンダさんと。
(太田光)ウガンダさんがドラムで。へー!それの前座?
(高嶋政宏)(グッチ)裕三さんと、モト冬樹さん。で、その後にモトさんとドラマで出会った時に言ったら、びっくりしてましたね。
(田中裕二)いや、それはびっくりするでしょ。
(太田光)じゃ、知らなかったんだ。高島忠夫さんの息子さんだったって。
(高嶋政宏)いやー、裕三さんもね、すごい喜んでくれてね。
(太田光)そりゃすごい。贅沢だよね。いまから考えると。
(高嶋政宏)いやいや、結構ね、下北の屋根裏とか行って。もう3000円ですからね。バンドメンバーのお金。
(太田光)それ、もうお父さんパワーはやっぱり絶対使わないという、なんかそういうのはあったんですか?
(高嶋政宏)パワーとかっていうより、頭になかったですね。
(太田光)なかった。へー!
(田中裕二)そりゃすごいよね。
(太田光)俺ら、ビジーフォーの、なぜか知らないけど、ビジーフォーの解散ツアーの前座をやってんの。
(高嶋政宏)ああ、そうなんですか?いや、つながりましたね。
(太田光)これがね、もう、気まずかったよなー。とにかくもう、冬樹さんと裕三さんが一言もしゃべらない!楽屋で(笑)。なんで俺ら、前座で呼ばれたのかわかんないよな。
(田中裕二)別にそれまでなにか交流があったわけじゃない。たまたまだったんだろうけどね。北海道の、そういう。
<書き起こしおわり>
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