山下達郎さんが2022年6月12日放送のTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』にゲスト出演。高校時代の友人たちと100枚限定で制作した自主制作盤『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』について話していました。
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— TBSラジオ 安住紳一郎の日曜天国 (@nichiten954) June 12, 2022
(安住紳一郎)さて、続いてですが100枚の自主制作盤。これは何ですか?
(山下達郎)中学から高校の仲間でアマチュアバンドを作ってたんです。で、全員一応、大学へ入って。それでアマチュアバンドを解散しようっていうところで。「じゃあ、記念に自主制作でアルバムを作ろう」って。今は自主制作のアルバム、簡単に作れますけど。CDでね、焼けばいいだけなんで。でもあの頃は、こういうアナログLPを作ろうと思ったら結構大変なんですよ。
(安住紳一郎)お金がかかる。
(山下達郎)レコード会社、どこでも「特販課」っていうところがあってね。小唄のお師匠さんが生徒に配るようなレコードを作ったりするような。そこにコネがある奴がいて。友達で。そこで……しかも東芝でね。東芝っつったらビートルズ、ビーチボーイズとかの。それで「ビーチボーイズと同じ会社だぞ!」って。それで100枚プレスして、それを売るったって売れませんからね。友達みんなにタダ同然であげたんですけども。それが偶然にも、大瀧詠一さんのところに渡っていって。あともう1個、ディスクチャートっていう四谷のロック喫茶でセッションやった人たちのところに回っていって。そこからシュガー・ベイブができたんですよ。だからこのアルバムがなければ、やっぱりそういうプロの道っていうのはそういう形ではなってなくて。とてもそれは幸運だったですね。
(安住紳一郎)なんか大瀧詠一さんの書かれた文章に書いてありましたね。高円寺かなんかの喫茶店に行って、「ビーチボーイズの曲かな?」と思ったら歌ってるのがビーチボーイズじゃなくて。「これ、何なの?」って聞いたら……。
(山下達郎)それを聞いていたのが伊藤銀次さんで。伊藤銀次さん、当時大瀧さんのプロデュースしてるバンドのメンバーだったんで、福生に合宿してたんですよ。それで大瀧さんところにそれを持っていって。で、ちょうどそれがはっぴいえんどの解散コンサートだったんですね。で、なんかもう一味、大瀧さんのプロジェクトにほしいっていうんで僕らがコーラス隊で参加したのが大瀧さんの一番最初で。
(安住紳一郎)で、大瀧さんはそれを見て、連絡先をどうしてわかったんですか?
(山下達郎)それは、連絡先が書いてあるんです。レコードに。
(安住紳一郎)ああ、「興味があったらお電話ください」って?
(山下達郎)そういうわけじゃないですけど。要するにアルバムの制作の連絡先で。それで売ってプロになろうとか、そういうんじゃなんで。
(安住紳一郎)思い出みたいな?
(山下達郎)そうそう。思い出作りです。
(安住紳一郎)で、それを聞いた大瀧さんが「ちょっと仕事、手伝ってくれ」って言って……。
(山下達郎)そうです。でもその時にはシュガー・ベイブっていうバンドを作ってたんだけど。大瀧さんにとってはこの自主制作とシュガー・ベイブと、初めは同じだったんですよ。これがシュガー・ベイブだと思っていたんですけども。まあ、そういうようないろいろ行き違いとか誤解はあるんですけど。最終的にはだからそれでシュガー・ベイブが大瀧さんのナイアガラっていう作ったレーベルで、最初の第1弾でデビューするっていう、そういうきっかけになったっていう。
(安住紳一郎)だからこの自主制作、作ってよかったですよね。
(山下達郎)そうですね。やっぱりね、形にして出さないとダメだなって。どんなに「俺は最高の音楽を作ってるんだ!」ってやっても、やっぱりきちっと形にして出さないとダメだなっていうのはこれ、19の時に作ったやつですけど。それはすごく痛感しました。
形にして出さないとダメ
(安住紳一郎)100枚、作ってるんですよね。これ、手元に1枚は?
(山下達郎)1枚だけ、持ってます。これのオリジナルの100枚は結構な値段しますけど。その後、リイシューになって。今、CDにもなってますから。
(安住紳一郎)きっと世の中で持っている人が何人かいるということですね。
(山下達郎)いますね。
(安住紳一郎)何枚ぐらい残ってるんでしょうね?
(山下達郎)わかりませんね。もうそれは書画骨董の類ですよね。
(安住紳一郎)いやー、たしかに。
(山下達郎)だってその頃はそんなもん……(笑)。
(安住紳一郎)いや、そうですよね。
(山下達郎)つもりもないですからね。
(安住紳一郎)当時はやっぱり別にね、まだ山下達郎は何者でもないわけですから。本当に学生が作った……。
(山下達郎)それで大学に行って、なんかちょっと僕らの時代は70年安保とかに引っかかってるんで。ここで結構ドロップアウトしちゃったから。理系、全然無理なんで。なんか著作権でも勉強して、音楽が好きだから、音楽出版社でも入ろうかな、みたいな。そういう時代だったんで。
(安住紳一郎)いや、そうなんですよね。これもね若い人、聞いたらびっくりすると思うんですけど。当時、東京は学生運動というと大学生のイメージありますが、結構意識の高い高校生が参加していて。山下さんが通ってた学校、たぶん全校ストみたいなのが……。
(山下達郎)うちは全国でただひとつ、全校ストをやったんですが。それは教師がの人たちが補修費とか、そういうのでリベートを取ってたんですよ。修学旅行費とかで。それが新聞にバーッとでっかく載っちゃって。それが69年ですから。新宿騒乱みたいなのがあった年ですから。それはバーッてなりますよね。
(安住紳一郎)だから高校がロックアウトみたいなことになってたから、ちょっとね、自分自身で多感な時期。何をやっていいか右往左往というところなんですが。そういう時代に自主制作を作ってたということで。実はこれ、CD化されてると今、お話がありましたので。1曲、その時のを……。
(山下達郎)そんなの、かけるの?(笑)。
(安住紳一郎)いいですか?
(山下達郎)いいですけど(笑)。
(安住紳一郎)一応、私たちの可能な最高な音質で出しますので。
(山下達郎)いや、これリマスターされてますから。大丈夫ですよ(笑)。
(安住紳一郎)ビーチボーイズがカバーして……。
(山下達郎)これ、エヴァリー・ブラザーズっていうアメリカのデュエットのグループですけども。
(安住紳一郎)ちょっとお聞きいただきましょう。
『Devoted To You』
(安住紳一郎)これが高校生ですか?
(山下達郎)19(笑)。
(安住紳一郎)19歳。
(山下達郎)発音、悪い(笑)。
(安住紳一郎)スタジオで録ったんですか?
(山下達郎)これは僕の50年来の友達がいまして。そいつが地主の息子なの。その彼のはなれみたいな……駐車場の上に彼の部屋があって。そこでずっと曲を作っていたんで。そこで録音して。
(安住紳一郎)19歳でこのレベルを友達と出せるっていうのもすごいですね。
(山下達郎)恥ずかしい(笑)。
(安住紳一郎)いえいえ。
<書き起こしおわり>
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