ナイツ 内海桂子師匠との思い出を語る

ナイツ 内海桂子師匠との思い出を語る ナイツのちゃきちゃき大放送

ナイツのお二人が2020年8月29日放送のTBSラジオ『ナイツのちゃきちゃき大放送』の中で亡くなった内海桂子師匠との思い出を話していました。

(土屋伸之)ということで、今週は出水さんがお休みになりまして、外山アナにお越しいただきました。

(外山惠理)よろしくお願いします。

(塙宣之)でも、外山さんもまたこのね……どうなんですか? 外山さんと立川談笑師匠とか。あと、マムシさんも出られるっていうことで。桂子師匠のね、このタイミングでこの人たちが出るっていうのが……あと、(バイきんぐ)西村くんでしょう?

(土屋伸之)西村さんはめちゃくちゃ関係ないのよ。まあ「めちゃくちゃ関係ない」って言い方もあれなんだけども(笑)。西村さんは無理があるよ(笑)。

(塙宣之)追悼特番というかね。

(土屋伸之)「不思議だね」みたいな話にしたいんだろうけども。でもまあ、僕らがこの枠でラジオをやらせてもらえるのも、絶対に内海桂子一門じゃなかったら、永さん。外山さんとやっていた永さんなんかも、僕らなんか相手にしてくれないですよ。そういう存在ですから。まあ、桂子師匠にはもう本当感謝の気持ちが尽きないですよ。

(塙宣之)やっぱりいろいろね、本当に中往生でね……。

(土屋伸之)大往生だろう。なあ。上、ないだろう。これに。大往生ってそんなハードルが上がっていたの?(笑)。

(塙宣之)中往生で亡くなられましたけども……。

(土屋伸之)大往生のハードル、そんな上がっていたんだ(笑)。98歳ですからね。

(塙宣之)でも、師匠の思い出を考えると、なんか笑っちゃうんですよ。桂子師匠って。

(土屋伸之)ネタがね、本当に豊富すぎて。

(塙宣之)本当に昨日、やっぱり悲しさを通り越して、「今日のラジオで何を話そうかな?」と思っていろいろ師匠との思い出を思い出したら笑っちゃって。で、特に笑っちゃったのが、いろんな話があるんですけど。神輿の話がもう……「神輿の話」っていうか神輿のことなんですけど。

(土屋伸之)漫才大会ですか?

(塙宣之)めちゃくちゃ面白いんですよ。

(外山惠理)えっ、なんですか?

(塙宣之)まあ、内海桂子性が会長だったんですね。で、その後に青空球児師匠が会長になって。で、桂子師匠が名誉会長になったんですけど。その新旧会長交代式って言って、漫才大会っていうね、1年に1回、浅草の浅草公会堂で1000人ぐらいお客さんを入れてやるんですけど。そこで、オープニングで。ちょっとみんなで考えて、若手とかみんなで御輿を作ったんですよ。2つ。それで神輿を2つ作って、こっちの上手から桂子師匠が出てきて、下手から球児師匠が出てきて。それで神輿の上に乗って「わっしょい、わっしょい!」って。で、桂子師匠も当時、80過ぎてますけど。

足腰強いから。なんかノリノリで。神輿の上で「わっしょい、わっしょい!」とかってやっているんですよ。それで「会長、交代します! 頑張ります!」「ワーッ!」みたいな感じで幕を閉じて。最高のオープニングから始まったんですけど。そしたらなんか、桂子師匠が神輿の上ではしゃぎ過ぎちゃって。その神輿を降りた瞬間に「ああーっ!」って転んで。ガシャガシャガッシャーン!ってなって。それで……もう動けなくなっちゃって。

(外山惠理)あら、まあ!

(塙宣之)それで「あ、ああ……ううう……」ってなって。

(土屋伸之)それまで、めちゃくちゃノリノリだったのに。

(塙宣之)それで、その後も桂子師匠が一発目に出てきてトークをするコーナーだったんですけど。「どうしますか? もうこれ、やめた方がいいですよ」って言ったら「私、出る。私、出る……」って。「じゃあ、とりあえずこれ、出るということで。もう時間がないんで……」ってバーッと幕を開けたら、「カタカタカタカタ……」って車椅子に乗った桂子師匠が出てきて。「ううう……」って(笑)。

(土屋伸之)さっきまで、あんなノリノリだったのが(笑)。

(塙宣之)「あのね、今日はですね……」って(笑)。お客さんもざわざわざわざわしちゃって(笑)。ものすごい手とかが腫れていて(笑)。

(外山惠理)えええーっ?

(土屋伸之)思い出したの? それ?(笑)。

(塙宣之)俺はね、そういうのしか思い出さない。だから、なんて言うのかな? 休まないというか。そういう時に普通は「ちょっとこれ、お客さんが引いちゃうから」っていう発想がないんですよ。師匠、ありのままなんですよ。

(土屋伸之)終わった後に師匠、調べたらめちゃくちゃ骨折してて。普通、そんなの出られる状態じゃないんだけど。「もうお客さんが待っているから。ここは私のコーナーだから、出る!」って言って。で、無理やり出ていくっていう。そういう人だからね。

(塙宣之)わけわかんないよね。ありのままだからね。

(土屋伸之)「お客さんがいる」って聞いたら、もうほっとけないっていうか。じっとしてられないっていうサービス精神だから。それがすごいですよ。でも、裏とかでめちゃくちゃ優しいし。ずっとニコニコしてるんだけど、舞台に上がると目つきが変わって。誰よりも、「私が仕切るよ。私がツッコミをするんだ」みたいなのがビンビン来るから。めちゃくちゃ怖かったですよ。舞台上だと。

(塙宣之)ツッコミだよね。もうスイッチが入っちゃうからね。ツッコミなんですよ。だから内海好江師匠がボケですから。いじって。「なによ、あんた!」みたいな。

(土屋伸之)桂子師匠が怒るっていうので笑いが起きるという芸で。とにかくもう、うちらと一緒に漫才やってても、ピシッとすごい、もう目に見えないスピードでツッコミが飛んでくるから。もう手が見えないですよ。めちゃくちゃ痛いしね。

(外山惠理)へー!

(土屋伸之)べっ甲のでっかい指輪して、そのまま殴ってくるからね(笑)。

(外山惠理)アハハハハハハハハッ!

(塙宣之)そう。サンゴの日もあるよ。サンゴの方が痛いんだよ、あれ。べっ甲はまだね、ちょっとグニュッとなるんだけど、サンゴは痛いのよ。

(土屋伸之)本当、いろんな人のツッコミをね、僕ですら受けてきましたよ。浜田さんとかいろいろあるけど、一番殺傷能力高いのが桂子師匠のツッコミだったから。

一番殺傷能力が高い桂子師匠のツッコミ

(塙宣之)あした順子師匠とのユニットで、一時期コンビを組んでいたんですよ。あした順子師匠もひろし師匠が亡くなって。それでお互いに「漫才をやろう」って言って。それでユニット名が「AKB48」っていう。

(土屋伸之)ダメだけどね。そのまま表記でやっていましたけどね。

(塙宣之)あした順子の「A」と内海桂子の「K」とババアの「B」で。それでシワだらけの「48」っていう。「AKB48」ってそのままで香盤に載っていましたからね(笑)。

(土屋伸之)そのままやっちゃダメなんですよ。AKBのパロディーで「AKナントカ」って、そういうのだったらいいんですけども。AKB48だから。

(塙宣之)そういうので一時期、東洋館でやっていたんですよ。その時も「姉さんのサンゴが私に当たるから嫌だ」って喧嘩して解散しましたよ。

(外山惠理)アハハハハハハハハッ!

(土屋伸之)AKBのまさかの解散の理由がね(笑)。

(塙宣之)桂子師匠、めちゃくちゃ面白いですよ。そういうの、いっぱいありますよ。

(土屋伸之)力強かったですよね。そういう意味では。

(塙宣之)休まないし。あとは、結局漫才が大好きなんですよ。で、「漫才っていうのは呼吸だから誰でもできるんだ」と師匠は言っていて。合気道じゃないけど、もう名人の域だから。要するにツッコミだから。誰でもいいんだっていう。だから、もうできないやつには「できない」という風に突っ込めばいいし、できるやつにはできるように突っ込めばいいし。というのがもう一瞬でたぶん画が浮かぶ天才なんですよ。だから僕らが2007年ぐらいに言い間違いの漫才ができて。ヤホー漫才みたいなので。

あれはたぶん桂子師匠からすると、いろんなジャンルの漫才の中で一番面白くない漫才なんですよ。動きが少ないし、お互いに掛け合いしないし。小ボケしかないじゃないですか。で、だいたいナイツ・内海桂子っていう香盤の時なんかはあれ、僕ら15分ぐらいやって。別にお客さんにそこそこウケるんですよ。あの形で。ずっと小ボケで。そしたら、その後に桂子師匠が出てきて。「ぶつぶつ言って面白くねえな!」って言って入ってくるの。それでドカーン!ってウケるっていう。

(外山惠理)アハハハハハハハハッ!

(土屋伸之)めちゃめちゃ厳しかったよね(笑)。「なに言ってるかわかんないでしょう、あの2人?」って。

(塙宣之)「なに言っているかわかりますか、これ。皆さん。面白くないですよ。これが芸ですか?」って言って。そこの返しも僕らも……だからそれがやっぱり一番面白いいじりじゃないですか。

(土屋伸之)そうやって言ってくれていたのは師匠だけでしたからね。

(塙宣之)そういうことを瞬時にやるし。で、別に僕らがいなくても、本当にコンビを組んで間もない若手とか、袖にいる音響のお兄さんとか、「ちょっとあんた。舞台に来なさいよ」って言って。もうオドオドオドオドしているお兄さんに「あんた、どこから来たの?」「○○です」「聞こえないわよー!」みたいなので漫才が始まっちゃうんですよ。そういうのがもう、すぐにできるんですよ。

(土屋伸之)常に新しい相方を探してたよ。桂子師匠って。「誰でもいいから私と漫才やって」っていう感じだから。もう本当、近寄ったら相方にさせられるみたいな。それぐらい、何とか舞台の上で漫才をやりたいってずっと思ってやってましたね。桂子師匠はね。

(外山惠理)そうだったんですね。

(塙宣之)すごいですよ。本当にね。

(外山惠理)すごいですね。手を折っても(笑)。本当にすごいと思う。

(塙宣之)2005年に……僕らが弟子入りして2、3年目ぐらいの時に横須賀の病院で桂子師匠と営業があって。まあほとんど初めてですよ。呼ばれたのが。ナイツと内海桂子で、僕なんか全然まだ無名ですけど。2組でやるからって。それで旦那さんの成田さんから「先にこの横須賀の駅で待っててくれ」と言われて。それで待ってたんですけど、全然桂子師匠が来ないんですよ。そしたら成田さんから電話がかかってきて。「転んだ、転んだ。これ、ヤバいです。転んだ、転んだ!」って。すごくテンパっていて。「どうしたんですか?」って言ったら、東京駅の階段で「ゴロゴロゴロゴロ、ドーン!」って転んじゃって。

(土屋伸之)上から下まで落っこちてね。

(塙宣之)それで、救急車で運ばれて。もちろん横須賀には来れない。それで「取りあえず、行ってくれ」って。もう横須賀の病院の慰問だったんですけど。そしたらもう、なんか点滴付けたおばちゃんとかおじいちゃんとかが桂子師匠が来るのを楽しみにしていて。大きな垂れ幕とか作っていて。「内海桂子師匠、ようこそ!」みたいな。そんな中で1時間、ナイツが……。

(土屋伸之)弟子入りして間もない時でしたね。

(塙宣之)来れない趣旨と、あとはなんか適当にやってくれっていうことで。「どうも、よろしくお願いします」って。ざわざわしているところで。「ちょっと今日、来れなくなって……」って。でも、持つわけないじゃないですか。無名の漫才で。で、もう本当に限界で。15分ぐらいやって「もうこれ、無理だ」ってなった時に、本当になんか「スーパーヒーロー参上!」みたいな感じで、なんか成田さんが用意した、なんかわかんないけど三味線を使う変な人が来て。

(土屋伸之)「変な人」って(笑)。浪曲かなんかの人がたまたま、その病院の近くに住んでいる人がね(笑)。

(塙宣之)なんか浪曲師を手配してくれて。

(土屋伸之)その人が助けに来てくれて。

(塙宣之)あの人、本当にスーパーヒーローに見えたわ。俺。「こっからは、あたしがやりますよ。ベベンベンベベン♪」ってね。

(土屋伸之)めちゃくちゃかっこよかったよね。あれはね。

(外山惠理)へー! でも、ナイツのお二人は15分でも30分でもう45分でも、何時間でもできるの? 短くもできるっていうのは、その後ですか?

(塙宣之)もう全然、ここ最近ですよ。

(土屋伸之)まあ、今でもしんどいけどね。45分はさすがに。でも、5分も持たなかったからね。うちら、元々。それを最初に桂子師匠がまた別の営業ですけど。行った時に、僕らもただお手伝いだけで行ったつもりが、もう急に出番前とかに「この子たち、弟子入りしたばかりで。始めたばっかなんだけど。ちょっと、やってみなさい」って言われて。いきなり。「もう何でもいいから、20分やってみな」っていう風にいきなり言われて立たされたのが初めて、桂子師匠と一緒に漫才やった時かもしれないですね。「もう何でもいいから、とりあえずやりな」っていうのが桂子師匠の教えでしたね。

「何でもいいから、とりあえずやりな」

(塙宣之)だから「ネタをやる」っていう感覚しかないじゃないですか。作ったネタを。でも、そういうことじゃないんですよね。師匠が言うには。もう、なんか別に何でもいいんですよね。舞台に立てば。だからもう師匠ってそうじゃないですか。だってネタやってない時、ありますからね。30分でほとんどしゃべって、最後5分ぐらいだけしか三味線を弾かない時もあるし。だから、なんかもうその生きざまというかね。

(土屋伸之)芸人なんだから、お客さんがいたら、それは話したいことがめちゃくちゃあるでしょう?って考え。そういう感じですね。「あんた、もちろんあるんでしょう?」みたいな感じでしたね。最初からね。

(塙宣之)「それをぶつけるだけでしょう?」みたいな。そういう人だったよね。

(土屋伸之)だから来月98歳でしたね。たぶんこの先も舞台でお客さんの前で言いたいことがめちゃくちゃあったんだろうなとは思いますけどね。

(塙宣之)だから、中往生でしたね。

(土屋伸之)中往生って……だからハードルが高いんだよな。大往生の(笑)。高田先生が「大往生」っつってんだからさ。桂子師匠のこと。いいじゃないの、大往生で(笑)。

(外山惠理)へー!

(土屋伸之)ということでね、土曜ワイドラジオ東京ナイツのちゃきちゃき大放送、今日のメッセージテーマは「師匠と私」ということにさせていただきました。

(塙宣之)なんでですか?

(土屋伸之)なんでわかんないの?(笑)。

(外山惠理)もう16分たつのに(笑)。

(土屋伸之)師匠の話だけしていたけど(笑)。まあ、皆さんにもね、仕事の師匠とか、部活の師匠、趣味の師匠。なんでもOKですので。「師匠と私」というテーマでね、なにかメッセージをいただきたいという風に思います。

(塙宣之)僕らで言えばダウンタウンさんみたいな……。

(外山惠理)ええっ? ちょっと!

(土屋伸之)フフフ、桂子師匠でしょう?

(塙宣之)ああ、ごめんなさい、ごめんなさい。間違えちゃった。生放送中に。

(土屋伸之)今日だけは絶対に間違えちゃいけない(笑)。今日だけは間違えちゃいけないのよ、本当に。恐ろしいですよ。今の一部分だけが切り取られてニュースになったら本当に恐ろしいことですよ。「僕らの師匠、ダウンタウンです」って(笑)。

(塙宣之)(モノマネで)「やっこさんだよ!」。

(土屋伸之)桂子師匠のモノマネでごまかさないで(笑)。

(塙宣之)(モノマネで)「やっこさんだよぉ!」。

(土屋伸之)フフフ、いいですね。ついに仕上がりましたね。ついに師匠のモノマネ、完成を迎えましたよ。年々似てきたんですけども。桂子師匠のモノマネが今日、完成したということで(笑)。

(外山惠理)アハハハハハハハハッ! ああ、おもしろーい!(笑)。

<書き起こしおわり>

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