(町山智浩)ググッてみよう! で、ファーストがダメになったから、2でそのダメじゃないバージョンを出そうっていうことで、スタジオ録音で……だからファーストは全部ライブなんですけども。スタジオ録音でセカンド・アルバムを録音するんですが、それがすぐに録音されて、5月に発売されるんですけど、発売後1ヶ月で発売中止(笑)。回収。
(宇多丸)出てから回収?
(熊崎風斗)5月に発売して、ダメに。
(町山智浩)ダメ。それはやっぱり歌詞がダメで。「マリファナだけが俺のなぐさめ」とか入っているんで、これはダメだろうっていう(笑)。
(宇多丸)フフフ、それ、出す前に気づくだろう?っていう(笑)。
(町山智浩)出す前にダメだろうっていうね(笑)。それで、もう本当に大丈夫なやつだけを出そうということで、サード・アルバムが10月に発売されるんですけど、そのやっと聞けたサード・アルバムの1曲目が『ふざけるんじゃねえよ』。お願いします。
頭脳警察『ふざけるんじゃねえよ』
(町山智浩)はい。これが『ふざけるんじゃねえよ』。
(宇多丸)『頭脳警察1』『頭脳警察2』で結局出せなかったという流れで考えて1曲目って思うと、この鬱憤がたまっている感じと……。
(町山智浩)そうそう。だから『イムジン河』を出せなかったフォーク・クルセダーズが『悲しくてやりきれない』を出したんだけど。あの人たちはレコードが出せなかったから、『悲しくてやりきれない』っていうことなんだけども、頭脳警察の場合はレコードが出せなかったから、『ふざけるんじゃねえよ』ってなるっていう!(笑)。
(宇多丸)さっきからもう少年町山さんがキャッキャキャッキャと。でも、わかります。すごい痛快だし、その文脈は別にしてもすごく痛快だし、譜割りの感じとかもめちゃめちゃ、逆に現代的だなと思って。かっこいいと思ったりしました。
(町山智浩)あのね、これね、宇川直宏くんがやっているDOMMUNEっていうのでこの間、日本のパンクの名曲をものすごい長くDJでかけまくるっていうのをやったんですよ。ついこの間なんですけども。で、その中でこの『ふざけるんじゃねえよ』をかけたんですよ。そしたら、どんな日本のパンクよりもパンクだった。
(宇多丸)うんうん。
(町山智浩)で、この頃はまだ「パンク」っていう言葉は存在しないんですよ。パンクっていう言葉が出てくるのはもっと70年代後半以降なんですね。世界に。
(宇多丸)だし、輸入で入ってくるものだから。
(町山智浩)そうなんですよ。だからパンクができるよりもはるか前にパンクを作っちゃっていたのが頭脳警察。なんで、よく「パンクの元祖」と言われることが非常に多いですね。で、この『ふざけるんじゃねえよ』の歌詞もいままでずっとレコードが出なかったくせにね、歌詞が「まわりを気にして生きるよりゃ ひとりで勝手きままにグラスでも決めてる方がいいのさ」っていう……「グラスって何のグラスだろう? ワインとか飲むやつかな?」とかいろいろと思う人もいると思うんですけども。
(宇多丸)ああ、この歌詞上の「………」は(笑)。
(町山智浩)そういう非常にすさまじいことをやっていたのが頭脳警察なんですが。ただ、僕自身は実はリアルタイムでは知らないんですよ。僕にとってのPANTAさんって、ソロになってから。1970年代後半にソロになって。で、80年代に爆発的に人気が出てくるんですね。で、そのきっかけはいろいろとあるんですけども、宇多丸さんは知っていると思いますけど、やっぱり『狂い咲きサンダーロード』なんだよね。
(宇多丸)ああ、なるほど。そうか。きっかけは石井聰互監督の。
(町山智浩)石井聰互監督の『狂い咲きサンダーロード』が1980年に公開されて。そこでPANTA&HALのね、『ルイーズ』と『つれなのふりや』がすごく印象的なシーンでかかるんですよ。『つれなのふりや』なんて主人公がボロボロに体をリンチされて、病院から出てくるところでかかるんで、すごく印象深いんですよ。で、すごいっていうのがあって。で、PANTA&HALっていうソロのバンドをやっている時はもうまったく、いま聞いていたようなパンクとは違う世界だったんですけども。非常に音楽的に幅が広い、それこそニューウェーブロックからサンバなんかもやるし。『マラッカ』っていう曲はサンバなんですね。
(宇多丸)ふんふん。
(町山智浩)あと、歌詞がすごくて。まず『16人格』っていうレコードを出すんですけど、それは実際に16人格だった人、シビルっていう人がいて。その人と同じように、その16人の人格にPANTAさんが分かれて16曲を吹き込むというコンセプトアルバムだったり。あとは『クリスタルナハト』っていうアルバムをPANTAさんはソロで出すんですけど、それは有名なナチによるユダヤ人弾圧、ホロコースト自体をテーマにした壮大なジャーナリスティックな叙事詩のようなアルバムで。しかもその歌詞がものすごく、その当時のホロコーストについてのいろいろな歴史的事象を歌詞の中に入れ込んでいるんで、歌詞を全部理解するためには1冊、本が必要なんですよ。
(宇多丸)ふんふん。
(町山智浩)で、その本がPANTAファンクラブで出たりしていたぐらいの世界で。だからT・S・エリオットっていう詩人がいて、その人の詩を理解するためにはその背景にあるギリシャ神話とか聖書だとか歴史全部を知らないと意味がわからないっていうぐらいの高度な歌詞の歌をいっぱい作っていたんですね。PANTA&HALでは。で、その一方でアイドルに曲を提供したりもしていて。岩崎良美さんとか荻野目洋子ちゃんとかね。あとは大ヒット曲では石川セリさんの『ムーンライト・サーファー』。あれはもう普通にベストセラーになって。
(宇多丸)面白いな、そのスタンスが。これだけ過激な、すごくザ・60年代末から70年代っていう空気の中で濃厚に先鋭化したところで来たPANTAさんとか頭脳警察が、80年代以降になって人気を博しだすっていうのは面白いですね。その構図が。
(町山智浩)すごいポップな、さっきの『つれなのふりや』なんかレゲエだしね。だからそういう、非常に幅広い音楽性を……。
(宇多丸)なんかその時代性を突き抜けた、抜けのよさがありますよね。さっきの『ふざけるんじゃねえよ』も、なんかそういう党派性とか時代性を突き抜けた、いつの時代の若者が聞いても溜飲を下げる。
(町山智浩)そうそう。時代がまったくないですよ。もう永遠にムカムカしている時は聞くといいと思うんですけども。で、僕自身がPANTAさんのライブを初めて見たのは、1981年大晦日から82年の元旦にかけてのニューイヤーロックフェスティバルなんですよ。で、この回のニューイヤーロックフェスは本当に歴史に残るすごいニューイヤーロックフェスで。僕、本当に行ってよかったんですけども。これ、出たバンドはすごいですよ。PANTA&HAL、シーナ&ザ・ロケッツ、カルメン・マキ&OZ、ルースターズ、アナーキー、白竜、ARB、ザ・モッズ、ザ・ロッカーズ、ザ・スターリン、子供ばんど、ビートたけし、松田優作、沢田研二。
(宇多丸)おおーっ!
(町山智浩)ものすごい、もう頭がガーン!って来ましたよ。
(宇多丸)アングラからメジャーまで。しかも全部尖った人っていうね。
(町山智浩)全部尖っていて。スターリンとか、客席も破壊されちゃっているし。すごかったです。で、僕はアナーキー、スターリン。そのへん全部ぶっ続けで見ているんですよ。その時。モッズも。もう完全に持っていかれちゃったんですけども。これ見なかったら僕、宝島に入らなかったですね。
(宇多丸)ああ、それぐらいですか。へー!
(町山智浩)僕の人生に影響を与えましたね。僕、これを見なかったら漫画家になっていたと思いますけども(笑)。で、ここで見てすごいかっこよかったんですけども。それから、頭脳警察のセカンドが再発になったりするんですよ。ちょっと後に。で、頭脳警察を後追いで聞いていったんですけども。ただ、PANTA&HALではものすごくポップなことをやりながら、頭脳警察ではものすごく、まあプリミティブな音楽をやるっていうところの二面性がすごく面白くて。
(宇多丸)はい。