高木完さんがTOKYO FMのECD追悼特番『SEASON OFF』に出演。STRUGGLE FOR PRIDEの今里さんとECDさんとの思い出を話していました。
(今里)ここからはECDさんと親交のあった方々をお招きします。高木完さんです。
(高木完)どうも、こんばんは。高木です。
(今里)ありがとうございます。完さんが多分、石田さんと比較的ずっと長く、一緒にいらっしゃったんじゃないかなって。
(高木完)そうだね。共有する時間ね、1986年から30年以上の場面でところどころで……まあ、ある時期はかなり濃密に過ごし(笑)。そういう感じですね。
(今里)出会いって、覚えてますか?
(高木完)出会い、覚えてますよ。いちばん最初は1986年の夏か……秋ぐらいだと思うんだけど。ラン・DMCが初来日するんで、当時ラン・DMCの日本版を出していたレコード会社がロンドンレコードかな? が、主催で。さらにアディダス……当時はどこのメーカーだったかな? まあ、そこが合同でラン・DMCが来日しますよイベントみたいなのを、新宿の椿ハウスで、普通の営業時間の前に。よくやるけどさ。レコード会社が企画して。それでやっていて、そこでタイニー・パンクスの2人、僕と藤原(ヒロシ)と。近田(春夫)さんがPRESIDENT BPMを名乗って。で、DJを入れて、2組のライブやって。なんかブレイクダンスチームもなんかショーをやっていたのなか?そんなようなのをやってたんだよね。
その内容は全然ほぼほぼ覚えてないんだけど、終わった後に僕とかが裏の楽屋に設定されている場所に戻ろうとしたら、戻りつつある時に、いきなり客席というかフロアの方からダダダッと2人組が入ってきて。ステージにセットしてあったターンテーブルとマイク使って、軽くライブ始めちゃうわけ。飛び入りで。 で、「あれ、なに? 予定入ってんの?」とか聞いたら、「全然聞いてないっす」って近田さんのところの下のやつが言って。「あとで行ってシメます!」とかって言ってるんだけど……(笑)。
(今里)カチ込んできた(笑)。
(高木完)それがさ、見ていたらDJはDJ高田っていう子で。ブレイクビーツをしながら。で、ラッパーの子は「音楽のことしか考えてない! 音楽のことしか考えてない!」っていきなりそれだけずーっと延々と念仏のように唱えはじめて(笑)。「これ、ラップなのかな?」と思いながらも、まあでも、面白いなと思って見ていて。それがECDだったんですけど(笑)。その頃はまだECDって名乗ってなかったんだよな。それで結局、「シメます」って言っていた近田さんのところにいたやつが、自分のところの半分坊やみたいにしてこき使い始めるようになって。結局近田さんのところの坊やの坊やみたいな役で。
(今里)フハハハハッ!
(高木完)で、その翌年ぐらいから、ちょうど87年になると今度はビースティ・ボーイズがバーン!ってくるから。第一次スラッシャブームみたいになっていて。スケートボードのランプを置いて海岸とかで俺とヒロシがDJとラップをやって、スケーターがこう、スケートするっていうのがイベントよくあったの。そういう時に、その近田さんのところの坊や的なやつが必ず来るんだけど。タイニー・パンクスとかをサポートするっていう役目で。そこでセキュリティーみたいな感じで……セキュリティーになってないけど、いるのがECDっていう(笑)。
(今里)フフフ(笑)。
(高木完)ステューシーを着て、うれしそうにニコニコしながら、腰に手をやってうなずきながら、こうやって(笑)。ステューシー着て。覚えてる。それ、すっごい。いまでも忘れられない。さっきの「音楽のことしか……♪」っていうところと、うれしそうにサングラスしてタイニー・パンクスの横で頭振っていたECDが(笑)。
(今里)アハハハハッ!
(高木完)でね、俺が覚えているのはね、とにかくその時に年下だと思っていたのよ。その近田さんのところの若いやつがすっごく下だったのね。僕よりも5個か6個か下だったかな? もっとかな? で、そいつがまだ「ECD」とは名乗っていないから、「石田くん!」っつってたのかな? とにかくこき使っているから、絶対に年下だなと思っていて。ちょっとツルッとしているし。まあ、俺もツルッとしているけど(笑)。俺と同じでつるりんくんだから、絶対に年下だろうなって思っていたら、ある時にヒロシが「完ちゃん、完ちゃん、あの石田くんって完ちゃんよりも年上なんだよ」「えええーっ!」とかって思って(笑)。
(今里)アハハハハッ!
(高木完)でも、聞いたら1個しか変わらないんだよ。「ごめんね」とか言いながら(笑)。かなり俺もぞんざいな感じで。で、その後。ある時、当時Vestaxっていうミキサーの会社があって。DJコンテスト……あの頃のDJ コンテストって、いまみたいな完全にスキル・DJのトリックを競い合うコンテストじゃなくて、ターンテーブルを用いてのタレントコンテストみたいな趣が強かったの。まあ、そういうのでほら、後々スチャダラとかも出てくるんだけど。そんなののはじまりのやつが、Vestaxが企画したやつで。その企画のコンテストの審査員に藤原ヒロシが行ってて。「完ちゃん、完ちゃん、この間もいた石田くんっていうのは『ECD』って名前になって、ラガマフィン・ディージェイみたいなのをやって、面白かったよ」って俺に言って。
(今里)はい(笑)。
(高木完)「テレビに出そうよ」って話になって。で、あの頃は深夜番組で俺とヒロシでタイニー・パンクスで『FM-TV』のコーナーを持っていたんで。「じゃあ、すぐに出そう!」っつってなんも聞かないで。「音もヒロシがいいっつってんだから、大丈夫だろ」って思って(笑)。そのまま、「次のゲストはこれです!」っつって出して。「ついでに宝島の写真も撮っちゃえ!」っつって写真も撮って。ダブル企画。メディアミックスですよ(笑)。
(今里)アハハハハッ!
(高木完)それをやって、それでドーン!って出たのがたぶんはじまり。で、ECDっていう名前で出てきた。「ECD, ECD, You Know My Name♪」って。そこから始まりだよ。ECDの。
(今里)リリースの話とかって、最初どうやってしていたんですか?
(高木完)リリースはね、だからメジャーフォースっていうのをその年……88年。それは88年だったかな? とにかくメジャーフォースを作るっていう話があった時に、メジャーフォースで最初、タイニー・パンクスと後は中西俊夫の当時あったグループと、DJの企画ものの……The Orchidsって女の子のを出した後に、「じゃあ、ちょっとそろそろ日本人ラッパーを。やっぱり、誰をやろうか?」っつって、「まあ、最初はあいつしかいないよ」ってECDを出すっていうことで。もうそれは、全員即決で。「ECDを出そう!」って。あの頃、会議が合議制で、みんながOK しないと出せなかったんだよ。メジャーフォースは意外と。ECDは全員好きだった。やっぱりちょっと、ラガマフィンっぽい感じでやっているのと、後ね、それは映像が残っていたけど、1枚のレコードをリバースさせながらラップするっていうのをやっていたわけ。ECDは1人で、こう。
(今里)はい。
(高木完)「ギュギュッ、ギュギュギュッ!」って逆再生をさせながら。
(今里)もう、あれですよね。もちろんターンテーブル1台で?
(高木完)ターンテーブル1台で。それに合わせてラップするっていうのをやっていて、それが面白かったから。「あれ、面白いし、絶対に出そうよ。あの人、いいよ!」っていうことで。それでやって、出したんだよね。最初は『PICO CURIE』と『Check Your Mike』と。で、そのさっきのリバースのやつも、その12インチにおまけに入ってるけど。『In Tempo』っつったかな? それを出した頃ぐらいに、Major Force Posseっつって、僕とECDとK.U.D.O.と3人でチームみたいになって。パブリック・エナミーの前座だとかをやったりして。後はレッド・アラートとかジャングル・ブラザーズが来た時にやるとか。その3人で基本、やってたの。で、そこにに入るのがECD。Major Force Posseって名前で、最初のパブリック・エナミーの来日とか、サポートしてたから。それで、パブリック・エナミーのビデオにさ、最初俺とECDが映ったりしてんだけど。
(今里)結構それを考えると、レゲエ期はそんなに長くないんですね。
(高木完)レゲエ期は短いよね。86年にちょっとやったぐらいじゃない?(笑)。
(今里)アハハハハッ! 1年切ってる感じですか?(笑)。
(高木完)もうすぐさ、いっぱい出てきたし。ECDはさ、勝てない戦はそんなやらないからさ(笑)。
(今里)フハハハハッ!
(高木完)発明で行くから。発明で、「俺がこれは発明したぞ!」みたいなやつはやるけども。そんなゲームはやる方じゃなかったから。そういう意味では(笑)。いっぱい出てきちゃうとやないかな。
(今里)ここで高木完さんの選曲でECDさんの曲をお届けしたいと思います。
(高木完)じゃあ、さっき言っていた89年に出したメジャーフォースのレコードの中から、『Check Your Mike』。
ECD『Check Your Mike』
(高木完)ニューヨーク、だからECDとよく行っていたよ。それでMajor Force Posseみたいになって。あの頃は「海外進出を目指すぞ!」みたいにやっていたから。それでECDも(モノマネで)「うん、私も行きます……」みたいな(笑)。
(今里)アハハハハッ!
(高木完)そうなんだよ。だから一時、よく本当に一緒に行っていたし。しょうもない話をいっぱいして。「くだらない!」とか言いながら笑っていたし(笑)。
(今里)なんか、フックアップを……。
(高木完)ECDが若い子をね。キミドリをフックアップしたりとか。BUDDHA BRANDにしてもそうだし。
(今里)特に石田さんって、新しいものを見つけて、それをみんなで楽しむのが好きなんだと思うんです。単純に。なんか、独り占めしないで。
(高木完)そうだよね。教えるの、好きだよね。伝えるのが。
(今里)そうそう(笑)。
(高木完)スチャダラにしてもそうだけど。「これ、面白いから。完ちゃん、聞いて」みたいな感じで。で、それをみんなに配っていたらしいじゃない?
(今里)ああ、そうなんですね。
(高木完)それこそ、川勝(正幸)さんに渡したのはECDなんだよ。それで川勝さんが面白がってブロスに紹介したりして。最初にね……なんかでも本人はすごい使命感っていうよりも……「とにかくこのカルチャーを大きくしたい!」とか、そういう気持ちじゃなくて。本当に「これは面白いからどんどん広めたい」って、そんな別に大義名分も思ってもみずに、自然な感じでECDはやっていた感じかな? だからそういう人がいないのは本当に、そういう意味ではいろんな友達ってレベルで寂しい気持ちっていうのももちろんあるけど、そういう役割をしていた人がね……っていうところもさ、今後のことをいろいろと思おうと。うーん、思うよ。
(今里)うーん……。
(高木完)そうそう。だからECDと俺は出会いこそ86年ってさっき言ったけど、同じところにいるわけよ。新宿ロフトの、東京ロッカーズのライブ。
(今里)はいはい。
(高木完)客で一緒のところにいるわけよ。
(今里)写真集とか……。
(高木完)そうそう。ECDが写っている写真、あるじゃない? ライブ。あそこ、俺もいるんだよ。
(今里)あ、そうなんですね!
(高木完)俺も見ているのよ。だから、そういうところでいたんだよね。だから、お互いに見かけていたことはあったかもしれないし、もしかしたらECDは俺、フレッシュとかやってゴジラ・レコードからレコード出していたから、「ああ、あのクソ生意気な高校生だ」ぐらいに思ってたかもしれないよね(笑)。年が近いしさ。たぶんそのへんは接点がなんかあったかも。でも、歳が近いし、ロック好きからラップに行ったっていうところでは……それまでの僕らの上の先輩だとやっぱりタイクーン・トッシュ(中西俊夫)とかいるけど、ちょっと年上だし。もう1回、プラスチックスとかメロンでワーッて一世を風靡しているし。だから、世代も5個上だからちょっと離れているし。ECDと僕は、やっぱり年が近いから、ロックからラップに行った中では、もしかしたら俺とECDしかいないんじゃないの? 日本で、この世代で。
(今里)うんうん。
(高木完)ラップをやる人間で、ロックから来た人。この歳で。この2人しかいなかったと思うよ。だって、いとうせいこうは違うじゃん? で、近田さんも歳は違うし。だからこの2人しかいなかったと思う。60年、61年生まれで。この後になると、またいないもんね。完全にラップから始めた人たちしかいないから。だから、日本ではこの2人しかいなかったんだよね。そういう、ちょうど……他、だってラップをやるっていまはいっぱいいるけど、当時はそんなにいなかったからね。何人かしか。やっぱり音楽が好きで、音楽をずーっとやっていると、「ラップじゃあ、ちょっとな。歌を歌いたいな」みたいになるだろうし。
(今里)うーん。
(高木完)僕はやっぱり、ECDの詞がすごいなって思っていたのね。僕もさ、勝てない戦はやらない派だからさ(笑)。
(今里)アハハハハッ!
(高木完)「ECD、詞すげえな!」って思って。だからいちばん……「心残り」っていうのは言いたくないけど、ECDに詞を書いてもらいたかったね。俺は。ラップを。
(今里)ああーっ!
(高木完)「僕のためにラップ、書いてくれない? 俺、それをやるから」っつって。だからそうしたら、それを発表できたじゃん。それがやりたかったね。それは、あった。ECDの詞、いいなと思っていたから。前も、よく言うけど、簡単なやつでいいんだよ。ECDのは。「ECCは英会話スクール、ECDはラップつくーる」っていう、それとかが大好きで。「ああ、そのセンス、いいな!」って俺はいつも思っていたから。シンプルで、ほとんど意味がないんだけど。でも、そういうほとんど意味がなくてシンプルっていうのが俺の中ではラップだと思っているから。
(今里)うんうん。
(高木完)韻を踏んで、ダジャレで。うん。意味をなしていないんだけど、踏んだところで笑えるっていうのが。これ、きっといまECDがいたら、「あっ、そうそう!」って言うと思うけどね(笑)。ECDの詞は本当に面白いですよ。だから。いま聞いても、本当に古いECDのラップも詞を聞いていると面白くて笑っちゃうもん(笑)。それがラップだよね。わらっちゃうっていうのもさ。ECDにはそういうところがあるよ。うん。ほら、リズムでかっこいいとかそういうのは最近いっぱい増えてきたし、音楽的に聞こえていいって。当時、80年代ってそういうのが意外と少なかったから。言葉を聞かせる派は多かったんだけど。せいこうもそうだったけど、俺は意外とさ、音楽的に聞こえるようにしたいなっていう派だったから。
(今里)ああー。
(高木完)いまはそれが主流になっちゃったんだけど、当時はそういうのはあんまりいなかった。特にラップを意識したそういう、リズムはすごく音楽的に優れているとかそういうんじゃないけど、言葉を大事にしながら聞かすっていうスタイルでやっていて。だから彼みたいなタイプはもういないから、そこの部分もすごい寂しいし。ひとつの心残りはそこだよね。
(今里)それ、でも出がいきなりラップからじゃなくて、そういう他の音楽を聞いてから入ったから、みたいな?
(高木完)ああ、そうだね。それはあるかも。それももちろんあるだろうし。でもECDは言葉の達人でしたよ。結構。これも覚えているんだけど、中目黒で一緒に同じ地域に住んでいて。よく当時さ、ECDと会って話をしていて。「ECDって彼女、いるの?」みたいな話になった時に……(笑)。そういう話をしていて、「いるよ」とかって言って。
(今里)フフフ(笑)。
(高木完)「あ、そう? どこ住んでるよ?」っつったら、「スープの冷めない距離」とかって言っていて(笑)。シャレたことを言うわけよ。「スープの冷めない距離」って聞く? 普通に、男が話していて。
(今里)アハハハハッ!
(高木完)言わないよね? だから詩人なんだよね。そういう意味で。文学的なんですよ、ECDは(笑)。さすがでしたよ。参った。89年、90年ぐらいかな? それは(笑)。
(今里)高木完さんの選曲でECDさんの曲をお届けしながら、高木完さんとはお別れです。どうもありがとうございました。
(高木完)いえいえ、じゃあその笑っちゃうなというところを、これはリリースは90年ぐらいかな? 当時の漫画雑誌をどう、ECDは読んでいたか?っていうのを、これで聞いて笑ってください。ECDで『漫画で爆笑だぁ!』。
ECD『漫画で爆笑だぁ!』
<書き起こしおわり>