千葉雄喜(KOHH)歌詞を書かないフリースタイル録音を始めたきっかけを語る

千葉雄喜(KOHH)小学5、6年生の時に習ったヒップホップダンスを語る TOKYO M.A.A.D SPIN

千葉雄喜さんが2024年3月12日放送のJ-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』に出演。リリックを書かずにフリースタイルでレコーディングをするようになったきっかけを話していました。

(高木完)じゃあ、やっぱりケーダブの影響が詞を書いていく上では大きかった?

(千葉雄喜)めちゃくちゃ大きかったと思います。日本語をきれいに、リアルな感じで……。

(高木完)でも、書いていくのはフリースタイルって言っていたから。

(千葉雄喜)今は、そうですね。

(高木完)じゃあ、最初は書いていたんだ。

(千葉雄喜)最初は書いていました。アメリカに行くまでは。

(高木完)えっ、それはなんでアメリカに行って書くのをやめたの?

(千葉雄喜)なんかはじめてニューヨークに行った時に……。

(高木完)それはいくつ?

(千葉雄喜)21、2?

(高木完)10年ぐらい前?

(千葉雄喜)そうっすね。その時、ニューヨークに行って。ハーレムに行ったんすけど。J $tashっていうアーティストがいて。ジャスティンって呼んでいたんですけども。ジャスティンもラッパーで。で、ジャスティンのところに泊まらさせてもらっていて。スティーロくんっていう人もいて。で、ジャスティンがスタジオに行く時に一緒について行ったりしてて。そしたら、なんかいきなりブースに入って。ビートが流れていて。で、ジャスティンとAsap Nastっていうのがその時、一緒にいて。

(高木完)それはASAPの仲間の?

(千葉雄喜)はい。Asap Nastっていうのがいて。で、ブースに入って。なんか1人1人、曲を録っていたんすよ。で、俺は元々ある曲を録り直してんのかな?って思っていて。2人とも、何も見ずにただマイクの前で歌っていたんで。

(高木完)ああ、iPhoneとか、そういうのも見ずに?

(千葉雄喜)何も見ないで。で、終わった後に「あれ、リミックス? あれ、なんだったの? 録り直してたの?」って聞いたら「いや、新しい曲だよ」みたいな。「うん? 歌詞、書いてなくね?」「フリスタだよ」「マジで?」ってなって。そこから俺もそれを真似してフリスタでやるようになって。最初は全然、できなかったっすけど。

J $tashらのフリースタイル録音を真似る

(高木完)俺、今の話を聞いていて思い出したのは、俺が最初にラップを見た時って昔、新宿の椿ハウスで『WILD STYLE』とかが日本に来たような、本当にその頃だね。83年とか4年とか。その時、俺、ラップってフリースタイルだと思っていたの。

(千葉雄喜)へー!

(高木完)だからレコーディングされたものはレコーディングするけど。レコーディングもフリースタイルでやってると思っていて。なんとなく全部これ、フリーでやってんだろうなって、ライブを見た時に思ったの。「これ、絶対フリーでやってんな」と思っていて。だから「そんなの、できるわけない」と思うわけ。

(千葉雄喜)俺も思いましたよ。「なんじゃ、こいつ?」みたいな。

(高木完)バンドをやっていて、そのボーカルだったから。そういうボーカリストのことはチェックするじゃん? それを見ていて、「ああ、こんな俺は絶対できるもんじゃないな」と思ったわけ。そしたらRun-D.M.C.が初来日したのが86年くらいだったかな? その時、僕らが一緒に回ったんですよ。で、新幹線で……俺もミーハーだから「新幹線、同じにしてくれ」って言ったわけ。Run-D.M.C.と。号車は違うけども。あいつらはグリーンだけど。俺たちはグリーンじゃないけど。まあ、でもそれでもいいからって。で、気になるからウロウロするじゃん? で、見ていたらさ、ランもいて。で、その当時のラッシュプロダクションの社長も一緒に来ていて。

で、フーディーニっていうグループも一緒に来ていて。で、そのフーディーのダンサーが……あの当時、ダンサーもラッパー志望が多いんだよ。だいたい。で、フーディーニのダンサーがランにラップのリリックを「どうだろう?」っつって。ノートを見せていたの。「あっ、書くんだ!」と思って。で、それまで俺も書いてやったりしてんだけど。「ああ、書くんだ。よかった!」と思ったよ。そこで、逆に。パターン。「なんだ、みんな書くんじゃん」って。それで、レコーディングをQティップとかとやった時もみんな、やっぱりノートに書いていたりしてたから。「ああ、なるほどね」と思ったけど。それは知らなかった。そういう、やっぱりその時代、世代はいるかもね。

(千葉雄喜)いました。ビビりましたね。「うおーっ!」みたいな。で、他の、ジャスティンの友達のラッパーとかも書いてる人、見たことないんで。

(高木完)じゃあ最初はもう、こいつらと同じ土俵に立つためにはやっぱりフリースタイルでって?

(千葉雄喜)そうです。「俺、これで書いていたら、ダメだ。俺もこの場で録って、フリスタでやろう」みたいな感じで鍛えられましたね。

(高木完)じゃあそれはもう、アメリカから日本に帰ってきてからも全部、そういう風に?

(千葉雄喜)日本でもそうですね。でも、なんか書く時もあります。ビートを誰かが作ってる間……作ってる時は、録れないじゃないですか。それを待ってる間に、このビートは完成するまでに歌詞書き終えちゃって。「ビート、できた」ってなったらすぐ録れるみたいな状態にする時はあります。

(高木完)うんうん。あと、ライブの時とかは? ライブは、あれか。もちろん今まで自分がその時、録った作品をやるから。フリースタイルっていうことじゃないけども。でも、ライブでもフリースタイルでやることはある?

(千葉雄喜)ああ、全然あります。いろんな人をステージに招いてフリスタするみたいな。

(高木完)それまで……最初の頃もフリースタイルをやっていたって言ってたよね?

(千葉雄喜)はい。やっていました。友達とかともそうだし。クラブで18ぐらいの時、ライブが終わった後にみんながステージに登って。フリスタの、何て言えばいいんだろう? セッションみたいになって。マイクを奪い合うみたいな。誰かが歌い終わるまでマイクを握って待ってるみたいな。

(高木完)その頃ってもう、そういうフリースタイルが結構……それってもう2000年代になっていたか。

(千葉雄喜)あと、ラバダブってわかります?

(高木完)レゲエの?

(千葉雄喜)はい。なんかラバダブ道場っていうのがあったんですよ。池袋に。

(高木完)なにそれ?

池袋のラバダブ道場

(千葉雄喜)ビール瓶の箱みたいなのがフロアに置いてあって。歌いたい人がそこに立って。で、下にいる人たちがマイクを……「次は俺だ」みたいな感じで待つっていう。

(高木完)それはクラブ?

(千葉雄喜)クラブです。クラブみたいな、バーみたいな。でも、クラブですね。100人、入るか入らないかぐらいのところで。そことか行ってましたね。ラバダブ、フリスタをしに。

(高木完)それ、トラックはダンスホールっていうか、レゲエがかかって?

(千葉雄喜)はい。レゲエ系です。

(高木完)そこでラバダブ道場でやると、受けるか受けないかの指針になるっていうか?

(千葉雄喜)まあ、受ける時もあれば、受けない時もあるし。そのスキル次第な感じで。あと、持ちネタある人は持ちネタをやるんで。レゲエの人は。だし、みんな知り合いとか。俺はあんま、知り合いじゃなかったんですけど。

(高木完)でもそう言われてみれば今、話していて思ったけど。レゲエのダンスホールとかの方だと、ラッパーのことをDeejayって言ったりするけども。それに結構近いかもね。なにかが。

(千葉雄喜)はい。Deejay……よくわからないですけども。どっちもやっていましたね。

(高木完)まあ、決めつけることもないけど。千葉雄喜くんの持っている元の元がなんか、レゲエの方にもしかしたら近いような気がしてきた。

(千葉雄喜)レゲエの要素もあると思います。地元にいたんで。サウンドをやっている人が。で、その人に連れて行かれて、行って。池袋に。で、その人の家でもレゲエの音とかをかけて。「これでなんか歌ってみ?」みたいなので、歌ったりもしていましたね。

(高木完)それが?

(千葉雄喜)18。

(高木完)18。じゃあ、それがマイクを掴み始めた最初の頃?

(千葉雄喜)本当の最初ですね。

<書き起こしおわり>

千葉雄喜(KOHH)完全フリースタイルな楽曲制作を語る
千葉雄喜さんが2024年3月12日放送のJ-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』に出演。自分の部屋兼スタジオで基本、1人でフリースタイルで録っているという楽曲制作について、高木完さんと話していました。
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