クボタタケシさん、石黒景太さん、本根誠さんがTOKYO FMのECD追悼特番『SEASON OFF』に出演。STRUGGLE FOR PRIDEの今里さんとECDさんとの思い出を話していました。
(今里)続いてのECDさんと親交の深かったゲストは石黒景太さん、クボタタケシさん、本根誠さんです。よろしくお願います。
(一同)よろしくお願います。
(今里)まず3人の石田さんとの出会いはいつかっていうのを……。
(クボタタケシ)そうですね。僕らから……。
(本根誠)キミドリだね。やっぱりね。
(石黒景太)キミドリだと、『チェック・ユア・マイク』っていうラップコンテストがあって、それのデモテープを石田さんに送って。石田さんが主催だったんですよね。
(今里)チッタですよね?
(クボタタケシ)クラブチッタ。俺がなんか、プロフィールとか、なんかしょうもないプロフィールを書いて。で、この間石田さんがそれをアップしていたんだよね。「見つかった」っつってね。そこからだよね。うちらの出会いはね。
(石黒景太)そうですね。
(クボタタケシ)まあ、個人的には知っていたから。で、しゃったのはたぶん……。
(石黒景太)デモテープを渡した時なんじゃないかな?っていうのは。
(本根誠)もうその時は「メジャーフォースのECDだ!」って感じ?
(石黒景太)そうですね。
(本根誠)もう石田さんはデビューしてるんだよね。
(クボタタケシ)89年ぐらいかな?
(本根誠)『Pico Curie』の後だ。
(今里)レゲエの時って、知ってます?
(石黒景太)たぶんその時、レゲエスタイルのヒップホップをやっていたんですよね。
(クボタタケシ)CHIEKO BEAUTYとかと。
(石黒景太)あと、テレビに出てなかったっけ? 深夜の。デモを渡して以降、話したのは代官山にあるデタントっていう洋服屋があって。インポート物みたいなものを売っていて。その頃は全然、そういうヒップホップっぽい、トミー・ヒルフィガーとかああいうやつとか、そういうのを売っているところが全然なくて。で、そこでよく石田さんがいて。声をかけて。「このティンバーランド、どこで買ったんですか?」とか(笑)。あと、スニーカーとか。とにかく、石田さんは服をすごいチェックしていて買っているっていう。
(クボタタケシ)たぶんティンバーランドを日本で最初に履いた人っていう。
(石黒景太)そうそう。そういう話を石田さんにずっと、俺が一方的に聞いていたみたいな(笑)。
(クボタタケシ)俺はほら、うちは90年代前半は中目黒に住んでいたから。
(本根誠)ああ、そうだよね。地元が同じだったんだ。
中目黒のECDの幽霊が出る家
(クボタタケシ)で、石田さんも中目だったから。で、歩いて本当30秒ぐらいのところだったから、いつも家に来ていたりして。で、石田さんの家っていうのは幽霊が出る……。
(本根誠)木造だよね。
(クボタタケシ)幽霊が出るアパートだったから。
(本根誠)トイレに入ると、なんでか知らないけど軍手が散乱してんのよ。トイレに。
(石黒景太)アハハハハッ!
(本根誠)たぶんその頃のバイトで使った軍手をそのままトイレに捨てるんだと思うんだけど(笑)。
(クボタタケシ)で、その頃は毎日電話とかに留守電が入っていて。「ECDでーす! あ、クボタ? 今日ね、下北の○○でね、ああいうレコード買ったんだよね。では、ECDでした!」っていうのが結構毎日来るのよ。なんか、「俺の彼女かな?」って感じで。「すげーな」って思って。
(石黒景太)アハハハハッ!
(本根誠)キミドリといるとね、明るい石田さん。
(クボタタケシ)だからみんな、「しゃべんないよね」ってよく言うんだけど、めっちゃしゃべるから。
(本根誠)実はね、そうよね。話好きよね。石田さんは、本当はね。
(今里)では、本根さん。
(本根誠)俺は、あれよ。音楽ライターをやっていたから、2回インタビューしたことがあるの。音楽ライターとして。で、彼も当然、覚えてくれていて。で、俺がエイベックスに移って、「ああ、うれしい!」って自慢して歩いている時に、CISCOのあそこの階段、あるじゃん? あそこのところで「あ、ECDだ」って思って。すれ違って、もう偉そうに名刺を出して。「ちょっとウチでやんねーか?」ぐらいの空気で言ったら、それが後で『いるべき場所』っていう彼の自伝的な小説で「エイベックスに声をかけられてすごい怪訝だった」って(笑)。
(石黒景太)アハハハハッ!
(本根誠)「だけどキミドリにも声がかかっているっていうから、話を聞いてみようかな」っていう。石黒くんたちにも自慢して、「エイベックスだぜ!」って言っていた時だから。
(クボタタケシ)でもね、うちらはその頃の印象は……で、エイベックスの話、最初はキミドリにね。
(本根誠)最初にキミドリに「エイベックスに移ったんだ。レコーディングやろうよ!」って言って。それから1、2ヶ月後ぐらいに石田さんにそうやって名刺を渡して。でも、キミドリがトロいから、ECDのレコーディングがどんどん始まっちゃって……みたいな。
(石黒景太)アハハハハッ!
(本根誠)で、あれなのよ。話が2017年に飛ぶんだけど。16年ぐらいかな? あのね、まだガンだってわかる前に、知り合いの某出版社が、やっぱり『さんぴんCAMP』ブームです、みたいなので、『さんぴんCAMP』を回想した本を出そうって言っていたのね。で、もうDEV LARGEが亡くなったりとかあって。これは石田さんに紹介したいと思って、家の近所の喫茶店、あるじゃない? そこに集まった時に、会って出版社の人を前にして、「お断りします」って言って。でも、その時にECDが「だけど、俺はやりたいことがあるんで、話を聞いてください」って、逆に出版社の人に言ったのが、「キミドリの本を書かせてくれ」って言っていたの。
(今里)おおーっ。
(本根誠)で、出版社の人も俺もびっくりしちゃって。一応ちゃんと持って帰ってくれたんだけど、あっさり企画がボツって。会社で「それは売れないと思います」って言われて。それはあったね。ECDは本当はキミドリをまとめたがっていたの。
(今里)読みたいですけどね。
(本根誠)読みたい。ECDが書いたキミドリは俺は読みたかったけど。
(石黒景太)あと、そうそう。俺、本を書き始めた時とか、いきなり完成されている文体で。「これ、どこで書いていたんだろう?」みたいな。
(本根誠)ああー。最初は『レゲエ・マガジン』で音楽評論家をやっていたもんね。
(石黒景太)ああ、そうなんですか!
(本根誠)俺らなんかよりも全然前にやっていて。荏開津さんなんかと同じぐらいの時にもうやっていたの。でも、「もうやめるんだ。ラップの詞しか書かない!」って言っていた時期もあった。「音楽評論はやらない」みたいな時期があったね。俺とかね、カッティング・エッジの時代だから、ギャラもいい時代だったから、ECDは結構楽しくお酒を飲んでいる時代のECDなんだよね。俺が知っているECDって。
(今里)ああー。
(本根誠)結構日本酒党でね。
(クボタタケシ)石田さんにはお金を毎月40万払って、うちらには全然払ってくれないっていうやつね。
(石黒景太)フハハハハッ!
名プロデューサー・ECD
(本根誠)『ブギー・バック』っていう最初の大ヒットがあったのでね。石田さんを「この人はプロデューサーとしてすごいんじゃないのか?」って社内で評判になって。全部ね、自分で仕切る人なんですよ。トータルプロデュースができる人っていうか。で、大まかなお金の話をすると、「OKです!」って言って、その後はちゃんと自分でレコーディングのブッキングをやってくれて。ちゃんと、なんか知らないけど予算も収まるっていう。
(クボタタケシ)名プロデューサー。
(本根誠)名プロデューサーなのよ、石田さん。その頃。
(石黒景太)フフフ(笑)。
(今里)結構でも、石田さんは早いっすよね。
(本根誠)新譜、ねえ。
(クボタタケシ)亡くなる直前までずーっと聞いていたから。
(本根誠)それは自分で言っていた。「ヒット曲があった時代の人間だから、俺は。ポップスみたいな感じがないと、なんか嫌なんだよね」って。ECDがカッティング・エッジの時によく言っていたのは、「メジャーなヒットになるかどうかは全然時の運だからわからないけど、ストリートスマッシュみたいなのを目指したい」って言って。で、「そういう可能性のある人をいっぱい集めましょうよ、本根さん」って。結構前向きな提案を、日本酒を飲むとしだすんだよね。そこはちゃんと狙っている人だった。
(石黒景太)「新しいものはいいことだ」っていう風に思っていたんじゃないかなって。
(本根誠)新譜を聞くのが好きだった。
(石黒景太)だから別にいいか悪いかはまだジャッジできないけど、新しいことは善っていう風な感じがあったから、新しい人もどんどんフックアップっていうか、紹介したりしていて。
(本根誠)と、同時に、新しいものって評論しづらいじゃない? たぶんそこを解析していくのが彼は楽しいんだと思うんだよね。どんどん知っていくことが楽しい。自分なりに消化するのがすごい好きだったよね。
(石黒景太)「石田さんってどんな人?」っていうのって、結構いろいろと年代によって……。
(本根誠)なんかアル中になって髪の毛が伸びている時期とかもあったよね。サックスとか吹き出しちゃってさ。参ったな……みたいな時とかあったよ。
(クボタタケシ)あれは切るのが面倒くさかっただけだって。
(本根誠)ああ、そうなのかな? うん。
(今里)クボタくん、なんかありますか? 印象的なものは。
(クボタタケシ)いっぱいありすぎて……本当に最後もうちら、石黒と今里とみんなで呼ばれて。
(今里)最後、クボタくん、「これからブリッジだから」って……。
(クボタタケシ)ああ、亡くなる日。そうそうそう。
(今里)で、「なにかけたらいいか、教えてよ」って石田さんに言っていたじゃないですか。
(クボタタケシ)もう石田さんが亡くなる寸前で。「みんなでしゃべりかけてください」って看護婦さんに言われて。で、うちらみんなで話していたんだよね。「石田さん、何かけたらいい?」って。まあ、そんなの聞かないから、それで起きてくれないかな?って。
(石黒景太)アハハハハッ!
(本根誠)ああーっ、えらいね。
(クボタタケシ)だから「石田さん、朝だよ」とかって言って起こしていたからね。で、本当は石黒が「いまからフリースタイルするからね、石田さん!」っつって。
(石黒景太)アハハハハッ!
(本根誠)明るく送ったんだね。
(中略)
(本根誠)(Illicit Tsuboi ECD MIXを聞き終えて)ツボイくんもデビュー戦がECDだもんね。エンジニアとしての。なんか俺に言っていたのは、都立大のリンキィっつってタンゴスの人がやっているスタジオで。「A.K.I.のDJの子がエンジニア始めたんで、行きましょう」って連れられて行って。「こんなところなんだ」って。最初はクライアント、ECDしかいなかったはずだよ、ツボイくんも。
(クボタタケシ)『ホームシック』が最初なのかね? 95年……でも、俺、その『ホームシック』の中に入っている『いっそ感電死』とか『MINI MEDIA』とかは94年だったから……。
(本根誠)たぶんそれが最初ぐらいだよ。と、思うね。それで、新しいもの好きの中のひとつが、「デザイナー石黒」なのよ。
(石黒景太)でも、そこから変わってないっていう。
(本根誠)デビュー戦がやっぱりECDじゃん? デザイナーデビューですか、石黒さん。
(石黒景太)ああ、そうですね。
(本根誠)懐かしいね、そのステッカーね。
(石黒景太)ECDくん。
(本根誠)そう(笑)。
(今里)最初はどんなオファーだったんですか?
(石黒景太)たぶん周りにあんまりいなかったから。ジャケットに関しては、最初の頃、エイベックスの頃とかは割と自分なりにヒップホップをイメージしていたんですけど……2000年以降はもう一貫してテーマがあって。俺の中では「ホラー」みたいな……(笑)。
(一同)フフフ(笑)。
(石黒景太)もうずーっと、なにがどうしても。結婚して、子供ができてもホラーみたいな感じに。俺の中ではそういうストーリーで。で、もうとにかく子供ができて悩んでいるとか、これ自体がもうホラーなんじゃないか?っていうようなテーマでずーっと作っていて。
(本根誠)いや、でもね、あれなんだよ。レコーディングの段取りとかプロデュースとか音楽の方向性はもうばっちりで、なにも言うことはないんだけど。俺が、彼が在籍中に苦戦したのはアーティスト写真撮りなのよ。
(今里)ああーっ!
(本根誠)なんて言うか、要するにそんなルックスは良くないじゃん? だけど、俺が見ているECDはすごいかっこいいのね。好きだし、尊敬している。みんなそうじゃない? でも、それが写真になると、普通のおっちゃんなんだよね。それがもうジレンマで。毎回、毎回。たぶん石黒くんも「どうしよう?」っていうのはそこだったと、正直思うんだけど。やっぱり植本(一子)さんの写真になってから、もう全然敵わないと思った。フォトグラファーで撮れるものじゃないっていうか。写真一発で引きずり込まれるようなのは、やっぱり植本さんになってからで。
(今里)うんうん。
植本一子さんの写真の力
(本根誠)そう。だから植本さんともっと早めに知り合っておいてほしかったっていうのはカッティング・エッジ時代のディレクターの……あの写真があって、この音源があればみたいなさ。もう言ってもしょうがないことシリーズその1で。うん。
(今里)さっき、その『ビッグ・ユース』のジャケが……。
(石黒景太)そうそう。だからね、2000年代は一子ちゃんとかと付き合って結婚し始めた頃、なんか石田さんのジャケットの中の写真とかを一子ちゃんのやつを……なんか、俺の中では急にすごい柔らかい石田さんみたいなのがなんか……俺の中では「ホラー」なのに(笑)。
(一同)フハハハハッ!
(石黒景太)「これ、使うべきか?」みたいな風に思っちゃって。それだけ、写真がフィクションで俺が考えていたものよりも、本当の写真の現実の方が勝ってしまったみたいな(笑)。
(本根誠)俺、思うんだけど、ディレクターってお金にする商売じゃないですか。なんでも、もう目に見えるものを全部金にしてやる!っていうのがディレクターとかプロデューサーの仕事じゃないですか。だから、売らなきゃいけないんだけど、なかなか売れないじゃないですか。そうすると、自分に言い聞かせる言い訳が出て来るの。で、俺はいまでも本当にそう思っているんだけど、作った音楽が人の中に入って、人のクリエイティビティを引っ張り出す力があると、俺は仮想論しているんだ。ECDの音楽とか、たとえばベルベット・アンダーグラウンドとか、ヴァン・ダイク・パークスとか、そういう聞いた人が刺激されて……たとえばプロモーターでもおでん屋でもなんでもいいんだけど、本業。そのそれぞれのライフスタイルに何か絶対に貢献する力が強い音楽だと俺は信じている。
(今里)うんうん。
(本根誠)そうそう。それでなきゃ、みんなからこんなに愛されないと思う。セールスだけで言ったら全然だって、ねえ。そんなメジャーではないじゃん。やっぱりECDの力は、中に入って引っ張る力だと俺はずーっと思っていて。
(石黒景太)本当にあと、常に若いファンをアップデートしているっていうのは。あと、びっくりするのは、ヒップホップのミックスでECDの曲が結構いつも入っていたりとか。
(クボタタケシ)まあでも、思うけど。CD……日本人ラッパーっていうか、世界中でもこれだけCDを出しているラッパー。もう20枚ぐらい出しているから。そんなラッパー、いないんじゃない?っていう。
(本根誠)そこはすごいよね。書籍も含めたら、すごい数やっているしね。
(石黒景太)やっぱり常に、ロックを作っているんじゃないですか? あんまり、ゆるくならないじゃないですか。
(本根誠)そうそうそう。ロックだよ、まさしく。
(石黒景太)だからロック……そういう痛みみたいな部分も含めて。ちょっと大人が顔をしかめる的なやつをずーっとやり続けているからどんどんアップデートを。自分をさらけ出してラップするのとか、辛いじゃないですか。
(本根誠)いや、そう思うよ。あの、預金残高を毎日出し始めた時は「うわーっ!」って思ったけどね。俺はね。「そこまでやるか!」みたいなさ。でも、その後にどんどんどんどんドキュメンタリータッチになっていって。
(石黒景太)そうですね。だからやっぱりある程度リスキーなことをやり続けたから、若い人は……。
(本根誠)俺とかもやっぱり、人の預金残高なんか見たくないから「うわっ!」って思うじゃん? でも、それって「うわっ!」って思わせるっていうことは、キャッチーなんだよね。彼の行動は。「どう思っても、嫌いになっても別にいいや!」みたいな、そういうのはあると思うんだよ。絶対に彼は。
(クボタタケシ)まあ、いいものをいっぱい残しましたよね。
(石黒景太)そうだよね。
(今里)最後に、クボタタケシさんの選曲でECDさんの曲をお送りして3人とはお別れです。
(クボタタケシ)はい。『ホームシック』から『いっそ感電死』。
(今里)石黒景太さん、クボタタケシさん、本根誠さん、ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました!
ECD『いっそ感電死』
<書き起こしおわり>