星野源さんが2026年2月17日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で放送開始から10年となる2026年3月31日の放送を持って番組を終えることを発表しました。
(星野源)そんなわけで今日のイベントの終わりに告知を……この番組の告知もさせていただきましたけれども。Xなどでね。そこでも「大切なお知らせがありますのでよかったら皆さん、リアルタイムで聴いてくださいね」っていうお話があったと思いますが。そうなんです。大切なお話があります。それでは、発表します。2016年3月28日から始まった『星野源のオールナイトニッポン』、この番組が来月、3月31日の放送で、最終回を迎えます!
(ねぶり棒のテーマサマーバージョンが流れる)
(星野源)うわぁーーーーっ! 祭りだぁーーっ! フハハハハハハハハッ! ありったけの明るい曲を持ってきました(笑)。ありったけの明るいジングルを……もう「ない」っていうところからありったけの明るいジングルを持ってきました! しかもここは、ラジオ大阪です。アハハハハハハハハッ! すいません、ラジオ大阪の皆さん。今、ラジオ大阪の皆さんが「えっ?」ってなってます(笑)。すいません。立ち上がられて、口を押さえて……ラジオ大阪の皆さんが口を押さえてこちらを見ております。そうなんです(笑)。
立ち上がっている。今、ちょうどここから……窓があるんですよ。このスタジオから、窓があってそこにね、デスクが全部見えるんですよ。だから今、サテライトスタジオみたいになってるんですよ(笑)。そうなんです。はい、そうなんです。はい。ちょっと、ついに発表させていただきました。そうなんです。10年でございます。もう本当、ちょうど10年。今度のね、3月31日の放送をもって『星野源のオールナイトニッポン』最終回でございます。はい。
もうね、いろんな思い出があります、私。やっぱりこの決断をしてから、私が決めさせていただいてからですね、やっぱりみんなと、スタッフもそうですけど。マネジャーとかも含めて、いろんな話をしてですね。このラジオが始まってから本当にいろんなことあったねと。2016年の3月なんで、僕は『YELLOW DANCER』っていうアルバムを出して。その前の年の年末に出して。そこから全国ツアーをやって、全国ツアーが終わったぐらいのタイミングからこの番組が始まりました。
で、その前の2015年に単発で2回かな? オールナイトニッポンGOLDとオールナイトニッポンを1回ずつ、単発番組でやって。それで満を持して2016年4月期から、レギュラー放送が始まったというところから、その年の秋から冬にかけて『恋』という楽曲を出したりとか。で、『逃げるは恥だが役に立つ』があったりとか。そこから休みが1日もなくなったりとか、いろんなことがあったり。で、そこからもう本当、怒涛の日々を過ごし。で、『POP VIRUS』というアルバムでドームツアーをやったりとか。で、そこからまさかのコロナ禍に突入して。
で、そのコロナ禍を乗り越えたと思ったら、いろんな大変な世の中にどんどんなっていく中、ラジオという、しかもオールナイトニッポンというすごい番組の1部……もう1部っていう言い方もあんまりしないですけどね。オールナイトニッポンの火曜日を……最初はね、月曜から始まったんですけど。途中でなぜか火曜になり。火曜をしばらくずーっとね、やらせていただきました。10年、やらせていただきましたけれども、この3月31日で終了します。ねえ。終わります。
で、何を話そうかな?って思うんだけど。まあもちろん、最終回で改めてね、そういう思いをいろいろ話そうかなと思ってるんで、ちょっと今日は短めに話そうかなとは思うんですけど。僕が始めた頃はですね、そもそも長く続けられない場所だったんですよ、オールナイトニッポンっていうのは。しかも1部……1部も2部もそうですけど、その中の一部のオードリーさんとかナイナイさんとか以外はですね、2年やれたら「本当に長かったね」っていうような場所だったんですね。オールナイトニッポンは。
長く続けられる番組じゃなかったオールナイトニッポン
(星野源)それこそ、他の……たとえばTBSとかは芸人さんが長いことずっとやっているっていう枠の時間帯ではあったんですけど。オールナイトニッポンは、もちろん芸人さんとかもそうですけど、ミュージシャンとか、俳優さんも含めて番組を始めて、割とすぐに違う人に変わるっていうことがもう普通だった時期でした。なので、僕も最初に始めた時は「1年やれたら最高。っていうか、1年はやりたい。1年やれたら嬉しい」みたいな。本当に1年、やることも大変だった時期なんですよ。これは本当にそうなんですよ。
で、それはもしかしたらね、リスナー側としてはそこまでの危機感がなかったかもしれないけど、やっぱり裏側を見てると「本当に厳しいからね」ってことを言われまくって始まったレギュラーだったんで。「2年やれたら本当に嬉しいな」と思っていました。それがもう10年続けられるっていうのは、本当に嬉しいですね。で、始める時に思ったことはとにかく自分は「ラジオが好き」っていうところから出発はしていて。で、「ラジオでこういうことをやりたいな」が溜まってたんですよね。「ラジオでこういうの、聞いたことないけどやりたいな」とか。あとは「最近のAMラジオでこういうこと、ないな」みたいなこと。それこそ、オールナイトニッポンが始まった頃はあったけど2016年ぐらいはなかったなっていうあれをやりたいなとかっていうことをやろうと。
なので、本当にすいません。ニッポン放送の方とかがこういうことをやろうっていうことよりもですね、「すいません、これ、やりたいんですよ。ちょっとやらせてください」っつって、やらせていただきました。いろんな企画を考えて。2時間、ライブをね、ラジオブースの中に楽器を詰め込んでやったりとか。その頃はスタジオの中で楽器を詰め込んで、それこそ番組いっぱいライブやるっていうのはなかったですから。それをやったりとか。あと、藤井隆さんとカラオケを2時間やるとか(笑)。楽しかったね。
あといろいろね、本当にいろんな企画をやらせてもらいましたけれども。そういうのをやっていったらどんどんね、ありがたいことに聴いてくださる方が増えて。2年やれたら嬉しいなと思っていたら、2年が終わっても「あれ? 『そろそろ終わり』って言われないぞ? 嬉しい!」と思って。で、4年が経って。「もう、さすがに4年だろう。何となく2年やったらもう2年、やれるかな? みたいになったけど……4年かな?」と思っていたら「あれ? 一向にやめさせられる気配がない。あれ? なんか予定と違うぞ?」みたいな(笑)。むしろ、きっと早く終わっちゃうだろうからと思っていて、なんかいろいろ人生設計とまではいかないけど。いろいろ思っていたけども。「あれ? まだやっていいの? ありがとうございます!」みたいな。やめさせられないな、肩を叩かれないな、みたいな。
で、そんな中で「そろそろ、もう終わりだろう」と思ってたら、オールナイトニッポンの50周年でジングルを任せてもらえるとか……ああ、それは2017年か。2017年に50周年っていうきっかけもあって、オールナイトニッポン全体のジングルを僕がね、作ったんですよ。それをまず、2017年にやりました。それはまだ2年目。「もう2年目だ。終わるかも?」って思っていたら「ジングル、やってください」って言われて。「おお、ジングルやってくださいっていうことは、やめないってことか? さすがにジングルだけ残して『やめて』はひどすぎるから、それはないだろうな」って思っていたら、続けるってなって。「おお、嬉しい!」ってなって。
で、さらにその後、コロナがあって。コロナ禍になって、本当に大変だったじゃないですか。で、自分もね、自宅からやったりとか。みんなでリモートでつないで生放送をね、毎週やったりとか。あの時はやっぱり前例がないことだったんで、みんなで手探りでね、どうやったら不安にならないか? 不安をちょっとでも……みんなと一緒に不安になれるか? みたいな。「同じ時間を共有して……1人きりの爆発するような不安じゃなくて、みんなで共有した、分け合った不安みたいなものは心を少し軽くするのだ」という思いがあったので、それはどうやればいいんだろうとかも手探りでやってましたけども。
それを乗り越えて、「そろそろかな」と思ったら今度は55周年年のジングルを任せられて。「嬉しいな! でも全然やめろって言われないな」みたいな(笑)。その他にもいろいろ、いっぱいあったんですよ。「もうそろそろかな」と思ったら、ありがたいことに提供してくださる会社の数が増えるっていう。「ええっ!?」って。これ、すごいんですよ。提供の数、ちょっと数えてもらったんです。で、番組初回……番組初回は前番組の、期末とかあるじゃないですか。その年のね、期の一番最後の放送にかぶっていたんで4社あったんですけど。僕の、いわゆる『星野源のオールナイトニッポン』としての最初の提供数って、3社なんですよ。3社さん。もう本当に、本当に、3社なんです。
番組スポンサー数3社からのスタート
(星野源)で、それこそ、何て言えばいいんだろう? 最低ラインと言いますか、番組全体を提供してくださってる会社の方がやるっていう、そういう形なんで「星野源だからやろう」っていう会社がまだいなかった。そういう状況ではなかったわけです。新しい番組が全然、期待されないっていう、本当にそういう時期だったんで。なので「頑張らなきゃ!」って思ってたんですけど。そこからですね、翌年の4月にはですね、それが12社に増えるんですよ。すごい増えたんです。「すごい! 10も増えた!」と思って。で、その後、14社に増えて。すぐ、7月には14社に増えるんですよ。で、そこからですね、右肩上がりなんです。本当にありがたいことに。マジで右肩上がりなんですよ。
で、19年には23社、行くんですよ。で、そこからもちょっとずつちょっとずつ上がって、2022年には27社に行くんですよ。で、「そろそろかな?」と思うと、提供をいつも読む紙があるんですけど。「あれ、増えてない?」「いや、そうなんですよ。さらに増えました」「えっ、いいんですか? 続けても、いいんですか?」みたいな。で、現在の提供をしてくださっている会社の数、35社です。これ、すごいことなんですよ。本当にすごいことなんですよ。これ、何て言えばいいんだろう? 人気……ありがたいことにね、「人気だ」と思ってくださってるだろうし。でもその、人気っていうレベルじゃないですよ。何て言えばいいの? 「信頼関係がある」っていうレベルなんですよ。で、それはすごいことで。その、提供してくださってる会社の方とお金以外の何かで信頼があるっていうことなんですよ。これって、ラジオ的に言うとすごいことなんですよ。
なので本当に嬉しかったし、「ああ、まだやめられない」って……まあ、「やめられない」っていうのはあれですけど。「まだやめられないわ」って単純に、そう。なので、もう最初の頃はやりたいことをいろいろやって。その後、いろいろ自分で勉強しようとか、ゲストの方を招いてトークをもっとしっかり、相手の魅力を引き出せるようになろうとか、自分の話をもっと話せるようになろうとか、いろいろな時期があったんですけど。もう、ここ3年ぐらいになった時には「もしやらせてもらえるならば、10周年。10年がすごくいい区切りだと思うので、そこを区切りとさせていただいて。それまでにやれること、やりたいことを全部やろう!」って思って。自分が思いつく企画とか、やりたい雰囲気のラジオですね。なんかその、前も言ったけど。自分は場を作ることがすごく好きなので。ラジオという場を、なんていうのかな? ラジオを聴くという体験プラス、その聴く感覚っていうものを「こういう感覚をやりたいんだ。それは今までに世の中にない感覚だったもので、それをやりたいんだ」っていう、その「ラジオの場を変える」みたいな。
で、そういうことも含めてやりたいことを全部、やりきろうと思ってこの数年、やらせていただきました。で、それはね、わかりやすく皆さんも受け取ってくださったかもしれないけど。ファミレスで生放送をさせていただいたりとか、寝ながらやったりとか。あとはポメラニアンのオールナイトニッポンとかね、そういうのも含めて。


(星野源)で、本当にありがたいことにやりたいことをやりきれたなと心から思います。はい。なので、この10年をですね、区切りとさせていただきたいということを伝えさせてもらいましてこの数ヶ月、このチームでね、今日の発表に向けて準備もしつつ、いろんな話もしてきましたが。「ジングルはねぶり棒サマーバージョンがいいだろう」という、そういうのもありましたけれども。はい。なのでこの10年でね、私、「星野源のオールナイトニッポン』が最終回を迎えますので。残りひと月ちょい、ひと月半までいかないかもしれない。ありますが、何卒よろしくお願いします。
そして、そうだ。イベント、あるじゃないですか。イベントはこれ、関係ないです。やめるとかっていう前からずっと進んでたんで。なので、楽しくやれたらなと思っておりますし、終わるからこういうイベントにしようじゃ全然、ないんですよ。それこそ場を作りたいって言っていたのと同じで「ラジオイベントでこういうのをやりたいんだよね。こういう空気をしてみたい」っていう、これもやりたいことの大きい一つなので、ぜひ皆さんで。なので、「オンラインイベント」って言ってるんですよね。全員ができるだけ、まあ日にちが合わない人はもちろしょうがないんだけど。アーカイブで見られるし。オンラインイベントでみんなで同時に電波を受け取るような、なんかそういうイベントができたらなと思っております。
なので二次先行、改めて始まっています。会場に来たい人はぜひ、チェックしてみてください。はい。そんなわけでちょっと、あんまり話しすぎても……っていうか、めっちゃしゃべったけど。あんまり話しすぎてもね、最終回にまた改めて話そうかなと思います。それではここで1曲、聴いてください。星野源で『光の跡(Why)』。
星野源『光の跡(Why)』
(星野源)『光の跡(Why)』でした。そうですね、本当に「出会いは未来だ」と思うし、リスナーのみんなとの、あなたとの出会いも本当にこの未来を作ってくれたなと思います。
で、たくさんリアクションメールが来ております。豊島区ラジオネーム「初犯は餅つき」。「うわーっ! 悲しさに浸ろうとしていたら急にねぶり棒ジングルが流れてきて感情がぐちゃぐちゃだーっ!」。そうだね(笑)。