高田文夫 ビートたけしとの出会いを語る

高田文夫 ビートたけしとの出会いを語る ザ・ラジオショー

高田文夫さんが2023年10月19日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』に出演。ビートたけしさんとの出会いについて話していました。

(塙宣之)先生、ラジオ以外にテレビとかは……。

(高田文夫)最初、20年はテレビばっかりだよ。

(塙宣之)言っていましたよね。

(高田文夫)ラジオはたけしさんがはじめてだもん。それまでラジオなんか、やったことないもん。変な話。ずっとテレビを……だってその頃はさ、70年代なんて、80年に漫才ブームが来るんだけど。70年代の10年間なんてのはさ、お笑いなんて……お前なんかハナクソだよ? パッてスタジオの隅っこで、相手にされないよ? みんな、歌手が一番偉いんだから。御三家がいて、中三トリオがいて。その上には橋とか舟木もいるし。村田先生もいるし。歌い手が一番偉いんだから。

(土屋伸之)そんなお笑いの地位なんかね。

(高田文夫)そんなもん、ないんだよ。ハナクソなんだから。お前なんか(笑)。

(土屋伸之)「お前なんかハナクソ」(笑)。

(塙宣之)そういう風に言われたんですね。当時の人はね。

(高田文夫)俺も言っていたもん。「あいつらなんか、ハナクソだな」って。俺が一番言いふらしていたね(笑)。

(塙宣之)今の時代にそんなハナクソって言う人、いないですけどね(笑)。

(土屋伸之)先生が言っていたんじゃないですか(笑)。

(塙宣之)お笑い、地位が低すぎません?(笑)。

低かったお笑いの地位

(高田文夫)それで、それが変わったのはたけしさんが……まあ、その前に萩本さんがいたけど。その地位を変えてくれたのが萩本さんであり、たけしさんなんだよ。バーン!って変えて。だから80年にさ、歌手とお笑いの地位が変わって、ギャラも変わったんだよ。だからたけしさんがどんだけ文化を変えたかだよ。で、その努力は常に俺にあるわけだよ(笑)。

(塙宣之)常にその横には……。

(高田文夫)横にっつーか、俺が全部考えて。青図を引いて。「こうしよう、こうしよう」って。だってさ、歌手ばっかりでさ。で、歌手の中にかならずコントとか、入れなきゃいけないだろう? もう歌手が下手なんだよな。そんなに覚えられないしよ。で、もう嫌になっちゃってさ。徹夜で書いたってよ。だって俺なんてこっちではよ、アグネス・チャンの30分とか1時間の番組があるんだよ。で、こっちではフィンガー5とかのがあるんだよ。こっちは台本にカタカナしか使えないんだよ。で、フィンガー5の時は全部ひらがなで書くんだよ。時間が倍、かかるんだよ。

(土屋伸之)子供だからね(笑)。

(高田文夫)「こんにちは。あきらです」なんだよ。全部ひらがなで。「たえこです」なんて書くんだよ。

(土屋伸之)で、アグネス・チャンにはカタカナで(笑)。

(高田文夫)カタカナで。

(塙宣之)アグネス・チャンも別にひらがなでいいじゃないですか(笑)。

(高田文夫)通訳しなきゃいけない。「これはこういう意味だからね」って言って聞かせなきゃいけないだろう? 手間が大変だよ。もう、アメとムチでこうやってさ。フィンガー5なんて子供だからさ、コントをいっぱい書いてあげてもさ、「覚えたくない」とか言うんだよ。あいつら、子供だから。だからいっつも俺、ポケットにさ、飴とかキャラメルを入れて。「じゃあちょっと、この2行を覚えたら飴、あげるから」って。もう餌付けだよ(笑)。

(土屋伸之)餌付け(笑)。

(塙宣之)フィンガー5も餌付けしていたんですか?(笑)。

(高田文夫)ずっと餌付けだよ。俺がつきっきりで。

(塙宣之)じゃあ、あの曲とかも? あの名曲が生まれたのも先生のおかげですか?

(高田文夫)いや、あれは違う。

(土屋伸之)フハハハハハハッ! 違う(笑)。

(高田文夫)あれは阿久悠にみんな、持っていかれた。利権は(笑)。

(塙宣之)いや、「持っていかれた」っていうレベルじゃないですよ(笑)。阿久悠のレベルじゃあ……(笑)。

(高田文夫)でも俺がこの世界に入った時、阿久悠なんて俺より下だったよ? 番組の会議でさ、普通の歌番組の構成をやっていたんだよ。

(土屋伸之)ええっ? 阿久悠さんが構成を?

(高田文夫)会議なんか一緒に座っていたからね。もう全然、バカにしていたんだけども。すごい売れちゃってさ。俺、嫉妬したよ。本当にさ(笑)。

(塙宣之)作詞家としてもね、先生、すごい。作詞も。

(高田文夫)それは阿久悠に失礼だよ。俺が作詞なんて言ったら。大先生。素晴らしいよ。だからあの頃はさ、歌番組が全盛だからさ。お笑いなんつーのは本当に下だったんだよ。そしたらだんだん、70年代の後半の頃の俺は割りと三波伸介さんにかわいがられて。それでずっと番組ね、どっきりだとか、みんな三波さんの座付きになって。それで山城新伍さんをやったり。だんだんおもしろいなって思ってきたんだよ。そしたら、行くスタジオ、スタジオでさ、ポール牧とかさ、青空球児とかいるだろう? 「高田ちゃん、あのさ、浅草行った?」って言うんだよ。

(土屋伸之)球児師匠が。

(高田文夫)「浅草、行った? ゲロゲーロ」なんて言うわけだよ。「全然。忙しくて行ってないですよ」なんて言うと「行ってみな。今、1人やばいやつがいるんだよ。こいつがすげえんだ。これが高田ちゃんと気が合うと思うよ。ちょっとおかしいから。だけど酒飲んで喧嘩ばっかりして。ヤクザを脅かして飲んでいるんだよ。めちゃくちゃなやつだけど、おもしろいから見てみな」って。

(土屋伸之)最初に球児師匠に言われたんですか?

(高田文夫)そしたらポールがさ、「パチンッ! 高ちゃん、浅草、行ってる?」なんて。「行ってないよ。全然今、忙しくて」「1人、いるよ。すごいのが。これ、一切テレビ、使えない。パチンッ!」って。もうパチンパチンしながら。「テレビじゃあ使えない。俺流で……」って。

(土屋伸之)いつもパチパチしてるんですか?(笑)。

(高田文夫)やってるんだよ。俺にさ。そうしないと俺がわかんないから。クルッと向いて。みんな、もうパッチンパッチンやってさ。で、「行ってみな」って。それが77、8年だよ。で、俺もその最中に浅草に行ったんだよ。そしたらガラガラなんだよ。ポツンポツンとしか客がいないけど、ツービートっていうのが出てきたんだよ。そしたら、もうおもしろいの、おもしろいの。なにしろおもしろいんだよ。だけど、ウケてないんだよ。すごすぎちゃって。だからさ、『浅草キッド』の歌の中でさ、「客が2人の演芸場で♪」って。その中の1人、俺だもん。

(土屋伸之)全然まだ話題になる前に?

(高田文夫)前に。で、あと1人が関口ちゃんっつってさ、今のアルフィーのところの社長。

(土屋伸之)へー!

「客が2人の演芸場で」のうちの1人

(高田文夫)で、彼も江戸っ子でさ。もうツービートが大好きなのよ。客同士だからわかんなかったけど、彼もツービートが大好きでさ。で、これがこうやって見ているだろう? そしたらかならずさ、あっちにいる客が……時々、詰め襟で来るんだよ。学生服でな。そこからさ、お花を一輪、持ってるんだよ。それで「◯☓※△……」「冗談言うな!」「はい。失礼しましたー」なんて頭を下げてツービートがはけるだろう? そしたらチョコチョコチョコッて寄って行ってさ。「たけしさん、これ」っつって、毎回一輪の花を。

(土屋伸之)もう追っかけだったんですか?

(高田文夫)大好きなの。

(土屋伸之)学生服を着ているような年齢で?

(高田文夫)まだ学生だもん。俺の方がちょっと上だから。俺は社会人で。それが今のアルフィーのところの社長。関口さん。めちゃめちゃ江戸っ子のいい人でさ。それで「あの時、覚えている?」なんて。お互いにさ。それで俺、たけしさんに会ってさ。「あの時、客でさ、花を一輪、持っていたやつ。覚えている?」「覚えているよ。危なかったよな、あいつな」って(笑)。「それが今、アルフィーの社長だよ」「ああ、覚えている、覚えている。いたよな。花を一輪持ってあがってくるやつ」って。

(塙宣之)それは東洋館ですか?

(高田文夫)違う。松竹演芸場。

(土屋伸之)でもお客さんが2人の時があったんですね。

(高田文夫)「客が2人の演芸場」だから。俺と関口ちゃんしかいないんだから。ほとんどいないんだよ。知られてないからさ、目当てに来ないもの。誰も。だけど、面白いんだよ。だから関口ちゃんと俺しか笑ってないんだよ(笑)。

(塙宣之)「テレビではこれは無理だな」と思いました?

(高田文夫)思った、思った。

(塙宣之)でもその後、たけしさんと一緒にテレビとかラジオをやって。

(高田文夫)それで俺がほら、ごまかしごまかしNHKなんかで番組を持っていたからさ。嘘でさ、やっぱり会いたいじゃない? 「この人、頭の中はどうなっちゃっているんだろう? やばい人だな」って思って。で、会いたいからさ。ちょっとさ、「取材だ」って嘘をついてさ(笑)。「たけしさん。ちょっとNHKでインタビューしたいんだけど。ちょっと渋谷に来ない?」っつったんだよ。NHKに。俺、ほら。浅草に行くとさ、絶対に俺がさ、やられちゃうからさ。あっちのテリトリーに行くと。渋谷はさ、生まれ故郷だから。怖いもんがないからさ。

(土屋伸之)少しでもホームに(笑)。

(高田文夫)そしたら、あっちが上がっちゃうから。渋谷に。あっちは足立だからさ。「高田さん、渋谷なんて来たことねえよ」って。オタオタしているからさ。ほんで呼んでさ、ちょっとインタビューを録ってさ。それで「じゃあ、ちょっと飲みに行かない?」っつって。それで宇田川町の交番の裏の飲み屋があって。そこで朝まで飲んだらおもしろくておもしろくてさ。気が合ってさ。すごいおもしろくて。それから朝まで飲んで。そしたらたけちゃん、暇だからさ。「高田さん、明日、何してんの?」って。それじゃ彼女だよ(笑)。「明日、何してんの?」って。それで毎日会って、飲んでたんだよ。

(土屋伸之)「明日も会おう」って?

(高田文夫)それで毎日、会っていたんだよ。

(塙宣之)なんか今年、たけし杯の時に楽屋でたけしさんがいらっしゃって。先生とずっとしゃべっていたじゃないですか。

(高田文夫)1時間半、ずっと(笑)。

(塙宣之)ずっとしゃべっていたじゃないですか。2人で。それでたけしさんが「また遊びに来てよ」って行ってましたもんね?

(高田文夫)「泊まりに来てよ」って。行くか、バカ!って(笑)。

(土屋伸之)なんで「行くか」なんですか?(笑)。

(高田文夫)犬とカミさんがいるって、嫌だよ(笑)。

(塙宣之)「泊まりに来てよ」って言ってましたよ(笑)。

(土屋伸之)たけしさんは本当に、久々に会って。もう嬉しそうで。

(塙宣之)楽しくてね。めっちゃしゃべっていましたよね。たけしさん。

(高田文夫)1時間半、一方的にしゃべっていただろう? で、お前ら2人が正座して(笑)。

(土屋伸之)ずっと聞いてましたよ(笑)。

(塙宣之)1時間半、しゃべり続けるってすごいですよ。

(土屋伸之)たけしさん、ずっと高田先生を離さないから。

(高田文夫)そうなんだよ。はじめて会った時と同じ状態なんだな。

<書き起こしおわり>

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