宇多丸 坂本龍一を追悼する

宇多丸 坂本龍一を追悼する アフター6ジャンクション

宇多丸さんが2023年4月3日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で亡くなった坂本龍一さんを追悼していました。

(宇多丸)ということで、記念すべき6年目一発目というこの月曜日なんですけれども。早速なんですが、ちょっと皆さんご存知のあの方の訃報というか。坂本龍一さんですね。3月28日にね、お亡くなりになっていたっていうのが後からわかりまして。もう今、テレビとかでも広く報道されてますし。

さっき私、食事してる時に隣の席の2人連れの女性……片方はか海外から来られた方で。その人に、片側の女性がすごく一生懸命、坂本龍一さんというのはどういう音楽家で、どういう社会活動をされてこられたのかというのを非常に丁寧に説明されていて。非常に大きな存在だったというのをすごく丁寧に説明されていて。なんていうのかな? 改めて、存在のデカさっていうかね。

(熊崎風斗)そうですね。

(宇多丸)で、ちょっと皆さんからもすごくメールがいっぱい来ておりまして。どこから……先日も同じイエロー・マジック・オーケストラのメンバーだった高橋幸宏さんがお亡くなりになった時にも訃報と、メールを読んで。で、僕もできるだけ曲をかけてっていうのがありましたけど。教授もそれはもう、輪をかけていっぱいかけたい曲とか、いろいろ話したいことがあるんですが。じゃあ、まずこのメールにしようかな?

「アトロク6周年の記念すべき日ですが、坂本龍一さんの思い出についてメールさせてもらいます。坂本さんの功績の中であまり触れられていないんですが、1980年代、夜10時からNHK FMで放送されていたラジオ番組『サウンドストリート』のことです」。私ももちろん、毎週聞いておりました。これ、非常に重要な話です。「火曜日のDJ担当として1981年4月から5年間、様々なジャンルの音楽。さらには映画、哲学まで教授が良いと思ったサブカルチャーが毎週、坂本教授の口から語られたこの番組。

当時、田舎の中学生だった私にとってはまさにカルチャーキュレーションプログラム濃厚な番組でした。宇多丸さんが以前、雑誌のインタビューで坂本さんの『サウンドストリート』のヒップホップ特集のことを語られていましたが、私もそこでアフリカ・バンバータを初めて聞いたと思います。自らが作り出した作品のみならず、様々な古今東西のカルチャーを当時の少年・少女に伝播し、そこから生まれたアーティストも多いのではないでしょうか?

自分自身、この歳になってからアトロクのような番組をいまだに聞いてるのも坂本教授のおかげだと思っています。教授、本当にありがとうございました。いまだに教授はこの世にないことが実感できませんが、ご冥福をお祈りします」という。本当にその通りで。まずは、そうなんですよね。いないことが信じられない。ずっと教授の音楽と共に本当に育ってきましたし。やったことのそのデカさっていうのもやっぱり、いろいろ報道もされている通り、おそらく後から振り返ったら20世紀後半から20世紀前半を代表する音楽家の1人っていうか。

後々に……それこそクラシックっていうジャンルがありますけど。そういう古典として残っていく音楽の数々を残した人だと思うんで。教科書に載る人だと思うんで。そういうデカさっていうのもあるし。でもその一方で教授っていうのはすごい常に、やっぱり最先端の様々な……音楽に限らずですね、たとえばそのニューアカデミズム盛り上がった時はやっぱりそういう時の、いろんな発信というのかな? そういうのも面白かったし。

あとは後に、いろいろやっていく社会活動もね、元々そういう学生運動もやってらしたから。社会活動のこともそうだし、みたいな感じで、やっぱりすごくトータルカルチャーの人でもあって。そんな中で、やっぱりたとえばヒップホップの紹介みたいなところでね、『サウンドストリート』という番組をやられていて。ちなみに『サウンドストリート』が輩出した人っていうのは、たとえば槇原敬之さんなんていうのはその番組でデモテープ特集っていうのがあって。いろんな人がデモテープを送る中で、槇原敬之さんはそこから注目を浴びたりとか。そういうのもあったりしましたけども。

で、いろんな音楽を紹介する中で、ヒップホップ特集がありました。で、私もその教授のやったヒップホップ……今で言うヒップホップ。要するにラップミュージックが中心になる前のヒップホップというのかな? 主にメガミックス。要するにいろんな曲の断片を集めて、ひとつの一塊にしたようなメガミックスというジャンルを紹介するのがメインになった回が『サウンドストリート』の中であって。その時に、僕は初めて「ああ、ヒップホップって完全に新しい時代のポップミュージックなんだ」っていうのをそこで大きく理解して。

その後、Run-D.M.C.がブレイクすることで、ラップっていうところがさらにもう1回、中心になるんだけど。その前の、その音楽像としていかに革命的だったかっていうのは、やっぱりその教授の『サウンドストリート』のヒップホップ特集がすごく大きかったんですね。DOUBLE DEE & STEINSKIの『Lesson』シリーズとかをかけるわけですよ。そういうところで。

で、それこそ、「日本ではそういう試みは既にされてる」っていうんで、吉幾三さんの『俺ら東京さ行くだ』メガミックス、ハードコアボーイズってのが出ていて。それを最後にかけて。実はいとうせいこうさんとか、タイニーパンクスのお二人とかが参加していたんですけども。終わった後、もうスタジオがみんな拍手になっちゃうみたいな。そういうのを聞いてすごく「ああ、これだ!」っていう風に思ったってのがあったんですね。

で、思うに、別に教授だけじゃなくて。そうだな。細野さんとかもそうですけど。というか、YMOの作った音楽自体がそもそも、さっきアフリカ・バンバータって言っていましたけども。ヒップホップのパイオニア、大きく言って音楽的なパイオニアとして3人挙げられていて。クール・ハークという人と、クランドマスター・フラッシュ。彼はこの間のグラミーにも出ていましたね。で、もう1人がアフリカ・バンバータ。バンバータは後に、若い頃にあったいろんな性的虐待のあれとかが浮上して、ちょっと今は表舞台に出るような人じゃなくなってますけど。ただ、そういう彼がDJする時に、元々はブラックスペーズっていうギャングのボスだったんですけど。

それが要するに「もう暴力はやめだ」っていうんで、ヒップホップをやっていく。で、その時に、バンバータはいろんなジャンルの音楽を横断的にかけるんですね。で、その中にクラフトワークとか。後にそのクラフトワークの『ヨーロッパ特急』という曲を自ら、『 Planet Rock』という曲で作り直すわけですけれども。そういう感じで、テクノとかもいっぱいかけていて。で、YMOもかけていたんです。『Firecracker』とか。あとは後にかける、とある教授の曲とかをよくバンバータはかけていたんだけども。ということで、だからそのヒップホップの始まりの地点のところで、なんて言うのかな? 日本のそういうテクノポップみたいなものが既にもう入ってるっていうかな。

で、同時にそのYMOサイドというか。そのミュージシャンシップから最初から始まっているYMO。特にやっぱり坂本龍一さんは、皆さんご存知の通り「教授」って言われてるぐらいですから。すごく正統な音楽教育を受けられて。で、基本的には楽理の人ですよね。

まあ皆さん、一番イメージするのはピアノで美しい旋律を弾くっていう。すごく、その音楽の理論とかに精通して。で、美しいメロディーを作り出すっていう、そういう古典的な音楽家なんですよね。むしろね。なんだけど、だからこそ、そのいう自分ではタッチできない音楽の領域っていうのにすごく興味がおありだったと思うんです。つまり要は、さかいゆうの言葉を借りるなら「メロディーの時代からリズムの時代に入った」っていう。そこをたぶん教授もよくわかっていて。

そのリズムミュージック、グルーヴミュージック、ダンスミュージック、後はループで作られる音楽とか。そういうものに対する「これ、おもしれえな!」っていうのが人一倍、強かったと思うんです。それの影響がものすごく強くあって作ったのが『未来派野郎』かなと思うんですけど。みたいなところですごく、皆さんたぶん今日はいろんなラジオとかでも曲がかかると思うんですが。そういう、美しい旋律みたいなところじゃない教授の凄さっていうか。

教授が1980年に出したアルバムで『B-2 Unit』というソロアルバムがあります。これは打ち込みテクノサウンドを当時の最先端音楽である、レゲエから派生したダブという音楽があって。デニス・ボーヴェルさん。この番組のライブコーナーにも来ていただきまして。その話も聞きました。サンディー&ザ・サンセッツのサンディーさんと一緒にデニス・ボーヴェルさんに出ていただいて。そのデニス・ボーヴェルさん、ダブをある意味、作って拡大していった人。その当人と、要するにテクノとレゲエ・ダブの融合という、とてつもないアルバム『B-2 Unit』。1980年のアルバムですけど。

今、聞いても古びないどころか、新しい作品なんですね。なので私、やっぱり教授の追悼曲として。あとヒップホップサイドの人間として「やっぱり教授、ヤバいぜ!」っていうことを皆さんに改めて確認していただきたいという意味で、この1曲を選ばせていただきます。他にもかけますけども、まずは1980年、坂本龍一さんソロアルバム『B-2 Unit』から『Riot In Lagos』。

坂本龍一『Riot In Lagos』

(宇多丸)ヤバい! ヤバすぎる! 1980年ですよ? 一体、何をやらかしてくれてるんだ?っていう。デニス・ボーヴェルのスタジオでね、作られた曲でもありますね。『Riot In Lagos』。『B-2 Unit』っていうこのアルバム自体、とんでもないんで。最近、近年になってまた、リマスタリングみたいなのが出ていて。音もさらに良くなったのがね、たぶんサブスクでも聞けますんで。いわゆるメロディックな教授だけじゃないすごさ。このアルバムなんか、本当にその結晶なんで。ぜひ、聞いていただきたいですし。

もう1個、かけようね。もう1個と言わず、もう2個、3個、行きたいけども。6時台のこのオープニングではもう1個ぐらいかな? 私の選曲で行きますね。続いてはですね、やっぱり教授のアルバム……だから、ずっと活躍されてる人だし。ずっとその時代その時代の本当に先端の何かみたいなものに常に興味を持ってやられていた方なんで。どこを何するっていうのはちょっと、なかなか一口では言えないところがあるんだけれども。

私の世代と言いましょうかね。やっぱり、どうしても私の青春時代を救ってくれた音楽たち。1980年代の今度半ばに行きまして。1984年。YMO散開後ですね。YMO散開後の教授が出したソロアルバム。まあ、もう名盤ですよ。『音楽図鑑』というのがありまして。これ、本当に皆さん……これも最近、リマスタリングとか出てるはずなんで、ぜひ聞いていただきたいですけども。

これも、アルバムの最初から最後までこれぞ教授っていう、もう名盤中の名盤で。私があれこれ言うあれはないんですが。その中から、ちょっと迷ったんですが。2曲目の『ETUDE』とどうしようかな?って思ったんだけど、3曲目の方にしますね。ずっとここのところ、言っているYMOの人たちが70年後半から80年代にかけてやったレゲエナンバーがヤバいっていう話。それをちょいちょいしていますけども。こちらも、それになると思います。

高橋幸宏さんの時にも、レゲエ調の曲みたいなのを紹介しましたけど。これも、リズム的にはレゲエ。なんだけど、もう聞けばおわかりの通り、当時の80年代の教授のたぶん、最高傑作のひとつと言っても私はいいと思いますけどもね。普通にサブスクっていうか、私のスマホの中の即スタンバイ曲、即スタンバイアルバムのいくつかの中にこれはもう常に入ってますよね。『音楽図鑑』はね。その中から、悩みながら。私が選ぶならこの1曲ということで、お送りしたいと思います。1984年、坂本龍一さんソロアルバム『音楽図鑑』から、こちらをお聞きください。『PARADISE LOST』。

坂本龍一『PARADISE LOST』

(宇多丸)1984年、アルバム『音楽図鑑』から『PARADISE LOST』を聞いていただいております。この後ですね、またヤン富田さんのスティールパンとかが出てきて、めちゃくちゃ気持ちいいんですけど。要は教授のメロディックな、もちろん元々お持ちのそういうピアニストとして、音楽家としてある資質の部分と、リズム音楽というか。こういうリズム主体のレゲエとかヒップホップとか。なあと打ち込みダンスミュージック全般みたいな。まあ、打ち込みダンスミュージック全般はむしろ、教授たちが元祖なんだから、それは順番が逆だけど。

そういうループミュージック、グルーヴミュージックみたいなものの融合っていう意味で、やっぱりこれとかはもう本当に、それのひとつの究極形っていうか。レゲエっていうリズムミュージックの心地よさみたいなことと、その教授のこのメロディー感みたいなのと。あと本当にとにかく、このもうちょっと後にスティールパンが出てくるんですけど。もう死ぬかと思うぐらい気持ちいいんで。ぜひちょっと、こちらも堪能していただきたいです。

ちょっと早めに行ってですね、この後もう1回、6時半でなる手前の時間でもう1回、曲をかけたいと思いますんで。教授追悼という感じでね、曲を……曲をかけることぐらいしか私にはできませんので。教授、ひとまずでも、本当に闘病で長年、大変だったみたいですね。きつかったというのも伝え聞くので。本当にお疲れ様でしたということと、もう……ありがとうございました。教授の音楽ない世界だったとしたらって思うと、ゾッとするっていうか。

そんな感じだと思います。私は50なんぼ、生きてきましたけど。その間ずっと、坂本龍一さんの作ってきた音楽っていうのは常に時代とともにあって。それはなんて幸福なことだったんだろうって、思いますね。時間が許せばもう1回、かけたいと思います。

(中略)

(宇多丸)ということで引き続き、坂本龍一さん。もちろん坂本さんの様々な功績の中で、たとえば社会問題に対してずっと常に、特に環境問題ですね。「原発が非常に危険なのは続いてるだろう?」とかね。ちゃんとそういうことに声を上げられたりとか。あとは神宮のね、木々の伐採のこととか、最後まで発言されていたりしました。そういうこと、非常に大事です。だし、ただこのちょっと短い時間でですね、私の追悼ということでもう1曲だけ、やっぱり音楽をかけさせていただきたいと思うんです。

先ほどから言っているそのグルーヴミュージックと教授的な、楽理的なあれの融合という意味で、一番それの早い成功例といたしまして……早くもないのかな? 1979年、カクトウギ・セッションという名義でね、『サマー・ナーヴス』という。これ、1979年ですから、まだまだ早いですよね。その中の1曲で。で、アルバム全体としても、すごくご機嫌なアルバムなんですが。その中の最後の1曲で、これもレゲエチューンです。

これ、作曲は細野さんです。なんでYMO的な繋がりなんですが。これももう、今聞くとなんていうか、早いっていうか、古びないっていうか。『サマー・ナーヴス』からお送りしましょう。坂本龍一さんで『Neuronian Network』。

坂本龍一&カクトウギ・セッション『Neuronian Network』

(宇多丸)すいませんね。短い時間に無理やりかけるからね、急にしゃべりだして。坂本龍一さん、カクトウギ・セッションという名義で出されたアルバム『サマー・ナーヴス』。最後の曲『Neuronian Network』。もう今で言う、ビートミュージックっていうか。それこそJ・ディラの登場すら予言するようなビート感だと思うんです。すごすぎですよね。なので、いろんな角度からもちろん語れるんですが。ちょっととりあえず、曲をいっぱいかけさせていただきました。ご冥福をお祈りします。

<書き起こしおわり>

高田文夫 坂本龍一を追悼する
高田文夫さんが2023年4月3日放送のニッポン放送『ラジオビバリー昼ズ』で亡くなった坂本龍一さんを追悼していました。
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宇多丸 高橋幸宏を追悼する
宇多丸さんが2023年1月16日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で亡くなった高橋幸宏さんを追悼していました。
宇多丸 高橋幸宏主演映画『四月の魚』の思い出を語る
宇多丸さんが2023年1月16日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で亡くなった高橋幸宏さんを追悼。高橋幸宏さん主演映画『四月の魚』を高校時代、オールナイト上映で見た際の思い出を話していました。
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