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宇多丸 28歳の自分と『B-BOYイズム』制作を振り返る

宇多丸 28歳の自分と『B-BOYイズム』制作を振り返る アフター6ジャンクション
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宇多丸さんが2021年6月30日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で日比麻音子さんの28歳のお誕生日をお祝い。28歳の頃の自分を振り返りながらRHYMESTER『B-BOYイズム』制作などの話をしていました。

(宇多丸)ちょっと気が早いんですけども。7月5日に28歳ということで。28歳……。

(日比麻音子)28。ニッパチ。

(宇多丸)というか今、現状で27……こんなしっかりした27、8、いる? マジな話。

(日比麻音子)いやいやいや……。

(宇多丸)いや、大抵の人が自分を置き換えたら……もう曜日パートナーの年齢とか、僕は正直、よくわからなくなっているから。

(日比麻音子)みんな同じ感じ(笑)。

(宇多丸)だからいざ、歳を聞くと結構「ああ、若いんだ」って思いますよね。

(日比麻音子)いやいや、まだまだ本当にペーペーなのにこんなに生意気に前に座らせていただけてることに感謝ですよ。

(宇多丸)なにを言っているんですか。僕ら、28なんてよく言いますけども。まあ……まだ、ゲルですよね。ゲルがちょっとだけ固形化……25の時はもうゲル状だったので。

(日比麻音子)液体状(笑)。

(宇多丸)その前は海水なんで。10代は海水なので。命の源にいたという感じ。だんだんとそれがゲル状になり、固まり……28ぐらいでようやく。「あれ? これはひょっとしたら人なのかな?」っていう、そういうような話になってきたという。そのぐらいなんですよね(笑)。

(日比麻音子)はー。ちょっともっと28話を聞きたいので。

(宇多丸)じゃあ、私が28でどうだったか、なんて話をね、したりしなかったり。

(日比麻音子)じゃあ、いつものをお願いしていいですか?

(中略)

(宇多丸)でも、この番組を始めた時が24っていうのもびっくりしちゃうね。

(日比麻音子)いや、なんかもうお恥ずかしいですね。

(宇多丸)だってさ、大学を出たてみたいなことじゃんよ。それはだって。

(日比麻音子)大学を出て3年目?

(宇多丸)社会人2年目とかじゃない?

(日比麻音子)16年入社なので3年目かな?

(宇多丸)そうか。なんにせよ、すごいことですよね。

(日比麻音子)いやいや、本当に生意気に……お恥ずかしいです。本当に。

(宇多丸)いやいや、自分のことを言われるとこうなっちゃうっていうのはわかりますけども。しっかりした28ですね。これは本当にね。

(日比麻音子)今年で入社6年目になるんですけども。結構先輩方で入社5年目でお辞めになる方がいたりとか。結構皆さん、ひとつ区切りというか。私自身はまだまだだなと思っているので。そんなの、選択肢には全くないですけども。宇垣さんがお辞めになったのもたぶん6年目の時とかだったかな?

(宇多丸)ああ、じゃあまさにあの頃の総裁……。

(日比麻音子)イエス。そうなんですよ。

(宇多丸)またちょっと、だからよくわからないけどね。またね、宇垣さんは宇垣さんであれだけどさ。

(日比麻音子)でも、たしかに新人アナウンサー、新人会社員みたいなのは全くなくなってきましたし。かといって、ベテランでももちろんないんですけど。

(宇多丸)でも、それっていうのはアナウンサーという仕事がある意味、先が長い仕事というかね。

(日比麻音子)そうですね。まだまだここからだぞっていうところだと思うんですけども。

(宇多丸)28の抱負、いかがですか?

(日比麻音子)いやー、ないです!(笑)。

(宇多丸)まあ、そんなこと言われてもね。どんな仕事が来るとかもわからないしね。そりゃそうですよ。

(日比麻音子)まあ、ある程度はあたふたしていた年次からは少し脱却はできているかなとは思うので。

(宇多丸)ねえ。お忙しいのが続いていたからね。

(日比麻音子)ちょっとなんか、身が引き締まるというのもありますし。年齢を重ねることにわくわくしなくなってきました。やっぱり。

(宇多丸)前はわくわくしていた?

(日比麻音子)なんか、うん。していましたね。「大人になれ、自分。大人の階段、登れてる!」って思っていたんですけども。なんかやっぱり、周りが結婚したりとか、出産したりとか。ちょうどそういう時期でもあるので。

(宇多丸)ああ、そうか、そうか。

(日比麻音子)なんか28っていう年齢の受け止め方がまだわからないですね。

第二思春期の時期

(宇多丸)だから20代後半から30代頭ぐらい……私はいつも言ってるのはこの時期は第二思春期だと。やっぱりその人生を選び直す人もいる時期だし。いろいろ、身の振り方と言うのかな? いわゆる大人のルートというか……結婚して、子供を産んでとかっていうような人も横目で見つつ。いろいろ、要するに惑いが生じる時期。でもすごい、まだまだ20代だからそういう意味では若いし。そういう意味では自由な時間とか。さらに若い時以上に金とかも一応あるから。自由……要するに、いろんなこともできる。でも、そろそろ自分の人生の大きな選択するべきなのか?っていう。まあ、ぶっちゃけそんな「べき」なんてものはないんだけど。なんとなく惑い始める……。

(日比麻音子)いや、もう本当に「それな!」っていうところで。なんとなく、今まで若いからこその不安があったのも、ちょっとまだ体力があるからか、わくわくしてたし。安定というよりは、不安を楽しんでいたところがあったんですけども。

(宇多丸)まあ、どうなるかはわからない自分を楽しめていた?

(日比麻音子)はい。ただ、今のこの30手前の時期って、安心と不安定を行ったり来たりしている感じがして。それが、後から振り返ったら楽しかったって言えるのかなって思うんですけども。

(宇多丸)それはもうだからさ、その時を生きている時はもう時……わかります。もう常にNOWだから。よく言うんだけども。常に今の自分が一番若いわけだから。で、しかも、たとえば僕は今、52だと。この52っていうのははじめてだから(笑)。

(日比麻音子)ファースト52(笑)。

(宇多丸)そうそうそう。誰だってその局面っていうのははじめてっていう。もちろんそういうことなんだけれども。まあ、惑いが……惑うし、エネルギーもあるし。

(日比麻音子)そうですね。無駄に経験値がちょっとあるからこそ。

(宇多丸)で、「選び直すとしたら今だ!」とかさ、いろいろそういうことで。まあ転職する方も割と多い時期だったりすると思うんですけどね。まあ、でもまあまあまあ。日比ちゃんは大丈夫でしょう。

(日比麻音子)いやいやいや……。

(宇多丸)なぜかと言えば、それは本当に優秀な方だから。誰もが認める優秀な……なんてことを言われると、そこで謙遜をするからまたいいわけです。そこでもね、「ああ、そうっすね! まあ、よく言われます! エースだと、よく言われます!」なんて。そんなことは言うわけないですから。

(日比麻音子)言えない、言えない(笑)。

(宇多丸)まあでもね、そこも含めてね、素晴らしい28歳だと思いますよ。

(日比麻音子)宇多丸さんの28は?

(宇多丸)27から28……だから、僕の場合は1996年から97年にかけてなんですね。

(日比麻音子)やだー、私、3ちゃい(笑)。

(宇多丸)3ちゃいね(笑)。で、当然RHYMESTERはすでに活動してるんだけど、97っていうのは何かというと『B-BOYイズム』という曲を出した年なんですよ。で、96が『耳ヲ貸スベキ』という曲を出したんですね。で、95はセカンドアルバムの『EGOTOPIA』っていうのを出したんです。これ、順番に言いますとRHYMESTERはなかなか評価がついてこないっていうか。自分たちがやってることに対して、何かあんまり正当に評価されてないっていう時期が長くて。

で、セカンドの『EGOTOPIA』を出してからちょっとずつ評価がようやくついてきたかなという。それで96。でも、やっぱりたとえば『さんぴんCAMP』という伝説的なイベントがありましたけども。あれはエイベックスの主催だからとか、いろいろあるんだけど。でも僕らの出番の時間を見ていただければわかるけど。決して今のRHYMESTERがヒップホップシーンで……っていうところで想像されるような位置でも正直、なかったかなっていう感じがしますよね。

でも、その『耳ヲ貸スベキ』っていうのが、そこのステージもすごく我々的にベストを尽くしたし。すごくいい、なんかようやく納得できる曲ができて。で、それのさんぴんCAMPというビデオが出回ることで、全国で割と「ああ、RHYMESTERってライブがいいんだ」っていう、その真価をようやく知ってもらって。東京以外にも呼ばれていって。そこでやるたびに、客は全然入ってないんですけど、その地元の熱いやつらと繋がって。たとえば京都だったら後にMAGMA MC’sを組むRYUZOくんっていう。N.O.BとRYUZOがいたりとかっていうので、どんどん日本のヒップホップシーンの熱気とともに成長をしていくという中で。で、96が『耳ヲ貸スベキ』。

RHYMESTER『耳ヲ貸スベキ』

(宇多丸)その次の曲……『耳ヲ貸スベキ』というすごいいい曲ができた。その時点での我々の最高打点を出したんだけども。それでメンバーと話し合って……当時はまだ、リリースペースがすごいゆっくりしていて。そんなにちょくちょくが出せなかったっていうのもあるし。1曲出して、その1年ツアー回って、また1曲出して……たいな。そんな、今から思えばのんびりしたペースだったんですけども。

(日比麻音子)じっくり、じっくり。

(宇多丸)ただ、そこまでじっくりする予定じゃなかったんだけども。『B-BOYイズム』っていう曲は完成まで1年間、かかっているんですよ。

(日比麻音子)そんなにかかっていたんですか?

(イントロが流れる)

(宇多丸)そうなんです。というのは、「次は『B-BOYイズム』という曲で行こう」とぴう、まずコンセプトから立てたんですね。

(日比麻音子)それはファーストステップがまず、コンセプトから?

(宇多丸)そうなんです。要するに『B-BOYイズム』というもうヒップホップの精神性みたいなものを1曲で……で、その全ての行が格言のような、もうものすごい濃度で凝縮して。それでなおかつ、Bボーイっていうブレイクダンサー。ヒップホップの精神を最も体現する人たちっていうのが喜んでくれるような曲みたいな。

(日比麻音子)それって最初に組み立てる骨組みとしてはあまりにも太くないですか?

(宇多丸)そうなんですよ。だから要は「次はホームランを打とうね」みたいな。「次はホームランを打つ」みたいなことを……『耳ヲ貸スベキ』が三塁打で、押し出しで1点が入ったんだとしたら、次は満塁ホームランを。今、ランナーがいる状態だから、ここで満塁ホームランを打ちましょうってなって。でも、そんな高いハードルを設定したから、やっぱなかなか、まずトラックが決まらなくて。

で、ああでもない、こうでもないってやってるうちに僕は少しずつ歌詞を頭の中で書き足していって。この曲に関しては1回も紙に書かずにレコーディングできるところまで……要するに1行1行。「数はともかく心は少数派 俺たちだけに聞こえる特殊な電波」みたいな。どんどんどんどん頭の中で足していって。1年間かけて、その全部のバースがすでにできていて。

(日比麻音子)1年間かけて紙に書かずに頭の中で?

1年間かけて頭の中で作り上げた歌詞

(宇多丸)頭の中で少しずつ足していってできていった歌詞なんですよ。ということは、逆に言えば「全てが格言級」というのをなすためにそのプロセスも必要だった。それで録ったはいいんだけど……今、後ろで流れていますけども。当時の流行っているヒップホップの曲と比べてちょっと早いんですよ。これは。

今、聞くとすごく遅いんだけども、当時は「早い」って感じて。録り終わって「これ、どうなんだろうね?」っていう風にメンバーもなって。「遅くする?」とかすごいピヨりまくったことを言っていて。「ちょっと遅くして?」とかも言い出したりとかして。「でも、これがいい」って。そのスタジオにいた第三者が「これ、めちゃくちゃいいですよ」って。それで出したのがまさに28歳っていうことなんですかね。

(日比麻音子)ぎょーっ!

(宇多丸)いや、「ぎょーっ!」じゃないよ。だから、そういう意味ではようやく自分たちがやっていたことに確信を持ち始められた時期。で、『B-BOYイズム』を出したことで完全にRHYMESTERは認められて、いろんな地方にツアーも呼んでもらえて。で、「次はアルバムだ」っていうことで『リスペクト』っていうアルバムを作って。それが出るのが99年だから、また2年かかるわけで。まあ、ゆっくりしているわけです。とにかく遅いの。俺たちはケツが重い。

(日比麻音子)でも着々と積み上げてきたものを確実に確立していったというのが28ぐらいからということなんですね。

(宇多丸)たまたまうまく行ったっていうところもあるけども。

(日比麻音子)いや、でも狙って打てるものじゃないですよ。ホームランは。

(宇多丸)ただ、日比さん。『B-BOYイズム』はたしかにうまく行きましたけども。さっき言った「第二思春期」っていう意味では一番、精神的にはめちゃくちゃ不安定だった時期ですよ。やっぱり。まだ実家住まいでしたし。全然、要するにこれで食べていける目処なんか立っていない。だからずっとライターとかもすごいやって何とか生計を立ててましたけども。だから、あれですよ。夜の中華料理屋、今で言う町中華でビールを飲んで餃子を食って、ベロベロになるまで飲んで。で、近所の神社と公園が一緒になったところでブランコに乗ってガンガン鳴らしたりとか。そういうことを……もう人としても下の下の状態に行っていたのがやっぱりその頃ですし。

(日比麻音子)なかなかの大人(笑)。

(宇多丸)クラブとかで遊んでても、もう口癖は「死にてえ」みたいな。そんなことを言って後輩が困るみたいな(笑)。とにかく、だから一番そこはもうどうしていいかわからない。でも、頑張ってもいるみたいな。だからちょっと日比さんとかとは違うけど、第二思春期っぽい時期ですよ。それは。

(日比麻音子)でもなんか、そうか。28で『B-BOYイズム』か。

(宇多丸)振り返ればね、「そんなのをやって、すごいね」ってことかもしれないけど。その時はやっぱり、その時にできることを頑張ってやってただけだし。逆にやっぱり1年間かかっちゃったのだって、今となっては成功曲だから1年かかって、満を持して作った曲みたいになっているけども。俺たちからすれば「これ、できるの?」っていうことだから。「これ、ちょっと失敗したか?」みたいな。そういうあれもあるわけだから。

結果オーライではあるけども、やっぱりその時点の自分らにとってはもう、何が何やらだしね。たとえばね、細かい話ですけど。『B-BOYイズム』のジャケってランDMCのジャケットのパロディーっていうか、引用なんだけど。最初はね、そのランDMCのジャケの通りに3人が並んで写真を撮っていたのね。で、ジャケを並べたら、もうギャグにしか見えない。

「ふざけてんの?」みたいなジャケになっちゃって。「これ、なんだろうね? なんでランDMCだとかっこいいのに、俺らだと笑けちゃうんだろうね?」って。で、いろいろと試行錯誤して今の状態になったとか。いろいろと、それはもう一直線ではできていないんですよ。とか、ビデオを最初に撮ったんだけども、それがあんまりうまく行かなくて。で、そのビデオは『B-BOYイズム』が出て、それなりにヘッズに浸透した後にようやく……でも、これがまた功を奏して。みんなが『B-BOYイズム』を知って、ヒップホップアンセムになった状態で渋谷のレコ屋に「明日、代々木公園で撮影をするから来たいやつは来い」っていうチラシをまいて。で、集まって撮ったのが今のビデオなんです。

(日比麻音子)ええーっ!

曲が浸透した後にビデオを撮影

(宇多丸)だから要は、もう全員が歌える状態のヘッズとか、あとはヒップホップ関係者がもう何百人と集まって。全員が歌える状態になったからあれが撮れたんで。だからこれも災い転じて福となすなんですよ。最初のビデオがうまく行かなかったから……(笑)。とかね、もう結果オーライでしかないんだよね。こういうのはね。

(日比麻音子)でも、その偶然こそ最高のドラマというか。うん。

(宇多丸)まあ、もちろんそうですけどね。面白いですよ。その『B-BOYイズム』のビデオのフルバージョンだとヘッズが「ウワーッ!」って騒いでいて、その真ん中で俺らがやってんだけど。「おい、お前ら! もうちょっと前に来いよ!」なんつって。そしたら来すぎちゃって。「こんなに来ちゃダメ!」みたいな(笑)。

(日比麻音子)アハハハハハハハハッ! そんなことまであったんですか(笑)。

(宇多丸)そうなんです。大変なんですよ。という、28歳。

(日比麻音子)いやー、でもなんかすごい。まだ頑張らなきゃって、当たり前のことですけども。すごい思いました。

(宇多丸)まあ、全然違うんだけども。でも、わかるっていう感じですよね。

(日比麻音子)ひゅーっ!

(宇多丸)ひゅーっ! 28! ニッパチ!

(日比麻音子)ニッパチ(笑)。ニッパチ、頑張る!

(宇多丸)じゃあ、27歳最後の放送、行ってみましょう。

<書き起こしおわり>

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