オードリー若林 南原清隆との佐渡・世阿弥2人旅ロケを語る

オードリー若林 南原清隆との佐渡・世阿弥2人旅ロケを語る オードリーのオールナイトニッポン

オードリー若林さんが2022年10月1日放送のニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』の中で南原清隆さんと『ヒルナンデス!』で佐渡の世阿弥のゆかりの地を巡るロケをした際の模様を話していました。

(若林正恭)もう2週前から告知してたから、『ヒルナンデス!』も気合入ってんなと思ったんだけど。南原さんと佐渡で「ナンチャンワカチャン2人旅」なんていうタイトルで佐渡に行かせてもらってさ。で、それも……そうそう。どこか、キャンプというか、いい景色のところでしゃべろうっていう予定ではあったけど。そういえば、しゃべらなかったな。なんで2人で佐渡に旅行することになったか。ずっと楽しすぎて。

(春日俊彰)えっ、それ、話さなかったの?

(若林正恭)たぶんそれ、話してないな。俺の記憶だと(笑)。

(春日俊彰)それ、大丈夫なの?(笑)。

(若林正恭)ナレーションとかで入るんじゃないかな?

(春日俊彰)そうだろうね。理由を知りたいもんね。

(若林正恭)そうだね。それをちゃんとしゃべった方が……今週の水曜日から2週。どこかで1週、挟むのかな? オンエアーされるからね。

(春日俊彰)なぜ佐渡で、なぜその2人なのか?ってね。

(若林正恭)元々、一緒にラグビーのワールドカップを見に行ったんだよな。あれもなんで2人で見に行くことになったんだろうな? やっぱり俺がラグビー部だったっていう話からかな?

(春日俊彰)でもその前の段階で、スタジオでなんか話したんじゃない? それを南原さんが聞いて……みたいなことなんじゃない? 「楽しみなんだよ」みたいなのを。

(若林正恭)ああ、ラグビーワールドカップ?

(春日俊彰)それで「俺、行くんだよ。行くか?」みたいな感じになったんじゃないの? わからんけども。

(若林正恭)で、試合前に深大寺のお蕎麦屋さんに行って。そこで……南原さんも「後から言う」なんて言ってたけど。そこ、俺が学生時代、めちゃめちゃ行ってたところなんだよね。それで、プロレスの話とかで盛り上がったのかな? で、ラグビーもね、もちろん見て。盛り上がって。それで南原さんがね、トイレではぐれて。本当に「ナンチャンを探せ」状態になったっていうあの例の話ね。で、その帰り道。「車で家まで送るよ」って言ってくれてさ。南原さんの横に座ってさ、しゃべらせてもらってる時に、俺にとっては懐かしい景色なんだよね。あの味の素スタジアムって。あそこって結構、車とかでよく走ってたじゃない? 

(春日俊彰)はいはい。甲州街道のね。

(若林正恭)その時に「最近、どう?」みたいな仕事の話になったのかな? そしたら、ちょうどそうだよ。和牛とかが入ってきたぐらいの頃で。阿佐ヶ谷姉妹さんとかも入ってきた頃で。阿佐ヶ谷姉妹は年齢的には先輩だけど。人生の。やっぱりなんか、つるのさんとかミッツさんの時は一番後輩だったから。でも、なんか後輩もいて南原さんとか先輩もいて。俺が真ん中っていうことがいろんな現場で多くなってきた時期だったんだよ。だからなんか、同期だったら張り合って前に出てもいいけど。後輩だと張り合うと、こっちがなんか、がめつく見えるっていうようなことを初めて体験してて。

「だからどうしていいか、わかんないです」って言ったら、南原さんが「そのお前の悩み、全部世阿弥の『風姿花伝』に書いてあるよ」って。それで次の週に『風姿花伝』の本をプレゼントしてくれたの。で、それを読んで俺が世阿弥にハマって。で、俺は藤沢周さんっていう作家さん、小説家が好きなんだけど。また、そのタイミングがばっちりでさ。『世阿弥最後の花』 っていう佐渡に流された世阿弥を描いた小説を藤沢周さん。俺の好きな小説家が、俺が興味がある時に世阿弥の本を出すからさ。それで、藤沢周さんも佐渡に行って。実際に自分で能とかを習って、それでその本を書いてさ。

で、「これは面白いから」っつって本を南原さんにプレゼントして。南原さんも……ちょっと心配だったの。真ん中へんぐらいまで本の話、あんまり話さなかったから。でも後半で南原さん、「ちょっとあれ、若林。面白いな」ってなって。読み終わった時に「今度、佐渡に行こう!」ってなったのがもう1年ぐらい前で。それで「佐渡に旅行に行こう」って話してて。「じゃあ、『ヒルナンデス!』でロケでどうですか?」ってなったのかな。たぶん、そんなことを言ってたら。

(春日俊彰)ああ、そうなんじゃない?

(若林正恭)なんかスタッフさんも言っていた。「南原さん、『本当はプライベートで若林と旅行したいんだからね』って言ってましたよ」って(笑)。で、俺からしたら、どちらにも申し訳ないけど。で、2人のロケっていうのもなんか……やっぱりちょっと思うよ。「ウッチャンナンチャンの南原さんと2人でロケするようになったか。俺もいよいよ、ネプチューンマンだな」って。もう胸からトゲが6本、出ていましたよ。口ひげも生やそうかなって。あごひげ、生やそうかなって思ったぐらい。

(春日俊彰)はいはい(笑)。

(若林正恭)それで新幹線に乗ってさ、まず新潟まで行ったのよ。そしたら長岡を通った時に思ったんだけど。「ここからDJ松永って出てきたんだな」って思って(笑)。「ここからターンテーブルを抱えて東京まで出てきたのか」って。やっぱり東京生まれ・東京育ちだからさ、やっぱり思うね。しかもね、松永ってやっぱり長岡のあの空気寄りの人間なんだって。今も。だからその東京のゴミゴミした感じがちょっとあれらしくて。で、長岡の方には本当に申し訳ないけど、駅も暗いのよ。街の明かりも。新潟になるとワーッと明るくなんだけど、長岡って駅が暗いのよ。

(春日俊彰)へー。

DJ松永の出身地・長岡

(若林正恭)で、「長岡」って駅に書いてある看板ってあるじゃん? 駅名の。あれもね、普通の駅って結構ポツポツポツポツ、あるでしょう? あれもね、2個だったかな?

(春日俊彰)いやいや、そんな少ない? それはどの駅もある程度は……。

(若林正恭)いや、俺は長岡の駅の看板を写真に撮って松永に送ろうと思って。「お前、ここから出てきたのか」っていうを。でも、看板を写せなかったのよ。だから本当に細い、柱に「ながおか」ってひらがなで書いてあるやつを写真に撮って、松永に送ったもん。

(春日俊彰)そんなに少ないかな?

(若林正恭)「新潟に近づくにつれ、明かりが増えてくるんだね」っつったら「そうなんですよ、実際」みたいな感じがあって。松永って、だから東久留米に住んでたんだって。「東京の中なんか、人が住むところじゃない」っていう。

(春日俊彰)ちょっと離れた、まあ郊外というかね。

(若林正恭)で、上板橋に住んだ時に松永は「こんな都会に住めない」と思って。それで東久留米なんだって。

(春日俊彰)ああ、だからか。松永くんに会った時に……なんかテレビでやっていてさ。『アド街』かなんかの。「なんで上板橋から東久留米に? なんで離れたの?」って聞いたのよ。

(若林正恭)おかしいよな? 近づいていくからね。

(春日俊彰)逆だったらわかるのよ。東久留米にまず来ちゃって。「ああ、ちょっと遠いな」って上板橋とかだったらわかるけど。逆に遠くなってるからね。上板橋から東久留米って。都心から。ああ、そういう理由だったのね。

DJ松永 4年間住んだ東久留米から引っ越しした話
DJ松永さんが2020年9月9日放送のTBSラジオ『ACTION』の中で4年間住んだ東久留米から引っ越しした話をしていました。 #武田砂鉄 さんのインタビューに、うろたえる #DJ松永#action954 #CreepyNuts? pic....

(若林正恭)東久留米って俺ら、なじみ深いからな。ちょうど春日の家と俺の家の間っていうか、ぐらいの感じだからな。間ではないけど、ボウリング場とかさ。

(春日俊彰)まあ、そうだね。

(若林正恭)そういえばこの間、四千頭身の石橋くんが……石橋くんから話しかけてくれてさ。「若林さんがよくしゃべられる、田無のバッティングセンター、あるじゃないですか」って。俺、田無のバッティングセンターの話、このラジオでたまにするじゃない? だから、ラジオを聞いてくれてるんだろうね。で、そこは1階がパチンコ屋なのよ。で、2階がバッティングセンターで。ちょうど先輩がパチスロをやってるんの俺はバッティングセンターで待ってたのよ。若い時に。そしたら「若林さん、ついにあのバッティングセンターが2階とも、パチンコ屋になりました」っつって。「嘘! マジか! あの150キロがあるバッティングセンターだよね?」「そうなんすよ!」って。そしたら石橋くんって西東京市出身なのね。

(春日俊彰)ああ、バシくん?

(若林正恭)バシくん。

(春日俊彰)バシくん、そうなんだ?

(若林正恭)なんか嬉しくない? 西東京出身の子って。

(春日俊彰)いないよね。あんまり……西東京のどこなんだろう? 西東京も合併してるからな。田無なのかな?

(若林正恭)だから、あんまりいないでしょう? あのへん、西東京出身の子って言ったら。俺が一瞬、間があったんだけど。バシくんがたぶん……「人間自体、あんまりいないでしょう?」って言った時に「この先輩はボケて来てるのか?」ってなって。で、俺はその空気に瞬時に気づいて。「いやいや、芸人で……」っつったら「ああ、芸人だとあんまりいないっすね」っていう話になったんだけど(笑)。「東村山の方とか、田無の方とか、あそこの青梅街道のところ、よくうろちょろしてたわ」「あそこ僕、完全地元なんで」みたいな。嬉しいよな。西東京の話ができるって。

(春日俊彰)ああ、そうなんだ。知らなかったな。そうですか。へー!

(若林正恭)で、新潟に着いて。で、新潟からフェリーで2時間ちょいなのね。で、フェリーに乗るの。乗ってさ、なんだろう? 俺、フェリーってロケで乗ったこと、あんのかな? ちょっと忘れちゃったけど。ほぼ初めてだから、ちょっとテンションが上がっちゃって。三つぐらいのクラスにわかれてるんだけど、すげえテンションが上がっちゃって、荷物を置くなり船内を見たいと思って。もう出港前ぐらいから1人で歩いていたの。テンションが上がって。そしたら、なんか特等室っていう一番上のクラスがあって。「ああ、南原さんでも特等室の席、取ってもらえねえんだ」と思って。

(春日俊彰)ああ、違うんだ。

(若林正恭)特等室じゃないの。その1個下か、2個下かのクラスだと思う。「ああ、南原さんでも『ヒルナンデス!』、特等室に入れねえんだ。南原さん、もうちょい頑張らなきゃな」と思って(笑)。

(春日俊彰)ああ、そうね。まだまだかもね。

(若林正恭)特等室のところを見たら注意書きに「これより先は特等室の方のみ入場できます。もし入場した方は追加料金をいただきます」って書いてあって。「ああ、危ない、危ない!」って思って。ドアの前で思ったから。それでまた、いろいろうろちょろしてて。で、南原さんがスタッフみんなの分の夜ご飯を……その船内にさ、ラーメンだ、カレーだってあるからさ。で、食べてさ。なんか青海苔ラーメンを食べて。すごい、まあ青海苔がいいもんなんだろうね。めちゃめちゃ美味しくて。めちゃめちゃ美味しかったけど、なんか岡田がそこまで満足げじゃない表情だったけどな。

(春日俊彰)なんだよ、ラーメン好き……それはいろいろ、ねえ。加味して。その土地、その土地のラーメンなんだからさ。評価する感じで食べていたんだ(笑)。

(若林正恭)なんか、評価の目だったね。うん。

(春日俊彰)まあ、ラーメンが好きだからね(笑)。

(若林正恭)それでまた戻ったら、南原さんが「ちょっと若林、デッキに出ようよ」「ああ、行きましょう、行きましょう」ってなって。で、南原さんについていって。まあ、デッキがある場所はわかってたんだけど。俺がなんか南原さんについていく感じで。俺が「デッキ、こっちっすよ」っていうのもなんか出過ぎた真似な感じがして。そしたら南原さんが普通に「ああ、あっち。船の先頭のデッキに行こうよ」っつって。グングン歩いていって、それで特等室に入りそうになったから俺、立ちはだかって。

「南原さん、ここは俺らじゃ入れないですよ」「えっ?」「ここ、特等室なんで。見てください、この看板。俺らじゃ入れないです。俺たち、売れなきゃいけないっすね」っつって。「本当だな」って南原さんが言って(笑)。「売れなきゃここで佐渡には行けないんですよ。もっと頑張らなきゃ、入れません」っつって(笑)。

(春日俊彰)いや、どうなったら入れるのよ?(笑)。南原さん、だいぶ天井でしょう、もう? さらにって、どうなったら入れるのよ? すごいね、特等室。

(若林正恭)それでデッキに出てさ。2人だけだったんだけど。横のデッキなんだけども。いろんな話をしたな。もう佐渡に行くから、「世阿弥ってこの暗い海を、このフェリーで2時間っていうことは……それで新潟から出てないかもしれないですけど。小説にも『この暗い海を』っていう描写、あったじゃないですか。この行く島で生涯を終えるのかなって……流された時、世阿弥は70だから。今でたとえると、どんな感じですかね?

なんかいろいろ……世阿弥は不祥事っていうような感じでもないから。なんかに関わっちゃって、テレビに出れなくなって、みたいな感じっすかね? 今でたとえると」みたいな話とか。なんか能のね、立ち方とか。狂言に誘われるのも俺はスイープしているから。でも、さすがデッキでも、南原さんはやっぱり体幹を鍛えてるだけあって、揺れなかったね。

(春日俊彰)すごいね! やっぱりすごいんだ。狂言は。

(若林正恭)あとは24時間テレビのダンスの話とかしてたら「もうすぐ佐渡に到着します」みたいなアナウンスが流れて。気づいたら、1時間半ぐらい2人でデッキでしゃべっていて。それで、デッキから自分たちの部屋に戻る時に、俺はデッキから船内に戻り、左にすぐ曲がったら自分たちの部屋って知ってたんだけど。でも南原さん、階段を下りていくんだよ。で、「なんか飲み物でも買うのかな?」って。なんか「若林も買いなよ」っていう時とか、多いから。南原さんって。

で、なんか変なゲームコーナーみたいな、ゲーセンみたいにちょっとなってるところがあって。入っていって。「もうすぐ着きますっていう時にゲーム、しないよな?」と思って。で、その後なんか、別のクラスの客室のところとかに入っていって。「ああ、これは迷ってんな」と思って。で、俺、勇気出したよ。「南原さん、迷ってます?」って。そしたら南原さん、言っていた。「うん、迷ってる」って(笑)。

(春日俊彰)おっ、正解?

(若林正恭)で、「南原さん、こっちです」っつって階段を上がって。「いや、こっちか?」とか言いながら。で、俺は「いやいや、こっちなのよ」と思いながら(笑)。で、戻って。「ここで、あそこですよ」っつったら「ああ、そうかそうか」って。「俺、よくこういうこと、あるんだよな。ドイツの空港でも息子に怒られてさ」って。南原さんね、迷うのよ。ラグビーを見に行った時も迷子になったし。

(春日俊彰)それで「ナンチャンを探せ」になったんだ?

迷子になりがちな南原さん

(若林正恭)そうだと思う。たぶん迷うから「ナンチャンを探せ」って。「ナンチャンを探せ」をやりすぎて、「探せ」状態になりやすくなったのか……。

(春日俊彰)どっちが先なんだろうね? それ、今度聞いてみたいね。

(若林正恭)いじりすぎだろ、お前!

(春日俊彰)「どっちが先なんすか? ナンチャンを探せが先なのか……」って(笑)。

(若林正恭)それはいじりすぎだよ?(笑)。

タイトルとURLをコピーしました