山下達郎 ニッポン放送・オールナイトニッポンの思い出を語る

山下達郎 大瀧詠一を語る ニッポン放送

山下達郎さんが2022年6月21日放送のニッポン放送『山下達郎のオールナイトニッポンGOLD』の中でニッポン放送やオールナイトニッポンでの思い出について話していました。

(山下達郎)先ほど申し上げましたが、『オールナイトニッポンGOLD』は吉田拓郎さんの『オールナイトニッポンGOLD』に出させていただいたことがありますが。『オールナイトニッポン』自体は46年前に私、レギュラーやっていたと申し上げましたけども。それは3時の2部の方でありまして。それが生まれて初めてのラジオの、いわゆる今だったらパーソナリティー。昔はDJ、ディスクジョッキーと言いましたが。

初めてラジオでしゃべるという、一番最初のラジオのレギュラーだったものですから。まあ本当に22歳。何も知らない少年でありましたので。こうやってしゃべってるとですね、ディレクターの私の先生の佐藤輝夫さんという大御所がおりまいて。「『えー』が多い!」「説明が長い!」など、もう毎回毎回、厳しく厳しくやられまして。それのおかげで少しラジオのノウハウがわかったという、一番最初のあれですけども。

とにかく私、いわゆる10代の頃は音楽オタクでありまして。オールナイトニッポンでも、音楽関係のものしか聞かなかったんですね。高崎一郎さん、糸居五郎さん、亀渕昭信さん。それで他の、たとえば他局の、文化放送とかTBSでもですね、音楽に特化した番組しか聞かない。いわゆるバラエティ系っていうのは一切聞かない少年だったので。福田一郎さん、中村とうようさん、八木誠さん。TBSですと宮内鎮雄さんという超マニアックなアナウンサーの方がいらっしゃいましてですね。

そういうようなものしか聞かなかったので、そういうところが裏目に出るといいましょうか。ミュージシャンですから。「そういう自分の好きな音楽がかけられるんだ。ラジオで、しかも全国ネットでかけられるんだ!」って行きましたら、毎週毎週プロデューサーの人に呼ばれましてですね。「君の番組はちょっとマイナーすぎるんだよ。10曲かけたら7曲は誰でも知ってる曲をかけてもらわないと困るんだよ。これは公共放送なんだから」「誰でも知ってる曲ってなんですか?」「たとえばビートルズとか、そういうもんだよ」って。

「君の選曲はマイナーすぎる」

(山下達郎)「だけど僕はミュージシャンなので。やっぱり自分がそうやってかける曲は自分のアイデンティティーに繋がるもので……」「それは君の理屈だろう? これは公共放送なんだから……」とか。そういうことをですね、ずっとそれが繰り返されまして。結局、「今月でもう結構」ということになりました。それで今、46年ぶりにまた復帰しておりますけれども。今日は「何をかけてもいい」という。「世の中は変わったな!」っていう。十年一昔ですから。五十年五昔ということになりますね。生まれた人がもう46になるという、恐ろしい世界でございます。でも、ありがたいことでありますね。

で、ニューアルバムが出るという、その前振りですね。前景気と言いましょうかですね。景気づけで前日に出していただいて。まあ本当にですね、拝んでしまいます。しかもこのイマジンスタジオでですね。鶴瓶さんとここで何か対談をしたことがありますが(笑)。昔は上に銀河スタジオというのが上にありましてですね。そこでシュガー・ベイブのバンドのデモテープを一番最初に録りました。俗に「LFデモ」と言われる4曲でありますが。その時に録ったのが先ほど、メールでいただいた方のポンキッキーズでお聞きになった『パレード』という曲だったりしますけれど。

あれから46年後の今日、また『パレード』という曲のタイトルがですね、放送に乗るという。ありがたい。今日はありがたいことばっかりですね。なので明日のニューアルバムのプロモーションといえばあれですけども。いいんです、別に。『オールナイトニッポンGOLD』なんですから『オールナイトニッポンGOLD』のようなプログラムしようという、そういうあれでございます。そういう意味では後で、ニューアルバムから何曲か、お聞きをいただきたいと思いますが。

(中略)

(山下達郎)(ニッポン放送レコード室のアーカイブからの選曲は)Eternity’s Childrenの『Mrs. Bluebird』でした。でも、かけたのはCDのステレオバージョンのリマスタリングしたやつです。あしからず、ご了承ください。オリジナルのモノラルシングルじゃないです。だけどアナログブームというのが最近あるので。結局、何度かニッポン放送でも「アナログ盤をどうしようか? 廃棄処分にしようか?」という試みはあったんですけども。やっぱり諸先輩が「断固ダメだ!」って言っていただいたおかげで今、アナログがかけられる状況がまた続いているという。これはもう非常に諸先輩方に感謝しないといけません。

それで明日、6月22日発売の私のニューアルバム『『SOFTLY』』もアナログLPを同時発売で発売しておりますので、よろしくお願いします。ジャケットがきれいです。ジャケットが私の肖像画で、書いていただいたのが『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリさん。素敵な肖像を書いていただきました。LPで見るとまた格別です。

(中略)

(山下達郎)ニッポン放送地下4階レコード室からまた、イマジンスタジオに戻ってまいりましたが。今回の私のジャケットなんですが、ジャケットはなんと肖像画でありまして。私は若い頃から肖像画を書いてもらうのにすごく、ほのかな憧れがありましてですね。20代の頃から。ずっと「肖像画、書いてほしいな」という、そういうようなことを思っていたんですが。今回の肖像画を書いていただいたのヤマザキマリさん。『テルマエ・ロマエ』。コミック、それから映画でも大ヒットしましたけども。『テルマエ・ロマエ』の原作者、漫画家であって。エッセイストとしても非常に優秀な方ですけども。

実はヤマザキマリさんという方はですね、17歳の時にイタリアに渡りまして。イタリアの美術大学で絵画を勉強されて。特にルネッサンス期の肖像画を7年間ほど勉強されまして。それと美術史を勉強された方で。本職は画家なんですけれど。画家では全然食えなかったので、漫画に応募したらそれから漫画家の道が開けてきて。それで『テルマエ・ロマエ』の大ヒットに繋がるという、そういう経歴の方でありまして。

で、ずいぶん長いお付き合いさせていただいてますけれど。数年前に「そういう経歴なんだったらじゃあ肖像画をそのうちに書いていただこうかな」と思っていたんですけど。今回のアルバムで「そうだ! 肖像画だ!」って。それで今回のジャケットになりました。これ、非常にルネッサンス期のキアロスクーロ。「光と影」という技法の非常に様式的な肖像画なんですけど。非常に自分ではですね、ありがたい素敵な肖像画を書いていただいて。これをジャケットにして今回、ニューアルバム『SOFTLY』のプロモーションに励んでおります。

ヤマザキマリ 山下達郎『Softly』肖像画を書いた話
ヤマザキマリさんが2022年6月19日放送のTBSラジオ『日曜天国』の中で山下達郎さんのアルバム『Softly』のジャケット用に達郎さんの肖像画を書いた話をしていました。

(山下達郎)それと、先ほども申し上げましたがアルバム……シングルとかLPとか、いわゆるビニールですね。ヴァイナルがCDになった時に「もうそういうメディアはなくなる」という判断で、アナログ盤というもの。まあかさばりますし。そういうものを全部、廃棄しようというそういうような動きが90年代から2000年代にかけて、ありました。で、それを実際に廃棄した放送局もありますが、ニッポン放送はやっぱり音楽好きの方がいらっしゃって。そういうことを断固ダメだということで、今でもレコード室がちゃんと機能しております。そういうものはものすごく大事で、今になってやっぱり先人の慧眼ということがですね。

アーカイブの重要性

(山下達郎)まあ、余談ですけれども。私が所属してるワーナーミュージックもですね、洋楽のオリジナルのアナログマスターは全部、保管してあります。レコード会社によってはもう全部それをCD-Rに焼いて、オリジナルマスター。それからマルチトラック。そういうものを全部、廃棄してるところもあります。そういうところはもうリミックスができなくなってるとか、そういうところがありますけれども。今になって後悔しても、もう戻ってこないというですね。歴史の資産というのはいかに大事にしなきゃいけないかというようなことを地下4階に行って、改めて思い知らされる今日この頃で。何でもそうですけども。

『オールナイトニッポン』という名前で思い出すことがたくさんありますけれど。人に曲を書いたりアレンジをしたりする時にですね、昔は実家にピアノがありませんでですね。20代のことですけれど。練馬に住んでいた実家はですね、木造モルタル2階建てだったんで。2階の私の部屋の3畳間にピアノが置けないんですよ。重さが問題で。アップライトも置けないってなりまして。で、しょうがないんで、ストリングスアレンジとかブラスアレンジをやる時はニッポン放送の一番てっぺんにPMP。今のフジパシフィックの出版社がありまして。

そこの応接室にピアノがある。そこに行って。夜中に。鍵をかけられて。で、朝に社員の方々が出勤するまでの夜中の間を使って、そこでスコアを書いてたんですね。『SPACY』のアルバム。それから『IT’S A POPPIN’ TIME』のアルバム。それから『GO AHEAD!』のアルバムぐらいまで続きましてね。それで、そのPMP、フジパシフィックの会社が六本木に越したんで。今度は六本木に移って、六本木の応接室で『MOONGLOW』のアルバムとか、それから竹内まりやの『UNIVERSITY STREET』『涙のワンサイデッド・ラブ』とか、あのへんのアレンジをそこで夜中にやった記憶がありますが。

そういうことがだんだんだんだん思い出されてきます。まあ、そういう仕事がまた続けられればなと思っておりますが。最近はそれがコンピュータでできますので、本当にいい時代になったと思います。『オールナイトニッポン』を46年前にやっていた時はビーチボーイズが本当に好きで。ビーチボーイズを全曲かけた記憶があります。なので『オールナイトニッポン』の自分の思い出というともうビーチボーイズが朝の3時半とか4時にですね、電波で飛んだという、その思い出とすごく密接に関わり合っておりますので。今日は1曲、ビーチボーイズをお聞きいただきたいと思います。1964年のビーチボーイズのアルバム『ALL SUMMER LONG』から『Hushabye』。

The Beach Boys『Hushabye』

<書き起こしおわり>

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