山下達郎 中野サンプラザのステージを語る

山下達郎 中野サンプラザのステージを語る オールナイトニッポン

山下達郎さんが2023年2月18日放送のニッポン放送『山下達郎と上柳昌彦のオールナイトニッポン』の中で何度もコンサートを行っている中野サンプラザのステージについて、話していました。

(上柳昌彦)さて、2人で話してほしいトークテーマ等々もいただいてるんですがね。この方、ちょっとメールを私、紹介しますね。2人で話してほしいトークテーマ。「オールナイトニッポン聴取歴55年です。達郎さん、聞こえちゃってごめんなさい。私、中野サンプラザホールで働いているんです。残念ながら1月26日の中野サンプラザでのライブは、仕事のため行けませんでした」。これ、振り替えになったんですね。

(山下達郎)そうですね。

(上柳昌彦)「ですが、実は従業員休憩室でかすかにライブの音が聞こえるんです。ホールの音響設備は万全なんですが、建物の構造上、結構響くんです。壁に耳を押し当てると、はるか下の方からささやくような音で聞こえてくるんです。当然、休憩室なのでワイドショーをつけてる先輩に『テレビ、消してください』とも言えずに、でもかすかではあるんですが達郎さんの声、聞こえてきました。

その時の達郎さんの声量の大きさ、声の通り具合をお伝えしますね。他のミュージシャンの場合は耳をギュッと、壁にしっかりと押しつけなければ聞こえてこない。楽器の音だけで、歌詞まではなかなか聞き取れないんです。でも、達郎さんは違う。わかるの! 壁に耳、ちょっと押し当てただけで素晴らしさが再認識できるんですよ」と。すごいですね。サンプラスの震わせているんですね。

「7月に営業終了をする中野サンプラザの最後のライブの詳細は、私たち従業員も今のところ知らされておりません。達郎さんが再度、登場していただけるということになれば嬉しいなと思ってますが、我々はたぶん6月末で解雇となると思います」ということです。

(山下達郎)お疲れ様です。

(上柳昌彦)「達郎さん、サンプラザホールが本当にお気に入りという風には伺ってますが、それは本当のことと信じて良いんでしょうか?」ということですね。

(山下達郎)あの、サンプラザはですね……(笑)。この間、サンプラザは「たぶんこれが最後になるかな」と思って1月の25と26でやらせていただきましたけども。あのね、そういう時には悪口しか言わないんですよ(笑)。

(上柳昌彦)ホールの?

山下達郎 中野サンプラザのステージを語る

(山下達郎)で、サンプラザはね、融通が利くっていうかね。でも1980年の5月1日っていうのが『RIDE ON TIME』の発売日だったんですけど。その時が生まれて初めてサンプラザでやった日でね。5月1、2、3って3日間と、12月25、26、27の3日間という。それが4年ぐらい、ずっと続いたんですね。春と年末ね。それで、僕のホームグラウンドになったんですけども。

今と違って、席が全部プラスチックでね、その時はすごく響きがね、きついんですよ。そういうようなあれがあって。あそこは設計上、いろいろと意図したところがあってね。六角形のアリーナになるんですよ、あそこは。それで後ろにバックステージがあって。六角形のアリーナなんです。で、それをやるとクラシックのライブになるっていう。

(上柳昌彦)ああ、フルオーケストラが入れる?

(山下達郎)そうです。でも結局、1回もその六角形のアリーナに使われたことがなくて。

(上柳昌彦)前の部分を、舞台をちょっと出して。で、フルオーケストラの60何人が座れるようになるんですね?

(山下達郎)そうです。なんですけど、それは1回もやられたことがないそうなんです。でも、それのおかげでね、あそこのホールは奥行きがないんですね。そうすると、すごくその音の回り込みがつらいんで。僕の場合はそのオーケストラピットっていう、六角形の先のところを出して。少し前に出して。

(上柳昌彦)あれ、空間がすごくあるんですよ。達郎さんのライブの時は。

(山下達郎)そうなんです。あれがないと、できないんです。僕。

(上柳昌彦)あれ、音のためにやっていたんですか?

(山下達郎)そうなんです。あれ、僕だけなんですけども(笑)。

(上柳昌彦)はー! ずいぶんと贅沢な使い方を。

(山下達郎)それで120席ぐらい潰しちゃってますね。

オーケストラピットを前に出してステージを作る

(上柳昌彦)前の席を。ああ、そうですか。後ろの方にマイクスタンドが立っていて。で、時々前に出てくることあるんだけども。ちょっとしか出ない割には広いスペースが取ってあるなって思っていたら、そういう……音ですか!

(山下達郎)そうです。まあ、そういういろいろと設計された時……72年にできたのかな? 設計された時のそういう意図とは裏腹に。

(上柳昌彦)オーケストラもやろうと思っていたんだけども。

(山下達郎)だから、ミュージカルとかをやる時には逆に便利な作りらしいんですけどね。『ハムレット』なんて、岩崎宏美さんと桑名正博さんでロックミュージカルをやって。

(上柳昌彦)オーケストラピットみたいなのが取れたりするっていう。

(山下達郎)そうです。だから僕の場合はあれ、前に出てるのはまさにオーケストラピットの。あそこ、サンプラザっていうのは前のところがちょっと妙な具合に、台形で前のところがなっているのは、あれはオーケストラピットのスペースなんですよ。

(上柳昌彦)はー! もう1回、確認しに行きたくなっちゃうじゃないですか(笑)。

(山下達郎)バックステージはバックステージで、そこの椅子はもう全部、腐ってなくなっちゃって。

(上柳昌彦)はー! 後ろにも席があったんですね。

(山下達郎)いや、要するに置けるということだったんだけども。置いたことは一度もなかったという。あとは2階の僕の楽屋の隣が貴賓室でね。そこを1回、開けてもらおうと思ったんだけど。そこはね、当時はだからサンプラザっていうのは、正式名称は「全国勤労青少年会館」っつって、労働省の管轄だったんですよ。

(上柳昌彦)労働者の方が東京に来た時に泊まれるということですよね。

(山下達郎)そうです。で、労働省の管轄だったんですけど。厚労省であれしたので今、厚生年金はなくなっちゃって。それで今、労働省の管轄のサンプラザは残ってるんすけど。で、そこの隣の貴賓室を「開けてくれ」っつったら「ここは皇族か労働大臣しか入れない」と言われたんです。

(上柳昌彦)ほー!

(山下達郎)で、結局10何年して、それが開いたら、一度も使われてなくて(笑)。役所でしょう? それって(笑)。

(上柳昌彦)なるほどね!

(山下達郎)なかなか話が面白いんですよ(笑)。

(上柳昌彦)なんか、ツアーコンダクターを達郎さんにしてサンプラザホールをもう1回巡る番組、やってみたいですね。

(山下達郎)でも本来だったらあそこ、ちゃんとリフォームしてね。耐震強度をあれして残せばいいのになって、僕なんか思うんですけどね。日本はなんでもスクラップアンドビルドだから。

日本はなんでもスクラップアンドビルド

(上柳昌彦)そうなんだよなー。有楽町界隈もね、三信ビルっていういいビルがあったんですけどね。

(山下達郎)ですよね。

(上柳昌彦)あれはいいビルだったんですけども。やっぱり壊しちゃうんだなっていうね。関東大震災後に贅沢に石材とコンクリートを使って建てた頑丈な建物なんですけども。なくなってしまいましたね。

(山下達郎)あのコリドーのね。素晴らしいですよね。あれ。

(上柳昌彦)素晴らしかったですよね。

<書き起こしおわり>

山下達郎 中野サンプラザを語る
山下達郎さんが2022年6月12日放送のTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』にゲスト出演。2024年に解体が予定されている中野サンプラザについて話していました。
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