宇多丸とDJ松永 ラジオを語る

宇多丸とDJ松永 ラジオを語る ACTION

宇多丸さんが2020年9月23日放送のTBSラジオ『ACTION』に出演。DJ松永さんとラジオについて話していました。

(幸坂理加)真面目な対談っていうのは今まではなかったんですね?

(宇多丸)まあ、なんか合間合間でね。ふざけていたかと思えば、真面目な話も……みたいな。やっぱりほら、せっかく『ACTION』の松永の最終日でもあるわけだから。ちょっとね、『ACTION』をやったことが松永にとっていかに良かったか、みたいなことを僕も考えてきたんです。結構聞いていて……まあ毎回とは言わないけど、他の番組の収録がありまして。それが終わった後に赤坂亭というTBSの食堂がありまして。そこでちょうど聞くっていうのが習慣になっておりまして。

(DJ松永)マジっすか!

(宇多丸)ただ今、赤坂亭が残念ながらコロナウイルスの感染拡大というのもあって。営業時間が短くなって今、ちょうどこの時間やってないのよ。

(DJ松永)えっ? じゃあ、どうしているんですか?

(宇多丸)だから最近、聞いてない。

(DJ松永)赤坂亭……メシ食っている時の空き時間かい!(笑)。

(宇多丸)赤坂亭というインプット源が……あと実際、リモートで放送をやることも多かったから。そもそもTBSに来ていないとか、他の仕事をやっていたりとかで。本当、すいませんね。

(DJ松永)いえいえ、ありがとうございます。本当に。まあ、そうですね。私、よく言っていますけども。このヒップホップの原点もそうだし、ラジオの原点もRHYMESTERなんですよね。

ラジオの原点もRHYMESTER

(宇多丸)だからあれは何年ぐらい前になるんですか?

(DJ松永)彼は2004年とか5年とか。で、『WANTED!』の前にマンクもやっていたじゃないですか。

(宇多丸)「マンク」っていきなり言うとびっくりしますよ。『MONDAY MIC CHECK』という番組をTOKYO FMでやっていまして。

(DJ松永)で、『WANTED!』の前身みたいな番組ですよね。あれは何年ぐらい?

(宇多丸)やっぱり2004年とかなんじゃないですかね? 2004、5、6ぐらいでその2番組をちょっと時間帯を変えてやってたのがありまして。で、松永くんはそれのヘビーリスナーで。投稿もいっぱい、名前もいくつか持っていてね。

(DJ松永)フフフ、あれはマジで初回から聞いていたんで。一発目から聞いて、実際にメールも送って。メールブロックとかももらってますからね(笑)。

(宇多丸)最初からヒップホップが好きで聞いていたの? それとも、そうじゃなくてたまたまラジオからでしたっけ?

(DJ松永)ああ、でもヒップホップを聞き始めだったんですよ。聞き始めぐらいの時に本当にRHYMESTERの『グレイゾーン』とかを友達から借りて聞いていたタイミングで、自分の部屋にテレビとかなかったもんですから。CDを聞いていたコンポでラジオとかつけてみたら「あれ? RHYMESTERってラジオやってるんだ!」みたいな。そこで聞き始めたんですよ。だから俺、ラジオの入りは本当は『MONDAY MIC CHECK』のケツあたりなんですよ。そこで聞きはじめて「あれ、もう終わるのかよ!」って思ったら『WANTED!』が始まったから。

(宇多丸)もっと深い時間になりましたね。

(DJ松永)それを初回から聞き続けるっていうことをやってたんですよ。で、あの時って本当にラジオ番組のレギュラーはマンクが一番最初ですか?

(宇多丸)そうですね。あ、ちなみに通称が「マンク」ね。『MONDAY MIC CHECK』。マンクだけ聞くとびっくりするから。

(DJ松永)フフフ、そうそう。時間が(笑)。危ねえ、危ねえ(笑)。

(宇多丸)ねえ。リエゾンはしないですからね。

(DJ松永)で、あれはどういう経緯であの番組って始まったんですか?

(宇多丸)経緯は……元々『Hip Hop Night Flight』っていう、松永くんは名前は聞いたことがあるかもしれないけど。1990年代の半ばぐらいにTOKYO FMで日曜日の夜中……もう深夜っていうかほとんど朝に近いような時間で。いわゆる、その時間帯って番組が入ってなくて。普通だと本当に「ザーッ」みたいな、そういう時間帯があって。そこでヒップホップの当時の活躍してたメンツが本当に一堂に会して。本当に自由に、やりたい放題やるというとんでもない番組があって。TOKYO FMで。それでTOKYO FMの人たちとの繋がりもできて。

(DJ松永)ああ、それでなんですね。それこそ、『Hip Hop Night Flight』は高校生だった般若さんとかもね、電話出演されていたりするっていう。

(宇多丸)そうそう。般若がものすごいとんがっている時ね。で、そもそもその前に言えばTOKYO FMにMummy-Dという私の相方がいて。Mummy-Dが就職しながら音楽活動を……当時は音楽活動だけで食べれるとは思ってなかったんで。一応、就職活動しようっていう時にOB訪問でTOKYO FMに行って。それで、その後に『Hip Hop Night Flight』の担当になる森田さんという方。その後、結構TOKYO FMで偉くなったんですけども。で、その森田さんにOB訪問で面接して。そしたらその森田さんが「君、音楽をやっていてそこまで……こんなにいいことをやってるんだから、就職とかよりも音楽活動をしなよ」っていうとんでもないアドバイスをしやがって。

(DJ松永)ええーっ?

(宇多丸)そういう縁もあって。「あの時の森田さんだ」なんていう。なんか、いろいろとありました。あとは、たとえばJ-WAVEでMC RYUがやっていた『SOULTRAIN』とか。いろいろとあったんですよ。あとはRIKOがやっていた『Da Cypher』とか。そういうヒップホップ番組とかがあって。

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(DJ松永)ああ、昔からちょこちょこあったんですね。

(宇多丸)そう。で、たとえばその『SOULTRAIN』でRYUくんが1週間休むっていう時に1週間、僕がパーソナリティーの代打を務めたりして。で、その頃から「俺は本当はラジオパーソナリティーが向いていんるだぞ」ということを周りに吹聴してたら1週間やらせてもらったりとか。そういう前振りとしてはありました。

(DJ松永)でもそうやってパーソナリティー的なことの……どこで気づくんですか? 自分に向いてるみたいなのは?

(宇多丸)そんなの、あなたと同じで。もうペラペラペラペラと聞かれてもいないのに。ずーっとペラペラペラペラ延々と話し続けてるからだよ。放っておけば。

(DJ松永)フハハハハハハハハッ!

(宇多丸)まあ、話好きだし。まあ、そうですね。話し好きだし、一応「話がうまい」とか言われることもあったから。なんですけど、松永くんが聞いてくれていたそのRHYMESTERの番組をやってる時は実は、その「ラジオをやる」っていうことに対して一番自信を喪失してる時で。

(DJ松永)何でですか?

(宇多丸)要するにいざ、念願の番組が始められたんだけど、なんか思うようにいかないなっていう感覚が強くて。

(DJ松永)それは理想と現実、どういうギャップがあったんですか?

向いていると思っていたラジオで自信を喪失

(宇多丸)そうですね。たとえば企画をどう形にするかとか。端的に未熟だったし、スタッフの数とかいろんなま条件があるんですけれども。なんか思うように面白いことができないというのがあって。で、自分のそのしゃべるのとかも、「しゃべれるって言われていたけど俺、全然しゃべれないじゃん。ああ、ダメだ。俺、思い上がりでした」っていうんで、実はもう自信がマックスで下がってる状態で。

(DJ松永)それは『WANTED!』の時ですか?

(宇多丸)『MONDAY MIC CHECK』『WANTED!』とずーっと下がって、下がって、下がって。で、モチベーションも自信も下がりきったところでTBSからお話をいただいたという。

(DJ松永)アハハハハハハハハッ! ああ、そうなんですか。その一番下がりきっているタイミングで俺、好きになったっていうことですね?

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