RIKOと渡辺志保 伝説のラジオ『Da Cypher』を振り返る

RIKOと渡辺志保 伝説のラジオ『Da Cypher』を振り返る INSIDE OUT

RIKOさんがblock.fm『INSIDE OUT』に出演。伝説のヒップホップラジオ番組『Hip Hop Journey Da Cypher』について、渡辺志保さんとともに振り返っていました。

(渡辺志保)こんばんは。渡辺志保です。今週も、かなり血が騒ぐゲストの方をお招きしていまして。まさかこの方を『INSIDE OUT』にお招きして今日、一緒におしゃべりすることが叶う日が来るとは全くもって思っておりませんでした。というわけで、今日はさっさと紹介させていただきたいと思います。本日のゲスト、RIKOさん In The House!

(RIKO)こんにちは、RIKOです(笑)。

(渡辺志保)私も緊張する(笑)。いまの「In The House!」はRIKOさんオマージュだったんですけど。

(RIKO)ああー! そういうことを言っていたんだ、昔は。

(渡辺志保)言っていたようは気がしました。で、アラサー以上のリスナーにとっては本当にRIKOさんってミューズ以外の何者でもないというような感じなんですけども。RIKOさんと言えば、もちろんあの伝説的ラジオ番組……ちょっと、コールをお願いしてもよろしいですか?(笑)。久しぶりの。

(RIKO)ええーっ? あれね、「Da Cypher」って言っていたのは男の人で。私じゃないから……私は何て言ってたっけ?

(渡辺志保)でも、スポンサーのご紹介の時なんかもね、タイトルコールをしてらっしゃったような気がするんですけどね。

(RIKO)言ってたっけ? 忘れちゃった(笑)。

(渡辺志保)聞き覚えがありますけども。『Da Cypher』っていうと、私もやっぱり「ヒップホップ、ラジオ、女性MC」とかっていうと、もちろんRIKOさんが常に頭のこのへんをよぎっているというような……「先輩!」みたいな感じで、勝手にお慕い申し上げておりまして。今日は本当にありがとうございましたっていう感じなんですけども。ちなみに『Da Cypher』って私も改めてディグってみたら、放送期間は5年間だったんですかね?

(RIKO)そうだね。1997年ぐらいからやっている? で、2002年に終わっちゃったんだよね。そう。5年かな?

(渡辺志保)なんと我々『INSIDE OUT』、この番組もいま、足掛け5年目に突入したんです。

(RIKO)おめでとう!(拍手)。

(渡辺志保)もうびっくりしちゃって。『Da Cypher』ってすっごいロングラン、長寿ヒップホップ番組っていうイメージが私の中でもあったので。まさか、私もRIKOさんと同じぐらいこの番組をやっているなんて、驚き!って思いましたけども。5年間を振り返ってみてRIKOさん、あっという間という感じでしたか?

『Da Cypher』の5年間

(RIKO)うん。すごい濃密な5年間だったね。あの1997年からは。あのね、ここにいるDJ YANATAKEさんも関わってくださったし。なんか、最初に始めた1997年から2002年までで、2002年になった時にヤナさんを始めMUROくんとかも大ブレイクで。だからそういう意味では、私だけじゃなくてみんな、関わってくださった出演者の方々、スタッフも含めてみんな、すごい濃密な5年間だったなっていう感じ。

(渡辺志保)その5年の間で日本におけるヒップホップシーンの変化みたいな、そういったものを感じる瞬間とか、たとえば最終回を放送した時に「ああ、ここまで来たか!」みたいな。そういう感情ってありました?

(RIKO)うーん……記憶がうる覚えなんだけど。『SOULTRAIN』をやっていたMC RYUくんと一緒にJ-WAVEで『HOLIDAY SPECIAL』って、6時間とかすごい長い時間MCをするっていう機会をいただき、朝の9時とか10時とか、私とかRYUくんも出たことのない時間にJ-WAVEに出て。一発目からドレ―(Dr.Dre)をかけたのかな?

(渡辺志保)ヤバいですね(笑)。ドレ―をお休みの日の朝一発目から。ドクター・ドレーでチルするみたいな。

(RIKO)そう。「きゃー!」ってその時、思った(笑)。

(渡辺志保)「やっちゃった!」って(笑)。めちゃめちゃキュートじゃないですか(笑)。

(RIKO)なんかこう、願いが叶う、みたいな。

(渡辺志保)うんうん。素晴らしい。そうですね、私も5年間『INSIDE OUT』をやっていますけど、果たして『Da Cypher』と同じぐらいのインパクトを残せているのかどうか、ちょっとね、我を振り返ってみたりも……

(RIKO)いえいえ。いつもTwitterで見てますよ。フォローしてるんで。

(渡辺志保)ああー! 本当ですか? ありがとうございます。驚きですね。私とRIKOさん、以前にも一度、実はラジオ番組で共演させていただいたことが。

(RIKO)そうね。ジェーン・スーの。いまをときめく(笑)。

(渡辺志保)そうなんです。いま超スーパーときめいてらっしゃるジェーン・スーさんの『シケ金』という番組。この間、惜しまれつつも最終回を迎えられて。

(RIKO)終わっちゃったの?

(渡辺志保)そうなんですよ。『シケ金』に、たまたまご帰国中のRIKOさんが出た時に、ジェーン・スーさんが一言、私に連絡くださって。私がもう本当に本当に憧れていたっていうのをスーさんにもずっと言っていたから。そこで呼んでくださって、もうスタジオに押しかけて。その場でマイクを奪いとったみたいな感じで。

(RIKO)そこがお初だったんだよね。

(渡辺志保)ちょっと乱入されていただいた、みたいなこともあるんですけども。ちなみに、いまRIKOさんはどちらにお住まいなんですか?

(RIKO)現住所はですね、ロンドン。イギリス(笑)。

(渡辺志保)ロンドン! だってさ、みんなたぶん「あの『Da Cypher』が終わった後、RIKOはどうなってんのかな?」って気にしてらっしゃる方、多いんじゃないですか?

(RIKO)あの、常にあんまり計画を立てずにその場の流れでやってきちゃって。いけないなと思うんだけど。2002年にああいう風に唐突に終わったように思えるんだけど、それにも理由があって。当時、2000年からDef Jam Japanを始めちゃって。もうそれが本当に忙しくて。

(渡辺志保)そりゃそうですよね。しかも最初、アーティストもね、ババババン!ってこう……

(RIKO)そうそうそう。まあ、めちゃくちゃな企画だったんだけどね。で、アメリカのDef Jamのアーティストもやりつつ、日本の独自のDef Jam Japanのアーティストも契約していただいて作品を出していくっていう。もう両方見るっていうのが。出張もすごく多かったし。まあ、(番組は)週1回だけだったんだけど、自分の中で本当にスケジュールが一杯一杯で。だから、「これで満足のいく番組を提供できないんだったら、ここでやめたいな」って思って。

(渡辺志保)幕を引こうかっていう。なるほど。当時、でもだいぶ惜しまれつつって感じなんですか?

(RIKO)そうだね。だから自分もすごいもったいないっていうか。でも、それ以上に中途半端になっちゃって自分で満足いく番組が出せないことも嫌だし。まあ、いまだったらね、もうちょっと考えて、絶対にやめてなかったと思うんだけど(笑)。あの時はね、自分も若くてもう一杯一杯になっちゃって。だからまあ、Def Jamの方が忙しくなっちゃって、やめざるを得なかったんだけど。

(渡辺志保)なるほど。

(RIKO)それで、まあDef Jamを一生懸命、レーベルとして大きくしようと思って働いていたら、宇多田ヒカルちゃんと契約することになって。で、Utadaというアーティストのアルバムをアメリカで作ることになって。それで、ニューヨークに行っちゃったんだよね。

(渡辺志保)行っちゃったんだよねー! でも、最初に『Da Cypher』を始めた時から、いわゆるストリートのDJのみなさん、ラッパーのみなさんと一緒にお仕事をしていて、かつ、日本を代表するスーパースターの宇多田ヒカルさんともお仕事をしていてっていう?

(RIKO)そう。全然違うんだけどね。まあ、違うんだけど、そんなに違わなかったっていうか。で、Utadaのアルバムを作る時に、すごいアメリカで当時一線のプロデューサーたちと楽曲を作るっていうところを見せてもらったんで。まあ、面白いよね、それは(笑)。

(渡辺志保)それはもう大興奮だし、そこに裏方の立場としても到達しようと思っても到達できないじゃないですか。「ティンバランド(Timbaland)と同じスタジオに入っちゃった!」みたいな、そういう感じですよね。

(RIKO)そうそうそう。でもね、あれはもうティンバランドをブッキングすること自体がまず大変で。まあ裏方話としてはね。まあ、大変でしたよ(笑)。

(渡辺志保)ええーっ! だって本人と直接交渉するわけじゃないですもんね。

(RIKO)ティンバ? うん、でもそういう時もあるし。ティンバのマネージャーさんと、とか。

(渡辺志保)へー! ちなみにだからそういうビッグプロデューサーとかビッグアーティストとスタジオに入ります、曲を作りますっていう中で、いちばんRIKOさんが苦労したこととかありますか? 「これ、勘弁して!」とか。

(RIKO)楽曲に関してはもう私は全然関係ないんで、苦労はしていないけど。だから人のブッキングじゃないかな? そういうプロデューサーの人とかの。

(渡辺志保)やっぱりぶっちゃけそういった音楽業界っていうか、ストリート、ヒップホップ系の業界にしても、日本とは比べ物にならない規模なわけじゃないですか。もう想像がつかないんですよね。以前も、ジェイ・Z(Jay-Z)と一緒のオフィスだったって……Def Jamの時代か。なんかそういうお話とかもうかがって。

Def Jamでジェイ・Z社長の下で働く

(RIKO)そうそう。だからニューヨークのDef Jamで働いている時は、ジェイ・Zがちょうど社長になった、みたいな時で。結構会社に来ていたんだよね。

(渡辺志保)へー! 「ジェイ・Zが結構会社に来てたんだよね」って(笑)。すごいわ!

(RIKO)そう。で、私も一応オフィスをいただいてですね。で、会議とかしたり、自分の部屋にお客さんとかが来ていない時は、自分の部屋のドアとかを開けておくから。廊下とかをジェイ・Zさんが通ると、「おっ!」っとか一応挨拶とかしていってくれて。「ああ、どうも」って。

(渡辺志保)すっげー! あの、個人的な質問なんですけど、ジェイ・Zもそうだし、レーベルオーナーになっているアーティストとかもたくさんいるじゃないですか。Def Jamの社長も一時期ジェイ・Zだったってことなんですけど。彼らって、アーティスト業もしながら社長業もちゃんと両立できているものなんですか?

(RIKO)うんとね、私はジェイ・Zが社長の時しか知らないけど、そうだね。してたね。

(渡辺志保)へー! 社長がだってね、全国ツアーとか、アルバムを出したりとかしてるわけですよね。面白いなって思っちゃう。

(RIKO)普段からさ、社長業してなくてもああいう人はずっとスタジオに入って、何かは作っているじゃない。作品は。で、それプラス、自分より若手のアーティストのプロデュース。あと、デモテープとかを聞いて、「この人いいから」って……っていうか、すごい自慢になっちゃうからあれなんですけど。

(渡辺志保)ああ、全然。教えてください。

(RIKO)M.I.A.さん。イギリスのM.I.A.さんをDef Jamのあのビルに最初に連れて行ったのは私なんだけど……

(渡辺志保)おおっ、すごい!(笑)。

(RIKO)M.I.A.は「違う!」って言い張るかもしれないけど(笑)。それで、たまたまその日、ジェイ・Zもいたんで、紹介しましたよ。

(渡辺志保)えっ、すっごい! もう、どういう経緯で「じゃあ(契約書に)サインしましょう」という風になるわけですか? そういう時に。

(RIKO)で、その時は会長・CEOがLA・リード(L.A. Reid)っていう、いまエピックに行った方ですけど。あの人にまずM.I.A.のデモを渡して。でもあの時、LA・リードは「僕には違う」って言われて。「じゃあ私、他のレーベルにご紹介していいですか?」って言ったら、「Do your thing.」って言われて。

(渡辺志保)ああ、「好きにしろ」って。

(RIKO)そうそうそう。「じゃあ、キャピタルに行きます」みたいな。まあでも、そういう言っているうちにパパパッと。他の人にもさ、ああいう人は声をかけているからさ。で、インタースコープかな? に、行っちゃったんですけど。そういうのもあるし。で、全く無名のボストンのシンガーのデモとかをジェイ社長に渡したことがあって。

(渡辺志保)ジェイ社長に!

(RIKO)ジェイ・Z社長に。で、それが2ヶ月ぐらいしてからたまたま廊下で会ったら、「あっ、そうだ。ずっと言ってなかったけど。あれは、聞いてみたけど、アルバム全部で聞くのはちょっと辛かった」とか、そういうコメントをくれるの。

(渡辺志保)フィードバックくれるんだ、ジェイ社長が! すごい!

(RIKO)そう(笑)。

(渡辺志保)『Can I Get A…』な(笑)。

(RIKO)そう。「僕にはちょっと違うかな」みたいな。

(渡辺志保)素晴らしい体験!

(RIKO)「そうなんだ、聞いてるんだ」みたいな。すごいなと思った。でも、そのぐらいしか関わりがないけど。

(渡辺志保)そうなんですね。まあ、でもすごいですよね。もう、逆に私にとってはヒップホップドリームっていう感じ。RIKOさんはそういう意味で。

(RIKO)(笑)。あの、2002年がたぶんアメリカの音楽業界のセールスがいちばん高かったから。そっからこう、iTunesとかもできて下降気味だけど。そのいちばんいい時に行ったんで、面白かったよね。

(渡辺志保)うん。そりゃそうですよね。いまはまたね、シーンの構造なんかも違うでしょうしね。

(RIKO)そうそうそう。いまはもう全然違う。

(渡辺志保)音楽の聞き方も違うし。なんかそれを言うとやっぱり当時のラジオっていうのはね、それはそれですっごく、いまとは比べ物にならない影響力を持っていたのかな? という風にも思いますし。

(RIKO)アメリカ? 日本?

(渡辺志保)あ、日本でも。だから……

(RIKO)いや、そんなことない。だってインターネットラジオとかなかったと思うし。

(渡辺志保)ねえ。だからヘッズは『Da Cypher』を聞くしかないみたいな感じにもちろんなりますよね。

(RIKO)でもさ、志保さんも広島で聞いてくれていたんでしょ? それがすごいなと思って。J-WAVEなのに。

(渡辺志保)だからね、J-WAVEが入らなかったんですよね。ずっと。で、広島ではJ-WAVEが聞けなくて。広島の他のFM曲がJ-WAVEの番組も夜中に流している時があったりして。

(RIKO)そうなんだ!

(渡辺志保)はい。私もちょっとうる覚えなんですけど。だから『SOULTRAIN』もずっと聞けなくて。で、『SOULTRAIN』もやっと、私が東京に出る最後の方に聞けるようになったような感じだったんですよ。でもRIKOさんは当時、MTVのVJとかもされていらっしゃったし。

(RIKO)そうね。『Da Cypher』の前は、そうでしたね。

(渡辺志保)そういったところでお姿を拝見することもあったし。雑誌で拝見することもあったし。当時、金髪のね、ショートカットで。

宇多丸さんとRIKOさん! #blockfm #inside_out

みやーんZZさん(@miyearnzzlabo)が投稿した写真 –

(RIKO)金髪だったんだよねー(笑)。この間さ、息子に見せちゃって。

(渡辺志保)(笑)

(RIKO)ママの金髪写真。なんか、ピンと来てなかった。

(渡辺志保)別人かと思っていたよ、みたいな(笑)。いやー、そうそう。だから私もいまだにRIKOさんイコール金髪のショートカットっていうイメージがあったから、ちょっと前にジェーン・スーさんのラジオで初めてお会いした時に、「金髪じゃないんですね」って言ったような気がします。もうRIKOさんと言えば……っていう感じだったから。

(RIKO)(笑)。そうなんだ。金髪、そうか。

(渡辺志保)すっごい強烈でした。本当に。で、そういうヒップホップをこういう
風に伝えるお仕事があるんだっていうのもその時に知ったし。「すっげー!」みたいな。

(RIKO)まあ、ないよ。基本的には。そういうお仕事は。

(渡辺志保)そういうお仕事は、ない(笑)。

『Da Cypher』を各ラジオ曲に売り込む

(RIKO)なかったんだけど、ないから、「仕事ないじゃん」って思って。デモテープを作って。『Da Cypher』っていう。で、売り込んだの。

(渡辺志保)どうやって作ったんですか? デモは。

(RIKO)あのね、前田さんっていうまたすごい敏腕なディレクターがいて。

(渡辺志保)ラジオ局の。

(RIKO)そうそうそう。あ、ラジオ局じゃないよ。制作会社のね。で、あれは2パック(2Pac)が亡くなった時かな?

(渡辺志保)96年ぐらいになるのかな?っていうことは。

(RIKO)かな? あのね、メキシコかなんかに夏休みに行っていて。その帰りに、ちょうどその頃に2パックさんが亡くなって、「おおっ」ってちょっとショックを受けて。なんかその帰りの便で……飛行機に乗ると、すごい考えるじゃん?

(渡辺志保)ああ、ちょっとセンチメンタルなね、気分とかにも勝手になっちゃったりするかも。

(RIKO)なんか、ハイになっちゃって。自分で勝手にこう、ブレストミーティングとか頭の中でしていて。で、なんか番組の構想みたいなのがダーッ!って浮かんじゃって。で、地上に着いてディレクターの前田さんに電話して。「デモを録りたい」とかって言って。

(渡辺志保)それは当時、ちなみにおいくつぐらいだったんですか?

(RIKO)26才。

(渡辺志保)ああ、そうなんだ。その時、RIKOさん他にお仕事されてらっしゃったんですか?

(RIKO)うーんとね、フリーになって。まあ大学を卒業してちょっと2年ぐらい、普通のちゃんと社会人としてね、会社っていうか、この裏手ぐらいのところにいたんですけど。まあ、そういう毎月毎月お給料をもらう仕事は辞めちゃって、MTVに出たりとかして。MTVもしょっちゅう取材とか行っていたんで忙しかったから。それで、ラジオはちょこっと、3ヶ月とか半年とかやったんだけど。やっぱり、自分で全く企画を立ててやるってことはやったことがなくて。

(渡辺志保)うん。

(RIKO)で、1時間番組とか30分番組でラップだけかかるっていう番組はなかったから。

(渡辺志保)ない。いまも、ない(笑)。

(RIKO)やっぱりそれがね、嫌だなと思って。100%ヒップホップだけ。で、選曲権は自分たちにある、みたいな。そういうのがすごいやりたくて。で、デモを作って。それで各ラジオ局に回って聞いていただいて。で、断られまくり……

(渡辺志保)そうだったんですか。

(RIKO)で、最後に「絶対にダメだろう」と思って行ったJ-WAVEで、たぶん水野さんっていう方だったと思うんだけど。「いいっすよ」って。結構年配の方だったの。

(渡辺志保)そうなんだ。

(RIKO)でも、「絶対にダメだろうな」と思ったんだけど。でも最後、J-WAVEしかないし。で、行ったら、なんと夜中の3時に。なんか深い時間に生放送って言われて。

(渡辺志保)そうなんだ! 最初、生放送どうでしたか? 1回目のこととか、覚えてらっしゃいます?

(RIKO)うーん。まあでもうれしかった。

(渡辺志保)そうですよね。だって自分で企画を売り込んで実現したっていう番組だから。

(RIKO)そうだね。そういう意味ではすごく自分の番組感があるよね。やっぱりあの当時、26才って若いから。で、女の人だから、アシスタントのお話はちょこちょこって来たんだけど。それはたぶん私には向かないなと思って。

(渡辺志保)たしかに、アシスタントしているRIKOさんって、ちょっと想像がつかないような(笑)。

(RIKO)そうそうそう(笑)。だから、そういうんじゃなくて、自分がホストみたいな。

(渡辺志保)紹介する側になってね。

(RIKO)そうそう。が、いいと思っちゃったんだよね。

(渡辺志保)うんうん。それはでもね、当然というか、自然な成り行きな感じがしますけどね。

(RIKO)生意気盛りだったから。

(渡辺志保)でも、1回目からDJ MUROさんと一緒に?

(RIKO)そうそうそう。で、MUROくんと当時、お家が近かったっていうのもあって。しょっちゅう遊びに押しかけていたの。私が。MUROくん家に。で、しょっちゅうマンハッタンレコードとかシスコとかから新譜が毎週毎週MUROくん宅に届けられるんだけど。まあ、届けられるっていうか、届けに来るヤナタケくんとかも、そこでみんなで聞いて、ああでもないこうでもないって言う感じだったの。

(渡辺志保)ああ、素晴らしい。

(RIKO)だからそれがすごい楽しかったから。その感じをそのままラジオでできたらいいなっていう。まあ、それだけなんだけどね。

(渡辺志保)いや、でもそれだけがっていうのがね。本当にすごい影響力を。

(RIKO)贅沢だよね。いまから考えたらね。

(渡辺志保)もう超贅沢ですよ、本当に。

(RIKO)そう。すごい贅沢だったなと思って。

(渡辺志保)でもすぐリスナーの方の反響って……最初の方はどうだったんですか?

(RIKO)当時、FAXね。だから、FAXがこういう風に、紙がさ、ズズズズズ……っと。「おおっ、来てる来てる!」みたいな。

(渡辺志保)「3時で起きている人、いるんだ!」みたいな?

(RIKO)そうだよね。それが面白かった。

(渡辺志保)いや、それは面白いですよね。でも、やっぱり回を重ねるごとに、そういったリスナーの方の反響もどんどんどんどん増していくわけですよね?

(RIKO)そうそうそう。うん。本当に、深い時間でもリスナーの方に助けられて。で、だんだん上がっていったんだよね。時間が。若い時間になっていって。

(渡辺志保)なるほど。ちなみにいまでも忘れられないエピソードとか、すごく思い出深かったこととか、ゲストの方とのお話とかって、ありますか?

思い出深いゲストとエピソード

(RIKO)うーんとね、メソッドマン(Method Man)とレッドマン(Redman)が来た時に、もうフリースタイルが止まらなくて。「もういいよ!」っていう。最初は「きゃー、すごい! 本物、生でやってる!」とか言って喜んでいたんだけど。「あ、君たち、もういいです。もう、下がってください」みたいな。

(渡辺志保)それもだって、生放送でしょ?(笑)。

(RIKO)そうそうそう。とかね。

(渡辺志保)すっごい世界。

(RIKO)なんかいっぱい来た……

(渡辺志保)いっぱい来たっていうイメージがすごい。あと、各著名人からのシャウト。すっごいドロップされていたし。

(RIKO)ちゃんと覚えていないんだけど。でも、キッド・カプリ(Kid Capri)とかも来たよね。きっと。あと、マークとかも来たよね?

(渡辺志保)あ、マーク・ロンソン(Mark Ronson)。

(RIKO)うん。マークはね、奴のハタチの誕生日パーティーに行ったぐらいだから。ニューヨークで。全然別件で友達の友達で、全然売れる前ね。は、知っていたの。売れちゃってからは全然もう会っていないですけど。だからね、MTVで初めてニューヨークロケをやるって言った時に、画になるっていうか、画にするために。番組構成上、ニューヨークのMTVのスタジオで『Yo! MTV Raps』みたいにさ、ああいう感じでDJがいるじゃない? そういう飾りDJとしてマークを使ったりとかしてて(笑)。

(渡辺志保)贅沢な!(笑)。

(RIKO)いまじゃ考えられないよね。

(渡辺志保)グラミー賞ですからね。

(RIKO)すっごいよね! マークは大出世だよね。

(渡辺志保)あれよあれよという間にね、ヒット曲ばっかり作っちゃって。

(RIKO)最後にニューヨークのよく行くイタリアン定食屋みたいなところで会ったのが、あれが2008年ぐらいかな?

(渡辺志保)あの、もうプロデューサーとしてCDは出していた後なんですね。その当時は。

(RIKO)そうだね。うんうん。でも、もうそのぐらいからさ、結構有名になりつつあっちゃったからさ。「おっ!」みたいな。「ハーイ」みたいな感じだけだったけど。

(渡辺志保)あらー、いやいや、素晴らしい。そうなんですね。ちなみに、RIKOさんがヒップホップミュージックに感化されたっていうか、ハマッたのって何がきっかけだったんですか? すごい興味があります。

(RIKO)ああー、それもね、すごい全て、あまりちゃんとした感じじゃないんだよね。人に影響されて。あの、全然知らなかったの。ラップとかヒップホップ、全然知らなくて。大学生になって……まあ、なんとなくは知っていたけど、全然聞いてなくて。で、大学のサークル。ほら、スーさんもいた……

(渡辺志保)あの伝説的な。

(RIKO)ライムちゃんたちもいた……

(渡辺志保)RHYMESTERさんたちもね(笑)。(早稲田大学ソウルミュージック研究会)GALAXYですかね。

早稲田大学GALAXYでRHYMESTERと同期

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(RIKO)そう。が、同期だったからさ。ライムちゃんたち。で、Dさんとか、宇多丸さんとか……

(渡辺志保)士郎さん。

(RIKO)そう、士郎くん(宇多丸)。なんか芸名で言うの、慣れてないので(笑)。いいの? こうやって本名で?

(渡辺志保)まあ、そうですね。私も士郎さん、たまに……まあ、いいんじゃないですか? まあ、一応宇多丸さんで。

(RIKO)宇多丸さんとかに出会っちゃって。で、当時パブリック・エナミー(Public Enemy)で。「おっ、すごいな!」みたいな。

(渡辺志保)そうだったんだ。

(RIKO)すごかった。もうそこから。だってね、士郎くんに「ティム・ドッグ(Tim Dog)とLL・クール・J(LL Cool J)の違いがわかんない」とかいう大学1年生。4月ね。で、「はあ!?」とか言われて。で、士郎くんはね、現役で大学に入っていて、私は一浪したんで。歳はほぼ一緒なんだけど、学年は1個違っていて。大学2年生である士郎くんに新入生歓迎……新入生勧誘みたいなのに呼んでいただき。で、その時に「わかんない。なんかみんな同じに聞こえる」とか、そんな感じだったんだけど。で、バカにしまくられ……わかるでしょ?(笑)。

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(渡辺志保)なるほど(笑)。いや、わかる……わかるのか?っていう感じです。でも、大学に入って一緒にヒップホップの話をする同期っていうのがもう、RHYMESTERの面々っていうところでもう……

(RIKO)豪華だよね。

(渡辺志保)豪華ですよ!

(RIKO)でも、その時はまだRHYMESTERじゃないから。

(渡辺志保)もちろんね、そうかもしれないけど。

(RIKO)まだ、ほら。グループ組んでなかったしさ。

(渡辺志保)そっか。そりゃもう、Intoしますよっていうね、気がしますけど。

(RIKO)そうそう。そういうね、周りに流され。「ああ、そうか」って。あの当時、あれが90年ぐらいかな? 89かな? ラップの話しかしないっていう人たち、いなかったから。他にね。

(渡辺志保)(笑)。そうかもね!

(RIKO)うん。まあ基本的にラップの話しかしていないっていう感じで。まあ、ラップ、R&B。だから、珍しいんだよね。

(渡辺志保)珍しいですよね。じゃあ、当時のGALAXYの活動内容ってどういう感じだったんですか?

(RIKO)それがすっごいショボいんだけど。『Brothers and Sisters』っていう、通称『ブラシス』っていうね、同人誌を作っていて。で、覚えているのはその同人誌に当時、ベイビーフェイス(Babyface)とLA・リードの2人のコンビのプロデューサーチームが、ボビー・ブラウン(Bobby Brown)とかすごいヒット曲をいっぱい出していて。彼らを表紙にしたりとかして。

(渡辺志保)そうなんだ!

(RIKO)だから後々、LA・リードが会長になったDef Jamで勤めていた私は、そんなのを見せに行ったりなんかして。

(渡辺志保)あっ、そうなんですね。『ブラシス』を?

(RIKO)『ブラシス』を、本物のLA・リードに。

(渡辺志保)ハンパない! でも、本当に広島の田舎でも「早稲田大学のGALAXYっていうのがすごいらしいぞ」っていうのはあって。で、私もGALAXYに入りたいがために、早稲田大学を3学部、受けたんですよ。でも全部落ちちゃって。

(RIKO)あ、本当?(笑)。全然、私も大学、早稲田じゃないから。関係ない。

(渡辺志保)インカレみたいなね。田舎者にとってはすっごいハードル高いわけですよ。そうですよ。大学に上京していって、他大学の、しかも田舎者の私がのこのこGALAXYの門を叩いていいものか?っていう。

(RIKO)全然入れる、入れる(笑)。

(渡辺志保)それで、しかも私、『ブラシス』も古本屋で買ったことがあって(笑)。

(RIKO)すごーい! 表紙、なんだった?

(渡辺志保)表紙がね、いま、なんだったかな?って思っているんですけど。

(RIKO)あのね、コアラのマーチを載せたのはね、Mummy-Dさんですからね。

(渡辺志保)えっ、そうなんですか?

(RIKO)しかも、昔だからさ、切り貼りで。ワープロ時代ね。

(渡辺志保)はいはい。コラージュみたいな?

(RIKO)そうそう(笑)。コアラのマーチを食べていて。原稿とかを書きながら。家に10何人も来て。それを切って。あの時、表紙誰だっけな? ベイビーフェイス……違うかな? テディー・ライリー(Teddy Riley)号かな?

(渡辺志保)でも、名だたる。GALAXY出身の音楽ライターの方もすっごくたくさんいらっしゃるから。私も高校生ぐらいから、将来そういう仕事がしてみたいなっていう。MTVでRIKOさんのお姿とかを見ながらこういう、人に曲を、ヒップホップを紹介する仕事をしたい、みたいな感じでGALAXYを目指し……

(RIKO)そうね。あそこは道場だったね。ある種ね。だって全然さ、レコード評とかを書いたことがないのに、書くわけじゃん? で、もうボコスカ言われ。宇多丸師匠とかに「なんだ、これは? つまらん!」みたいなことを言われ。

(渡辺志保)ヘコんじゃう、ヘコんじゃう。

(RIKO)まあ、もうちょっとやさしかったけど(笑)。だからもう本当、教えていただき。

(渡辺志保)いや、すごいです。もう想像がつかないっていう感じがしますけど。それが、RIKOさんとヒップホップの出会いっていう?

(RIKO)そうだね。で、社会人になって、社会人デビューっていう感じなんだけど。まあGALAXY時代はそうやって聞いていて。でも、なんか面白いなと思ったのは94年かな? だから歳の割には……! ええーっ!

(渡辺志保)(笑)。すいません、私、こっそり呼んでしまいました。

(RIKO)ええーっ! すごーい、感動!

(渡辺志保)いま、スタジオにドッキリ企画じゃないですけど。DJ HASEBEさんを実はお呼びしておりましてですね。

(RIKO)全然変わんないね!

ゲスト DJ HASEBE登場

(渡辺志保)すいません、あえて録っている時間に(笑)。

(RIKO)お元気?

(DJ HASEBE)元気ですよ。元気ですか? お久しぶりです(笑)。

(RIKO)RIKOです。

(DJ HASEBE)HASEBEです(笑)。

(RIKO)全然変わんないね!

(DJ HASEBE)本当? 家、近くなんだよね。

(RIKO)本物だー、すごーい(笑)。HASEBEさん、来ました!

(渡辺志保)すごーい! 『Da Cypher 2016』っていう感じが(笑)。

(DJ HASEBE)そうだね(笑)。ちょっと夜、誘われたんだけど。ちょっと行けないので。

(RIKO)ヒップホップ同窓会(笑)。

(DJ HASEBE)そう。変わんないね。全然ね。

(RIKO)あ、変わんない? そんなことないですよ。さっきね、ケオリ(DJ KAORI)から電話がかかってきて。今夜ヒップホップ同窓会に来てくれるっていうんで。

(DJ HASEBE)これ、おみやげです。CD。

(RIKO)ヒップホップ同窓会。二次会を流れで……ATOMて言ってた(笑)。

(DJ HASEBE)ATOM(笑)。

(RIKO)でも、Harlemとか行こうよ。

(DJ HASEBE)えっ、今日は何曜? 金曜か。もう曜日の感覚とかもね、全然ないんだよね。

(RIKO)なにしてんの? どういう大人ですか、それは?

(DJ HASEBE)制作をしてるんですけど(笑)。

(渡辺志保)売れっ子DJはもう、曜日の感覚ないです(笑)。

(DJ HASEBE)売れてないですけどね。作ってますよ、もう。

(RIKO)すごいね。すいません、ごめんね。みなさんのご活躍をちゃんと追えてなくて。

(DJ HASEBE)いえいえいえ。UKっすか、いま。イギリス?

(RIKO)ロンドン。遊びに来て。

(DJ HASEBE)あ、行きたいけどね。

(RIKO)そう。流れに流れて。まだロンドンになんで流れたかも、そこまでも行けてないんだけどさ。

(渡辺志保)そうなんです。いま、GALAXYのところで。

(DJ HASEBE)進めてください。そっちの方を(笑)。

DJ HASEBEの『Da Cypher』の思い出

(渡辺志保)でも、ちなみにHASEBEさんはその『Da Cypher』の思い出みたいなの、あります? 『Da Cypher』と俺、みたいな(笑)。

(DJ HASEBE)思い出? もうすっごい昔っすからね。

(RIKO)そうだよね。覚えてないよね。

(DJ HASEBE)なんか酔っ払ってやっていて、実は怒られてたんじゃないかな?っていう(笑)。

(RIKO)私でしょ?

(DJ HASEBE)いや、俺、俺。酔っ払ってたでしょ?

(RIKO)うん(笑)。

(DJ HASEBE)シャンパンを持っていったりしてたから。

(RIKO)そうそうそう。酔っ払ってやってたんだよね。

(渡辺志保)すっごいですね(笑)。

(DJ HASEBE)実は局的にマズかったんじゃないかな?っていうのは、まあ、ねえ。

(渡辺志保)たしかに。block.fmならね、いいけど、天下のJ-WAVEさんにシャンパンを持って……

(DJ HASEBE)まあ、マズいっすよね。普通に酔っ払って。もう行った時点で酔っ払っていたから。

(RIKO)そうそう。(時間が)深いとね。

(渡辺志保)しょうがないですよね。

(DJ HASEBE)まあ、テンション的にもね。

(RIKO)酔っ払っていたねー。

(DJ HASEBE)だからまあ、ああいういい番組がね、できたんじゃないかなと(笑)。そんな思い出です。

(渡辺志保)ありがとうございます。でも、そうやってゲストDJの方のかけた曲なんかをリスナーの方がすっごい熱心に、たとえばメモを取ったりしてたりとか。あと、レコード屋に「『Da Cypher』でかかった曲」みたいなトラックリストが貼りだされてたりとか。

(DJ HASEBE)ねえ。いまみたいにネットとかで調べられないからね。

(RIKO)そうなんだよ。ネットが全くなかったからさ。

(DJ HASEBE)それもすごいよね(笑)。

(RIKO)FAXだからね。リスナーの人のリアクションがさ。

(渡辺志保)だからHASEBEさんも、いまもこうやってラジオのお仕事とかもされていると思うんですけども。『Da Cypher』の時のリスナーの方とかお客さんとの距離の感じ方なんか、いまと違いますか?

(DJ HASEBE)あれ、生だったよね?

(RIKO)ずーっと生。うん。

(DJ HASEBE)あれはすごいレスポンス、すぐあったし。

(渡辺志保)すごいですね。みんな、だからFAXをその場でバババッと書いて送っているっていう?

(RIKO)そうそうそう。

(DJ HASEBE)あと、なんか熱が伝わってくるっていうかね。

(RIKO)そうだね。思いがね、熱い感じがね。うん。

(DJ HASEBE)そこがいいんじゃないですかね。情報源。みんな、努力してっていうか、ラジオだからいまのネットよりはちょっとがんばって聞かないとな……みたいなのはあるんじゃないですか。時間はその時間しかやってないし。

(RIKO)3時だったよね。最初。

(DJ HASEBE)そんな深かったっけ?

(渡辺志保)最初がたぶん3時で、そこから1時に繰り上がったのかな?

(RIKO)上がったんだよね。

(DJ HASEBE)あ、人気が出て?

(RIKO)うん。人気が出ても1時だもんね(笑)。

(DJ HASEBE)どっちみち深夜(笑)。

(渡辺志保)でも、毎週土曜日の深夜1時ってことですよね?

(RIKO)そうそう。だからさ、そうよね。

(渡辺志保)その後、『Da Cypher』の生放送が終わりました。じゃあ、Harlem行こう!みたいな感じになっていたりも?

(DJ HASEBE)いや、そんなのしてた?

(RIKO)したかな? たまーにね。

(DJ HASEBE)あれ、レギュラーがMUROくんだったでしょ?

(RIKO)そうそうそう。

(DJ HASEBE)で、なんかあと、僕とか、たまに行ってやったりとかで。でもDJとかはその後に営業とかが入っていたりすると、ピッて行ったりとか。で、ちょっと調子がいい時とかは出ていた。RIKOとかは。

(RIKO)かな?(笑)。

(DJ HASEBE)もう記憶ないんだよね、もう。

(渡辺志保)おぼろげみたいな(笑)。

(RIKO)結構『Da Cypher』が終わった後にも、朝5時までやっている井の頭線高架下の焼き鳥屋とか。そういうのは覚えてる。

(DJ HASEBE)そうだね。メシ食って帰る、みたいな感じ。飲んで。

(渡辺志保)まあまあ、そうですよね。

(RIKO)デニーズで飲むとか。

(DJ HASEBE)ああ、そうね。

(渡辺志保)いろいろじゃあ、懐かしいエピソードが。

(RIKO)そんなに番組が終わった後は、そんな遊んだっけな?

(DJ HASEBE)うん。サクッとたぶん帰っていたと思うよ。

(渡辺志保)そういうもんですね。

(RIKO)私、やっぱりいま言われて思ったけど。3時とか1時とか。やっぱり、あれで婚期をかなり逃していたって。

(渡辺志保)(笑)。それ、週末のやっぱりその時間はJ-WAVEにいなきゃいけないっていう。

(RIKO)うん。それはやっぱり……

(DJ HASEBE)あれ? 最終的に結婚されたんですよね?

(RIKO)既婚者、既婚者(笑)。子供、いるから。

(DJ HASEBE)ああ、そうなんすね。もう全然わかんなくて。そういう(笑)。

(RIKO)息子2人いますからね。HASEBEさんは?

(DJ HASEBE)うち、娘です。

(RIKO)ええー、何才?

(DJ HASEBE)7才。

(RIKO)じゃあ、小学生?

(DJ HASEBE)そう。2年生です。

(渡辺志保)すごーい!

(RIKO)うちはね、来月6才だから。じゃあ、会わせよう。

(DJ HASEBE)うん。

(渡辺志保)会わせましょう(笑)。いいですね。

(DJ HASEBE)一緒に帰ってきてるんですか?

(RIKO)違うの。これ、ママ1人帰国。

(DJ HASEBE)あ、そうなのね。どんぐらいいるの?

(RIKO)だいたい1週間ぐらいなんだけど。ここ2年ぐらい、義理母、義理姉がロンドンに遊びに来るんで。その時を見計らって、嫁逃げる、みたいな。

(渡辺志保)嫁逃げる(笑)。

(DJ HASEBE)そんなこと言っていいの?(笑)。

(RIKO)息子2人をおばあちゃんとおばさんに押しつけて、嫁は逃げる。嫁はちょっとリフレッシュ休暇、みたいな。

(渡辺志保)リフレッシュ休暇、大事ですよね。

(DJ HASEBE)大事よね。大事ですね。

(RIKO)大事、大事。そうなの。だから、子なしです。

(DJ HASEBE)「子なしです」(笑)。フリーダムな時間なんですね。

(渡辺志保)本当、さっきもちょっと話したけど、「いまRIKOさん、何やってんの?」って思っている当時のヘビーリスナーの方とかRIKOファンはですね、もうゴマンといると思いますけども。

RIKOの近況

(RIKO)育児してます(笑)。3才と5才……まあ、もうすぐ6才だけど。そうそう。

(DJ HASEBE)もう驚異的は肌の感じとかだよね。若い。

(RIKO)若くないよー!

(渡辺志保)声も変わらない。

(RIKO)いやいや、声は全然出ない。

(DJ HASEBE)だって結構、相当な僕の上じゃないですか。10個ぐらい……

(RIKO)えっ、ひどいな!(笑)。

(渡辺志保)同い年でしょ! みたいな(笑)。

(DJ HASEBE)同い年ではないですよ(笑)。

(渡辺志保)っていうか、下じゃん? みたいな(笑)。

(RIKO)そんなことないよ(笑)。あ、覚えている。私ね、『Da Cypher』をやっている時に夏の暑い日で。すごい変なことだよ。全然ヒップホップ的なことじゃないんだけど。DJ WATARAIさん、ワタさんに「若いっすね」って言われて。「えっ、なに?」って言ったら、「半ズボンっすか?」って言われて。

(渡辺志保)(笑)

(DJ HASEBE)そこ?(笑)。

(RIKO)で、まあたぶん30か31ぐらいだったのかもしれないけど。「30すぎて半ズボンって若いっすね」って言われて。「ええっ?」っつって。「ああ、そうか。履いちゃいけないのかな」ってちょっと思ったんだよね。その時に。

(DJ HASEBE)そんなことはないですけどね。うん。

(渡辺志保)ワタライさんに突っ込まれ。

(RIKO)そう。ワタくんに指摘されて。そういうことを覚えている(笑)。そんな変なことを覚えていて(笑)。

(渡辺志保)ヤバいな(笑)。でも、私もすっごい印象に残っているのは、『Da Cypher』の最終回を初めて公開生放送されていたっていうのが……

(RIKO)あれ、生放送だよね。

(DJ HASEBE)覚えている。どっかでやったよね。

(RIKO)渋谷のスクランブル交差点のビル。

(渡辺志保)いまTSUTAYAの入っているビルですよね?

(RIKO)うん。たぶんそう。

(DJ HASEBE)えっ、渋谷のあのビル?

(RIKO)あそこだと思う。

(DJ HASEBE)全然、「やったな」っていう記憶(笑)。お客さんを呼んでね。

『Da Cypher』最終回放送

(RIKO)お客さん、来てくれたんだよね。

(渡辺志保)覚えてますか?

(RIKO)私ね、もう感極まっちゃって。もう、寂しかった。

(DJ HASEBE)そう。やったわ。最後の『Da Cypher』。

(渡辺志保)だってもう5年間の締めくくりをああやってリスナーの顔を見ながらっていうのもかなり、本当に感極まっちゃいますよね。

(RIKO)なんかやさしかった。楽屋で、終わった後。私、たぶん泣いていたと思うんだけど。

(DJ HASEBE)僕、結構いつもやさしいんですよ。

(RIKO)やさしかったなって。あの時、DJ HASEBEって思った。

(DJ HASEBE)やさしくなかったらすごいよね(笑)。

(渡辺志保)意地悪みたいなね(笑)。毒、みたいなね。

(RIKO)そうそう。やさしい方なんですよ。

(渡辺志保)でもあの、最終回終わって、じゃあ結構みんなでワッ!っていう、熱い瞬間はあったんですか?

(RIKO)無いけど……いや、「お疲れ様」みたいなのはあったけど。まあ、そんなもんですよ(笑)。

(渡辺志保)そんなもんでしたか(笑)。

(DJ HASEBE)まあまあ、でも飲みに行ったんじゃないの?

(渡辺志保)ああ、なるほど。そりゃ行くわなっていうね。その後、でもまたRIKOさんにそういう類の話が来たりもしたんじゃないですか?

(RIKO)ああ、ラジオ番組? うん。いやいや、『Da Cypher』みたいなのはもちろんないけど、ちょっとAIちゃんと番組をやったような気が。J-WAVEで週一でやったような気がする。『GIRL’S TALK』っていう。

(DJ HASEBE)『Da Cypher』をやっていた時、もうDef Jamだったんだっけ?

(RIKO)そうなの。だからさっきちょっと言ったんだけど、『Da Cypher』をああやって5年目に唐突にやめた理由をこの機会を使って述べさせていただくと、もうDef Jamがあまりにも忙しくなっちゃって。身が持たなかった。でも、終えるべきじゃなかったね。いまから考えたらね。別に私じゃなくてさ、こういう……志保ちゃんはまだその時、学生だったからあれだけど。この間ぐらいの年齢の人にバトンタッチをすればよかったんだよね。

(DJ HASEBE)いや、でもああいうのはね、いい時にいちばんやめておくのがいいんですよ。スパッと。

(渡辺志保)それは言えてる。

(DJ HASEBE)だからみんなね、いつまでも思い出にね。

(渡辺志保)なりますからね。まあ、それでDef Jamのお仕事でニューヨークに渡ったRIKOさんがいまUKにいらっしゃるっていう。

(RIKO)そうね、うん。アメリカでUtadaというアーティストのアルバムを2枚作って、一応区切りっていうか。うん。

(渡辺志保)なるほど。どうですか、ロンドンは。

(RIKO)ロンドン? ロンドン、全然住むつもりなかったのにさ。あの、遠距離結婚をしたんだよね。ロンドンの人と。で、自分はニューヨークに住んでいて、旦那はロンドンに住んでいて。行ったり来たりしてたんだけど。いざ、「妊娠したよ」っつって。で、UtadaのUSツアーとか行ってさ。だから身重でUSツアー(笑)。こんなんなりながらさ。お腹おっきいまんま、2日に1度飛行機に乗って。ハワイから始まり、ハワイ、LA、シアトル、ベガス……

(渡辺志保)まわりますね!

(RIKO)まわったね。シカゴ、ボストン……で、ニューヨーク。で、「もう妊婦には辛い」っつって。で、辞めて、ニューヨークで産もうと思ったんだけど、イギリスはタダなんだよね。

(渡辺志保)あ、そうなんですか? 出産にかかる費用が?

(DJ HASEBE)そうなの?

(RIKO)そう。国民皆保険で。で、「イギリスはタダだ」と思って。

(渡辺志保)マジ? その理由?(笑)。

(RIKO)まあ、どっちかにしなきゃいけないってなった時に、私はちょっともう無理なんで、イギリスに移住して、ここで産んで育てるっていう。

(渡辺志保)へー!

(RIKO)でも、いずれニューヨークに帰ってこようと思って。だからニューヨークに全部、家具とかは倉庫に入れていたんだよね。で、産んで、半年ぐらいして、6ヶ月目の子と旦那と一緒にニューヨークに戻って、家具とかを全部出して引き上げちゃったんだけど。「何を考えていたんだろう?」と思って。

(渡辺志保)ええーっ?

(RIKO)やっぱり、赤ちゃんと一緒にマンハッタンに行ったら、「ここでは育てられない」って思っちゃったんだよね。

(渡辺志保)ああ、そうか。ママにはタフですか、やはり?

(RIKO)うん。いままで全然気にならなかった街の喧騒とか、高層ビルとかがちょっともう、落ち着かないとか思って。で、ロンドンはもっとすごい落ち着いたところだから。うん。「ここにはもう住めない」って思って。で、イギリスにしちゃったんだよね。

(渡辺志保)へー! じゃあいまはイギリス、ロンドン在住ということですね。

(RIKO)そう。

(渡辺志保)いま、ちなみに音楽、特にヒップホップとかに触れる時間、あります?

最近のヒップホップについて

(RIKO)ない! なぜないかと言うと……あ、ラジオはあるよ。ラジオはあるんだけど。だからケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)とかも聞きたいんだけど、もうあまりにもカース(・ワード)が多くて。

(渡辺志保)でもそのカース・ワード。いわゆる放送禁止用語みたいなものって、ママになるとやっぱり気になっちゃう?

(RIKO)気になる。で、普段英語圏で生活をしているから気になるし、アンド、母親になっちゃったから、「うっ、痛い、痛い……」みたいな。

(渡辺志保)刺さる、みたいな。なるほどね。

(RIKO)「F***」とか「N*****」とかね。いろんなワードがありますからね。それがもうちょっと、「おう、おう……」って感じになっちゃって。1人きりの時は聞くんだけど。(車のCDチェンジャーの)CD5にはフランスのナーサリー・ライムと、英語のハンプティー・ダンプティーとか、そういうの……

(渡辺志保)マザーグース的な。

(RIKO)そういうイギリスの童謡。アンド、日本の童謡も入っているわけ。みんなが知っているような。で、それが終わっちゃうと、CD6にはケンドリックが入っていて。で、フッと知らない間に運転してると、さっきまで「ハンプティー・ダンプティー♪」とか聞いていたのが、急に「N*****」になっちゃってさ。「きゃー、きゃー!」と思って。ママが必死に止める(笑)。

(渡辺志保)ママが(笑)。そうなんですね。

(RIKO)「聞けない、聞けない!」って。で、そういうカースがなくて、ファミリーで……来るまで子供を乗せている時が多いから。で、ファミリーで聞けるっていうのは、フランク・オーシャン(Frank Ocean)なのよ。

(渡辺志保)そうなんだ!

(RIKO)だからうち、いまフランク・オーシャン流行ってます(笑)。

(渡辺志保)いま、フランク・オーシャンが。そろそろ次のアルバムが出るかもしれないっていう風にね、言われてますが。

(RIKO)もう本当に出てほしいんだけど。もう、3才児も歌えます。

(渡辺志保)あ、素晴らしいですね。

(RIKO)「3才児、ここ歌うんだ!」みたいな。

(渡辺志保)ああ、素敵。やっぱりあるんじゃないですか? そういう要素が。

(RIKO)いや、それはないと思うけど。

(渡辺志保)HASEBEさん、ちなみに娘さんの前でそういうイケイケバリバリなヒップホップとかはお聞きになるんですか?

(DJ HASEBE)ああ、音楽あんまりかけないな。リビングで。

(RIKO)そうだよね。うん。リビングでかけないよね。

(DJ HASEBE)かけないっすね。ボーッとなんかテレビ見てる。家でね、あんまり音楽を聞かないです。僕。自分の制作部屋以外は。だから、勝手に聞きたいものを聞いていたりとか。だから『妖怪ウォッチ』のエンディングテーマとか、そんなのを聞いてますね。

(渡辺志保)ヘビロテ。なるほど。そうなりますよね。

(RIKO)そうなっちゃうよ。あと、ほら、スタジオとかでいいステレオで聞いててさ。あと、仕事だったっていうのもあるけど、ちゃんと聞かなきゃいけないじゃん。で、曲がかかっているのに、しゃべらないでほしいじゃん。

(渡辺志保)ああー、そうね!

(DJ HASEBE)なんか仕事の耳で聞いちゃうから。

(渡辺志保)制作モードになっちゃう、みたいなね。

(RIKO)あの、BGMってできないんだよね。

(DJ HASEBE)そうそう。聞き入っちゃうよね。うん。わかるわかる。適当に聞きたくない、みたいなね。

(RIKO)そうそうそう。でもね、ドライブでもし1人だったら聞くけど……

(DJ HASEBE)車の中は結構ね、聞ける。

(RIKO)だから去年か。ドレイク(Drake)の……

(渡辺志保)『Hotline Bling』?

(RIKO)そうそう。あれはね、すごいなと思った。初見で、「あっ、すごいポップ!」って思った。

(渡辺志保)そうなんですね。

(RIKO)子供がすごかった。すぐに真似てた。

(渡辺志保)ええっ? あのビデオを? じゃなくて?

(RIKO)ラジオでかかるじゃない? 子供がすぐに口ずさめていた。

(渡辺志保)そりゃあポップな証拠ですよね。子供でも歌えるっていうのはね。

(RIKO)そう。だからそれは……私の中でさ、古い人だからさ、歌う感じのラッパー。っていうか、歌手がラップするとか、ラッパーが歌うとかっていうのは、ちょっとナシだったんだよね。古い人だから。

(渡辺志保)まあたしかに。レッドマンとメソッドマンが歌わないですもんね。

(RIKO)なんかさ、お互い邪道な感じがしたじゃん。

(DJ HASEBE)その当時はね。

(RIKO)だから私の中でドレイクはこう、昔の人なので。評価が定まらなかったっていうか。そんなにどうかな?って思っていたんだけど。だから遅いです。ドレイクはすげーんだっていうのが最近わかった(笑)。

(渡辺志保)いやいや、遅いことはないですけど。やっぱり実体験をもって実感するとなると、またちょっとね、評価が違いますよね。

(RIKO)だからいまのラッパーの人はさ、すごい歌も上手いんだね。

(渡辺志保)そういうことになるのかな。メロディーセンスがあるのかな?

(DJ HASEBE)そうだね。そこらへんも理解しているんだろうね。音楽的な部分って。だいたいまあ、入れるもんね。フロウの中でね。

(渡辺志保)そうですね。フックが全部歌だったりとか。フューチャー(Future)とかもね。

(DJ HASEBE)まあ、歌までいかなくてもメロディーがなんとなくあったりとかね。それがきっちりコードにね、キー的には合っていたりとかするから。

(渡辺志保)ねえ。センスなのか、戦略なのか。

(DJ HASEBE)昔のヒップホップはさ、全然キーとか合ってなかったからね(笑)。

(RIKO)で、逆に合っちゃうとかっこ悪いっていうところが。

(渡辺志保)そうかそうか。ハマッちゃうとね。

(DJ HASEBE)そう。かっこ悪い。わざと外しているのかもしれないけどね。

(RIKO)そう。だからカニエ(Kanye West)とかがちょっと節を回しても、合ってはいないじゃん? そう。だったんだけど、もう違うんだよね(笑)。

(渡辺志保)そうね。いま、どんどんどんどんフロウ……たぶんみんなね、リリックのライミングとかもやり尽くしていると思うんですよね。だからもうどんどんいまはフロウを変える時代なのかなって思ったりしますけどね。

(RIKO)あと、子供はね、イギリス人っていうかハーフなんだけど。英語が母国語で育てているじゃない? まあ、お母さんは一生懸命日本語で話すんだけどさ。で、面白いなと思うのは、「あ、いまのはライミングしてたよね、ママ」とか言うの。

(渡辺志保)わお、すごい!

英語圏の人々とライミング

(RIKO)で、それは別にラップのライミングとかじゃなくて、本当に英語の節として。そういうのをね、結構3、4才の時から言っていたから。なんか、英語圏の人っていうのはそういう習慣があるんだろうね。

(渡辺志保)そうかもしれないですね。そのライムとか韻を踏むことに関して、日本よりいい意味でハードルが低いっていうか。日常の中にね、あるのかな。

(RIKO)だって日本人はさ、そんな韻を踏むっていうことに意識的には生活してないじゃん。

(渡辺志保)たしかに、たしかに。まあ、そこで養われるものもきっと違うのかなって思ってしまいますけど。

(RIKO)だからいまから、「あっ、いいね! そこはライムだね!」って言って。奨励してるの。

(渡辺志保)お子さんがじゃあ、「おいら、ラッパーになりたい」って言ったらどうします?

(RIKO)それは困るね!

(渡辺・HASEBE)(笑)

(RIKO)それはお母さん的に困る。

(渡辺志保)でも結構、アメリカのラッパーだとお母さん思いの子が多いから。グラミー賞のカーペットにお母さんを招くとかね、そういうストーリーもあったりしますけど。

(RIKO)ああー。どうだろう? 「ベーン、ベーン♪」っておもちゃのギターとかを弾いて喜んでいるからね。

(渡辺志保)うんうん。ラップ(笑)。

(RIKO)でも、ああいう世界にはね……(笑)。

(渡辺志保)うん。お母さん、裏の世界、全部知ってるからね(笑)。裏方の立場もご存知だから、なかなか。まあ、そういった将来も楽しみということで(笑)。どうですか? HASEBEさんももし、娘さんが「彼氏!」っつってジャラジャラ……みたいな?

(DJ HASEBE)ジャラジャラ(笑)。

(RIKO)娘さんの彼氏じゃなくて、もう娘が、でしょ? 娘さんが「私、ラッパー」みたいな。

(DJ HASEBE)ああ、いいんじゃないですか?

(RIKO)本当? OK?

(DJ HASEBE)うん。僕は結構放任主義っつーか。なんでも「別に……」みたいな。

(渡辺志保)じゃあ、パパとママの立場で違うのかもしれないけど。

(DJ HASEBE)ああ、でも母親はやっぱり違うよね。ずーっとやっぱり子供と一緒にいるから……

(RIKO)ああ、私ね、全然です。育児、かなり任せています。旦那に。

(DJ HASEBE)それは旦那が協力的な感じっていう?

(RIKO)そうそう。弁当も作らせているし。いま。

(渡辺志保)素晴らしい!

(RIKO)うんうん。すごい子煩悩な旦那。でなきゃ無理だよ、私には。

(渡辺・HASEBE)(笑)

(RIKO)向いてないなって思うもん。やりながら。

(渡辺志保)(笑)。でももう、ママ歴6、7年っていうことですよね?

(RIKO)ああ、6年。そう。向いてないなって。うんうん。洗濯物とかもね、たたまないんだけど。長男は、たたんでる。自分で。そういう、できないお母さんだとね。

(渡辺志保)素晴らしい。やさしいボクちゃんに育つっていうような感じがしますけど(笑)。これ、どうやってまとめていいかわからなくなってきました(笑)。

(RIKO・HASEBE)(笑)

(RIKO)PTAの、父兄のお話になっちゃうもんね。ごめんごめん(笑)。

(渡辺志保)いやいや、というわけで結構お話ね、RIKOさんとしているので。尺は結構……これはヤナタケディレクターが上手い具合に編集してくださると思いますよ。

(DJ HASEBE)この間、タケちゃんが地上波に出てたぐらいに短くなっちゃうかもよ。

(RIKO)なに? ヤナタケ地上波デビュー? きゃー!

(渡辺志保)昨日の話じゃないですか、それ。もしかして。

(DJ HASEBE)昨日、昨日。

(RIKO)どうしたの?

(DJ HASEBE)とんねるずさんの番組。

(渡辺志保)はい。フジテレビさんですね。

(RIKO)で、ヤナタケは何を語ったんですか?

(渡辺志保)ちょっとDJ役でヤナタケさんが。

(DJ HASEBE)お笑いの方がフリースタイルをやる、みたいな。それで、「じゃあDJ、曲よろしく!」みたいな時にタケシがズキュズキュ……みたいな。

(渡辺志保)で、3秒ぐらいでカットされちゃっていたっていう(笑)。

(RIKO)さ、3秒!?

(渡辺志保)でも、ヤナタケさんのね、すごいいいカットは電波に乗ったっていう。

(DJ HASEBE)そう。結構あれね、ばっちり映っていたけどね。

(RIKO)すごいね。

via @yuto_com_tm #一網打尽

yanatakeさん(@yanatake)が投稿した動画 –

(渡辺志保)ア・トライブ・コールド・クエスト(A Tribe Called Quest)オマージュのね、キャップをかぶってらっしゃって。ファイフ(Phife Dawg)がね。

(RIKO)ああー、ねえ! 私さ、Vibeの記事でさ、アポロ(・シアター)で追悼コンサートみたいなのをやったっていう記事を読んで熱くなっちゃったんだけど。

(渡辺志保)ちなみに、ATCQにまつわるRIKOさんのいい話とか、ありますか?

(RIKO)いや、それを考えたんだけど。ファイフはインタビューしてないね。

(渡辺志保)ああ、そうなんだ。じゃあ、アリ(Ali Shaheed Muhammad)とQティップ(Q-Tip)?

(RIKO)うん。アリにも会っているし……私ね、トライブとしてインタビューしたっけ?って思って。Qティップとしては何回かインタビューしてるの。だけど、ファイフさんにはインタビューしてない気がする。

(渡辺志保)そうなんだ。

(RIKO)お会いしたことはありますけど。

(渡辺志保)でももう、あのメンツが揃うことはないんだなって思うとね。

(RIKO)ねえ。うん。いや、面白いなと思うのは、カニエが泣きながら……とか。あと、アンドレ(Andre 3000)さん。アウトキャスト(Outkast)の、とかさ。「トライブがなかったら、いまの俺たちはない」っていう風に。ああ、彼らにとってもアイドル。ものすごい伝説のグループだったんだなって。そういうのを再確認。私が、だから初めてニューミュージック・セミナーって。そういうのに行った時に、初めてだったんだよね。そういう業界のセミナーっていうのに行った時に、パネルディスカッションみたいなのがあって。そういうフォーマット自体も日本にはなかったから。

(渡辺志保)うんうん。

(RIKO)そういうところにアーティストが来ているっていうこと自体、「おっ、おう!」っていう感じだったんだけど。その時に、観客の1人としてQティップがいたのね。

(渡辺志保)あ、そうなんだ。その時はまだデビューする前?

(RIKO)いや、デビューしてる。してる。

(渡辺志保)してるけど、観客として?

(RIKO)そうそうそう。で、ほら、「ハンガーみたいな肩」って思っているんだけど。アメフトのさ、肩パッド。自前? みたいな。肩がすごいんだよね。

(DJ HASEBE)意味不明な肩幅してるもんね。

(RIKO)そうそう。あれ。「うわっ、Qティップだ!」って思って。私、その時はじめてQティップを。それがだから19才? ハタチぐらいなのかな? 見て。ちょっとミーハー心に感動しました。

(渡辺志保)生Qティップは……

(RIKO)うん。まあその後ね、もちろん仕事をするようになってからは何回かお会いしましたけど。

(渡辺志保)そうかー。そのヒップホップ伝説話みたいなのが、私からしたらヨダレ出まくり、みたいな。

(DJ HASEBE)もうてんこ盛りでしょう。

(渡辺志保)てんこ盛りですよ。もう、尽きることがないという感じなんですけど。

(RIKO)なんだっけ? いまさ、パーソナルトレーナーの人にさ、ロンドンでトレーニングしている時に、30才になったばっかりの女の人なんだけど。コンプトンの映画があるじゃない?

(渡辺志保)『ストレイト・アウタ・コンプトン』。

(RIKO)そうそうそう。で、「それ、見たことある?」とか言われて。「ああ、私ね、イージー・E(Eazy-E)と撮った写真、あるよ」って(笑)。

(渡辺志保)(笑)。もうトレーナーの人もびっくりですよね!

(RIKO)それ、ちょっと自慢じゃない? イージー・Eと2ショット写真を。

(渡辺志保)そうですよ。だって、もちろん彼のご存命中にお写真を撮ったってことですからね。

(RIKO)うん。あれはね、ちょっと自慢したい。

(渡辺志保)どういう反応だったんですか? トレーナーの女の方は。

(RIKO)うん。「それを私、妹に言ったら、『She must be the coolest person I know.』って言われた」とかって(笑)。

(渡辺志保)自分が知る中でいちばんイケてる人物だと。イージー・Eと写真を撮って(笑)。

(RIKO)ほら、遠い日本の女子だから。

(渡辺志保)そうですよね。コンプトン出身のお姉ちゃんじゃなくて、わざわざ東京からっていう。そこが「Coolest」なところですよね。

(RIKO)そうそう。まあ、Coolestかどうかはわからないけど、ちょっとそれはね、自慢した。

(渡辺志保)素晴らしいですね。いやいや。もう本当にね、ずっと聞いてられるというようなお話なんですけど。もうそろそろ締めなきゃいけないので。

(RIKO)いえいえ。呼んでいただきまして。

(渡辺志保)とんでもございません。私としても、光栄しきりで。

(DJ HASEBE)どんぐらいやってたの、これ?

(渡辺志保)これ、もう50分ぐらい、いまこの調子で話して(笑)。もう途中、DJ HASEBEさんまでゲスト出演してくださって。

(RIKO)すいません。こんな豪華な飛び入りゲストを迎えて。ありがとうございました。

(渡辺志保)またRIKOさん、ご帰国の際はぜひ、お立ち寄りください。

(RIKO)ええっ、こんな話でいいの? あのね、私がやってほしい企画は、もう昔の人だから。いまの旬を教えてほしい。

(渡辺志保)ああー。なるほど、なるほど。

(DJ HASEBE)っていうか、『Da Cypher』をやればいいじゃん。

(渡辺志保)えっ、どういうこと?

(RIKO)ああ、そうだね。『Da Cypher』をやろう! ここで。

(渡辺志保)えっ、いいの? やらせてください!

(RIKO)今度、HASEBEさんさ、持ってきてもらって。HASEBEさんにかけてもらって。で、その時にいる方々にね。

(渡辺志保)そうしましょう。じゃあ、今度から。

(DJ HASEBE)みんな来るよ。みんな。

(渡辺志保)絶対来ますよ! だから、RIKOさんご帰国の時は、じゃあみなさん、次回は10何年ぶりの『Hip Hop Journey Da Cypher』をお送りするということをお約束して。

(RIKO)それしよう! それしよう!(笑)。

(渡辺志保)じゃあ今日はお別れされていただきたく思います。じゃあ今日、ゲストにお迎えしたのはRIKOさんとDJ HASEBEさん。

(DJ HASEBE)いや、僕は近所のおじさん、みたいな(笑)。

(RIKO)(笑)

(渡辺志保)というわけで、ありがとうございました!

(RIKO)ありがとうございました。

(DJ HASEBE)どうもー。

<書き起こしおわり>

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