高田文夫 見習い時代の志村けんを語る

高田文夫 見習い時代の志村けんを語る ラジオビバリー昼ズ

高田文夫さんが2020年4月6日放送のニッポン放送『ラジオビバリー昼ズ』の中で見習い時代の志村けんさんについて話していました。

(高田文夫)俺、またちょっといろいろと頼まれているからさ。書かなきゃいけないんでさ。またいろいろと思い出したりしているんだけどさ。だから志村けんのことを。それでBSで『ドリフの大爆笑』をやってるのね。フジテレビのやつだから。だから結構追悼のやつもやっていてさ。見ていてさ。でもいろんな皆さん、思い出したりなんかして。嬉しいことなんだろうけど。あれだよな。みんな、やっぱりここ20年、30年の志村さんじゃない? 俺なんか50年前だからね(笑)。

(松本明子)そうですよね。

(高田文夫)本当に……だから俺が大学を出て、ドリフの稽古場に預けられて行くようになったのが1971年だから。だから俺が21歳で志村けんが20歳。ハタチだからね。志村さんは68年にはもうボーヤになっているんだよ。高校3年であの人はドリフのボーヤに。いかりやさんのところに行って断られ、断られてやっと入っているんだよ。それでずっとボーヤの修行をしていたんだよ。それで俺が行った時には若手の主みたいになっていたんだよ。そこで、だから表には若手が志村けんとかすわ親治とか。「アチョーッ!」ってブルース・リーをやって。一瞬、あの人が第二の荒井注かと思ったろ? 全員、ちびっこは。

(松本明子)そうです! ニューメンバーかと思いました。

(高田文夫)動きが。「アチャー、アチャーッ!」って。あれ、独特すぎたらしいな(笑)。独特すぎるから……みたいな感じだよ。それでその修行中にもう1人の井山淳さんっていう人と志村けんがマックボンボンっていうのを組んでいるんだよ。これが面白いんだよ。まだ22、3の時に。まだ正式メンバーになる前に。

(松本明子)ああ、相方がいたんですね?

(高田文夫)相方がいた。それで去年ね、なんかの……「あの人は今」みたいな番組があるじゃん? それでそのマックボンボンの相方が見つかりました」っていうのを去年、やったんだよ。俺、感動してさ。若手の時を知っているんだよ。それでまた面白いんだよ。ドリフターズの弟子なのにさ、やっていることはコント55号なんだよ(笑)。

(松本明子)へー!

コント55号的なマックボンボン

(高田文夫)それで志村に聞いたんだよ。「どうなっているの?」って。「俺さ、実はさ、萩本さんが好きなんだ」って(笑)。マズいだろ、お前? 萩本さんが好きって……「いかりや? バカヤロー!」って言ってるんだよ。もう面白くてさ(笑)。

(松本明子)アハハハハハハハハッ!

(高田文夫)それでさ、その頃にはもう荒井注さんもさ、あのメンバーの中で一番歳だから。それだってまだ40代だよ? それでもう「疲れた」とか言い出してさ。「もう俺、辞めたい」って言い出してさ。あの人、実はすごい勉強家でさ。大抵、稽古場でもみんながいる時にさ、鼻毛を抜いているかさ、難しい本を読んでいるんだよ。あの人、太宰治とかを読んでいるんだよ。稽古場でも。難しい本を。

(松本明子)へー!

(高田文夫)それで二松学舎に行ってるからさ。高校は俺と同じ日本学園なんだけどさ。そこから勉強をして二松学舎に行って。あの人、インテリなんだよ。それで荒井さん、「もう俺には次の人生がある」なんて言い出してさ。「もうやりたくない」なんていかりやに言ってさ。「なんだ、バカヤロー」なんて言ってさ。「ディスイズアペン」なんて言っていたんだよ(笑)。

(松本明子)ああ、その後でしたっけ? カラオケは。

(高田文夫)それは全然後だよ。辞めてからやるんだよ。それでドリフの時だよ。荒井さんが辞めるっていうことで。「じゃあ、志村を育てるか」っていうことでいかりやさんは半年間ぐらい修行期間っていうことで志村を出していたんだよね。だからテロップも出演者の名前は出ていたんだけども。一番下に「見習い・志村けん」って出たんだよ。ずっとテロップが出ていたんだよ。それが1974年3月31日に荒井注が正式脱退になって、志村けんが正式メンバーっていう風にドーンとやったのよ。

(松本明子)テレビでもやりましたね。

見習い・志村けん

(高田文夫)3月31日。1974年の。それで今回、3月31日に志村けんが亡くなったの。すごいだろ? 俺だけ、見つけたの。だからドリフの正式メンバーになった日に志村さんの訃報がドーンと流れたのが31日なのよ。29日の深夜なんだよ。亡くなったのが。だけどスポーツ新聞の一面にドーンと載ったのは3月31日だろう? だからテレビで「この人がドリフの正式メンバーです」ってなったのが3月31日なんだよ。

(松本明子)ええーっ、奇しくも……うわあ、おんなじ。

(高田文夫)だから丸46年っていうことだな。その前にもボーヤ時代があるから。ねえ。すごいんだよ。『フランシーヌの場合』みたいな……知らないよな、そんな歌(笑)。「3月30日の♪ フランシーヌの場合は♪」なんて。だからさ、それで要は志村さんが……でも、要はちびっこたちはすわ親治が入ると思っていたからさ。で、志村を見て最初は「なんだ、この若い人は?」って思ったんだよ。

(松本明子)最初はね。子供たちは。

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