高田文夫さんが2020年5月11日放送のニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の中で亡くなったリトル・リチャードを追悼していました。
(高田文夫)(リトル・リチャード『のっぽのサリー』を聞いて)おお、いいねえ。
(松本明子)うわっ、かっこいい!
(高田文夫)リトル・リチャードだよ。1日待ったってニッポン放送じゃあ誰一人、追悼しねえだろう? リトル・リチャード。一応、FMもやっているんだよ、ニッポン放送は?
(松本明子)そうですね。ニッポン放送、FMもやっておりますので。
(高田文夫)もう神様だから。俺にとっては。この人に憧れてみんな、エルヴィス・プレスリーもビートルズも俺もだよ。ロックンローラーとして育ったわけだよ、わかる?
(松本明子)えっ、先生、ロックンローラーだったんですか?(笑)。
(高田文夫)ビートルズもエルヴィスもボブ・ディランもそうだよ。俺も。みんなこの人を師匠として……だから立川流家元みたいなもんだよ(笑)。
(松本明子)アハハハハハハハハッ!
(高田文夫)ロックンロールの家元みたいなもんだよ。
(松本明子)家元ですか。うわーっ!
ロックンロールの家元
Little Richard's influence on music cannot be understated. He didn't just open doors, he smashed entire walls to pieces to make way for all who would come after him. Rest in peace to the King of Rock 'n' Roll.⁰#RIPLittleRichard pic.twitter.com/gvrVtGjgC4
— Prince (@prince) May 9, 2020
(高田文夫)リトル・リチャード。87歳。でもコロナじゃなくてよかったね。ガンだったらしいんだけども。「ロックの草分け、87歳。ガンで逝く」という。リンゴ・スターがね、「永遠のヒーローです」と。ミック・ジャガーは「最も影響を受けた人です」っていう。俺もそうだね。
(松本明子)先生も!
(高田文夫)俺も談志、永六輔よりもリトル・リチャードだね。俺、元々はロックンローラーだから。
(松本明子)ベースが?(笑)。
(高田文夫)実は俺、隠しているけど。これからまたローラーとして行くから。内田裕也さんが亡き後、ローラーとして。ガンガン行くから。リトル・リチャードの遺志を継いで。これだよ!
(松本明子)アハハハハハハハハッ!
(高田文夫)だからこの『のっぽのサリー』なんかあれだよ? ほら、武道館でビートルズが来た時にさ。客席には俺とか沢田さんとか志村けんとかみんないたんだけどね。その時に前座で出たのがドリフターズ。で、ドリフが歌ったのがこの曲だから。
(松本明子)ええっ!
(高田文夫)『のっぽのサリー』。これだから。すごいだろう? 仲本工事が歌ったんだよ(笑)。ここまで知っているの、いないだろう? 仲本工事が。お前、1分45秒ではけたんだから。長さんが「逃げろ!」って言って。やるだけやって歌って。
(松本明子)すごいですね!
(高田文夫)これだよ。『のっぽのサリー』。『Long Tall Sally』だよ。
ビートルズ来日公演・ドリフターズ『のっぽのサリー』
(松本明子)すごいですね。客席で見ていたんですね。先生は。
(高田文夫)そうだよ。俺、生き字引だもん。
(松本明子)高校生の時に。
(高田文夫)みんなに言われちゃったよ、お前。週刊ポストを開いたらさ、三波伸介と林家三平の絵が書いてあって。「先生、三波伸介からリトル・リチャードまで語りますね!」なんて。語るんだよ(笑)。
(松本明子)芸の幅が広いですね、先生は!
(高田文夫)広すぎるんだよ。そしたらお前、「江頭2:50の父親を追悼したのはここだけです」だって(笑)。「江頭2:50のお父さんを追悼したのはビバリーだけですよ」って(笑)。先週の金曜日な(笑)。幅広すぎだっつーんだよ。エガちゃんのお父さんの遺影、見た? お前。お父さんと俺が肩を組んで「イエーイ!」ってVサインの写真。俺、一緒に焼かれちゃったんだよ、お前?
(松本明子)フフフ(笑)。
(高田文夫)俺、焼かれちゃったんだから。葬式で江頭のオヤジと一緒に。冗談じゃないだろ、お前(笑)。松村、言っていたよ。「師匠、見ましたよ」なんて。
(松本明子)「先生、一緒に映ってましたよ」って(笑)。
<書き起こしおわり>