(若林正恭)『今夜はブギー・バック』はたぶん中3とかかな?
(佐藤満春)あれが1994年だから。
(若林正恭)94年。だからちょっとその前からたぶん聞いていると思うんだけど。
(佐藤満春)俺はだからもうFLIPPER’S GUITAR、小沢健二からスチャダラパーを知って。それで、この『B-BOYブンガク』が入っているアルバムは5枚目のアルバムなんだけども。その前のアルバムが『スチャダラ外伝』っていうアルバムで。
(若林正恭)あったあった。覚えている。
(佐藤満春)それが僕みたいなラップにわか人間からするとすごく入りやすい作品だったの。『スチャダラ外伝』自体が。すごいポップだったし。で、この5枚目のアルバム『5th wheel 2 the Coach』がちょっとだけそういう人を突き放してるのかな?っていうか。その、なんというか本格的なというか。
(若林正恭)うんうん。でもこうやってね、改めて『B-BOYブンガク』を聞いてみたらやっぱり90年代の日本語ラップのトラック、やっぱり好きで。やっぱりドラムのキックとスネアの音が重いんだよね。すごく。「ドンッ、ズンッ♪」って。
(佐藤満春)へー。それは当時の流行りなのかな?
90年代ヒップホップの重いドラム
(若林正恭)当時、ヒップホップっていったらそういうのが多くて。今はほら、打ち込みの感じがめっちゃするからさ。それでスクラッチから入るのがやっぱり好きなのよ。だからCreepy Nutsのラジオってビースティ・ボーイズの『Sure Shot』っていう曲がかかるんだけども。ビースティ・ボーイズとか聞いていたから俺にしたらたまんないんだよね。Creepy Nutsもめちゃくちゃ好きだし。まさに高1ぐらいで聞いていたビースティ・ボーイズで始まるってもう、たまんなすぎて(笑)。
(若林正恭)で、これね、やっぱりBOSEさん、韻を踏んでいるんだけど。なんか、当時だから教育テレビでスチャダラさんが出ていて。「韻、踏まないんですか?」とか誰か専門家みたいな人に聞かれて、ちょっとケンカじゃないけどね。「えっ、なんで踏まなきゃいけないんですか?」みたいに一瞬なったのよ。で、俺はそれを中3か高1の時に見ていて、すごい覚えていて。でも、こうやって『B-BOYブンガク』を聞くと、やっぱり踏んでいるんだよね。
(佐藤満春)うん。俺なんかはオザケンとスチャダラパーが仲がよかったじゃん? それで、それこそオールナイトニッポンとかをやっていて。そこで……俺はいわゆる渋谷系、小沢健二、フリッパーズみたいな曲がすごい好きで。それでやや、スチャダラをかじっていたぐらいなんだけども。その4人でコーナーでゴリゴリのヒップホップをかけるコーナーをやっていて。俺はそこに……もうビビっちゃった。こんなのがこの世にあるんだ!って。
(若林正恭)なるほどね(笑)。そうだよね。だから、俺はそれを聞いてあれなんだけども。スチャダラ派とキングギドラ派みたいなので結構分かれていたんだよね。お洒落な、なんか文学みたいな感じと、まあギャングスタっぽい感じで。
(佐藤満春)まいわゆる武闘派とちょっと草食系っぽいっていうか……。
(若林正恭)その時が高2ぐらいだからもう聞いている人も多かったんだけど。ただ最初は金持ちのやつがお兄ちゃんとかがいて。ターンテーブルが家にあったりするやつって日本語ラップをめっちゃ下に見るのよ。
(佐藤満春)やっぱりその当時は特にそうなのかもね。
(若林正恭)「メジャーにはならないだろうけど」みたいに言われるのよ。俺が聞いていると。で、「この野郎……」って思っていて。あと、当時はネットもないからさ。まあ、あったんだろうけど、でもだから「こういう曲を聞いてみよう」とかっていうのはアルバムとかを買うしかなかったのよ。
(佐藤満春)それこそジャケ買いとか。
(若林正恭)もう買ってみて、そのBUDDHA BRANDとか……CDの試聴コーナーがあったじゃない? それで聞いていっぱい買っていたな。
(佐藤満春)これ、あとは予備で選んでくれていたOZROSAURUSとかも……。
OZRO SAURUS『AREA AREA』
(若林正恭)OZROSAURUS! オジロはね、めちゃめちゃ聞いていたね! このMCのMACCHOさんがね、同い年なんだよね。で、これね、PVがすごくて。なんかね、ビール瓶をMACCHOさんだと思うんだけども。生の拳で割るんだよね(笑)。
(佐藤満春)フフフ(笑)。いいねえ!
(若林正恭)それで「14、5、6、7」っていうリリックがあると思うんだけども。同い年でこんな……もう今も自分の心の一番はMACCHOさんって言ってもいいぐらい、めちゃくちゃもうパンチラインの連続なんだよね。で、ちょっと文学ぽいし、ちょっと何かやっぱり悪でもあるから。言葉の力がMACCHOさんってめちゃくちゃ強いんだよね。この曲はもうめちゃくちゃ好き。
(佐藤満春)横浜の方?
(若林正恭)そう、横浜。
(佐藤満春)横浜だよね。だから、本当にこの曲以降がいわゆるその地元レペゼンみたいな文化なってたっていう?
(若林正恭)それが根付いて。だからお金持ちでターンテーブルを持っていて海外のヒップホップを聞いていて……っていうお金持ちの人が最初は多かったんだよ。最初、日本人のラッパーって。でも、なんかこう地に足ついた感じのイメージが有るよね。レペゼンになっていくっていうか。
(佐藤満春)というところの曲だったのかなって。いや、面白い。
<書き起こしおわり>