モーリー・ロバートソン プーチン大統領・東ドイツ秘密警察身分証発見を語る

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モーリー・ロバートソンさんがBSスカパー!『水曜日のニュース・ロバートソン』の中で、ロシアのウラジミール・プーチン大統領が東ドイツ駐在時の秘密警察の身分証明書が発見されたニュースについて話していました。

(モーリー)この中から、僕はプーチンさんの秘密警察時代の身分証明書について語りたいと思います。というのは、当時KGBの少佐だったウラジミール・プーチンさんはですね、80年代に東ドイツ、当時のドレスデンに派遣をされていました。そして連絡係のような……で、「連絡係」といってもこれは非常に曖昧な、つまりなにかを秘密でやっている人なんですよ。たぶんソ連のお目付け役も兼ねているし、逆に特に西ドイツと接していますから、そこで共産圏にとってちょっと不穏な動きがあった時にはそれをすばやく報告するとか。それをちゃんと東ドイツの秘密警察は取り締まれよっていう、ちょっとそこで構えている人だったと思うんですよ。

そして当時の東ドイツの秘密警察っていうのはシュタージって呼ばれていて、本当に怖い監視網を敷いていて。市民同士がお互いを密告するように、奨励どころか強制されているような。で、自分の子供も信じられないとか。で、その監視のスタイルは同じ時期にルーマニアのチャウシェスクという独裁者がやっていた共産主義。そして北朝鮮のチュチェ思想。これも受け継がれてきていて。ですから、あの北朝鮮の監視網、非常に貧しい中でやっているのが東ドイツとは違うんですけど、あのスタイルっていうのは結構東ドイツのシュタージを見るとわかったりする部分もある。

そして、今回出てきた身分証明書っていうのはシュタージの施設にKGB職員として入れるようにする身分証明書なんですけど、デジタルの前で、結局ソ連の共産圏ってデジタルがなかったんですよ。デジタルが来る前に終わっちゃったんですね。なので、全部アナログで、身分証明書の裏側の写真もあるんですけど、本当に手彫りか?っていうぐらいかわいいハンコが定期的に1月~3月期、4月~6月期みたいにして1、2、3、4って押してあるのね。違う色で。カラフルで、なんかこれ、「よくできました」って先生が押すじゃないですか。あれに近くて。あのセンス、さすが共産圏グッズっていうか。

(プチ鹿島)そこは真面目にしっかりしているみたいなね。

(モーリー)そう。だからちまちまと人々を監視し、恐怖を与え、でもそれは全部主導でちまちまちまちま、わら半紙みたいな状態でやっているわけですよ。そこにはなぜか恐ろしさも感じるし。

(プチ鹿島)だからある種誠実にそういうことをやっているわけですね?

(モーリー)そうですね。ですから、本当に監視をしているシュタージみたいな機構およびKGBっていうのは中間管理職のマインドで、やっている末端のことは非常に非人道的で、場合によっては監禁したり拷問をしたり、急に人が消えたりもするわけじゃないですか。ところが、任務をただ粛々とやっているだけで、鉛筆でマス目を埋めるようにやっているんですよ。そこの心理がうかがわれて怖いなっていうのが……。

(プチ鹿島)だから、その人自体とかその組織自体が悪を率先してやるっていう意識よりは、むしろ気がついたら……。

(モーリー)みんな薄く、まさにそれをして全体主義。みんなが全体であり、全体がみんなでありっていう。薄いんですよ。だからそういう側面が垣間見えてちょっと面白いなって思ったのと、もうひとつね、89年。ドレスデンに在任中にですね、とうとうベルリンの壁が崩壊しちゃうんですね。89年の12月に大規模な民主化要求デモがとうとう東ドイツ……東ドイツっていちばん怖い国だから。チェコスロバキアならわかるんですけども。ところが、東ドイツで。しかもベルリンの壁にみんなが向かっていって、本当に崩しちゃったからね。

(プチ鹿島)そうか。それが……あれ、チェコからだったら、ねえ。

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1989年・ベルリンの壁崩壊

(モーリー)だからチェコのあたりでピクニックという名目で大勢の人がいきなり移動し始めて戻ってこなくなったら、あまりにも人数が多いんで、それを威嚇する意思をなくした国境警備隊が呆然と見ていたところからあれは広がっていったんですよ。ところが、たとえば東ドイツだったら発砲をしたりして大変なことになるかなと思ったんですけど、あまりにも群衆が興奮しちゃったんで。いわゆる警備をしている側がビビッちゃったんですよね。それで当時、89年になにが起きたか?っていうと、そのシュタージ、秘密警察の怖がられた建物を市民が占拠しちゃった。するとシュタージは命令があれば発砲する直前まで行ったけど、「やっぱりやめよう」っていうことで。そこでは流血がなかった。

それで次いで、KGBも派遣されているわけじゃないですか。KGBの建物もやっぱり占拠しようとしたんですよ。ところがその時、実はドイツ語が流暢だったウラジミール・プーチンさんがそこに出ていって、「私はKGBの者だ。ここはソビエト領だから、あなたたちの治外法権です。入ってはなりません」って言ってたしなめたら、みんな「ああ、そうか」って帰ったみたい。

(プチ鹿島)そこはソビエト領。

(モーリー)「ここはソ連だからダメだよ」って言ったらみんな、「ああ、そうか」って。でね、面白かったのはチェコスロバキアでプラハの春っていうのが昔、あって。民衆が蜂起した時にソ連の戦車が来たんですよ。結局、応援をしに。で、つぶされちゃったのね。だからそういうこともあったのかな?っていうのと、あとは「めんどくせ。ソ連? やめよ」みたいな感じでサーッと散って。

(プチ鹿島)ああ、水戸黄門の印籠みたいな感じで。「ここはソ連だぞ」っていう。

(モーリー)だけど、それが結局30代だったプーチンさんのいわゆる原体験になったと言われていて。いまの非常に独裁者のような統治のスタイル。あるいはならず者のように振る舞うじゃないですか。それはね、基本的には民衆、つまり民主主義を絶対に信用できないものだっていう……。

(プチ鹿島)まあ、よりによってその時代にその場所にいたわけですからね。

(モーリー)いちゃったわけですよ。そのベルリンの、自分たちが作り上げてきたものが民衆の力で崩壊するっていう瞬間を彼は目撃した。だからある意味、歴史の証人でもあるわけで。プーチンさん、北方領土とかいろいろとならず者の行動を見た時、彼の頭の中はどうなっているのかな?っていう視点をひっくり返すっていうのは面白いかもしれない。

(プチ鹿島)そこまでのプーチンの歩みを振り返ってみるとね。

(モーリー)それがこういうペライチの身分証にちょっと垣間見えるわけだ。ということでした。

(プチ鹿島)なるほど。

<書き起こしおわり>

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