宇多丸・高橋芳朗 1990年代のラップ・ヒップホップの爆発を語る

宇多丸と高橋芳朗 NHK FM『今日は一日”RAP”三昧』を振り返る 今日は一日RAP三昧

(宇多丸)ということで、いろんなヒットを飛ばすような世界を……ドレーとかはポップチャートでも売れるような。一方でね、これはやっぱり日本の、しかも東京・渋谷の近くで放送しているわけですから、これは宇田川町的にね。そこのレコ屋の店員さん!

(DJ YANATAKE)あ、はい。すいません。

(宇多丸)レコ屋の店員さん的に当時、日本人。特に東京の子たちが熱狂していた音楽像っていうと、やはりニューヨークサウンドというか。90年代東海岸サウンドの世界っていうのがあるわけですよね。甘美な世界が。

(DJ YANATAKE)これにね、またここに狂わされた世代がいっぱい今日は聞いてるんでしょうね!

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(宇多丸)これがね、でもこれは僕は持論として、やっぱり日本人が聞いていちばん親しみやすいタイプのヒップホップだと思うんですね。で、その代表格として、ピート・ロックというプロダクションがおりまして。さまざまな名曲を手がけているわけですが。ピート・ロック、これはどれを取ったっていいんだよ? ピート・ロック&CL・スムースというグループで本人は活動していましたけども。どれをかけますか?

(高橋芳朗)じゃあ、手堅いところで行ってみましょうか。ピート・ロック&CL・スムースで『They Reminisce Over You』です。

Pete Rock & CL Smooth『They Reminisce Over You (T.R.O.Y.)』

(宇多丸)ピート・ロック&CL・スムース『They Reminisce Over You (T.R.O.Y.)』。この「T.R.O.Y.」はヘビー・D&ザ・ボーイズという素晴らしいグループ。後にヘビー・DさんはモータウンのCEOになったりするぐらいなんですけど、そのザ・ボーイズのダンサーのトロイ・ディクソンさんっていう方が亡くなっちゃって。彼に捧げられた曲ということでございます。

1992年。ピート・ロック&CL・スムースの『Mecca and the Soul Brother』というね、もう名盤!

(高橋芳朗)素晴らしいですね。ソウルフルなサウンドで。

(宇多丸)ねえ! これはヒップホップをあんまり聞いたことがない人でもすごく聞きやすいトラックが揃っておりますので。あと、CLスムースの渋い声。いい声してますねー。いい楽器、持ってるね!っていうことでございます。ということでね、みんな大好き東海岸90年代ヒップホップ。

(高橋芳朗)ピート・ロックが出たら次はね!

(宇多丸)ピート・ロックと来たら……

(宇多丸・高橋)DJプレミア!

(宇多丸)ということでね。なんでしょうか。この語り口に熱がこもる感じは? DJプレミアさんというのはギャング・スター。これ、さっきから言っているギャングスタ・ラップとは違う、グループ名のギャング・スター(Gang Starr)というグループがありまして。グールーさんというラッパーとDJプレミアの2人組なわけなんですが、このプレミアさん。非常にストイックなというか、これがまた日本人好みの、もう侍感すら感じさせる……。

(高橋・ヤナタケ)アハハハハッ!

(宇多丸)もう侘び寂びすら感じさせる。まあ、これプレミアさんの曲はどれをかけるか?

(高橋芳朗)もう本当に神がかってましたね。出す曲出す曲クラシックに。

(DJ YANATAKE)僕は当時、渋谷のレコード屋さんで働いていたんですけど。これ、本当によく言うんですけど。ピート・ロックとかDJプレミアっていう名前を貼っておくだけで全員がそのレコードを2枚ずつ買っていくっていう。自動的に倍売れるっていう。

(宇多丸)ワハハハハッ! DJはね、2枚使いするために2枚買うんだよね。

(DJ YANATAKE)そうですね。番組冒頭にも言いましたけど2枚使いして同じところを繰り返したりするのがヒップホップのDJの技術だったりするんで。それをみんなやりたいので。

(宇多丸)だから「ピート・ロックプロデュース」「DJプレミアプロデュース」って書くと無条件に。

(DJ YANATAKE)もう貼っておくだけでいいんですよ。

(宇多丸)無条件に。

(高橋芳朗)そうです。売上、倍です!

(宇多丸・高橋)フハハハハッ!

(高橋芳朗)あと、この頃は、これもヒップホップの大きなトピックですけども。1992年にビズ・マーキーがギルバート・オサリバンの『Alone Again』という曲を無断で使って……もう替え歌状態で出したんですよね。それで訴えられて、サンプリングがあんまりしづらくなってきちゃった。

(宇多丸)要するに、使うんなら巨額のお金を払わなきゃいけなくなっちゃって。それが演奏の方にトラックが移行していくひとつの要因ではあるんですけど。そんな中で東海岸、サンプリングの美学にこだわる男たちは工夫をしてね。いわゆる「チョップ&フリップ」という、サンプリングのネタを細かく刻んで、元ネタがわからないレベルにして、しかも組み替えてクリエイティブなことをやっていくという。

(高橋芳朗)そして芸術的なループを作り出すという。

(宇多丸)ということで、やはりチョップ&フリップの代表曲ですか? DJプレミアの。

(高橋芳朗)うれしそうな顔してますね!(笑)。

(宇多丸)いやー、だってこれは名曲。これは……ちょっとー! ワハハハハッ!

(高橋芳朗)じゃあ、宇多丸さん。行っちゃってくださいよ!

(宇多丸)それでは1994年。ギャング・スターで『Mass Appeal』!

Gang Starr『Mass Appeal』

(宇多丸)はい。ギャング・スターで『Mass Appeal』を聞いていただいております。もうかっこいい! いま聞いてもやっぱりかっこいいもんはかっこいいなー。

(高橋芳朗)結構このプレミアが手がけた曲のシングルとかは日本がいちばんレコードを売ったみたいな話、よく聞きますよね。

(DJ YANATAKE)そうなんですよ。僕、レコード屋で7年半ぐらい働いたんですけど。その働きはじめぐらいの時にリリースされたとはいえ、僕が辞める時ぐらいまでずーっと売れ続けていたし。たぶん日本だけで本当に数万とか売れているんじゃないかな?って。

(高橋芳朗)後ろでね、ジェルー・ザ・ダマジャの『Come Clean』がかかっていますが。

(宇多丸)『Come Clean』。これとかね……。

(高橋芳朗)びっくりしましたけどね。

(宇多丸)か、かっこいい~っ! 非常に日本人好みで。あと、今日は取り上げきれないけど、Diggin’ in the Crates Crew(DITC)。ニューヨークの本当にストイックな正統派ヒップホップみたいなのにも我々はすごく熱狂しました。けども……やはり、実はアメリカ全体というか、売れ行きとか世界全体で見ると、やっぱりもう圧倒的に西高東低の時代に入っちゃうんですよね。こういう東海岸の渋いヒップホップとかはもうヒップホップマニアが聞くものになってくる。で、実際に売れているのは西海岸だったり、あるいはもう南部とか違う地域のギャングスタ・ラップだったりした。

それに対する東海岸からの、ギャングスタ・ラップに対する東海岸からの回答みたいなものが93、94ぐらいにポンポンポンと出て。それがまた次の時代の流れを作っていくという。先ほど、渡辺志保さんのコラムコーナーでも1曲、かかりましたが。やはりこれは外すわけにはいかない。ウータン・クランを聞きましょうかね。ウータン・クランはどうしますかね?

(高橋芳朗)じゃあ、この曲でアゲアゲで行きましょうか。ウータン・クランで『Wu-Tang Clan Ain’t Nothin Ta Fuck Wit』です。

Wu-Tang Clan『Wu-Tang Clan Ain’t Nothin Ta Fuck Wit』

(宇多丸)はい。『Wu-Tang Clan Ain’t Nothin Ta F**k Wit』ってなっていましたけどね。今日はできるだけね、クリーンバージョンを。まあ、そうじゃない時も時々ありますけどもね。ウータン・クラン、ちょっと説明をしておくと?

(高橋芳朗)ニューヨークのスタッテン・アイランドから出てきた、デビュー当時は8人体制だったのかな?

(DJ YANATAKE)まあ、何人いたかは定かじゃないけど(笑)。

(宇多丸)その定かじゃない感じ。ジャケットにもう顔を隠して……顔を出さないメンバーがいたりとか。あと、やっぱりサンプリング時代の中にあっても、いくらなんでもこの音の汚さ、何なんだ?っていう。このザラザラした音と、そしてテクニカルなラップ……特にメソッドマンというスーパースター。そしてオール・ダーティー・バスタードという、たぶんヒップホップ史上でもいちばんどうかしている人。まあ、亡くなってしまいましたけど。

(高橋芳朗)アハハハハッ! レイクウォン、ゴーストフェイス・キラー。もうタレント揃いでしたね。

(宇多丸)ド渋のスキルを持った人たちが集まって……というスーパースターチームですよね。

(高橋芳朗)あと、まあサブカルっぽいっていうか、カンフー要素を入れたりとかさ。

(宇多丸)そうそうそう。ショウ・ブラザーズとかのマニアックなカンフー映画ネタがいっぱい入ってきたりして。そういう、存在全体のサブカルチャー感というか面白みがありましたよね。

(DJ YANATAKE)世界観が完全にできあがっていて。でも、新しかったですよね。

(宇多丸)ジム・ジャームッシュの映画にちょいちょい出てきたりする。この間の『パターソン』にもメソッドマンが出てきましたんでね、ご存知の方もいるんじゃないでしょうか。さあ、みんな大好き90年代ヒップホップ。先ほど、ギャングスタ・ラップに対する東海岸からの回答ということで、グループではウータン・クラン。そしてソロラッパーとしてはやはり、ナズですよね。ナズは名盤『Illmatic』というね、いまだに聞き継がれている名盤を、要は東海岸最後の希望みたいな感じで。

(高橋芳朗)本当にニューヨークシーンの総力を結集して、こいつをなんとかして盛り立てようという、そんな感じで出てきたんですね。

(宇多丸)で、実際にそれが超名盤でという感じでしたけど。でも、いまだにナズは全然生き残っているわけで。やっぱりその時のはハイプじゃなかったっていう感じですよね。さあ、ナズはなにをかけるの?

(高橋芳朗)はい。ピート・ロックとプレミアの曲はさっきかけたんで、ラージ・プロフェッサーの……。

(宇多丸)あっ! メイン・ソースのね……ラージ・プロフェッサーの話をする時間はなかった! 申し訳ございません!

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(DJ YANATAKE)一応いま裏でね、メイン・ソースをかけてますけども。

(宇多丸)ありがとうございます。ああ、素晴らしい。これはメイン・ソースというグループ。ラージ・プロフェッサーも当時、東海岸を代表する名プロデューサーですけども。

(高橋芳朗)まあ、ナズをフックアップした人ですね。

(宇多丸)ああ、そうかそうか。

(DJ YANATAKE)同じ高校の先輩みたいですね。

(高橋芳朗)ああ、そうか。

(宇多丸)あと先ほどね、サード・ベースのMCサーチさんとかもナズのプッシュには尽力していますよね。ということで、ナズの……。

(高橋芳朗)ナズはこちらを行ってみましょう。『It Ain’t Hard to Tell』です。

Nas『It Ain’t Hard to Tell』

(宇多丸)はい。ナズで『It Ain’t Hard to Tell』ということです。(マイケル・ジャクソン)『Human Nature』ネタということで。

(高橋芳朗)何年か前に『Nas/タイム・イズ・イルマティック』というドキュメンタリー映画が公開されて。それを見ればこのアルバムに対する理解はグッと深まるんじゃないかと思いますね。

(宇多丸)要は、Gファンク以降のギャングスタ・ラップをポップに昇華しながら、東海岸らしいリリシズムというか、見事な比喩表現とか。あとすごく巧みなライミングであるとか。すごくテクニカル。

(DJ YANATAKE)このへん、さっきの『The Source Magazine』の下りとか。

(宇多丸)ああ、そうだ。『The Source Magazine』。ヒップホップの自浄作用が強く働いた批評的空間としての専門誌『The Source』という。それのアルバム・レビューがあって、5本のマイクで評価するわけですね。

(DJ YANATAKE)5つ星みたいな感じですね。

(宇多丸)で、4本マイクがつけば相当いいアルバムっていう感じなんですけど、ナズのこの『Illmatic』というアルバムはいきなり5本マイクをドーン! クラシック認定! みたいな感じで大騒ぎされたということでございます。

(高橋芳朗)うん。

(宇多丸)ということでナズといえば、やはりクイーンズのラッパーということで。クイーンズ・ブリッジのラッパーですけども、クイーンズ……ちょっとすいませんね。90年代、みなさんほら、『8マイル』とか見ていると、『8マイル』のバトルシーンでかかるから。これは。

(高橋芳朗)オープニングですよ。

(DJ YANATAKE)あとは決勝のビートかな?

(宇多丸)モブ・ディープで『Shook Ones Part II』。お聞きください。

Mobb Deep『Shook Ones Part II』

(宇多丸)(曲を聞きながら)これもね、わけのわからないところからラップが入るのがかっこいいんだよ。

(高橋芳朗)これ、でもこの殺伐とした感じはすごいものがありましたよね。

(宇多丸)このだから、ザラザラしたというかモコモコした感じが東海岸サウンド。で、そこにちょっとディレイのかかったホーンが飛んだりするとピート・ロックサウンドっていうか。モロに90年代ヒップホップという感じがするということで。

(高橋芳朗)『Shook Ones』の基本的なかけ方として、まずインストをかけて、それから戻してから行くっていうのが定番でありましたよね。

(宇多丸)これは各自で聞いてください。まあ、メンバーのプロディジーは亡くなられちゃいましたけどね。結構ね、その後亡くなられたラッパーが結構いますから

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(高橋芳朗)そうですね。

(宇多丸)じゃあ、その流れで。亡くなられたラッパーといえば、朝ビッグネームでザ・ノトーリアス・BIC(ビギー)がいますけども。まあビギーこそ、まさにギャングスタ・ラップの興隆を東海岸的に解釈しきったというか。もっとも成功した東海岸のラッパーの1人ですよね。

(高橋芳朗)Gファンク以降のギャングスタ・ラップにイーストコースト流儀のリリシズムみたいな感じですかね。

(宇多丸)そしてさらに、さっきのプロデューサーとしてもご存知の方も多いでしょう。ショーン・パフィ・コムズという非常に切れ者商売人というか。その男が絶妙な塩梅で……要は人気とか尊敬とかは落とさないけど、ちゃんと曲としてはポップみたいな、そういうバランスでやってみせたということですね。あ、いまバックでかかっているのはザ・ノトーリアス・BIGの『Unbelievable』。これ、DJプレミアのね。

(高橋芳朗)ザ・ノトーリアス・BIGのデビューシングルが『Juicy』っていう曲で。これはA面はエムトゥーメイの『Juicy Fruit』という曲をサンプリングした、割とそれこそ西海岸のラッパーとかがやりそうなメロウなレイドバックした……。

(宇多丸)全国的にポップチャートで売れそうな曲。なんだけど、カップリングで。

(高橋芳朗)B面でニューヨークハードコアなDJプレミアの『Unbelievable』を持ってくる。

(宇多丸)しかもDJプレミアの新時代を切り開いた傑作ですからね! かっこいいー! かっこいいが……こんなのをいちいち聞いていると時間が足りないので、ザ・ノトーリアス・BIGはこちらの曲にしましょう。1994年。アルバム『Ready to Die』。これもストーリー仕立てで、聞くとドスンと来る。その後に亡くなっちゃったことを考えると重たいものがあるアルバムですが。『Ready to Die』よりザ・ノトーリアス・BIGで『Big Poppa』。

The Notorious B.I.G.『Big Poppa』

(宇多丸)はい。ザ・ノトーリアス・BIGで『Big Poppa』。

(高橋芳朗)アイズレー・ブラザーズの『Between The Sheets』ですね。

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(宇多丸)まあキャッチーですよね。で、みなさんご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、このザ・ノトーリアス・BIG。これは東海岸のアーティストなんですけども、西海岸。先ほどのドクター・ドレー率いるデス・ロウ。なんかこう、ちょっと東西抗争シーンみたいなのが盛り上がって。それはラップのいわゆるバトルの歴史というか。戦って競い合うという建設的な戦いならよかったけど、本当の暴力に発展していってしまい、1996年9月13日に2パックが……後ほど、曲を聞いていただきますが。いま、『オール・アイズ・オン・ミー』という2パックの伝記映画もやっていますけども。

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(高橋芳朗)うん。

(宇多丸)2パックがまず射殺され、そして翌年の1997年3月9日にはザ・ノトーリアス・BIGが銃殺されてしまい、そしていまだに真相が全くよくわからないままという。

(高橋芳朗)犯人がまだ捕まっていない。

(宇多丸)非常に後味が悪い結末になってしまったんですけども。

(高橋芳朗)もともとこの2人は仲が良かったんですけどね。

(宇多丸)そうそう。このあたりのくだりも映画に出てきますけどね。ということで、ちょうど『オール・アイズ・オン・ミー』もやっていることですし、2パック、デス・ロウ時代の……インタースコープ時代もありますけど、デス・ロウ時代の代表曲ということで。1995年のこちらの曲をお聞きください。2パックで『California Love』。

2pac feat Dr.Dre『California Love』

(宇多丸)いまね、これ歌っているのはロジャー・トラウトマンという、ザップというグループの。本人が呼ばれてきていて。で、ロジャー・トラウトマンも亡くなっちゃいましたからね。なかなかちょっとね、いたましいのが……。

(高橋芳朗)2パック、刑務所から出所してデス・ロウに入って最初のシングルですね。で、ナンバーワン。

(宇多丸)ビデオは完全に『マッドマックス3』っていうことですよね。『California Love』をお聞きいただきました。ということで、このパートの最後の曲。大急ぎで行ってみましょう。

(高橋芳朗)ちょっとシーンのトップアーティストがバタバタと銃殺されるという、音楽史でも最悪の事態になっていたわけですけども。

(宇多丸)逆にこれで、ちょっとそういう暴力的なのはやめようぜっていう空気にはなってきましたけどね。

(高橋芳朗)でも、そういう中でも新しい動きも確実に出てきていて。Qティップにフックアップされた、ジェイ・ディー。

(宇多丸)Qティップはア・トライブ・コールド・クエストのラッパーであり、プロデューサーでありという男でございます。

(高橋芳朗)彼が見出したジェイ・ディー(J・ディラ)というプロデューサーがデトロイトから出てきたり。あと、ニューヨークではロウ・カスというアンダーグラウンドレーベルがあって、そこからモス・デフとかタリブ・クウェリとかカンパニー・フロウみたいなのが。

(宇多丸)割と知的で、ちょっと……ポップじゃない方向ですよね。アンダーグラウンドなという感じの。

(高橋芳朗)アンダーグラウンドはアンダーグラウンドで結構活性化されていくんですけど、ちょっとメインストリートとの二極化がガッとついてくるような時代ですかね。

(宇多丸)うんうん。でも、その中でやっぱりJ・ディラの影響はすごく大きくて。これもさ、日本人がすごい好きなタイプというか。浮遊感あふれるシンセとかの使い方とか、好きな人は多いですし。影響をものすごく与えている。

(高橋芳朗)フォロワーは大変に多いですよね。

(宇多丸)で、まあJ・ディラのいちばんポップな曲というか、代表作。お聞きください。1995年。本当にこれは、それこそRIP SLYMEとかはこれの強烈な影響でやっているということがわかると思います。ザ・ファーサイドで『Runnin’』。

The Pharcyde『Runnin’』

(宇多丸)はい。ファーサイド。ファーサイドはロサンゼルス、西海岸のニュースクーラーというかね。フリースタイル・フェロウシップとかね、そういうような動きがありました。

(高橋芳朗)ソウルズ・オブ・ミスチーフとかね。

(宇多丸)ソウルズ・オブ・ミスチーフはオークランドですよね。ということで、非常にお聞きいただければ後のRIP SLYMEに強烈な影響を与えたのがわかるファーサイドの『Runnin’』でございました。J・ディラというね……J・ディラも亡くなっちゃったわけなんですね。

(高橋芳朗)そうですね。若くして亡くなっています。

(宇多丸)亡くなったといえば、先ほど2パックの曲をかけましたけども、私ね、2パックに直接話を聞いたことが……これはなかなかレアで。デジタル・アンダーグラウンドというグループから2パックは最初、出てきたんですけども。デジタル・アンダーグラウンドとして日本に来た時。ソロとしてデビューするはるか前。っていうか、デジタル・アンダーグラウンドとしてレコードを出す前かもしれない。その2パックに直接インタビューする機会があって。まあ、デジタル・アンダーグラウンド全体にインタビューしていたんですけど。もうデジタル・アンダーグラウンドのメンバーはいっぱいいて。はっきり言ってこんな日本人のガキのインタビューなんか真面目に受けてくれないわけですよ。そんな中、「なんだい? なにを聞きたいんだい?」ってまっすぐ目を見て、僕と話をしてくれたのが2パックで。

(高橋芳朗)へー!

(宇多丸)なおかつ、「僕もラップをやってるんですけど」「ラップ、やってんのか?」って彼がヒューマンビートボックスを始めて、その上で僕はラップをして。

(DJ YANATAKE)おおーっ!

(高橋芳朗)すごい体験してますね!

(宇多丸)さらにその後、ライブがあって。デジタル・アンダーグラウンドのを見に行ったら舞台上から僕のことを見つけて、ワーッ!って指差して。前にいた女の子が「ああーっ! 私のこと指差した!」「いや、俺だよ」って思ったんだけど。終わった後に挨拶みたいなのがあって。そこで2パックが来て。「お前、指差したの、わかった?」みたいな感じだったので。これは自慢です!

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(宇多丸)ただもちろん、ソロとしてこういう大ブレイクしてからはもちろん会えてないですけども。

(DJ YANATAKE)でも2パックと話したことがある日本人って、他にどんぐらいいるんですかね?

(宇多丸)なかなかいないかな。

(高橋芳朗)コラボしてますからね。

(宇多丸)コラボですから!

(高橋芳朗)すさまじい体験をしてるなー。

(宇多丸)というね、さっきから「直接聞いたんですが……」っていう。もうこのネタは僕、終わりです。直接聞いたネタ、終わりです。ということでみなさん、90年代が終わってしまいました。アメリカヒップホップの90年代が終わって、この後の、90年代その頃日本はどうだったか? そしてその後に2000年代に入ってしまいますので。その頃、90年代日本もとてつもないことになっている! この後のパートもお楽しみにしてください!

<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/46786

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