宇多丸・高橋芳朗 1990年代のラップ・ヒップホップの爆発を語る

宇多丸と高橋芳朗 NHK FM『今日は一日”RAP”三昧』を振り返る 今日は一日RAP三昧

(宇多丸)そこでやっぱり、先ほど言った『The Source』という専門誌が非常に硬派な批評的土壌を作ったんですよね。で、ちゃんとオールドスクール回帰みたいなのも1990年代初頭に起こったりとか。そういうハマーとかヴァニラ・アイスとか、そういうポップな感じのラップに対する批判的な……曲も出しましたよね。サード・ベースっていう。これも白人ラップグループだけど、サード・ベースの『The Gas Face』っていう曲で強烈にハマーとかをディスったりっていうのもありましたね。というあたりで強烈にハードコア化への揺り戻しが起こる。これはすごくヒップホップの歴史の中で重要な出来事だと思っているんですけどね。ああ、これはサード・ベースの『The Gas Face』ですね。

(DJ YANATAKE)全然個人的なことなんですけど、さっきInstagramに今日のこの番組の告知をしたら、このサード・ベースのMCサーチから「3RD BASS」ってコメントが来たんですよ。「俺の曲、かけろ!」ってことだと思うんだけど。かかってよかったなって。

(宇多丸)アハハハハッ! じゃあちょっと『The Gas Face』を聞こうよ。

(しばし曲を聞く)

(宇多丸)はい。サード・ベースね。

(DJ YANATAKE)よかった! かけたよー!(笑)。

(宇多丸)MCサーチさん、ご満足いただけたでしょうか? あの、ヤナタケさんは個人的にサード・ベースが来日した時に……。

(DJ YANATAKE)たまたま高校生の時なんですけど、ちょっと知り合うきっかけがあって。来日期間中にずーっと一緒にいたんですよ。高2の夏休みなんですけど。

(高橋芳朗)すごい体験だね!

(DJ YANATAKE)すごく体験で。そのことはインターネットを探していただければ、出てくるんで。興味ある方は見てみてください(笑)。

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(宇多丸)まあ、ということで、やっぱりロックンロールの歴史から学んだというべきか、ヒップホップがものすごくヒップホップの純粋性というか、それを守るために自浄作用が本当に起こって、ハードコア回帰が起こる。あるいは、オールドスクールっていうか、ヒップホップの元の精神に帰れ!っていうそういう動きが強烈に起こって。もう91年には90年までに流行っていたようなポップな感じのラップは全然いなくなっちゃいましたよね。駆逐されたというか。

(高橋芳朗)完全に駆逐されたっていう感じですね。

(宇多丸)ねえ。ただし、音楽像としてポップ化したというか。非常に聞きやすくなった面というのはそのままに。要するに、進化した部分はそのままに、アティチュードはハードコアにっていう姿勢。これを統合したようなグループが登場する。象徴しているあたりで、ノーティ・バイ・ネイチャーというグループ。ちょっとこう、バットを持っていたりとか、見た目はめちゃめちゃ怖い。

(高橋芳朗)廃墟でみんな立っているんだけども、曲は結構ポップ。

(宇多丸)曲はポップ。非常に乗りやすい曲であったりするというあたり。象徴的なものをお聞きください。1991年の曲です。ノーティ・バイ・ネイチャーで『O.P.P.』。

Naughty By Nature『O.P.P.』

(宇多丸)はい。ということでノーティ・バイ・ネイチャー。アティチュードはハードながら、曲はジャクソン5『ABC』をネタにしてということで、めちゃめちゃ聞きやすい。この後もね、たとえば『Hip Hop Hooray』っていうね、いまだに僕、ライブで「hey, ho!」っていうのをやってね。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でね、ジョナ・ヒルとディカプリオが船上ではしゃいでいるシーンでおなじみの(笑)。

(高橋芳朗)あれでちょっとバカソングみたいになっちゃったけどね(笑)。

(宇多丸)フハハハハッ! っていう、『Hip Hop Hooray』なんて曲もあったりしますが。そんな感じで割とヒップホップシーンがポップさとハードコアさとの折り合いをつけていく。そういうのが割と早い段階で……たったまた1年でね、風向きが変わるのがすごいですよね。一方で、ロックミュージシャンにも造詣が深い高橋芳朗さん。やっぱりこんだけヒップホップが盛り上がってくると、いろんなジャンル的なクロスオーバーというか。

(高橋芳朗)そうですね。結構オルタナティブヒップホップみたいに言われるようなアーティストが出てきて。アレステッド・ディベロップメントとかね。

(宇多丸)アレステッド・ディベロップメントは実は日本のアーティストに与えた影響がすごく強くて。たとえばRIP SLYMEのPESとかはめちゃめちゃアレステッド・ディベロップメントのスピーチというリーダーの影響をめちゃめちゃ受けていると思いますけどね。とかね。

(高橋芳朗)はいはい。あと、サイプレス・ヒルとかね。

(宇多丸)後ほどね、サイプレスはちゃんと曲を聞きましょう。サイプレスはロックシーンからもめちゃめちゃ支持を受けましたよね。

(高橋芳朗)あと、ヒップホップアーティストとロックアーティストのコラボも割と積極的に行われるようになって。有名なところだと、パブリック・エナミーとアンスラックスの『Bring The Noise』。

(宇多丸)『Bring The Noise』のアンスラックスバージョンとかね。

(高橋芳朗)あと、アイス・Tがボディ・カウントっていうハードコアバンドをやったり。

(宇多丸)それこそね、この頃のアイス・Tは本当に物議を醸しまくって。話題にもなっていましたし。

(高橋芳朗)あともうちょっと先の1993年ぐらいなんですけど、ヒップホップとロックの共演だけで構成されたサウンドトラックの『Judgment Night』っていう。

(DJ YANATAKE)これがね、大好きだったなー!

(宇多丸)じゃあ、『Judgement Night』からなんか……。

(DJ YANATAKE)いやいや、なんですかね。あんまり日本でヒップホップを語る時、意外とこのへんのロックとの結びつきが語られないのが腑に落ちないぐらい、その頃にすっごい流行っていたのに……っていう。

(高橋芳朗)じゃあ、サイプレス・ヒルをかけてから行きましょうか。

(宇多丸)いま、チラッと名前が出ましたサイプレス・ヒル。とにかくB・リアルというラッパーのものすごい甲高い声と、セン・ドックっていうもう1人のラッパーの野太い声のこのコントラスト。

(高橋芳朗)あと、DJマグスという……。

(宇多丸)DJマグスのトラックの荒々しさ。そしてもう言っていることが怖すぎるというね(笑)。ということで、サイプレス・ヒルの1991年。これはアルバムを出した直後はあんまり話題になっていなかったんだけど、ジワジワジワジワ、「このアルバムはヤバい!」って話題になってブレイクしましたね。サイプレス・ヒルで『How I Could Just Kill a Man』。

Cypress Hill『How I Could Just Kill a Man』

(宇多丸)ねえ。「理解できませんよ!(Here is something you can’t understand)」っていうね。

(高橋芳朗)怖い、怖い(笑)。

(宇多丸)サイプレス・ヒル『How I Could Just Kill a Man』でした。ということで、ちょうどこのトラックを作っているDJマグス。結構一世を風靡したというか。ロックファンからもすごい支持を受けていましたけど。ちょっとそれで思いついて。僕がヤナタケに「あれをかけようよ!」っていまリクエストしたのは、最近だとLDH、EXILE TRIBEの作った映画『HiGH&LOW』の世界で鬼邪高校という……。みんな大好き、鬼邪高校のテーマソングとして。

(高橋芳朗)フハハハハッ! またその話してる……(笑)。

(宇多丸)おなじみ、『Jump Around』という曲。これ、DOBERMAN INFINITYがね、これは実はカバーなわけですね。元はあれは1992年かな? 

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ハウス・オブ・ペインという、これはアイリッシュを打ち出したグループですよね。そのハウス・オブ・ペインの『Jump Around』ということで。いまだにやっぱり、鬼邪高校で「デーン!」って、あのイントロがかかるだけでやっぱりアガるじゃないですか。いま聞いてもアガるんだっていう。ねえ。村山さんの顔が浮かんでくるという(笑)。ハイローの話になっているよ(笑)。ということで、元の曲をお聞きください。ハウス・オブ・ペインで『Jump Around』。

House Of Pain『Jump Around』


(宇多丸)はい。これを聞いていただけるとDOBERMAN INFINITYのカバーがラップの聞こえというか、フロウの部分まで完全にコピーしているのが分かります。いやー、鬼邪高校。みんな大好き鬼邪高校がね(笑)。

(高橋芳朗)アハハハハッ! まさかの……まさかのハイロー(笑)。

(宇多丸)まさかのハイロー話ということですねー。

(高橋芳朗)ちょっとじゃあロックとヒップホップの融合みたいなところで。ヤナタケセレクションを。

(DJ YANATAKE)そうなんですよね。その当時から日本でも結構いろいろとあったと思うんですけど、ヒップホップも僕、遊ぶ場所で種類がわかれていたような気がして。渋谷・六本木で遊ぶ人と、原宿・新宿・下北沢で遊ぶ人たちでちょっとヒップホップでもね、聞く種類が違ったような気がするんですよね。

(宇多丸)新宿はちょっとロック寄りなね。

(高橋芳朗)そうなんですよ。なんで、そういう方面ではもう、めちゃくちゃ流行っていたし。普通にクラブでかかってモッシュとかもしていたんですよね。そういう状態があったんですよね。

(宇多丸)じゃあ、それを象徴するような?

(高橋芳朗)象徴するようなのは、さっきも言ってましたけどもパブリック・エナミーの『Bring The Noise』という曲をロックバンド、スラッシュメタルバンドのアンスラックスが……。

(宇多丸)「デレレレーッ! デレレレーッ! ベーイス!」。

(高橋芳朗)フフフ(笑)。

(DJ YANATAKE)なんて言うんですかね? エアロ・スミスの曲をラン・DMCがやったんじゃなくて、今度はバンド側の方の人からヒップホップにアプローチがあったということもすごくエポックな感じだったし。当時これで本当にめちゃくちゃ暴れまくっていたのを本当に思い出すんで。これをぜひ聞いていただきたいなと思います。それではパブリック・エナミー with アンスラックスで『Bring The Noise』。

Anthrax & Public Enemy『Bring The Noise』

(宇多丸)はい。ということでパブリック・エナミー&アンスラックスで『Bring The Noise』。これね、リクエストも来ていました。(メールを読む)「もともとメタル野郎です。アンスラックスの『Attack of the Killer B’s』でこの曲を聞いてぶっ飛びました。メタルとヒップホップのミクスチャーの先駆けだったと思います。かけてください。お願いします」ということで、かけました。

(DJ YANATAKE)この頃、本当にレッド・ホット・チリ・ペッパーズとかレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとかがグワーッと盛り上がってきたのもそうだし。ヒップホップとロックがいちばん本当に近づいた年だったんじゃないかと思うのと。あと、エポックなのはビースティ・ボーイズのサード・アルバムの『Check Your Head』。あれで自分たちが……彼らは楽器もできたので。自分たちが演奏した音をサンプリングして曲を作るという、また新しいね。

(宇多丸)ビースティの『Check Your Head』は革命的アルバムですよね。ちょっと一瞬聞こうか。

(DJ YANATAKE)これは『Pass the Mic』という曲です。

Beastie Boys『Pass the Mic』

(宇多丸)はい。ビースティ・ボーイズ『Pass the Mic』です。

(高橋芳朗)サイプレスと一緒にツアーとかもしていましたね。たしかね。

(DJ YANATAKE)そうですね。すごいあのへんがつながっていて。

(宇多丸)もうLAに本拠地をセカンドから移していますからね。ビースティ・ボーイズはね。

(DJ YANATAKE)で、さっきちょっと裏でかけていたんですけど、ハウス・オブ・ペインの『Jump Around』の次に出たシングル『Shamrocks and Shenanigans』っていうのの『Butch Vig Remix』っていうのがあって。それもロックリミックスになっているんですけど。で、そのブッチ・ヴィッグさんっていうのはサブ・ポップレーベルっていうニルヴァーナとかもかつて所属していたレーベルのボス。その手によるリミックスがあったりとか。

(宇多丸)ああ、そうなんだ!

(DJ YANATAKE)いろんな方面で……あとはミクスチャーだとフィッシュボーンっていうバンドがいて。もう本当に大好きなんですけど。そのビデオとかはスパイク・リーが監督してとか。結構そういう、ロックと本当にいろんな密接なつながりがあったところなんですよね。

(高橋芳朗)いろいろ思い出してきた。KRS・ワンがソニック・ユースとかREMとかと共演したりとか、ありましたよね。

(宇多丸)だいぶだから、他のジャンルにしっかり市民権をというか、むしろイケてるのはヒップホップだっていう感じにだんだんとなってきた時代という。

(DJ YANATAKE)逆にロックの人たちがヒップホップを取り入れたいみたいな感じの時期だったんじゃないでしょうか。

(宇多丸)はい。そんな90年代、さらにというか、ある意味90年代に起こった最大の事件というか。さっきのN.W.A.のプロデューサーだったドクター・ドレーがイージー・Eと袂を分かって。もちろんそれまでも素晴らしい作品を作ってきたんだけど、独り立ちした途端、まあネクストレベルに完全に行ってしまった。ドクター・ドレーの時代がやってくるわけですね。

(高橋芳朗)自らデス・ロウレコードを立ち上げるとともに、ギャングスタ・ラップをより聞きやすくした。ポップ化したような。

(宇多丸)そうですね。トラックもそうだし、内容ももう、あんまり人殺しとか怖いことは歌わずに、楽しもうぜって。好きなものをカマして楽しもうぜみたいな、そういう方向にシフトしていったというね。まあ、ギャングスタ・ラップのポップ化と言ってもいいかもしれません。

(高橋芳朗)Gファンクとかね。

(宇多丸)Gファンクと呼ばれる、トラック的にも非常に特徴的なということで。さらに、やっぱりドクター・ドレーが僕、第一線で勝ち残り続けてきた理由のひとつに、ラッパーを選ぶ、選球眼ならぬ選ラッパー眼というか。それがもうずば抜けているんですよ。

(高橋芳朗)審美眼はすごいですよ。

(宇多丸)だって、まずアイス・キューブ。で、そのあとにD.O.Cっていうね、アルバム丸ごと歌詞とかを書いたすごい優れたラッパーのD.O.Cがいて。で、さらにこのデス・ロウではスヌープ・ドッグ(スヌープ・ドギー・ドッグ)というね。で、このスヌープ・ドギー・ドッグはさらにまた新世代感というか。全然マッチョじゃないというか。

(高橋芳朗)ひょろひょろのね。

(宇多丸)で、フニャフニャフニャフニャ、メロディックにラップして。で、ビデオで僕、印象的だったのはカメラを見もしないっていう。だから僕はギャングスタ・ラップ界に登場したデ・ラ・ソウルじゃないけど。そういうニュースクールが来たなっていう感じがすごいしたんですけど。

(高橋芳朗)いまはスヌープっていうと、ちょっとおもしろおじさん化しているところがあるけども。まあ、殺気を感じたというか。怖かったですよね。

(宇多丸)何を考えているのかわからない感じがね。ということで、時代を変えたGファンク。それを象徴する1曲ということで。これはヨシくん、紹介をお願いします。

(高橋芳朗)じゃあ、聞いてください。ドクター・ドレーで『Nuthin’ But A G Thang feat. Snoop Dogg』。

Dr. Dre, Snoop Dogg『Nuthin’ But A G Thang』

(宇多丸)はい。ということでドクター・ドレー feat. スヌープ・ドギー・ドッグ。当時ね。いまはスヌープ・ドッグですけども。『Nuthin’ But A G Thang』でした。でね、このアルバム『The Chronic』。ヒップホップ史上に残る名盤。私はこれね、『Nuthin’ But A G Thang』もいいんですけど……『Let Me Ride』が聞きたいんで。僕のリクエストです。『Let Me Ride』!

(高橋・ヤナタケ)アハハハハッ!

Dr. Dre『Let Me Ride』

(宇多丸)これね、ちょっと注目してください。途中で半端小節から次のバースが入るという、これはドクター・ドレーが得意としているところで。ここがかっこいい!

(Dr. Dre)「Just another motherfucking day……♪」

(宇多丸)かっこいいーっ! これですよ! 『Straight Outta Compton』の入りとかもそうだけど、ああいうの。

(高橋芳朗)これはでも本当に車に乗りながら聞きたい感じの曲ですよね。

(宇多丸)もう、全然。俺、免許持ってないのにね(笑)。

(高橋芳朗)僕もないです(笑)。じゃあ、ちょっとGファンクをたたみかけますか?

(宇多丸)たたみかけましょう! もう一発! 稀代のスーパースター、スヌープ・ドギー・ドッグの記念すべきソロデビューアルバムから。行きましょうか。『Who Am I (What’s My Name)?』。1993年の曲です!

Snoop Dogg『Who Am I (What’s My Name)?』

(宇多丸)ねえ。だいぶ華やかに。ウェイウェイ感が出てきましたよね!

(DJ YANATAKE)アハハハハッ! ウェイウェイ感(笑)。

(高橋芳朗)これはでも、(ジョージ・クリントン)『Atomic Dog』のこのビートの旨味を引き出した感じが最高です! 気持ちいいです。

(宇多丸)うん! ドクター・ドレーのプロダクションの特徴として、サンプリング時代……まだまだ、実はこの時代はサンプリング全盛期の只中に、演奏というか。ミュージシャンに演奏をしてもらって、そのいちばん気持ちいいところを。で、いくら繰り返して聞いても飽きないループみたいな。最小の、いちばん気持ちいいループを見つけるというか。でも、それが実は音楽でいちばん難しいことっていうか。だし、できればいちばんかっこいいことで。それを量産してしまう男だからドクター・ドレーは恐ろしい男ですよね。

(高橋芳朗)すごかったなー。はいはい。

(宇多丸)あと、これもちょっと触れておかなきゃいけない。

(高橋芳朗)話がちょっと前後しますが、さっきはロックとヒップホップの融合みたいな話をしましたけど、ヒップホップとR&Bの距離がすごいグッと縮まってきたタイミングでもあるんですね。で、1991年にはクイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルとしてメアリー・J.ブライジが登場します。それを仕掛けたのが後にバッドボーイを興すショーン・パフィ・コムズ。彼がヒップホップの名曲をバンバンバンバン使って。いま、後ろでかかっていますね。これは『Real Love』ですか。オーディオ・トゥーの『Top Billin’』とかを使ったりとか。

(宇多丸)そうだね!

(高橋芳朗)まあ、「ちょっとあざとい」とかよく批判されていましたけども。

(宇多丸)いやいや、でも僕はこの『Real Love』は『Top Billin’』の特徴的なビートパターンとメロディーが完全に有機的に絡んでいて。これは来たな!って思いましたよ。あとは?

(高橋芳朗)TLCも同じ年に出てきます。R&BグループのTLCにレフト・アイっていうラッパーが入っているんだよね。

(宇多丸)最初から、デフォルトでいるというね。

(高橋芳朗)これがまた、そのヒップホップの盛り上がりを象徴するようなグループかなと思います。

(DJ YANATAKE)TLCも92年だ。

(宇多丸)どんどんね、ヒップホップと歌モノの境目って……たとえばもう現在では境目はないじゃないですか。シームレスじゃないですか。そういう時代にどんどんなっていくという感じですかね。

(高橋芳朗)でもメアリー・J.ブライジの『Real Love』は本当にさっき宇多丸さんも行っていましたけど、衝撃的で。このループ感のあるトラックに歌が乗っているって、なんじゃ、こりゃ?っていう。

(宇多丸)しかもそれがちゃんといい歌感になっているという、驚くべき。

(高橋芳朗)これは鮮烈でしたね。

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