宇多丸・高橋芳朗 1990年代のラップ・ヒップホップの爆発を語る

宇多丸と高橋芳朗 NHK FM『今日は一日”RAP”三昧』を振り返る 今日は一日RAP三昧

宇多丸さん、高橋芳朗さん、DJ YANATAKEさんがNHK FM『今日は一日”RAP”三昧』の中でラップ・ヒップホップの歴史を振り返り。1990年代のヒップホップ黄金時代についてたっぷりと話していました。

(宇多丸)さあ、ということでラップの歴史を紐解く第三部。ラップの、本当にカンブリア爆発というか。たぶんサンプリングマシーンを使いこなすという技術が浸透して、それによって割と手軽に誰でも……この言い方をすると語弊があるけど、誰でも名曲が作れるようになったというか。そういう時代な気がしますよね。ラップの動き、1980年代後期から1990年代。これはまたね、別のゴールデンエイジがやってきたということです。

(高橋芳朗)うん。

(宇多丸)象徴的なのは、先ほども言いましたけども『Yo! MTV Raps』がいつ始まったんですか?

(高橋芳朗)1988年の9月ですね。

(宇多丸)ということで、映像的に見れるようになって。

(高橋芳朗)あと、8月には『The Source』というヒップホップマガジンが創刊されます。

(宇多丸)これはヒップホップ専門誌。

(DJ YANATAKE)同じ年なんですね。始まったのね。

(高橋芳朗)これがまたね。

(宇多丸)この『The Source』というか、ヒップホップ専門誌、批評会が果たした役割、90年代頭あたりで。このコーナーの途中あたりで重要な役割が出てきますので。この『The Source』という雑誌のことをよく覚えておいてください。ということで、80年代末。いわゆる、いままで僕らが聞いてきたものと一線を画する「ニュースクール」という動きが出始めます。これは一言でいえば、どういう感じ? いままでのラッパーのマッチョなイメージを覆す……。

(高橋芳朗)そうですね。否定するというか、ひっくり返す感じですよね。

(宇多丸)ひっくり返す感じで、非常にちょっと内省的だったり、おとなしい感じだったり。あるいは……。

(高橋芳朗)オタクな感じとか。

(宇多丸)オタクな感じとかもありな。

(DJ YANATAKE)ファッションとかもね、わかりやすく変わりましたよね。

(宇多丸)そうですね。ゴールドチェーンをジャラジャラで、それこそLL・クール・Jみたいにさ、素肌にゴールドチェーンジャラジャラ、みたいな。日本人には絶対に真似しようがないやつじゃなくて、もうちょっとね、日常的な。それこそ、ボタンダウンシャツを着ていてもおかしくない感じの。

(DJ YANATAKE)金のぶっといネックレスじゃなくて、手作りの革のメダリオンとか。

(宇多丸)まあアフロセントリックといって、アフリカ回帰。だから非常に意識が高い、お利口な若者たちというかね、そういう感じのイメージの若者たちが出てきた。代表的なグループはジャングル・ブラザーズ……これ、ジャングル・ブラザーズの話は後ほど、BOSEくんの話にも出てくるんで。ジャングル・ブラザーズは取っておきたいと思いますが。ア・トライブ・コールド・クエスト。そしてなによりもデ・ラ・ソウルでございます。

(高橋芳朗)うん!

(宇多丸)このデ・ラ・ソウルが1989年に『3 Feet High and Rising』というアルバムを出します。まあ、その前からすぐれたシングルを出していましたけど。とにかく、デ・ラ・ソウルが普通にチャートでヒットしましたよね。デ・ラ・ソウルがブレイクしたということで、特に日本のラッパーはめちゃめちゃホッとしたんです。つまり、日本でラップをする時に、さっきの(パブリック・エナミー)『Fight The Power』みたいに、それこそ「虐げられた黒人たちの歴史の怒りをぶつける!」みたいな時に、「俺たちはどうコミットすればいいわけ?」って思っていた我々が、「ああ、割と日本人の感覚に近いようなラッパーも出てきたし、俺たちは俺たちでいいんだ!」って心底思えたのはやっぱりニュースクールの登場。特にデ・ラ・ソウル。

(高橋芳朗)「僕たちもラップしていいんだ!」っていう。

(宇多丸)はい。そしてまさにデ・ラ・ソウルのその大ヒットシングルが「俺は俺でいいんだ」っていう、そのテーマだった。しかもビデオが、まさにさっきの『Yo! MTV Raps』でいっぱい流れましたけども。マッチョなラッパーたちをちょっと揶揄するようなね。「笑っちゃうよ、ああいうの」っていうようなビデオだったりして。日本人ラッパーとしては特に勇気をもらった。あと、ネタ使いもこれまでのジェームズ・ブラウンとかのいなたいファンクから、こちらはPファンクをサンプリングしてというあたり。音像的にも新しかったということで。非常にここからの時代はみなさん、曲が一気に華やかになってまいりますので、聞きやすくなってきます。それではお聞きください。1989年、大ヒットしました。デ・ラ・ソウルで『Me Myself And I』。

De La Soul『Me Myself And I』

(宇多丸)はい。非常にポップですよね。デ・ラ・ソウルで『Me Myself And I』をお聞きいただいております。

(高橋芳朗)デ・ラ・ソウルってアルバムだとね、ネタとしてスティーリー・ダンを使ったりだとか。あとホール&オーツを使ったり。あと、子供用に言葉の教材?

(宇多丸)フランス語のね。

(高橋芳朗)フランス語の教材を使っていたりとか。そういうサンプリングのネタがすっごいカラフルになって。

(宇多丸)さっき言った、要はビースティ・ボーイズぐらいまではやっぱりオールドスクールの現場で使われていた、実は定番だったブレイクビーツのネタが元になっていたりするんだけど、デ・ラ・ソウルで一気にネタ完全解禁っていうか。もう何をネタにしてもいいんだっていうことになって、自由度が一気に広がったという感じですね。あと、ラッパーのスタンスとしても自由度が高まったということで。デ・ラ・ソウルのブレイクは本当に一大エポックだと思いますね。

(高橋芳朗)日本のラップにとっては本当にそうですね。

(宇多丸)そうなんですよ。じゃあちょっとニュースクール、このジャングル・ブラザーズ、デ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエスト。あとクイーン・ラティファ。いまだに女優でも大活躍していますけども。あと、モニー・ラブ。まあネイティブ・タンというクルーを組んでいたりなんかしてね。そのネイティブ・タンからやはり、これね。リストを作っていて、トライブをかけないわけにはいかない。

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(宇多丸)でもトライブなんか、どれをかけるの?っていう話だけど。名曲が多すぎて!

(高橋芳朗)まあでも、この曲のネタ使いも当時、すっごい衝撃的でしたよね。

(宇多丸)さっきの「ネタ使いの自由度が高まった」っていうのを象徴するような。これはファーストアルバムからですか?

(高橋芳朗)そうですね。

(宇多丸)僕、でもね、トライブのファーストアルバム、いまだにタイトル、長すぎて覚えられないです。

(高橋芳朗)『ピープル・ナントカ』ね(笑)。

(宇多丸)そう(笑)。『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』……『ピープル・ナントカ』って(笑)。アハハハハッ! じゃあね、トライブのファーストアルバム『ピープル・ナントカ』から1990年のアルバムですけど、そこからカットされました『Can I Kick It?』。

A Tribe Called Quest『Can I Kick It?』

(宇多丸)はい。ということでア・トライブ・コールド・クエストのファーストアルバム『ピープル・ナントカ』から(笑)。『Can I Kick It?』を。

(高橋芳朗)ルー・リードの『Walk on the Wild Side』という曲をループしているんですね。

(宇多丸)ちなみに、ア・トライブ・コールド・クエストはさっき言ったネイティブ・タンの中でもやっぱり頭一つ抜けていてビッググループになっていくというか。次から次へ、このファーストももちろん素晴らしかったけど、もう歴史的革命的名盤のセカンド『The Low End Theory』。そしてサードの『Midnight Marauders』とか。その先にも……また時代が変わっていく。後ほど、J・ディラが登場する話なんかも触れると思います。ちなみにこの時間帯、たっぷり使えます。この90年代は名曲が多すぎて。85分使えるんで。

(高橋芳朗)約1時間半ね(笑)。

(宇多丸)いま10分すぎたから、あと75分使えるから!

(高橋・ヤナタケ)アハハハハッ!

(宇多丸)もうやりたい放題です。いきますよー、やりたい放題。まあ、そん中でもね、かけきれない曲は……サー・ミックス・ア・ロットとかね、売れていたのにね。お尻のセットでこうやって歌っていたりするんだからさ。

(高橋芳朗)はいはい。あと、トーン・ロックの『Wild Thing』とか。

(宇多丸)そうだよ。普通に売れたのはそっちだよ。ヤング・MCとか。

(高橋芳朗)『Bust A Move』とかね。

(宇多丸)2・ライブ・クルーとかね。

(高橋芳朗)『Me So Horny』。

(宇多丸)まあ、後ほどシーンの概観みたいな話はしたいと思いますが。ということで、ナードなというかオタクな感じ。おとなしい感じの子たち。ニュースクールが台頭してきたわけですけど、同時期に先ほど、スクーリー・D。覚えてらっしゃいますかね? 『PSK, What Does It Mean?』。

(高橋芳朗)まあ、ギャングスタ・ラップのルーツですよ。

(宇多丸)あるいは、アイス・T。これは映画俳優としても活躍していますからご存知の方も多いでしょう。『Colors』なんか。アイス・Tなどをルーツとするギャングスタ・ラップが本格的に台頭。で、その立役者となったのが最近、伝記映画がもう世界的にも大ヒットしましたし。素晴らしい映画だったから。『ストレイト・アウタ・コンプトン』で改めて知った方も多いんじゃないでしょうか? N.W.A.というね。これは何の略かは私は言うのをちょっと控えておきますが……。

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(高橋芳朗)ちょっと言いづらい。

(宇多丸)いわゆる「Nワード」が含まれておりますが。まあ、ギャングスタ・ラップの代表格N.W.A.が登場するということですね。

(高橋芳朗)世界でもっとも危険なグループですよ。

(宇多丸)N.W.A.はやっぱりどこが革命的だったわけですかね? やっぱりリリックの内容……アイス・キューブという稀代の天才ラッパーがいてというところもありますしね。あと、キャラがね。これは映画を見るとわかりますけど、個々のキャラが立っている。そしてもちろん、トラックメイカーとしてこれはヒップホップ史上でまあ、ベストプロデューサー。

(高橋芳朗)ナンバーワン・プロデューサーと言っていいんじゃないですか?

(宇多丸)ドクター・ドレーを擁するということで。まあそういうN.W.A.ですけども。とりあえずN.W.A.、聞いてもらいましょうか。荒っぽい曲ですね。こちら、1988年の曲です。N.W.A.で『Straight Outta Compton』。あ、補足?

(高橋芳朗)映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』、みなさんご覧になった方も多いと思いますけども。

(宇多丸)見ていない方は見てください。いい映画です。

(高橋芳朗)あれで見ちゃうと、N.W.A.の捉え方がまた当時とちょっと違うところがありますよね。

(宇多丸)なんかすごくいまの問題意識に合わせた描き方をしてますよね。

(高橋芳朗)ここ数年、ポリスハラスメントが問題になっていたりして。白人警官が黒人に暴力をふるったりするという。

(宇多丸)まあN.W.A.の代表曲で、今日はNHKだから控えますけども。『F*ck The Police』っていう曲がありますけども。それに合わせたような描写になっているけど、そんな意識高い系の要素は微塵もないですよね!

(高橋芳朗)そうですよね。当時は全然そんな感じじゃなかったっていう。

(宇多丸)もっと、単に本当のワルがドーンと来たっていう感じでしたよね。

(高橋芳朗)このジャケットもなんか、グルッとメンバーが囲んで、ピストルをカメラに向けているという。

(宇多丸)最後に見る瞬間の画がこれは嫌だという。ということで、準備はよろしいでしょうか。N.W.A.で1988年の曲です。『Straight Outta Compton』。

N.W.A.『Straight Outta Compton』

(宇多丸)はい。ラップだけ聞いてもどんだけメンバーのキャラが立っているかっていうのがわかるかと思います。

(高橋芳朗)しゃべりだそうとした時にイージー・Eのラップが来て。

(宇多丸)最後、やっぱりね! 最後の甲高いのがイージー・Eというね。

(DJ YANATAKE)全然これ、曲の間は休まらないですね(笑)。ああだこうだしゃべって(笑)。

(宇多丸)N.W.A.で『Straight Outta Compton』を聞いていただきました。だからこの曲は、まあギャングスタ・ラップを象徴する1曲でもあるけども、マイクパス物っていうかさ。ラップの大きな魅力で、いろいろとキャラクターが立ったラッパーが次から次へとマイクを渡していって、どんどん次から次へと出てくる楽しさっていうね、これもありますし。あと、やっぱりこれ、言っている内容が超怖いとかってさ、面白いのは映画を見た方ならわかると思いますが、アイス・キューブは全然大学に行っていたりして。

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(高橋芳朗)インテリですから。

(宇多丸)本人たちは別に……まあギリでイージー・Eがドラッグディーラーだというぐらいで。ギャングでもなんでもないんだけど、実際に彼らの周囲にあった怖い話みたいなのを見事なストーリーテリングでまとめあげるという。そして顔がきっちり怖いという。

(高橋芳朗)アハハハハッ! 眉毛が10時10分になってますから。

(宇多丸)アイス・キューブは顔が怖いのがスキルっていうのはやっぱりありますよね。わからない方は「アイス・キューブ」でね、検索をしていただくととてつもない顔が出てきますからね。

(高橋芳朗)でもやっぱりイージー・Eのラップが来るとちょっと怖っ!っていう感じに。緊張が走りますよね。

(宇多丸)あのね、弱っちい声で怖いことを歌われると怖いっていうのは……これ、弱っちいかはわからないけど、甲高い声っていうか。これはこの後にサイプレス・ヒルのB・リアルとか。あとね、アバブ・ザ・ロウのCold 187umとかね、そういう系譜があるんですよ。日本だとだからD.O.くんがああいう甲高い声で怖いことを歌うっていう系譜を見事に。彼はよくわかっているなという風に思いますね。

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(高橋芳朗)イージー・Eが来ると本物のバイオレンスが入ってきたな!っていう感じがしますね。

(宇多丸)要するにさ、本来音楽とかやってねえだろ?っていう感じがね、いいんですよね。ということで、あとN.W.A.はやはりもうひとつ重要なのは、コンプトンというのはLAの街なわけで。アイス・キューブなんかは「別にコンプトン出身じゃないのに」って言っているんですけども。要は、ヒップホップの中心地が、特に売れているラップはもうこの時点でニューヨークじゃなくなってきてますよね。全然ね。LA……たとえばさっき挙げたトーン・ロックとかは全然西海岸だったりして。

(DJ YANATAKE)そうですね。

(宇多丸)ということで、地方にどんどんヒップホップの盛り上がりが拡散していくというか、移っているという感じですね。たとえば、マイアミの2・ライブ・クルー。2・ライブ・クルーはもうずーっと人気がありましたよね。猥褻な歌詞で人気でしたしっていうあたりで、地方に移っていくという話。ヨシくん、お願いします。

(高橋芳朗)そうですね。ここでいちばん注目したい代表的存在がですね、テキサスのヒューストンから出てきましたゲトー・ボーイズ。

(宇多丸)テキサスって要するに、後にヒップホップの中心地が南部(サウス)にニューヨークから移っていっちゃうっていうか。そんぐらいになっちゃう。その先駆け的なことでよろしいんでしょうか?

(高橋芳朗)そうですね。もう、N.W.A.がブレイクしたことによって小型N.W.A.って言ったら申し訳ないけど、そういうのがバンバンバンバン、アメリカの地方で出てくるわけなんですけど。その中でもゲトー・ボーイズがいちばん衝撃だったかなという。

(宇多丸)そう。まさにギャングスタ・ラップだけじゃなくて、ギャングスタそのものもN.W.A.の影響で増えちゃったということはクーリオという、『Fantastic Voyage』とか『Gangsta’s Paradise』という曲でヒットを飛ばして。俳優としても活躍していましたけど、クーリオに私、直接インタビューした際にですね、クーリオさんがやっぱりすごく腹立たしげに「あいつらが出てきたおかげでギャングが全国に増えて暴力沙汰・死亡が増えてとんでもないことだ!」って怒ってましたけどね。そういうことでじゃあ、地方……これからお聞きいただくのはゲトー・ボーイズですね。

(高橋芳朗)はい。

(宇多丸)ゲトー・ボーイズのこれからお聞きいただく曲のアルバム。1991年のアルバム『We Can’t Be Stopped』というアルバムなんですけど。みなさん、これぜひお手元にスマホやパソコン等ある方は画像検索をしてください。このジャケット、ブッシュウィック・ビルさんというラッパーが銃で目を?

(高橋芳朗)ガールフレンドに痴話喧嘩で目を銃で撃たれて病院に運ばれてきたという。

(宇多丸)その瞬間の写真がね。痴話喧嘩じゃねえか! 別にギャングと関係ねえだろ!っていう感じが。

(DJ YANATAKE)めっちゃ目を怪我してるんだけど、病院の前で記念撮影しているっていう(笑)。

(高橋芳朗)フハハハハッ!

(宇多丸)だから「撃たれた!」って。だってほら、横のスカーフェイスとかはおめかししてるじゃん? だからジャケを撮る気満々ですよね。とりあえずね。「写真、撮るぞ!」っていうね、このジャケ。たぶんポップ・ミュージック史上に残る悪趣味なジャケですね。

(高橋芳朗)強烈なジャケでしたね。本当にあれは。

(宇多丸)じゃあ、ゲトー・ボーイズはヨシくん、曲紹介をお願いします。

(高橋芳朗)じゃあ聞いてください。ゲトー・ボーイズで『My Mind Playing Tricks On Me』です。

Geto Boys『My Mind Playing Tricks On Me』

(宇多丸)はい。ゲトー・ボーイズ『My Mind Playing Tricks On Me』を聞いていただいております。1991年。これ、すごい売れたですけど。先ほどのセンセーショナルなジャケットについての本人たちの証言を……。

(高橋芳朗)『チェック・ザ・テクニーク』という本で、当時の供述があるんですけども。メンバーのウィリー・Dが「アルバムを全部終わったと思ったら、ブッシュウィック・ビルが撃たれた。とにかく俺たちはアルバムを出さなきゃいけない状況まで来ていたんだけど、まだジャケットができていない。誰のアイデアかは知らないけど、『そうだ。すぐに病院まで行って、向こうで撮ろう!』」と(笑)。

(DJ YANATAKE)わざわざ行ったの?(笑)。

(高橋芳朗)それで実際に本当にあのままで。「作り物だ」って言う人もいっぱいいたけど、完全にあれは本物だと。

(宇多丸)結構目が飛び出ちゃって。

(高橋芳朗)それでブッシュウィック・ビルはあのジャケットの写真について、後悔の念を表しているという。

(宇多丸)ああ、あんなのをジャケにしちゃって?

(高橋芳朗)「あのジャケットを見ると、いまでも胸が痛む。俺が経験した個人的なことだから」って(笑)。

(宇多丸)そりゃそうだよ!(笑)。

(高橋芳朗)「あんなことをさせたのは大間違いだった」っていうね(笑)。

(宇多丸・ヤナタケ)フハハハハッ!

(宇多丸)笑っちゃあ失礼ですけどね。

(高橋芳朗)でも、そのぐらい衝撃な。

(宇多丸)ただまあ、あのジャケのインパクトもあって売れたっていうのもあるでしょうからね。ちなみに、その地方からどんどん群雄割拠をしてくるという意味では、後に一大中心地になっていくアトランタからジャーメイン・デュプリというね、一大プロデューサーが出てきて。クリス・クロスの『Jump』っていう曲が大ヒットしたりとか。

(宇多丸)同じくアトランタから、もうアトランタを代表する大グループ、アウトキャストがデビュー。93年。

(高橋芳朗)あと、テキサスからもUGKが1992年にもうデビューしていますね。

(宇多丸)で、実際にもう売れているのはそっちの方だったりするんですよね。で、いままで言ってきたのは、デ・ラ・ソウルとかがたとえばサンプリングというか。音楽像的な可能性を切り開いた。あるいは、ラッパーのスタンスの、いろんなやり方があるよというのを切り開いた。で、ラップをやる地方もいろんなところに。一言でいえば、ヒップホップ・ラップの拡散の時代じゃないですか。それが思うに89年、90年ぐらいに起って。で、みなさんご存知MCハマー。あるいはヴァニラ・アイスとかそういうのがポップヒットを飛ばしたという。

(高橋芳朗)これが1990年ですね。

(宇多丸)あ、いま後ろで流れているのはクリス・クロスの『Jump』。1992年ですね。『Jump』はかっこいいですよね。

(宇多丸)ハマー、出ますかね? あ、来ました。ちょっとみなさん、聞いてみましょう。

(宇多丸)はい。ということでみなさんご存知MCハマー。大ブレイクして。その後に白人ラッパーのヴァニラ・アイスというのが登場して。ラップは一気にポップでクロスオーバーなヒットを飛ばすようになったんですが……で、たぶんロックと同じ道筋を言ったら、その白人ラッパー……まあ後にね、エミネムっていうめちゃめちゃな怪物ラッパーが登場するんですが、それはまた置いておいて。このままヴァニラ・アイスとかばっかりが売れて、黒人アーティストはそんなに売れなくなって、みたいな。そういう、要するにエルヴィスがロックンロール・キングであるような歴史というのになりかねなかったところで、やっぱりヒップホップは強烈な揺り戻し、バックラッシュ、自浄作用という感じが起こって。

(高橋芳朗)そうですね。

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