宇多丸と武田砂鉄『わかりやすさの罪』を語る

武田砂鉄『わかりやすさの罪』を語る アフター6ジャンクション

武田砂鉄さんが2020年7月7日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』に出演。宇多丸さん、宇垣美里さんの著書『わかりやすさの罪』について話していました。

(宇垣美里)そして本日、最新刊となります『わかりやすさの罪』が朝日新聞出版から発売されました。

(宇多丸)ああ、今日なんですね。おめでとうございます。

(武田砂鉄)ありがとうございます。

わかりやすさの罪
朝日新聞出版

(宇多丸)砂鉄さん、実は小島慶子さん。昔はTBSラジオでも『キラ☆キラ』なんてのをやっていましたけども。小島慶子さんとたまにというか、定期的に食事とかをしてたりするんですけど。その時に「最近、砂鉄さんと仲がよくて。ぜひ宇多丸さんに紹介したいんですよね」っていう……。

(武田砂鉄)そういう話、ありましたよ。もう半年前ぐらい。どうなったんですか、あの約束は?(笑)。

(宇多丸)いやいや(笑)。砂鉄さんのその詰めモード、なんですか?

(武田砂鉄)いやいや(笑)。

(宇多丸)そうなんですよ。それで、そうこうするうちに……僕が「ツアーが終わったらね」とか言ってるうちに、何かちょっとこんな感じになってしまい……ということで。先にあいさつしてしました。小島さん、ありがとうございます。

(武田砂鉄)すいません、小島さん。

(宇多丸)いずれ、その飯はやりま症って言うことで。でも、僕は『紋切型社会』とか、前からご著書も拝読しておりまして。

(武田砂鉄)恐縮でございます。

(宇多丸)毎回、武田さんの本は「そうだ、その通りだ! 俺も前からそう思ってた!」みたいなことを思う一方で、「俺、ここまで考えずにいろいろしゃべっちゃってた」とか「あっ、これは俺がスルーしてなんとなくやっちゃってたことだ」とか。なんか、なんて言うのかな? これはもちろんいい意味で言ってですけど、これを読むと後ろ暗くなる(笑)。

(武田砂鉄)そうなんですよ。僕もやっぱり完成した本を読みなおしてみると「本当に嫌なやつだな」って思うんですよね(笑)。

(宇多丸)でもそこをね、ちゃんと人が言わなかったり、意識化してなかったりしてる部分を指摘されていくって本当に大事なことというか。

(武田砂鉄)でも今回、その「わかりやすさというものを疑う」っていうことで本を書いたんですけど。でも、どんな人でもたぶん物事を考えてる時に「ここらへんでやめて、そのまま人に伝えちゃおう」という。「まあ、こんなもんでいいか」っていうところで止めちゃってるとこがあると思うんですけど。でも本当はもっと考えてることって常に複雑なのに、それをやっぱり交通整理して伝えちゃって。それを交通整理して伝える方が「ああ、わかりやすい。ありがとう」っていうことで割と褒められる世の中になっちゃっているんですよね。

(宇多丸)そうなんですよね。うんうん。で、こっちもどんどんそっちに寄せていっちゃったりしていますよね。特にこういう場でしゃべっていたりすると。だからたとえば自分のその映画評とかでも、やっぱり人気があるものはものすごく明快に旗色がはっきりしているもの……まあ、めちゃめちゃけなしてるとか。そういう時なんだけど、別に「こういう要素もあって、こういう要素もあって、全体としてこういう感じ」みたいなところを伝えるためにこの尺を使ってたりするんだけど。

やっぱりこう、明快さを求められるし。で、「やっぱりその明快さもある程度、毎回必要だろう。じゃあ、最初に結論を言ってみようか……」とか。ちょっとやっぱりその「迎合」っていうほどそういうつもりでもないんだけど……やっぱり受けたいから、そっちに寄せちゃっていたりするな、とかね。なんかだからそこは別に明快に「こうすればいい」みたいな答えが出る話じゃないんですけど。

(武田砂鉄)基本的にどんなことでもそんなに伝わりきることってないと思うんですよね。だけどなんか、まあたとえば音楽のレビューを書いてたりとか、インタビューでいろいろお話になることがあると思いますけれど。それを、言われたことを確実に伝えなきゃいけない、伝えなきゃいけない。シンプルに伝えなきゃいけないっていう風にちょっと思いすぎているようなところがあると思うんですよね。

(宇多丸)なるほど。その、伝わらなくてなんぼだし。まあ、わかる人はわかる人で……でも、どんだけ言葉を尽くしても結局、伝わらないところには伝わらないとかね。そういう当たり前の事実もおあったりするし。

(武田砂鉄)そうですね。別に誰もが池上明さん的なことをやる必要っていうのはないわけなので。そういう風に「一発でわかる」とか「30分でわかる」っていうことを求めすぎているような気がするんですよね。

(宇多丸)そもそも、たとえば一発でわかったら、そのいろんなものがいらないわけで。何のために、たとえば小説っていう形にしてるんだろうとか、何のために映画っていう形にしてるんだろうとかね、そういうこともありますもんね。

「わかりやすさ」のために削ぎ落とされるもの

(武田砂鉄)「すぐにわかる」とか「一発でわかる」っていう風に伝える時にはかならず削ぎ落としてるものがたくさんあるわけですよね。まあ、たとえばフルーツをこういう風にカットしたら、それが食べやすいっていう形になってることはわかっているわけだけど、じゃあそのカットした後のフルーツってどうしちゃってるの?っていうと、それはたぶん伝えるために捨ててしまっているわけですよね。でも、その中にものすごい伝えなきゃいけないことの大切な部分っていっぱい含まれてると思うんですけど。なんかそういうものが今、軽視されてるっていう苛立ちがすごくあるんですよね。

(宇多丸)あと、やっぱりたとえばそうだよなって思うのは、選択肢を示された時に「Aですか、Bですか?」って言われて。でも、そもそも「Aですか、Bですか?」っていうその選択肢がおかしいかもしれないですからね。

(武田砂鉄)そうですよ。「犬が好きですか? 猫が好きですか?」「いや、僕はそんな、どっちも好きじゃないですよ」という答えがなぜか許されなくて。「ウサギの方が好きです」とか「カレーを食べに行きましょう」っていう選択肢があってもいいんですけど。なんか、この「なぜその選択肢を自分の目の前に差し出されただろうか?」っていう疑い持たないと、どんどん「どっちを選ぶ? どっちを選ぶ?」「ああ、一緒じゃん。よかった!」「えっ、違うんだ? わーっ!」っていうようなことだけになってしまうので。

(宇多丸)でも結構、今だと絶えず旗色を明白にするように。どの局面でも絶えず旗色明白にするように求められていたりとか。あとは、その「Aじゃない? ならば、Bですね」って勝手にされちゃったりとか。そういうことが多いじゃないですか。

(武田砂鉄)『ACTION』のCM中とかにスタジオの上にテレビ画面が並んでるじゃないですか。で、夕方に見てるとそのワイドショーがいろんなニュースを伝えるときにテロップでね、「悲痛」とか「歓喜」とかって……つまり、「このニュースを見た時にどういう感情になるか?」っていうのを最初から知らせてるニュースがあるわけです。もちろん「悲痛」っていうニュースはおそらく悲痛なんだろうけれど。それを見る側にある種、感情としてひとつに絞るっていうのはこれはおかしいんじゃないかな?っていつも思うんですよね。

(宇多丸)めちゃくちゃでも、もういつの間にかその感情の誘導が普通にありになっちゃってますよね。普通の……一応ニュースなのに。それで怖い音楽を流したりね。たとえば、「外国人の方が夜の街でこんなことがあって」みたいな時に「ドーン……」とかって鳴って。それで当てる日本語とかもなんかものすごい怖い声を当てられたり。「こんなに誘導していいのか?」っていうのがいつの間にか増えちゃってるから。

(武田砂鉄)本来、そういったイメージみたいなものから外れて考えることってずっとしてきたと思うんですけど。何かそういう「固める」っていう作業が今、いろんなところで行われすぎてるような気がするんですよ。それに対する気持ち悪さってのは常にありますね。

(宇多丸)なのでやっぱり武田さんのこういう本を読んで、それぞれがちゃんと「自分は大丈夫か?」とかね。ある種の後ろ暗さを感じたりとかっていうのがね。

(武田砂鉄)後ろ暗さを感じる本というのは、なかなかどうなんでしょうね?(笑)。

(宇多丸)アハハハハハハハハッ! キャッチーとは言い難い!

(武田砂鉄)まあ、ストレスはかかりますけども。そのストレスがかかる状態で本を読むっていうのは僕はいいことだと思ってるんで。面倒くさい思いをしてほしいです。

(宇多丸)気持ちいい思いするためだけのもののみを摂取してると間違いなくバカになるじゃないですか。

(宇垣美里)間違いないですね。

(宇多丸)なので、ねえ。良薬口に苦しという。こういう風にまたまとめをしてしまいました。

(武田砂鉄)いやいや……。

(宇多丸)宇垣さんも読んだんですもんね?

(宇垣美里)読みました。やっぱりその中で、それこそラジオの言葉とかもすごく分かりやすく切り取られて。「そういうわけではなかったのですが……」みたいな話に、ニュースになったりしてっていう時のあの苛立ちっていうのはすごく私も毎回感じることで。ただ一方で、アナウンサーですので。「……ということは、こういうことですよね?」とかをすごくよく言ってきたんです。言ってきましたし、それがある種、仕事だった部分もあって。「あれってでも、本当にそういうことだったのだろうか?」みたいなことを考えちゃうと、「じゃあ、これから私はどうしていけばいいのだろう?」みたいな感じに悩みもして。

(武田砂鉄)まあ、だから全員で頭を抱えて生きていけばいいんじゃないかなと思うんですけどね。

(宇多丸)それとか、まあ「その論理を自分でも使ってしまった。ああっ!」とかね。僕も「だから論理」はすごい使うから。「○○。だから、こうなんだ」っていうことで、自分のたとえば映画評とかに説得力を持たせていくというテクニックはやっぱり当然、使うし。だから、なんていうの? でも、「自戒を込めて」とか言うとものすごい欺瞞にみちたまとめフレーズっぽくなっちゃって。それも嫌なんだけど……とか。

(武田砂鉄)いやいや、僕もそれは思いますからね。自分でしゃべっていて「ああ、うまいことまとめやがったな」っていうことを思うので。

(宇多丸)まあ放送をやってると、それはまとめないとどうにもならないし……とかね。

(宇垣美里)ねえ。終わりが来ているとか。

(武田砂鉄)そうですよね。

(宇垣美里)あと私は「あなたは結局、何なんですか?」ってすごくよく言われるんですけど。「何でもよくない?」ってずっと思っていて。

(宇多丸)それは肩書的に?

(宇垣美里)はい。で、これを読んだ結果、「ああ、何でもいい!」って思いました。

(武田砂鉄)「なんであなたに答えなくちゃいけないの?」っていうのもありますしね。

(宇垣美里)そう。私がなぜ、なにかに固められなければならないのだ?っていうことでもあるのかなって思ったので。わかりやすい気質っていらないよねって思いました。

タモリさん論

(宇多丸)その「肩書き不明」っていうところで言うと僕はやっぱりこの中のそのタモさん論っていうのがすごく面白くて。タモリさん。俺もタモリさんの番組に出て「なんか面白くない時に無理やり面白いふりしなくていいからね」っていうイズムを感じるというか。だからこそ、やっぱり『タモリ倶楽部』だけは出たいとか。テレビの中でも。何かそういうのも……。

(武田砂鉄)ああいうお立場の方で、その正体不明でいるっていうのはやっぱりすごく相当大変なことだと思運ですよね。でも、ああいう風に「何なんだろう、あの人は?」っていう風に長年思わせるって、かなり徹底してないとできないことだと思うんですよね。

(宇多丸)本当ですね。あと、その「面白さ」っていうところもなんか、決してそれこそわかりやすくなくても、「面白い、のかな?」っていう、そのいわゆる型にはめなくても「面白い」とか「興味深い」っていうのは当然いっぱいあるし。だからなんかそこで「ああ、自分がなんでタモさんのことを好きなのか、よくわかったわ」っていうね。

(武田砂鉄)よくとんねるずの石橋さんとかが昔、テレビでよくわからないタレントを上げてゲラゲラと笑っているっていう光景があって。でも、子供の自分にはそれがよくわからないんだけども。どうやら、この人が語ることが面白いらしいって思った時に、次にその人の存在を発見した際にはそこがなんか結びついて、やたらと面白くなるっていうことがあるんですけども。今だとたぶんそこに出てくる人の説明を入れちゃうわけですよね。

(宇多丸)「誰?」ってなっちゃうっていうことですもんね。

(武田砂鉄)それをたぶんそのまま放牧しておくっていうことが割と重要なんじゃないかな?っていつも思いますけどね。

(宇多丸)本当に面白いことっていうのはそういうことかもしれない。しかも、タモリさん自身もそこをかなり意識的に狙っていたんだっていうこととかが面白いなと思って。僕が最初に『タモリ倶楽部』に出た時に「僕が何者かとかっていう説明はいらないですか?」って聞いたら「ああ、そういうのはいらない」って。この言い切りっていうね。ということで、『わかりやすさの罪』。本日発売となりました。朝日新聞出版より。皆さんもね、気まずい思いをいっぱいしてください。

わかりやすさの罪
朝日新聞出版

(宇垣美里)フフフ(笑)。

(武田砂鉄)はい、すいません。

<書き起こしおわり>

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