渡辺志保とDJ YANATAKE DMXを追悼する

渡辺志保とDJ YANATAKE DMXを追悼する INSIDE OUT

渡辺志保さんとDJ YANATAKEさんが2021年4月12日放送のblock.fm『INSIDE OUT』の中で亡くなったラッパーのDMXを追悼していました。

(渡辺志保)で、今日はやはりちょっと冒頭、この話をしないとなと思ってたんですけど。結構私はですね、自分でもびっくりするぐらいなんかショックを受けてるというか。心にポッカリ大きな穴が開いてしまったような感じがしておりまして。『INSIDE OUT』を聞いてくださてるような皆様であればもうご存知だと思うんですけれども。去る4月9日にですね、レジェンドラッパーのDMXさんがお亡くなりになりました。50歳という若さでした。

先週の『INSIDE OUT』でもたしか冒頭で「DMXがちょっと危ないらしいね」みたいなことは話したかと思うんですけれども。亡くなる約1週間前に心臓発作で病院に運ばれて。その後ずっとね、生命維持装置を付けていて。で、最終的に脳機能テストっていうのを行なったらしいんですね。そこでまあ、脳が停止した状態である。あと他の臓器も活動を停止していたということで、ご家族……今はご遺族となってしまいましたけれども。ご家族の方がその生命維持装置を外すという決意をして、4月9日に息を引き取ったということでした。

なんか、DMXのイメージってすごいさ、全盛期は超アグレッシブっていう感じだったから。なんか「危ないぞ」って報道があっても、どこかで「まあ、DMXなら息を吹き返すかな」みたいな期待がなんとなく、個人的にはあったんですけど。ねえ。「最後まで戦っていました」っていう風にご遺族の方も発表していらっしゃいましたけれども。なんかそこに打ち勝てなかったということです。

ただDMXさんは生前もインタビューですごく「自分はもう人生を生ききった」みたいな。「いつ死んでも悔いはない」みたいなことも仰ってたから、すごく晴れやかな気持ちでもしかしたら天国に行かれたのかなとか思うんですけど。まあ、このままちょっとしゃべり続けちゃうんですけど。彼がデビューしたのって、本格的にデビューしたのは1998年で。それより前はずっとバトル系のラッパーとしてずっとニューヨークで活動していたみたいなんですよね。で、98年って本当に私がほぼリアルタイムにUSのヒップホップをめっちゃディグり始めたのがまさに97年とか98年の頃だったんですよ。

で、ちょうどそれぐらいの時ってさ、スウィズ・ビーツが出てきて、ティンバランドが出てきて……っていう。そのビート面でもだいぶヒップホップの状況っていうのが変わってきた頃だったと思うんですよね。それまではさ、イーストコーストのヒップホップが黄金期とも言われて。DJプレミアとか、ピート・ロックとかが本当ににすばらしいループのビートを組んで、名曲を放っていたわけですけど。当時、私は中学校1、2年ぐらいだったからさ、そういうループのビートはちょっと退屈だなって思ってたんですね。正直ね。で、ギャングスターの曲とかもさ、どこがフックかわかんないまま、なんかスクラッチがキュキュキュッと入って終わっちゃうみたいな印象が当時あったの。「あれ? サビはどこ? これ、どこで合唱するの?」みたいなのがあって。

ただ、やっぱりティンバとかスウィズとかが作るビートはちょっと派手というか、分かりやすさもあったし。きらびやかさんもあったし。イメージもそうですよね。バッドボーイであるとか、最初のジェイ・Zのハスラー系のラッパーとして出てきたジェイ・Zとかも、ちょっと華やかさみたいなのもあったから。当時の私はやっぱりそっちの方がわかりやすいし。視覚的にもね。それでどんどんどんどんハマっていって。もうマジでスウィズとティンバは大好きでしたからね(笑)。

だからそんな時に、ほぼちょうどラフ・ライダーズとしてデビューしたのことも本当にリアルタイムで。「ああ、こんなラッパーがいるんだ。っていうか、犬の鳴き声がしてるけど、大丈夫か?」みたいな。で、「このバウバウ、ガルル……みたいなのは本当に犬を連れてきて吠えさせているのか、それともこのDMXさんの声なのか、どっちなのか?」とかね、思ってたし。「ああ、仲間のことを『ドッグ』って呼ぶんだ。超かっけー!」みたいなね。なんかそういったのをいちいちかっこいいなと思っていたし。同時に、やっぱりすごく殺人、死について歌うことも多かったし。ちょっとホラーチックな描写なんかもありましたので。「一体この人は何をラップしてるんだろう?」とか当時、すごく思ってたんだよね。

だからこの今回のDMXさんの訃報を聞いて、ちょっと当時の中学生とか高校生ぐらいの青春真っ只中の自分のヒップホップ観、ヒップホップのカルチャーに当時、どう衝撃を受けていたかとか。そういったことまですごく思い出しちゃって。なんかぶっちゃけ、あんまりちょっと新譜とかそんなに……週末だからいっぱい出てましたけど。ちょっとそんなに熱心に追いかける気持ちにはならなかったなっていうのが正直なところかなっていう感じです。

(DJ YANATAKE)はい。ヤナタケでございます。まあ、世代的にも志保さんにもねすごいハマると思ったし。やっぱりあの頃、本当にそのデフジャムがチームとしてのね、レーベルの勢いっていうか。ジェイ・Zもそうですし、ジャ・ルールとかね、続けてどんどん出てきて。もうデフジャム帝国が完成した時っていうかね。そういう時だったっていうのと、今、志保が言っていたスウィズ・ビーツとかね、ネプチューンズもそうですけども。サウンドが新しくなってきた時で。それを大きくリードしていたっていうのと。あと、本当にCDがたぶん一番売れていた時で。

(渡辺志保)そうでしょうね。

(DJ YANATAKE)なので、CDに関してはエミネムに次ぐぐらいDMXは売ったラッパーだ、みたいな。そういう関連のニュースも見ましたけども。やっぱりその後も本当に改めてさ、チャートの年表みたいなところを見たけど。本当にヒット曲とヒットアルバムが多かった人なんだなって思って。で、ソロだけじゃなくてラフ・ライダーズとしての活動もあるわけだからさ。

(渡辺志保)そうよ! エグいよ! エグい。いや、だから本当に食らった。訃報に食らったっていう感じで。私、2年前かな? 2019年にマイアミのローリングラウドに行った時にDMXさんがメインステージでパフォーマンスをしていらっしゃったんですよね。で、その当時、私はそれを知ってたのかな? 当時もだからリハビリ……「薬物依存とかと戦うためにライブはいくつか制限する」みたいなことを仰っていて。たぶんそのローリングラウドが5月だったので、5月以降のライブっていうのはほぼキャンセルしていらっしゃっていたような気もするんですけど。間違ってたらごめんなさい。

でも白昼、DMXさんがステージに上がられて。もう本当に……当たり前だけどアンセムを連発するわけですよね。で、『Where The Hood At?』とかね、『Ruff Ryders’ Anthem』とかもそうだけども。あとは『Party Up (Up In Here)』とかもさ。その時もDMXさんは47とか48とかそれぐらいの歳なんだけども、ハタチぐらいのキッズたちがそれですごいモッシュとかもするし。グルグルグルグル回りながら大騒ぎをするんですよね。みんな、だからトラヴィス・スコットとかミーゴスとかを見に来ているキッズたちなんだけど。もう自分のお父さんぐらいの人の曲で、しかもたぶん自分が生まれてるか生まれてないかぐらいのヒット曲でガンガン合唱してるし、騒いでいて。「ああ、こりゃすごいことだな」って思ったんですよね。

現代の若者をもロックするDMX

(DJ YANATAKE)そうですね。あと、そのライブの話で言うとさ、有名な映像ですけど。ウッドストックの映像が……ヒップホップのアーティストがさ、ウッドストックみたいな大型フェスでここまでの観衆を1度にロックできるんだっていうのは、ひょっとしたらこれが初めての映像だったかもな、ぐらいのね。

(渡辺志保)そうかもね。だってあれ、今回私も改めて見て、99年なんですよね。だからそのソロデビューして2年目みたいな感じですよね。それでもあれだけがっちりロックしていて。すごいと思った。ちなみにそのウッドストックでのライブの音源がちゃんとアップルミュージックとかにも配信されていて。聞いちゃったもんね(笑)。部屋で流しちゃったもんね。DMXのライブ音源をね。

(渡辺志保)あとはやっぱり本当にDJの方もDMXさんの曲は何百回、何千回かけたかわからないぐらいのことになってると思うんですけどね。本当に。「困った時は『Party Up』」みたいなね。そういう感じが無きにしもあらずじゃないかと思いますし。うん。だからやっぱりあのがなりをラップにしたっていうのはデカいな、みたいな。あの「ワンワン!」みたいなのを曲として、音楽としてありにしたんだとか思って。そういうことをいちいち……。

(DJ YANATAKE)そうね(笑)。たしかにそういう、今のガヤみたいな話もたしかにこういうところから始まっていたのかもしれないな。

(渡辺志保)そうですよ。本当に。なのでね、もうしんみりとした気持ち。だって全部……「DMX」とは呼べないもん。「DMXさん」って呼びたくなる。「DMXさん、ありがとうございました」みたいな。

(DJ YANATAKE)50歳だからね。

(渡辺志保)若いよね。

(DJ YANATAKE)本当に。ZEEBRA the Daddyも同い年ですからね。

(渡辺志保)だからZEEBRAさんとかもかなり影響を受けていらっしゃったんじゃないかなって。

(DJ YANATAKE)もちろんそうだと思うし。そう思っちゃうと、すごい若いよね。本当にさ。

(渡辺志保)だって同世代っていうことじゃないですか。で、本当にティーン、10代の頃からずっとね、薬物依存に苦しんでいらっしゃったって仰っていて。なんかさ、ラッパーとしては本当に彼をしのぐラッパーは数えるほどしかいないぐらいに商業的にも成功を収めていらっしゃったわけじゃないですか。でも、それをもってしてもやっぱりそのドラッグ依存から抜け出せなかったんだなとか考えると、本当に……うん。なんか恐ろしいなというか。彼の人生って何を中心に回ってたんだろうかとかね、そういったことまで考えるぐらいショックでしたね。

(DJ YANATAKE)あと今回、これも毎度、しょうがないんだけどさ。なんか、どれだけいちはやくツイートするか、みたいな反応とかはもう……今回もいまだにガセの情報みたいなのもいっぱい回っているし。なかなかね、情報の精査は難しいところですけど。なんか、うん。慌てずに行きたいなと。そういうのもね。

(渡辺志保)だってその、「病院に運ばれたぞ」っていうその次の日ぐらいからね、私はTwitterのトレンドワードとか、トレンド、トピック。勝手に教えてくれるわけですけど。ほぼ毎日のように「DMXが亡くなった」「いや、亡くなっていない」みたいな情報合戦みたいな感じになっていましたしね。

(DJ YANATAKE)「ジェイ・Zとビヨンセがカタログを全部買って子供に……」とか。あれも全部嘘ですからね。

(渡辺志保)ねえ。本当、恐ろしい話ですよね。

(DJ YANATAKE)本当に慌てないで。まず、その発信しているニュースソースmちゃんとしたところが出しているものを確認して。しょうもないゴシップサイト、いっぱいあるからね。僕、一番最初に小倉で¥ellow Bucksと一緒にご飯を食べてる時にそのニュースを見たの。先週の土曜のたぶん7時か7時半ぐらい。だけど「これ、すげえ怪しいゴシップサイトだからちょっとやめよう」とかみんなで話してご飯を食べてたんだけど。

(渡辺志保)そうですよね。私も「亡くなった」みたいなのをSNSで見て。「いや、これはちょっと待て」と思って。でもまあ、信頼してるブレックファストクラブとかね、老舗のラジオ番組なんかが報じて。「ああ、本当なんだ」って。

(DJ YANATAKE)そうそう。本当だったらちゃんとしたところが言うようになるからね。で、そういうツイートをしたところとかが悪いんじゃなくて、ちゃんとその情報を見極めるのが大事なんでね。

(渡辺志保)そうそう。精査することが大事。間違いないですね。というわけで、DMXさんに教えられました。本当にたくさんのものをいただきましたという感じです。今日もずっと聞いてたの。というわけで、ちょっと今日は……毎週毎週にいつも最新のヒップホップ情報をお届けしてるわけですけれども。ちょっと今日ばかりはね、これをかけさせてくれとお願いしまして。もうDMXさんに哀悼の意を120パーセント捧げたいと思います。『Ruff Ryders’ Anthem』。

DMX『Ruff Ryders’ Anthem』

<書き起こしおわり>

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