山下達郎と星野源 お互いの共通点とラジオ体験を語り合う

星野源 山下達郎とのラジオ放談番組『WE LOVE RADIO!』を語る ラジオ

山下達郎さんと星野源さんが民放ラジオ101局特別番組『WE LOVE RADIO 山下達郎・星野源のラジオ放談』でお互いの共通点や自身のラジオ体験について話していました。

(星野源)よろしくお願いします。もう、緊張しております。

(マンボウやしろ)(笑)

(星野源)でも、これが始まる前にたくさんお話をさせていただきまして。

(山下達郎)割りと出自が近いものが。年齢的には親子ですけど。

(マンボウやしろ)そうですね。親子ぐらいの差があるということですけども。

(星野源)僕の父親と同じ世代だったということが判明しまして。

(マンボウやしろ)この放送の前に写真撮影があったじゃないですか。あの時にお二人、まさにはじめましての状態で話していて。あれが、実は悔しかったですよね。あれ、流したかったですよね。

(山下・星野)(笑)

(マンボウやしろ)裏でみんなで言っていたんですけど、達郎さんが源さんに対して「あなたは学生の頃は部活は何?」とか(笑)。

(星野源)そう。質問してくださって。

(マンボウやしろ)ゼロから聞いてくださっていて。

(山下達郎)面接試験かよって。

(星野源)(笑)

(マンボウやしろ)本当です。なんか娘の婿が来たみたいな。そういう雰囲気の。

(山下達郎)そうか。それはあるかもしれないな。

(星野源)そんな雰囲気を感じました。

(マンボウやしろ)その時、星野さんはだいぶ緊張してましたよね? あの時間は。

(星野源)そうですね。僕は昔から大好きな方なので。やっぱり初めて会うということで緊張していたんですけど。たくさん話しかけてくださって。質問をしていただけるとすごく、気持ちがどんどん楽になっていって。「部活は何もしていませんでした」とか。そういうことを答えていく段階で、距離がちょっと縮まったなと。

(山下達郎)彼も一人っ子で、僕も一人っ子なんですよ。

(星野源)そうですね。

(山下達郎)埼玉で、僕は東京なので。で、彼は八百屋さんがご実家で、僕はいわゆる町のパン屋が実家なので。割りと似ているんですよ。感じが。空気が。

(マンボウやしろ)じゃあもう、今日はその感じで。

(山下達郎)うちの養子に来ますか?

(星野源)えっ、いいんですか?(笑)。

(マンボウやしろ)すごいことが決まりましたよ(笑)。

第二のお父さん

(星野源)僕、音楽のお父さんが細野(晴臣)さんだと普段、言っているんですけども。第二のお父さん、お願いします(笑)。

(マンボウやしろ)もう本当のお父さんさんですよ。第二っていうか。

(山下達郎)僕の方が近いですからね。年齢的にも(笑)。

(マンボウやしろ)さあ、ということで今夜は『山下達郎・星野源のラジオ放談』という番組タイトルです。ぜひ、お二人と時間が許す限りラジオの話をたっぷり語り合っていただきたいと思います。よろしくお願いします。

(星野源)よろしくお願いします。

(中略)

(マンボウやしろ)山下達郎さん、星野源さんをお迎えしてお送りしています民放ラジオ101局特別番組『WE LOVE RADIO 山下達郎・星野源のラジオ放談』。さっそくですがお二人のラジオ体験のお話からうかがいたいんですけども。達郎さんはいくつぐらいからラジオを?

(山下達郎)あの、ジジイの話ですいませんけども、生まれた時はテレビが無かったんですよ。

(マンボウやしろ)マジですか?

山下達郎のラジオ体験

(山下達郎)そうなんですよ。小学校に入るか入らないかぐらいの時に、ようやくテレビっていうのが生まれましてね。でも、すごく高いものなので、テレビが家に来たのは小学校3年か4年か……それまでは僕、アパート暮らしだったんで、大家さんの家にみんなで、近所の子供が集まって見たような。だから、ほとんどラジオが自分の生活でしたから。

(マンボウやしろ)いちばん古い記憶だと、どういったラジオの放送を聞いていたんですか?

(山下達郎)浪曲と落語ですね。

(星野源)それは小学生の時から、楽しみにしていたんですか?

(山下達郎)そうですね。あとは映画音楽。

(星野源)映画音楽を流す時間みたいなものですか?

(山下達郎)だから、音楽もコンスタントに流れてますでしょう。ニュースもなにも基本的にはラジオなんですよ。新聞とラジオしか情報源がないわけ。

(マンボウやしろ)そこから、じゃあいろいろと情報を得ていったということですね。

(山下達郎)だからまあ、音楽が好きになったんで、中学ぐらいになりますと自分の好きな番組っていうのを。ねえ。で、深夜放送が始まったのが、僕が中学1年の時だったんで。で、オールナイトニッポンが始まったのが中学2年の頭ぐらいですから。

(星野源)へー!

(山下達郎)開闢ですよ(笑)。オリンピックの後の高度成長期からオールナイトっていうのが始まったんで。それで、子供たちが受験勉強をするっていうものなので、そういう中学・高校生を相手に始まったのがオールナイトニッポンとか、パック・イン・ミュージックとか、セイ!ヤングとか、ああいう一連の流れですね。

(星野源)はー!

(マンボウやしろ)また後で聞きますけど、源さん、いままさにね、オールナイトをやっているわけじゃないですか。受験生を意識してやっているんですか? やっぱり。

(星野源)いや、全くやってないです(笑)。

(マンボウやしろ)やってくださいよ!

(山下達郎)(笑)

(星野源)でも、やっぱりメールでは「いま勉強しています」とか「受験なんで勉強しなきゃいけないんですけど、楽しくて聞いちゃっています」みたいな。

(山下達郎)ちょうど期末の勉強とか、そういうやつでしょ?

(星野源)なるべく、邪魔をしたいというか(笑)。まあ、楽しく聞いてほしいというか。勉強はやっぱり辛いものだと、僕もそういう記憶があるので。その時間を楽しく過ごしてもらいたいなとは思っています。

(山下達郎)もう星野さんの物心ついた時にはFMもAMもあったわけでしょう?

(星野源)ありました。親父がJ-WAVEをずーっとエアチェックしていて。そのテープがいっぱいガーッとあって。いろんな国のよくわからない音楽を車の中で、そのカセットを流して聞くみたいな。だからいまだにタイトルがわかってないけど覚えている曲みたいなのもあったりして。で、家でもずっとラジオが流れていました。

(マンボウやしろ)そして達郎さんはですね、ラジオを聞きにアメリカに?

(山下達郎)はい。いや、別にラジオを聞きに行ったわけじゃないですけども(笑)。アメリカに行った時にはもうFMを1日中かけていますんで。で、アメリカの場合には音楽が、たとえばリズム・アンド・ブルースだったらリズム・アンド・ブルースに特化して。ハードロックだったらハードロックに特化して全部放送局はやっているんで。それで120分のテープを山のように買ってね、朝から晩までそれを録音しているんですよ。で、2、30本たまるでしょう? 4泊5日ぐらいでね。それを東京に持って帰って、一生懸命聞く。

(星野源)すごいですね。やっぱりそこで初めて知る曲っていうのも多かったですか?

(山下達郎)もう全然知らない曲ばっかりで。深夜のR&Bのステーションとか、本当に何の曲だかわかりませんから、それを必死になって探すんですね。いまはだから、FMを聞いても全部ネットでプレイリストがあるから、本当に楽ですよ。

(マンボウやしろ)便利になったじゃないですか。それはでも、どうですか? 達郎さん的には、その当時の感じも知っていて、自分で探していくっていう過程も。

(山下達郎)うーん……一長一短だと思いますよ。いまみたいな便利だったら、情報が逆にあふれかえるから、好きなものが特定できないっていうのかな? 目移りしちゃうっていうの? 僕らの時にはもう情報自体が本当に少ないから。たとえば、レコードも高かったですしね。それを、つまらない曲でも買ってきても、好きになろうと思って必死に聞くみたいな。そういう態度が生むものと、いまみたいにとにかく欲しいものはいくらでもあるやつをどうチョイスするかっていうことと、精神的にやっぱりかなりの差がありますけども。それがいいことか、悪いことか、僕にはわかりませんね。

(マンボウやしろ)星野さんは、結構AMを?

星野源とAMラジオ

(星野源)はい。僕、小学校の時に文化放送のアニメ枠みたいな、声優さんがやっているラジオとかから聞き始めて、その後にTBSラジオの岸谷五朗さんの『東京RADIO CLUB』っていうのがありまして。それが帯でやっていたんですけど。10時ぐらいからかな? それを中学校の1、2年で聞いて、その後にいちばん深く聞いたのは小堺一機さんと関根勤さんの『コサキンDEワァオ!』というTBSラジオの。

(山下達郎)有名なやつですね。

(星野源)もう本当に大好きで。で、だいたい2時間番組だったりすると、夜中なので120分テープに予約で録音しておいて、僕、家から学校までがちょうど2時間だったんですよ。電車通学で。その間に、電車の中でプレイヤーで聞きながら、笑いを我慢しながら聞くっていうのがすごく楽しくて。2、3回自分のハガキが読まれたことがあって。それは通学の途中の駅のホームでうれしすぎて崩れ落ちるっていう。で、そのラジオを聞いているクラスメートとかいないんですよね。誰にもこう……もちろんいまで言うTwitterとかもないし。何も発散する術がないんで。

(山下達郎)共有できる人がいないんだ。

(星野源)それがすっごく、いま思うと自分の中でどんどん培養していくというか。

(山下達郎)独占できるからね。

(星野源)「好き」をどんどん重なっていくというんですかね。

(マンボウやしろ)そして、ライムスターの宇多丸さんの『ウィークエンド・シャッフル』。これ、TBSラジオですけども。匿名でジングル製作をしたと?

(星野源)そうなんですよ。僕、いまニッポン放送で番組をやっているんですけど。TBSラジオの話ばっかりしてすいませんって感じなんですけども(笑)。

(山下・やしろ)(笑)

(星野源)まだオールナイトニッポンをやる前に、宇多丸さんがジングルを『ウィークエンド・シャッフル』という番組で募集して。それがラップジングルだったんです。でも僕、ラップができないので、「送れないな」って思っていたんです。そしたら、「歌でもいいですよ」って宇多丸さんが言った回があって、「じゃあ歌でもいいんだったら送ってみよう」と思って。で、自分の家で、普通のリスナーと同じ環境で作りたくてパソコンでLogicを立ち上げて、自分で録音して。ギターとリズムを組んで見て。で、歌だけ録って。で、自分の歌っていうのももしかしたらバレてしまうかもしれないので加工して、わかりにくくして。で、匿名で……。

(マンボウやしろ)「バレてしまう」っていつぐらいの話なんですか?

(星野源)ええと、2010年ぐらいだったと思います。

(マンボウやしろ)もう活動して、名前は通っていますよね?

(星野源)『ばかのうた』っていうファーストアルバムは出ていたと思います。

(マンボウやしろ)どういう意味で送ったんすか?(笑)。

(星野源)楽しくないですか? 仕事じゃない音楽制作ってちょっと原点に……昔から宅録も好きだったので帰るというか。で、別に落ちるだろうなと思っていたし、楽しみでやってみようと思いまして。本名のところも偽名にして、全部変えて送ったら、優勝しちゃったんです。「ゆ、優勝した!?」と思って、すっごいうれしくて(笑)。

(マンボウやしろ)うれしいですよね(笑)。名前出てなくて優勝ですもんね。

(星野源)でも、それも言えないんですよ。言うと、いわゆるレコード会社の人にも「お前、なにやってんだ!」って言われちゃうんで。

(マンボウやしろ)なりますし。他の人からしたら、「プロ参加してんのか!」にもなりますしね。

(星野源)そうなんですよ。なんで、ほとぼりが冷めるまで、それこそ自分の中で喜びを培養して。

(山下達郎)カミングアウトをしたのはいつなんですか?

(星野源)2年後ぐらいです。で、その番組に呼んでいただくちょっと前ぐらいの時に、たまたま宇多丸さんと対談する機会がありまして。その時に「あ、いまならもう時効かな」と思って言ったら、ものすごい驚かれて。

(山下達郎)向こうもびっくりしたでしょうね。

(星野源)その後の番組の中でずっと使われていたジングルだったんで。優勝したので。

(マンボウやしろ)よく2年、黙ってられましたね。

(星野源)なんか、楽しいですよね(笑)。ワクワクしますよね、そういうの。

(山下達郎)(笑)

<書き起こしおわり>
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