プチ鹿島 猫ひろしリオ五輪マラソン・カンボジア代表選出報道を語る

プチ鹿島 猫ひろしリオ五輪マラソン・カンボジア代表選出報道を語る 荒川強啓デイ・キャッチ!

プチ鹿島さんがTBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』の中で、親交の深い猫ひろしさんがリオオリンピックの男子マラソン、カンボジア代表として選出されそうだという報道について話していました。

(片桐千晶)「猫ひろしさん、リオオリンピック男子マラソンでカンボジア代表に選出なのかにゃ? 正式発表は来月3日ニャン。6位 24ポイント」。今日のスポーツ新聞や朝刊各紙はタレントの猫ひろしさんがリオオリンピック男子マラソンのカンボジア代表に選出されることが24日にわかったと伝えています。一方、共同通信によりますと、カンボジアのオリンピック委員会は「正式決定はしていない」と話していて、正式な発表は来月3日に行われるということです。

(荒川強啓)はい。今日のニュースプレゼンター、時事芸人のプチ鹿島さんです。こんにちは。

(プチ鹿島)こんにちは。よろしくお願いします。

(荒川強啓)鹿島さん、なんで猫ひろしさんに注目したんですか?

(プチ鹿島)結構付き合いが長いんですよね。で、その過程もお話しようと思うんですが、補足をいたします。今月20日、カンボジアの現地メディアがですね、「リオオリンピックの男子マラソンの出場候補者として6名がリストアップされている」と報じたんです。で、これが現地発の一部ネットで「猫ひろし、オリンピック出場決定」と伝えられた。

(荒川強啓)うん。

(プチ鹿島)で、ただオリンピック出場はまだ正式には決まっていない。カンボジアのオリンピック委員会も「正式決定していない」とコメントしていて、正式な発表は来月3日ということなんですね。で、彼のこの数年間っていうのを振り返ってみようと思うんですけども……まず僕、猫ひろし。彼がお笑い界に入ってきた瞬間を見ているんですよ。

(荒川強啓)ほう!

猫ひろしがお笑い界に入ってきた瞬間を見たプチ鹿島

(プチ鹿島)2000年ぐらいだったと思うんですけども。当時、僕と一緒によくライブ活動をしていた東京ダイナマイトのハチミツ二郎ってやつがいたり、マキタスポーツっていうのがいたり。彼らが、フリーだったんですね。当時。じゃあ、事務所に入れないんだったら自分たちでお笑い団体を立ち上げようっていうんで、活動をしていたんです。で、僕も参加していたんですけど。そこに、「僕もお笑いやりたいんです」って入門志願をしてきたのが、猫ひろしだったんです。

(片桐千晶)へー!

(プチ鹿島)で、当時彼がやっていたことっていうのは、とにかく名前をたくさん改名しようっていう。古今亭志ん生の改名記録記録を抜くぐらい、たくさん名前をつけようっていうんで、最初の芸名が「タランチュラ」っていう名前だったんですよ。

(片桐千晶)猫さんの?

(プチ鹿島)はい。で、その後に「ドデスカデン」っていうのもありました。あと、「塩ラーメンズ」っていうのもありました。とにかく、もうたくさんたくさん出て……

(荒川強啓)ずいぶん、タランチュラから塩ラーメンズって……(笑)。ずいぶん落差があるよ。

(プチ鹿島)まあ、かわいがりみたいなもんです。みんなでかわいがったんです。で、この「猫ひろし」っていうのも、僕らが温泉旅行に行ったバスの中、暇つぶしにちょっとなんかやろうっていうので、大喜利大会で、新しいこいつの名前をつけようよ!っていうので、猫ひろしっていう素敵な大喜利が。詳しくは言わないけど。

(近藤勝重)岩合さんみたいに本当に猫が好きなのかと……

(プチ鹿島)違います、違います。大喜利の答えだったんです。あんまり放送じゃ言えないですけど。

(片桐千晶)ひろしさんは本名だったんですか?

(プチ鹿島)いえ、違います。まあ、石原軍団的な、そういう大喜利ですね。そういうのがあって、詳しくはいわないですけど。

(荒川・片桐)ああー。

(プチ鹿島)で、それで決まったんです。その後、2003年にワハハ本舗に入団したと。で、マラソンランナー猫ひろしのきっかけっていうのは何かと申しますと、浅草キッドの玉袋筋太郎さんの運転手をやっていた時期があったんですよ。で、玉さんがスポーツジムに通い始めて、「じゃあお前も一緒に走れ」っつったら、「えらい早いな、こいつ! お前、なんなんだ?」って聞いたら、「陸上部には入っていないけど、校内のマラソン大会ではいつも優勝していました」と。

(片桐千晶)(笑)

(プチ鹿島)で、玉さんがびっくりしちゃって。「じゃあお前、マラソンを本格的にやれ。TBSのオールスター感謝祭のミニマラソンに出れるから」って。

(荒川強啓)ああ、そこの坂道なんかを走ったりして。

(プチ鹿島)そう。猫はそれを目標に始めたんですよ。

猫ひろしが語る 玉袋筋太郎との関係とマラソンを始めたきっかけ
猫ひろしさんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。玉袋筋太郎さんの運転手を務めていた時の話や、マラソンを始めたきっかけなどを話していました。 (玉袋筋太郎)じゃあ、どの筋から行くか? (小林悠)玉さんと非常に関係が強いと聞いておりまして。 (

(近藤勝重)その時、なんで名前を変えなんだろう? 豹ひろしとか。

(荒川強啓)(笑)

(プチ鹿島)それはちょっと……その時点に言いたかったですね。で、だから最近っちゃあ最近なんですよ。はじめてマラソンに出たのが東京マラソン2008。この時のタイムが3時間48分57秒なんですよ。

(荒川強啓)立派。

(プチ鹿島)で、ベストが去年の東京マラソン2015で、2時間27分52秒ですから。8年で1時間20分縮めてるんですよ。

(荒川強啓)すごいね!

(プチ鹿島)東京―大阪の新幹線の歴史より早めたという。

(荒川・片桐・近藤)(笑)

(プチ鹿島)こんなに早めた男、いないっていう。

(近藤勝重)2時間台?

(プチ鹿島)はい。すごいでしょ? ここ10年で。

(近藤勝重)いま、いくつだっけ?

なぜカンボジアに帰化したのか?

(プチ鹿島)いま、38ですね。今年。で、なぜカンボジアなのか?っていう。これ、みなさんね、なんとなく聞いているでしょうけど。これもきっかけは2009年の出演していたネット番組の企画なんです。当時、2009年では一発屋と言われていたので。その番組で『猫ひろし 再生計画』という企画がいくつかあがっていたらしいんですね。で、その中で、たとえば『猫ひろし 高学歴計画』。東大に入れたら、また売れるんじゃないか? とか。

(片桐千晶)うんうん。

(プチ鹿島)『猫ひろし 選挙出馬計画』とかっていうのがいろいろあって、その中のひとつに『猫ひろし カンボジア帰化計画』っていうのがあったんです。

(荒川強啓)はー!

(プチ鹿島)日本じゃ絶対にマラソンのオリンピック選手になれないけど、他の国だったらなれるんじゃないか? という。そしたら面白いことに、本当に協力してくれる人が出てきて。じゃあ、カンボジアに移住しましょう、国籍を取りましょうっていう流れになったんですよ。

(近藤勝重)動機はそういうことだったんだ。

(プチ鹿島)そういうことです。基本、彼はストイックなんですけど。いつも、デビュー戦もそうなんですけど、ネタとかお膳立ては周りがしてくれるんですよ。で、それを一生懸命走るっていう、そういうかわいがられっぷりがあるんです。

(荒川強啓)「かわいがられる」っていう意味って、いろいろあるけどね。

(プチ鹿島)はいはい。本人はそれを真面目にやるっていう。そういうキャラなんですよ。で、2011年11月に晴れてカンボジア人になると。で、これは1年前に本人から聞いた話ですけど、「カンボジアではどういう生活をしてるんだ?」って聞いたら、「トレーニングは毎日30キロから35キロ走ります」と。

(荒川強啓)毎日?

(プチ鹿島)毎日です。で、「向こうでは芸人・タレント活動はしていません。というのは、タレント活動目当てと誤解されるのが嫌だからです。カンボジアの人にも失礼だから。向こうではランナーとしての生活しかしていない」と。だから、働く時は日本に外タレとして帰ってきて、日本で外貨を稼いで。で、1年の半々をカンボジア・日本で生活しているということなんです。

(荒川強啓)ふーん!

(プチ鹿島)ですので、たとえば日本に再入国する時は保険証がアルファベットなので、かならず空港の人に笑われるという、そういう鉄板エピソードもあると。外タレですからね。で、今回、実はまだ正式コメントを彼、出してないんですよね。というのは、まだ正式発表をしていないから。だからマスコミには一切出ていないんですが、ちょっと僕、その関係性を活かして数時間前にLINEでメッセージを送ってみたんですよ。

(荒川強啓)ほう!

(プチ鹿島)で、「おめでとう。やったね」と言ったら、返ってきまして。こんなことを言ってました。「やりました。ただ、まだ正式に選ばれていないので、あとは正式発表を信じて待ちます。カンボジアで犬に追いかけられながら練習がんばります」ってLINEが、個人的に僕に返ってきました。ちょっとLINE、流出させちゃいましたけど……

(荒川強啓)(笑)

(プチ鹿島)だからカンボジアの人にもただの腰掛けで来ているんじゃないよっていうので彼はがんばっていると。

(近藤勝重)そうせなイカンわな。経緯はともかくな。

(プチ鹿島)まあ実際、4年前も内定はしていたんですけど、居住年数が少ないっていうので、ちょっと出れなくなったし……

(荒川強啓)国際陸上競技連盟が「参加資格を満たしていない」と判断して。代表に選出されたものの、出場できなかったと。

(プチ鹿島)はい。で、実際に世論というのも「そりゃそうだよ。猫、カンボジアの国籍になってすぐ出ようなんて、ズルいよ」みたいな、そういう世論もあったんですが。

(荒川強啓)2011年、カンボジアの国籍を取得した翌年がロンドンだった。短すぎるということだったと。

(プチ鹿島)まあ、彼自体は2009年からネットの企画で行っているから。「住んでます」っていうのは言っていたらしいんですけど。だからちょっと風向きが厳しくなったんですけど、彼は黙って4年後、続けますと。

(荒川強啓)よくがんばったね。

(プチ鹿島)本当、ストイックなんですよね。だから、周りに愛されて勝手に神輿を担いでくれて。本人はそれを一生懸命がんばると。で、日本でも当然練習しなくちゃ行けないので、タレント活動が忙しい時は夜中に皇居を8周ぐらいするらしいです。一晩かけて。それを毎日、ほとんどやっているということなんで。まあちょっと、僕としてもね、4年前にああいう経緯があったんで、4年間、じゃあやっぱりやってきたんだなということで。うれしいお話でしたけど。

(荒川強啓)本当に、ちゃんと行けるように。ねえ。決めてほしいよね。そこまでがんばって。

(プチ鹿島)まあ、これだけ話して1週間後、またひっくり返って出られないってなったらあれですけど……

(片桐千晶)もし出たら、画面上の名前スーパーって「Neco Hiroshi」って出るんですかね?

(プチ鹿島)「Neco Hiroshi」じゃないですかね。それをカンボジア風に?

(片桐千晶)出るのかな?(笑)。

(プチ鹿島)それか本名の瀧崎邦明っていう……まあ文学者みたいな名前なんですけど。

(荒川強啓)それ、谷垣と一緒にしてんじゃないの?(笑)。

(プチ鹿島)近藤さん、どうですか? この猫ひろしエピソードというか。

(近藤勝重)面白いね。経緯も面白かった。

(プチ鹿島)まあ、なかなか身内というか知り合いからオリンピック選手って出ないですからね。ちょっとがんばってほしいなと。

(荒川強啓)そうだね。それで、日本の選手とも一緒に、実際に走ってほしいね。リオね。

(プチ鹿島)まだまだ進化の途中ですからね。8年で1時間20分、タイムを縮めてますから。

(荒川強啓)すごいねー。

(プチ鹿島)で、きっかけはTBSの『オールスター感謝祭』に出たいっていう。それなんですよ。

(荒川強啓)やっぱりね、もう覚悟を決めるっていうのは大切なんですね。近藤さん。

(近藤勝重)そうですね。かわいがられないといけないっていうのもあるみたいだけど。

(プチ鹿島)だからとにかく、カンボジアの人に愛されて。そういう、一時の腰掛けじゃないよっていうのは本人はずーっと言っていたので。

(荒川強啓)はい。猫ひろしさん、リオオリンピック男子マラソンにカンボジア代表として選出か? というこのニュース。時事芸人のプチ鹿島さんの報告でした。ありがとうございました。

(プチ鹿島)ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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