毒蝮三太夫 昔の渋谷の様子を語る

毒蝮三太夫とピエール瀧 たまむすびで大いに語る たまむすび

毒蝮三太夫さんが2012年4月にTBSラジオ『たまむすび』にゲスト出演した際の模様です。当時オープンしたばかりの渋谷ヒカリエの話や、昔の渋谷の様子について語っていました。

(赤江珠緒)今日はね、お招きして。いろいろと企画していたこともあったんですが、もう、いろんなね、予期せぬお話もたくさんしていただきましたので。もう残り時間が本当、少なくなってしまいましたけども。マムシさん、今日はね、おすすめを。マムシさん、あちこちに行かれていて、おすすめをお聞きしようとしていたらですね、なんとマムシさんが今日オープンしたばかりの渋谷のおしゃれビル、あのヒカリエについて・・・

(毒蝮三太夫)一昨日ね、そこの7階に出た『うま馬』っていうねラーメン・餃子の。博多が本店なのね。そこに招待されて行って、こんなキレイになっちゃったのか!?と。俺たちは渋谷文化会館。それから渋谷ジャーナルっていう映画館。50円だか10円でニュース映画をやったり。それでそこがこんなキレイになって、30代、40代の人を組み込んでやるっていうんで。今日も大変なニュースになってんの?

(ピエール瀧)なってますね。

(毒蝮三太夫)そこへ行って、迷いましたよ。人が多いんで。

(赤江珠緒)あ、そうですか。

(ピエール瀧)俺の知ってる渋谷じゃない!ってことですもんね。

(毒蝮三太夫)こんなになっちゃったのか!?っていう。

(赤江珠緒)へー。昔の渋谷って、マムシさん、どんな感じだったんですか?

(毒蝮三太夫)あのね、俺が知っている渋谷はね、渋谷に東急百貨店。白木屋みたいなね、東急百貨店。それからね、東急の本社。いま、セルリオン?

(赤江珠緒)セルリアンタワー。はい。

渋谷のロープウェー

(毒蝮三太夫)あそこまでね、崖を上がるようなね。高速道路がない時代。その時にね、ロープウェーができたのよ。

(赤江珠緒)ええっ?

(ピエール瀧)ロープウェー!?

(毒蝮三太夫)あの、渋谷の東急百貨店の屋上から、ずーっと100メートルぐらい。セルリアンのホテルまで。東急の本社があったのよ。そこにロープウェー。それ、1年か半年しかなかったと思う。それも見ながらね、『ああ、渋谷も変わったな』って思った。

(ピエール瀧)当時の渋谷の最新設備ですもんね。へー。

(毒蝮三太夫)そう。ロープウェーが。そいで、そこの東急百貨店の中には、東横ホールというね、東横百貨店の中にはホールがあって。そこで談志とか文楽さんとか小さん師匠なんかも落語やったりね。歌舞伎やったり。それで、渋谷はもともと崖だから。

(赤江珠緒)谷っていうぐらいですからね。

(毒蝮三太夫)谷、谷。渋谷の谷。渋谷川っていう川があって、広尾の方にいってるわけね。明治通りの脇。そこにはまだ水車があったって。

(赤江珠緒)ええーっ!?

(毒蝮三太夫)水車小屋があって。ガッタンガッタン、コットンコットン、水車が回っていたっていうんだよ。渋谷川に。そういうことを言う人がいましたよ。

(赤江珠緒)たしかに、童謡のね、『春の小川』ってあるじゃないですか。あれって渋谷が。

(毒蝮三太夫)渋谷川。

(ピエール瀧)ええーっ!?『春の小川はさらさらゆくよ♪』?

(赤江珠緒)そうそうそう。

(ピエール瀧)あれ、渋谷のことなの?

(赤江珠緒)そうなんですって。

(毒蝮三太夫)いま、考えられないよね。それで、安藤昇っていうね、まあ元々暴力団の安藤組の人だった、その方が書いた本が当たって。『血と掟』なんて映画ができたの。したら、あそこの渋谷川を逃げてくんですよ。戦後、昭和20何年。それを追っかけてって。そこには、昔は水車があったっていう。で、あのハチ公ね。銅像があるでしょ?

(赤江珠緒)はい。

(毒蝮三太夫)いまもあるよね。あれ、待ち合わせの場所だったの。ハチ公が。俺たちの時代は。いまは携帯電話だから、待ち合わせはどこでもいいわけ。『ハチ公前ね』って。談志は『ハチ公はいいけど、熊公はどこにいるんだ?』っつったんだ。

(赤江珠緒)(笑)。落語の世界そのまんまで生きて。

(毒蝮三太夫)そう。八公っていうのがあるんだよね。『おい、八五郎。八公!八公!』って。だけど、熊公はいないんだよね。それでね、そのハチ公のところから、都電が出てたの。

(赤江珠緒)へー!

(ピエール瀧)あ、いまでもハチ公の横に都電のなんか、車体置いてますね。はい。

(毒蝮三太夫)都電が出てたの。で、都電もいまはない。それで、俺が知ってる人で、『ハチ公を見た』っていう人がいるんだよ。ハチ公の銅像じゃないんだよ。

(ピエール瀧)本物の!?ハチが?(笑)。

(毒蝮三太夫)『改札口で、そのハチ公は汚れてもう汚かったよ!』って言うんだよ。

(赤江珠緒)あ、待ってたハチ公を。

(毒蝮三太夫)で、ご主人の、東大の先生かなんかでしょ?その先生を、仲代達矢さんが映画でやったよね?亡くなって、まだ駅の改札口でベターッと座って待ってたっていうのを俺たちは見た!って言うのよ。

(赤江・瀧)(笑)

(毒蝮三太夫)そういうね、俳優さんと俺は仕事をしたよ。で、俺はハチ公っていうから、あの銅像のハチ公かと思ったら(笑)。その生きてるハチ公を見たっていうんだよ。だからその方が、いまマスダジュンジさんっていう俳優さんなんだけど。生きてたら、ヒカリエができた。それから俺たちは劇団を作った時に、渋谷の若草編物学院っていうところを借りていたから。そこに劇団四季に行った影万里江ちゃんなんかも一緒にやってたんだけどね。そういうのがいて。劇団入って、とん平とか言う飲み屋とかね。それから恋文横丁でメシを食ったよ。うん。鯨屋の脇。で、いまね、あん時50円。

(ピエール瀧)サブちゃんが流しやってたのがね。

(毒蝮三太夫)ああ、そうそう。まあ、その前だろうね。俺はね。で、だから渋谷は安い店が。50円のラーメンと餃子と。50円だから。それがいま渋谷・・・

(赤江珠緒)そうですね。渋谷の風景、変わりましたし。マムシさんもすごいなっていうね。この。

(ピエール瀧)マムシさんはすごいですよ。相変わらず。

(赤江珠緒)この町へ全て対応している感じがね。はー。で、いまヒカリエももう行かれたという。

(毒蝮三太夫)そうか。だからMPのリクエストがね、最初は清少納言から在原業平へ送ったのが最初のリクエスト曲だったの。

(赤江珠緒)またまた(笑)。

(毒蝮三太夫)『天城越え』という曲だったけどね。

(赤江・瀧)(笑)

(毒蝮三太夫)またバカにしてんな。俺を。

(赤江珠緒)(笑)。さあ、残念ながらですね、毒蝮三太夫さん。お別れの時間が来てしまいましたよ。もう。

(毒蝮三太夫)それはあのTBSでね、情報キャスターをやっている子が、先輩ですよ。その子が嫁に行ったところの店なんです。

(赤江珠緒)博多 うま馬。7階にあると。ヒカリエの。

(毒蝮三太夫)そうそう。行ってあげてください。

(赤江珠緒)わかりました。

(ピエール瀧)マムシさん、また来てください。

(毒蝮三太夫)また来週。

(ピエール瀧)また来週でもいいですよ。本当に。

(赤江珠緒)ちょっと間あけましょうか(笑)。

(ピエール瀧)僕は来週でも構わないですけど。

<書き起こしおわり>

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