ピエール瀧が語る 面接でハッタリをカマしてメジャーデビューした話

ピエール瀧 高1の夏に石野卓球の家で受けた衝撃を語る たまむすび

ピエール瀧さんがTBSラジオ『たまむすび』金曜日に出演。電気グルーヴがメジャーデビューを果たしたきっかけとなった、レコード会社との面接でカマしたハッタリについて語っていました。

(玉袋筋太郎)レコード会社との面接で『ライブは30本はやりました。オリジナルの曲は50曲はあるから』とハッタリをカマし、メジャーデビュー。このハッタリ、カマしたわけ?

(ピエール瀧)ああ、これそうですね。それまでさっきのね、ちょっとしたところで、人生っていうバンドが出てきたんですけども。それは高校生の時に卓球くんとやっていたバンドで。東京に上京してからもちょっとやってたんですけども。人生を解散したと。で、その後に電気グルーヴに。いまの形に89年ぐらいになるんですけども。電気でライブを始めたら、2本目かな?いちばん最初のライブは大阪でやったライブなんですけど、その後東京戻ってきて、ロフトかなんかでやったライブを、ちょうどレコード会社の人が見に来てたんですよ。んで、いくつか出るライブで。3・4バンドぐらい出るイベントで。

(玉袋筋太郎)うんうん。

レコード会社の人にハッタリをカマす

(ピエール瀧)で、他のバンド目当てに来てたんですけど。うちら、トップバッターで。『あのバンド、なんだ?』ってことになって。『ちょっとあいつら、話聞いてみよう』ってなって、呼ばれたんですね。レコード会社の人に。で、『どんな感じでやってるの?』って聞かれて、まだバンドもかわったばっかりなんで。で、ライブ2本目じゃないですか。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)ダメだよな。言えねーよな。

(ピエール瀧)で、オリジナル曲も、ライブでやった曲が全部なんですよね。5曲ぐらいたしかやったんですけど。電気としては。で、それ言っちゃうと、『あーあ』ってことになっちゃうんで、その前にやっていた人生のライブも全部カウントに入れて。で、『デモテープみたいな形にもなっていないのもあれば、50ぐらいはあるか?』みたいな。卓球と言っていて。『まあ、50はあるな』みたいなことを(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(ピエール瀧)言って。で、その場でそれを言っておったところ、結局じゃあやってみようか、プロで!ってことになって。スカウトですかね?で、プロになって、現在に至るんですけども(笑)。

(小林悠)それ、大丈夫でした?すぐ入って。バレなかったですか?

(ピエール瀧)バレなかったね。バレなかったのもありますし。当時ね、バンドブームがちょうど終焉を迎えた。インディーバンドブームとか、あったんですよね。それがちょうど終焉を迎えてたころなんで、バンド然としたバンドじゃないもの。うちらもトラック打ち込みで、別にギターとドラムがいるわけでもないですし。まあ、そういうのにたぶんレコード会社も興味を持っていたんでしょうね。

(玉袋筋太郎)その拾ってくれた人と、いまでもつながりってあるわけ?

(ピエール瀧)ありますよ。ありますよ。

(玉袋筋太郎)あるんだ。へー!電気を見つけてきた人なんて、ねえ。平賀源内みたいなもんだな。

(ピエール瀧)まあ、そういうことだろうね。

(小林悠)電気を発明したみたいな感じで。まさしくね(笑)。

(玉袋筋太郎)すごいよ。あららら。

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました