星野源さんと佐久間宣行さんが2025年6月10日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で演技についてトーク。作品のリアリティーラインに合わせた演技について話していました。
(佐久間宣行)國村さんと飲んだ時に、星野さんのことをなんだったけな? 星野さんのこと、めちゃくちゃ褒めてたな。國村さんと飲んだのって、もう4、5年前ですけど。「源ちゃんはね、最初にコントをやった時からね、うまいなと思ってたんだよ。音楽もやってる人達って、そこにいることができる」みたいなことを國村さん、おっしゃってました。酔っ払って。「源ちゃんに会ったら、言っておいて」って(笑)。
(星野源)嬉しい(笑)。「そこにいる」っていうのって、その時は「楽しい」とかじゃないっていうか。なんか、ちょっと独特の、うまく言葉にできない感覚なんですけど。出来上がったのを見た時に、すっごい楽しいんですよ。なぜなら、そこにいるから。「そこにいる」っていうか、なんかその自分のエゴみたいなのがない人がそこに、自分で見れるんで。なんか、もちろんこの仕事をして長いんでそういう気持ちはなくなりましたけど。たとえば仕事し始めとか、あと自分で何が恥ずかしいかって、たとえば自分の声とかを初めて録音したの聞いた時って、恥ずかしくなかったですか?
(佐久間宣行)恥ずかしいです。
(星野源)なんか遊びでラジオが好きだから高校生の時、「ちょっとラジオ、やってみようぜ!」なんつってラジカセで録音して。「いやー、どうも。星野源です」みたいにやった時、何が恥ずかしい自分のなんかエゴが見えるっていうか。自分の声、超恥ずかしい。自分が何かに出てるっていう……まあ、今のSNSでどんどん自分を出すのが普通になってる世代はまだ分かんないけど。なんか、ちょっと恥ずかしかったんじゃないですか。だからなんかそれがないところに行けると、すごい楽しいっていうか。自分なんだけど、別人みたいな人がそこに見えるっていう。それは、意識して別人みたいなキャラクターを作ってやるとそれはそれで自分が見えるっていうか。頑張ってやろうとしてるんだなっていうのが見えちゃう。
(佐久間宣行)技術が見えるのと同じことですね。
(星野源)そうですね。だけど、これもちょっと言葉にできないんですけど。とあるなにかになると、それはそのキャラクター……そのキャラクターって、たとえばなんだろうな? 漫画原作とかだともしかしたら、ビジョンとしてあるかもしれないけど。台本だけだったりすると、明確なビジョンとしてもなくて。自分がそこにいたら、それがそうなるみたいな。役者ってそういう仕事の部分もあると思うんですけど。だから、モデルがなかったりするとどう行ったらいいのか、分からないので。答えが分からないんだけど、とある何かのゾーンみたいなものに入ってそれで成立すると、完成したものを見た時にすごく面白いっていうか。
(佐久間宣行)面白いですね。それって、星野さんがいろいろやられる中で、作品ごとにちょっとずつ変わってくるんですか? アプローチの仕方というか。「そこにある」ための……たとえば『逃げ恥』は少しコメディ。で、この間やった『スロウトレイン』とかはホームドラマに近くて。あとは『MIU』はもう、どっちかっていうサスペンスとか刑事物じゃないですか。その時って、そこにあるための自分の中のアプローチって、変わってくるんですか?
作品ごとのリアリティーラインを意識する
(星野源)ちょっとずつ違くて。その作品によってリアリティーラインが違うじゃないですか。そのリアリティーラインに合わせるようにっていうか、それをたぶん一番最初に意識することになって。でも、そのリアリティーラインは台本の中にも現れているし。「普通、こんなこと言わないよね」っていうような展開があればリアリティーラインはちょっと下がる。でも、ものすごく会話劇でリアルな……たとえば「ああ」とか「うん」とか「……」とかが多いなってなると、リアリティーラインはちょっと上がるというか。リアル系……でも「リアル系」って言ってもそのリアルを人工的に作り出しすぎているものとかもあると、それはまたリアリティーラインは逆に下がるんですけど。なんか、そのリアリティーラインによって変わるのと、あとは自分が主演の場合と、主演の方が別にいる時で主演の方のリアリティーラインに合わせるとかもあって。
(佐久間宣行)ああ、なるほど! そうか。それもありますもんね。作品のリアリティーラインと、主演の方の芝居のリアリティーラインで決まったトーンあるから。それで「そこにある」っていうのの意味も違ってくるのか。
(星野源)で、『逃げ恥』の時は全体がコメディだと思うんですけど。結衣ちゃんはリアリティーラインがすごく高いお芝居をするんだけど、でも周りがコメディ的な……リアリティーラインが低いっていうか、リアリアリティーみが薄い、ちょっと劇画っぽいお芝居をしてもリアリティーで包んでくれるんですよ。
(佐久間宣行)あっ! いや、めちゃくちゃ納得できました。『逃げ恥』って星野さんと新垣さんはなんていうんですかね? リアルなんですよね。でも、展開はコメディだし。ちょっと周りの人は少しコメディ演技をしているが、それに振り回されている……僕ら、主人公の感情で見るから。全然、コメディじゃないんですよ。だから、なんつったらいいの? コメディなんだけど、共感できる。だから痛いものを痛いって感じるし。
(星野源)人間ドラマとコメディがしっかり融合している感じがあったじゃないですか。でも、演出としては結構コメディだったりするんですよ。画の作り方とか、効果音とかもそうですけど。だけど、その中で主演の新垣さんがそういうお世話をされるっていう、すごく稀有な人だと思うんですけど。だったので、周りがコメディにしてもリアルで包めるっていうか。そのリアリティーラインを工夫っていうか、その場によって変えながら同じに見せるっていうことができる。
(佐久間宣行)なんというか、柔道の受けの天才みたいなところが少しあるから。
(星野源)うんうん、そうですね。だから多少、面白く平匡がちょっとぶっ飛んでも、それをその中に収めることができるっていう。だからその時によって違うんですよね。で、『MIU』は自分が主演だったので、それを作ることができて。
(佐久間宣行)そうか。そうか。綾野剛さんとの2人で。
(星野源)そう。2人で2人作ることができて。それは台本からとか、あと演出をいただいた中で作ることができるとか。で、それはまた、時代劇では全然違うと思うし。なんか、その時によって全部違うっていう感じですね。『スロウトレイン』だと松たか子さんが……。
(佐久間宣行)松さんがいらっしゃって。松さんもその、なんていうかコメディとリアル、どっちも行き来できる方だから。
リアリティーラインは「線」ではなくて「幅」
(星野源)だからそのリアリティーラインって、このラインが「線」じゃなくて「幅」であるんですね。そのリアリティーラインの中にいれるかどうかっていう。でも、それをはみ出すことで面白くなったりももちろんするので。なんか、その中にいることだけがいいっていうわけでもたぶんないんですよね。その時々によって変わるっていうか。それはすごく、なんだろう? 意識してるっていうか、自然とそうなっている感じですね。
(佐久間宣行)言葉にするんだったらそんな風になるっていうことですね。本当は言葉にしないで、その作品の中での「どこだろう?」っていうのは感覚でつかんでいくのかもしれないけど。今、僕が聞いて言葉にするんだったら、そういうことってことですね。
(星野源)そうですね。
(佐久間宣行)はー! これは、どうします? 俺だけが持ち帰りたい話でもあるから……(笑)。
(星野源)アハハハハハハハハッ! カットします?(笑)。
(佐久間宣行)俺だけが持ち帰りたい話でもあるなという。今、めちゃくちゃすごい話が聞けた気がするな。
(星野源)だから結論としては佐久間さんもどんどんやってみると、たぶんそれが分かると思うので。たぶんその、自分が誰になりたいのかとか、あとはたぶん俺は佐久間さんのまんまでいいと思うんですね。佐久間さんのまんまで、何かになろうとしないでしゃべるとたぶん全然、また見え方が違うとは思います。
(佐久間宣行)すごいなんか今日は……なんですかね? コーチング料を払わなきゃいけないな(笑)。
(星野源)アハハハハハハハハッ!
自分が主演の場合とそうでない場合など、作品ごと、共演者ごとに違うリアリティーライン。その中でどう振る舞えば最適なのかを常に意識しながら演じるというお話、これまた面白いですね! こんな深い話を掘り出した佐久間さんもさすがです!

