(安住紳一郎)この方は那須町の方ですけれども。「私は相模原市民の80%のナタデココを作っていました」(笑)。やっぱり。この方は相模原ね。
(中澤有美子)やっぱりね。本当だわ。
(安住紳一郎)いいでしょう? 本当でしょう? だから私がなんかさ、みんな「大げさだな」とか言ってるけどさ、みんな、それに近い思いでやってたんだよね。だから私のことを気持ち悪がらないでほしいわ(笑)。千葉市の方、ありがとうございます。「そうか、埼玉県の安住がそこまで言うなら千葉の私も披露しなければいけないと思い、メールを送ります」。ほら、ねえ。すごいでしょう? 「私は少し古い時期ですが、千葉のデニーズを支えていました。『いらっしゃいませ。デニーズようこそ』とお客様を迎え、席に案内する1人だけスカーフを巻いている職でした」。
(中澤有美子)ああ、そういう位があるんですね。
(安住紳一郎)そうなのよ。ウェイター、ウェイトレスのね、筆頭職があるんですよ。オーケストラのコンサートマスターとか首席バイオリニストみたいな。ウェイター、ウェイトレスの中で1人だけね、位が違う人がいるんですよ。で、お客さんが入ってくる一番そこの会計のカウンターの前でメニュを広げながら待っていて。で、お客さんが何人かを確認して、席に案内するっていう、そういう差配係みたいな。で、だいたいは社員の副店長がやるんだけど、副店長がいない時はバイト頭みたいな。だからウエイトレス筆頭がやるんですよ。これ、なかなかできないんです。
(中澤有美子)そうでしょうね。うん。登り詰めないと。
(安住紳一郎)登り詰めないとできない。西浦和店はカキタくんとノモトさんがやっていたからね。
(中澤有美子)覚えている!(笑)。
首席ウェイター、ウェイトレスたちの活躍
(安住紳一郎)で、俺たちはその、あれだね。その首席ウェイターたちが席に案内した後の、あれだよね。「はい、安住。はいはい」なんつって。「かしこまり!」っつってね。懐かしい(笑)。ということだよね。「お客様からすれば席に案内するだけの職のように見えますがすべての席に目を配り、コーヒーがなくなりそうならすぐに落としに行き、キャロットケーキやクリームチーズケーキの切り分け、コップやカップの補充。これをしながら食事の配膳、片付けもし、お見送りをするまでが私の仕事」。こういう遊撃的なウェイトレス作業もするのよ。遊撃的な、その足りてないと思うとカッとやってきてサッと去っていく。よく見えてないとできない。いいとこ取り。素晴らしい。
「今、思っても千葉のデニーズは私が背負っておりました。高校から始めた私は新店舗の出店時には応援指導班となり、車に乗せられ、送り込まれておりました。『こんなの、学生アルバイトの仕事?』なんて思いながらグチグチ言ったこともありましたが『キャロットケーキの耳を食べていいよ』なんて言われると『これがあるからやめられないな』なんて思いながら過ごしていました。就職するまでの7年間やり遂げた私も、社長の伊藤雅俊さんと話したかったです」。ああ、私、伊藤雅俊さんと話したからね。
「あの頃のデニーズは幸せな場所であったことは間違いありません。逗子のデニーズが閉店となる時、わざわざ千葉から車を飛ばし、最後のオープンキッチンを見届けに行き、千葉代表の仕事に蹴りをつけました」。逗子のデニーズのことは「ズデニ」とか言ったりするんだけど。ちょっとおしゃれな立地だったりするんで行ってみたいって人が多かったんですよね。「今ではその時のメニューを思い出しながら子供たちに食べさせ、しつこく思われてもその頃の話を懐かしんで、よく聞かせております。小さなアメリカが私の近くに来た良き思い出です」という。ねえ。まあされどファミレス、たかがファミレス。とはいえ皆さん、やっぱり思い出がありますよね。
(中澤有美子)そうですね。
(安住紳一郎)この方は青梅市の方。「私はライバルのすかいらーくでのアルバイトです。ワンオペではなかったですが、日曜日のお昼時の忙しさは35年経った今でも忘れられません」。頑張ってますね。この方は女性の方、ありがとうございます。「私は現在のガストの前身、すかいらーくでした。心を無にして働いたカップルだらけのクリスマス。そしてやはり厳しくも優しかったクボタ店長の顔。参考までにすかいらーくではお皿3枚持ちをするデニーズのウェイターの技術を皆、称賛していました。安住氏は何枚持ちですか?」。くぅー!
(中澤有美子)なんかもう本当に……そうですか。そういう関係性もあるんだ。
(安住紳一郎)そういう関係性があるからね。すかいらーく、デニーズ、ロイヤルホスト。ねえ。いろいろありましたね。不二家レストランとかね。うん。そしてこの方は蓮田市の男性の方、ありがとうございます。「先日の放送を聞き、1994年の記憶が鮮明に脳内再生されたので初めてメールします」。ありがとうございます。「私もデニーズ西浦和店でアルバイトをしていました。安住氏の3カ月後に入店したはずです。安住氏が話していました2点について、証言いたします」。くぅー!
(中澤有美子)ええっ?(笑)。
(安住紳一郎)「1、安住氏が埼玉県南部のナタデココの人気を上げたと話している点についてですが、本当です」(笑)。くぅー! 「本当です」って(笑)。うれしい!
(中澤有美子)本当なんだ(笑)。
「安住氏のナタデココ伝説は本当」
(安住紳一郎)「安住氏はナタデココの注文が入るとファウンテンエリア、デザートを作るバックヤードのエリアに陣取り、絶妙な手さばきでナタデココを作り、最後にミントの葉をフラメンコの手拍子のごとくパチンと叩き、ミントの香りを引き立たせ、バニラアイスがひっくり返ることなく見事に乗せ、提供しておりました。他の人がナタデココのオーダーを取ってきても、安住氏が作っておりました。安住氏の作るナタデココはシロップとストロベリーソースとナタデココ本体の分量が絶妙で、メニュー表の写真よりも美しいナタデココだったと記憶しております」。
(中澤有美子)ええっ? 言いすぎじゃないの?(笑)。すごい!
(安住紳一郎)ねえ。いいでしょう? もう最高だよね。「今年、見た映画の中で一番面白かった」って言った意味がわかるでしょう? 全然、もうね、『ラ・ラ・ランド』なんてつまらないよ、もう。
(中澤有美子)それ、今年じゃないし(笑)。
(安住紳一郎)『ズ・ズ・ズ・ズミランド』だよね。くぅー! うれしい! 「間違いなく今でも埼玉南部の人たちにとってナタデココの人気が高いのは安住氏の作ったナタデココの時代があるからです」。
(中澤有美子)ああ、今もじゃあ?
(安住紳一郎)知らないけど……(笑)。「そして2つ目のモーニング新記録事件についてです。私はその日、朝8時から午後5時の変則シフトで7時半ごろに西浦和店に着きました。店内に入る前にありえないほどの車が駐車場に止まっていて、外から見た感じでもヤバそうな感じでした。店内に入るとフロアはすべての席が埋まっており、キッチンの横を通ると、コダマ店長から『すぐに皿、下げて。バッシングして』とキッチンを担当している私にもウエイターの仕事を振り、私はコック姿で慌ててフロアに出て皿を下げ、お客様を通し、お冷やを出し、キッチンに戻り、コダマ店長とたまりまくった大量のモーニングオーダーをこなしました。
本当にギリギリの対応だった記憶があります。今、思えばなんでロジャースの朝市がある日にフロアが安住くん1人だったのだろうと思いますが、2人休みだったのですね。その後のブレイク(15分休憩)が一緒になった時、安住くんは『もう、おかしい。辞める』と頭から湯気が上がるぐらい不満をぶちまけておりましたが、後に安住くんが退勤する時は『俺、やったよ! 記録出したよ!』とドヤ顔だったので、きっとコダマ店長からモーニング売上記録を言われ、うまく乗せられた後だったのでしょう」。
(中澤有美子)アハハハハハハハハッ! 全てが噛み合ってる(笑)。
(安住紳一郎)本当でしょう? 私の話をさ、本当に裏付けているでしょう?
(中澤有美子)時代の証言者だ(笑)。
(安住紳一郎)「私の人生の中でもモーニング新記録事件はかなりのトラウマです。100人近いお客さんから声が一斉にかかるのです。あの辛さを思い出したら、現代の出来事は何でもないです。本当に大惨事でした。超氷河期世代には今も昔も厳しい時代が続きますが、西浦和店で培った、顔で笑って心で泣いて、インチキ爽やかの精神で今もなんとか明るく生きております。最後になりますが、安住くんの活躍が私も心の励みとなっています。テレビで安住くんのインチキ爽やかさを見るたびに、私の心がキュンキュンしています。結婚、おめでとう」。ありがとう。ねえ。くぅー! 言ってたこと、本当だったでしょう?
(中澤有美子)本当本当だったんですね!
(安住紳一郎)うれしいね。本当に……いや、自分のね、覚えてる記憶が正しかった。またそして、向こうから見てたらどんな景色だったんだろうかっていうことも知れて。いや、本当にうれしい。ねえ。ありがとうございます。
(中澤有美子)ありがとうございました。
(安住紳一郎)そしてもう一通、来てましてね。「お久しぶりです。一緒に西浦和店で125万食のナタデココを供給していたカキタです」って。来た! ほら、言ったでしょう? 供給してたのはオオトモ、ダイゴ、安住、カキタっていうこの4人だったので。さっき、出てきたでしょう? スーパーウェイターとして。ねえ。「オオトモ、ダイゴまでは合っていたのにカキヌマとは失礼な。記憶力が良い安住くんにしては珍しいミスですね」っていうね。カキタさん。先週、カキヌマって言っちゃったんだね。
「先週、楽しく拝聴させていただきました。店長とのやり取りの話、とても面白くも懐かしく、あの頃の情景が昨日のことのように思い出されました。店長の独特な言い回しのモノマネも似ていましたよ。埼玉のあの辺の人にしか分からない懐かしいネタの提供、ありがとうございました。お互い50を過ぎ、気力はあるが体力が少し落ちてきていると実感することもあるかと思います。多忙な毎日をお過ごしのこと、くれぐれも無理ないよう活躍ください。応援しています。時間が合う時でも、久しぶりにお会いできればと思います。お世話になったデニーズでミニチョコサンデーでも食べましょう」。うれしいね。
(中澤有美子)すごい!
(安住紳一郎)カキタくんはほら、さっき説明したようにさ、その首席ウェイターだからやっぱりちょっとさ、なんかもう、あれでしょう? 30年経ってもやっぱりちょっと、俺を上から見てるでしょう?(笑)。
(中澤有美子)なんだろう? 落ち着きがすごい。
首席ウェイター・カキタさん
(安住紳一郎)落ち着きがさ、うん。なんかね、超かっこいいのよ。加勢大周みたいな顔をしてさ。年はひとつ上かな? 同い年だったかな? すごいでしょう、やっぱり。ねえ。俺の元上司って感じだもんね。「まあ、無理しないように」なっつって。「食べようよ」なんつってね。くぅー! おっしゃる通り。ごめんなさい。本当にだって、完全に手下だったから。彼はほら、浦和の地元の田島かどこか……鹿手袋かどこかだったかな? 地元なのよ。
だから地元で中学校の時からもうかっこよくて「カキタくん、カキタくん」だったから、やっぱりもう違うのよ。全然、格が。俺なんかほら、北国から来てるからさ。全然、「えっ、何中?」「芽室中です」「えっ、なに、なに?」みたいになっちゃっているからさ。「えっ、なんでここにいるの?」みたいな感じになっている中ではさ、やっぱりほら、ねえ。名主みたいな感じだからさ。
(中澤有美子)代々のね(笑)。
(安住紳一郎)お世話になったのよ。本当に。俺はほら、今この仕事してるからさ、皆さんいろいろいいこと言ってくれるけどさ。カキタくんにとっては本当にただの田舎者のバイト仲間だもん。お世話になりました! ありがとうございます。
(中澤有美子)その節は。本当にありがとうございました。
安住さんが以前から時々話していたデニーズ・アルバイト時代の思い出話が当時の同僚たちのメールによってどんどん立体的になっていく展開、聞いていて震えました。そしてその2週間後にはついにあのコダマ店長のご家族からのメールが! 多少盛っているとはいえ、安住さんが話していた内容がほぼほぼ正しいことが立証されて長年、日曜天国を聞き続けてきた身としては非常に激アツな展開でした。それもこれもデニーズさんが日曜天国のスポンサーになってくれたおかげです。デニーズさん、ありがとう!
