安住紳一郎 放送業界を志したきっかけを語る

安住紳一郎・福島暢啓 『日曜天国』ピンチヒッターを語る ラジオ

安住紳一郎さんがMBSラジオ『MBSラジオ亥の一番!次は~新福島!猪ベリグ大新年会!』に出演。福島暢啓さんと放送業界を志したきっかけについて話していました。

でも、ラジオをお聞きのみなさん、たぶん安住さんのことを知らないっていう方はほとんどいらっしゃらないんじゃないかって思いますけども。

(安住紳一郎)いやいや、そんなことないと思いますよ。改めて私の紹介を、福島くんの口からお願いします(笑)。

(福島暢啓)いや、そんなにしっかりとやるつもりもないんですけども(笑)。

(安住紳一郎)やってよー!(笑)。

(福島暢啓)安住さん、TBSに入られたのはいつ頃ですか?

(安住紳一郎)1997年、平成9年。

(福島暢啓)何年目ですか?

(安住紳一郎)22年目。

(福島暢啓)22年目。じゃあ、さっきの22年前っていうのは本当に入社1年目の年っていうことですね?

(安住紳一郎)そう。

(福島暢啓)その時はまあ、大学を卒業されてアナウンサーになるわけですけど。もっと前にさかのぼると、元々その放送業界は志してらっしゃったんですよね?

(安住紳一郎)いや、元々は学校の先生になりたくって、ずっと勉強してたんですよね。ところが私の頃は就職氷河期……就職超氷河期で。教職の採用がなかったんですよね。それで学校の先生としての募集がないってなって、困ったなと思って。そしたらまあ、1対多数……学校の先生だとまあ、1対30とか1対40のコミュニケーションになるんで、マスコミュニケーションが少し形態としては似てるかなと思って。それで志望を変えて放送局に就職っていうことにしました。

(福島暢啓)へー! まあ、先生に近いものがあるなと思ったわけですか?

(安住紳一郎)そうですね。やり方は近いかなと思って。

(福島暢啓)多数に対して喋るのが好きだってことですか?

(安住紳一郎)そうですね。まあ小学校……私は中学校と高校の国語の先生になりたかったんですけど。そうですね。まあ40人だともうちょっと、1対1に近いコミュニケーションになって、1対400ぐらいになるともうちょっと芝居がかってないといけないんだけど。学校の先生になるための授業をやっている時から「安住くんはちょっと1対40よりも1対300ぐらいの感じで授業やりがちだから注意して」っていう風には言われてたんで。逆に放送局に行ったらそれが強みになるかな?っていう風には感じてました。

(福島暢啓)ああ、そうなんですか!

(安住紳一郎)ちょっと話を大げさにしたりね、嘘があったりとかするんだけど(笑)。

(福島暢啓)アハハハハハハハッ! それ、よくないでしょ、でも(笑)。嘘があったりすると(笑)。

(安住紳一郎)ちょっとね、大げさにしちゃうっていうのが学校の先生になろうとしてる時から注意されていたんです。

(福島暢啓)ああ、そうだったんですか。文学部ですよね? 大学時代。それは、何か特定のものを勉強しようと思ったところあるんですか? その前から先生を目指していたからですか?

(安住紳一郎)もともと、学校に入るのもなかなか厳しい時代だったんで。もともと日本文学科っていうところに進んだんですけど。あんまり勉強は……乗ってはやってなかったので。

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(福島暢啓)日記文学かなにかをやってらっしゃったという?

(安住紳一郎)そうですね。近世の日記文学。あとは井原西鶴。あ、大阪ですね。井原西鶴ですね。

(福島暢啓)ご専門は近世文学だったんですか。

(安住紳一郎)『世間胸算用』『好色一代男』。

(福島暢啓)そういうのをやってらしたんですか?

(安住紳一郎)勉強していました。はい。

(福島暢啓)卒業論文のテーマはなんですか?

(安住紳一郎)卒業論文は「『世間胸算用』に見る庶民の年末への想い」っていう。

(福島暢啓)はー! それ、どういう結論が出たんですか?

(安住紳一郎)結局でも、あの時代の文学っていうのは研究され尽くしてるんで、さほどあんまり新しい新機軸の研究はできるはずもなく、早稲田大学の国文の神保先生の論文を丸写ししました(笑)。

(福島暢啓)フハハハハハハハッ!

(安住紳一郎)フフフ、当時はまだ許されてましたからね。……許されてないか?(笑)。

(福島暢啓)紙の束になっていればそれでいいっていうような(笑)。へー! ああ、そうでしたか。でも、その学校の先生を目指したのは、その前ですか? もっともっとさかのぼった段階ですよね、じゃあ。もう小学生、中学生ぐらいでですか?

(安住紳一郎)ええと、学校の先生になろうと思ったのは就職の段階ですね。

(福島暢啓)それまではどんな少年時代だったんですか?

(安住紳一郎)どうだろう? あんまり明るくなくて斜に構えてて、何かちょっと目的意識を失ってブラリブラリしてるっていうような感じですかね。

(福島暢啓)クラスではじゃあ、ちょっと……でも、あれですよね? 生徒会長とかやっていましたよね?

(安住紳一郎)あ、そう。私は2歳上に姉がいて。早智子っていうんですけど。早智子がすごく快活で。そして親戚なんかでよく「安住さんとこのお子さんが放送局で仕事してるんだよね」って言うとだいたい「ああ、早智子ちゃんでしょ?」っていう風に言われるくらい、どちらかというと姉の方が明るくて。そしてみんなの前でこう、にこやかにしてるっていう、そういう姉がいて。その姉に対するその反動で私が出来上がってるもので。で、なんとなく姉が明るく親戚とかともね、話してると俺がなんか横で「死ねば……」みたいな(笑)。そういう、「早く帰りなよ」みたいな悪態をつく、お姉ちゃんとの対比で目立ちたくてね。そういう子供だったんですね。

(福島暢啓)はー。光に対して影となったという。

(安住紳一郎)そう。

(福島暢啓)でも、相当放送好きではあったんですか? 放送っていうか、テレビっ子?

(安住紳一郎)そうね。姉がね、テレビっ子だったで。で、「お姉ちゃんが憧れたものを自分が手に入れたい」っていう、そういうところもあったかもしれない。うん。

(福島暢啓)ああ、そうですか。どんなテレビを見てました?

(安住紳一郎)小さい時は、本当にテレビは何でも好きで。いまはEテレって言いますけど、教育テレビは見ますし。あと大相撲中継も見てましたね。

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(安住紳一郎)あと高校野球中継も見てました。

(福島暢啓)いまでもお好きですよね?

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(安住紳一郎)ええ。NHKの三大聖域と言われてますね。大相撲中継、国会中継、高校野球中継。大好きですよ。

(福島暢啓)国会中継も好きなんですか?(笑)。

(安住紳一郎)国会中継も好き。

(福島暢啓)国会中継は何を見るんですか?

国会中継の魅力

(安住紳一郎)なんかこう、決められた範疇の中で工夫をしようとしてるスタッフと技術スタッフが毎回、何かを越えようとして超えられない感じ。

(福島暢啓)フフフ(笑)。国会中継をその視点で見てる人はあんまり……いますかね? そういう人。

(安住紳一郎)そう? なんか新たなものを取り入れようとして失敗している議員や放送局スタッフが死屍累々じゃない?(笑)。

(福島暢啓)みんな負けていく感じが……(笑)。それを見て「頑張れ!」じゃないけど、「ああ、これもダメだったか」っていうのを見るということですか?

(安住紳一郎)そう。

(福島暢啓)そういう見方をするようになったのは、いつ頃からですか?

(安住紳一郎)高校野球中継とかをスコアブック付けながら小学校の時には見ていて。既にもう野球選手ではなくて、放送する側に回りたいなっていう風には考えてましたね。

(福島暢啓)ああ、早いですね! アナウンスメントにはその時には興味はなかったんですか?

(安住紳一郎)当時はアナウンサーも解説者の区別ついてないと思うんで。たぶんカメラマンも区別ついてないと思うんだよね。たぶん「テレビの人」とか「ラジオの人」っていう風に思ってたかもね。

(福島暢啓)そうですか。ラジオも聞いてました?

(安住紳一郎)ラジオも聞いてました。

<書き起こしおわり>

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