安住紳一郎さんが2025年5月18日放送のTBSラジオ『日曜天国』の中で学生時代、アルバイトをしていたデニーズの店長、コダマさんの家族から届いたメールを紹介していました。
(安住紳一郎)そしてこれは先々々週ですね。3週前になるんですけれども。4月27日だと思いますがデニーズのお食事券を20人の方にプレゼントいたしました。私が学生時代にアルバイトしていたという経緯もありまして、デニーズさんが昨年10月からこの番組のスポンサーに入ってくださったという経緯もありまして。1万円のお食事券を20人の方にプレゼントということで、皆さんのもとに届いたということでお礼が届いています。ありがとうございます。
(中澤有美子)ありがとうございます。
(安住紳一郎)20人の方に差し上げて15名の方からお礼をいただいたということです。連絡のなかった5人の方も喜んでくださっているんじゃないかなと思います。ありがとうございます。
(中澤有美子)そうですね(笑)。はい。
(安住紳一郎)いいんですよ。人それぞれですからね。ねえ。たくさん、ありがとうございました。
(中澤有美子)ありがとうございました。
(安住紳一郎)いろいろやっぱりね、ファミリーレストランに思い出があったり。「家族と楽しい時間が過ごせました」ということを皆さんのメールからも本当にたくさん、いい思いができたということが伝わってきます。ありがとうございました。それから私がね、デニーズで学生時代、ファミリーレストランでアルバイトをしていた時の話。少しね、私が話を膨らませる癖がありますので。ずっとね、モーニング記録事件とか、コダマ店長の思い出とかを話してきたんですけれども。
「大げさだ」とかね、「自分を美化してる」なんていう、そういう風な目で皆さんも見ていたと思うんですが。実はその時にもう1人、アルバイトで入っていた方がいて。その人からのメール、あるいはバイトリーダー、スーパーウエイターのカキタさんからメールをいただいて。当時の30年前のあのファミリーレストランの思い出が重層的になったという。
(中澤有美子)そうですね。本当に。はい。
(安住紳一郎)「ズ・ズ・ズ・ズ・ミランド」的な感じですよね。
(中澤有美子)そう。本当に感動しちゃった(笑)。
当時の同僚から届いたメールで重層的になった思い出
(安住紳一郎)皆さんも疲れてるんじゃないかなと思うんですけれどもね。なにか、そういう放送があったんですけれども。80年代、90年代の空気をありありと思い出させるような手触りのメッセージが今週も少し来ていますので、お付き合いいただきたいと思います。「もういいよ」っていう方、いらっしゃるかもしれませんけれども。なんか本当にね、当時はね、ちょっとやっぱり私たちがこの30年で変わったんだなということもよくわかりますし。自分たちの世代の話ばかりしちゃうというところもあるんですけれども。
この方は足立区の54歳女性の方。ありがとうございます。「デニーズの皆様へ。50周年、おめでとうございます。デニーズは私の夫にとってのふるさと。それをお伝えしたくメールいたしました。夫はアメリカ人で25年ほど前に来日しました。今ほど外国人を見かけることはなく、パンやシリアル、輸入食品の種類も少なく、デニーズは近所で簡単にアメリカの味に出会える場所でした。
初めて行った時はアメリカのデニーズでは考えられない清潔感と行き届いたサービスにびっくりし、アメリカンクラブハウスサンドを食べる時に……」。サンドイッチのね、詰め合わせで。放射線状に並んでますよね。「ちょっぴり目に涙を浮かべていたのを思い出します。日本のサンドイッチの多くはパンがトーストされていませんが、クラブハウスサンドのパンはトーストされ、パンと具が離れないように海賊の刀のピックが刺してあります」。プラスチックのつまようじね。
「具はシンプルなベーコン、レタス&トマトですがその見た目と味は彼にとって紛れもないアメリカなのだと思います。キッチンのようじ入れには持ち帰られた刀のピックが何本かあり、息子のお弁当に活躍しています。『少なくなったな』と思うとたまに増えていて、主人がデニーズに行ったことが聞かずともわかるようになっています。近所のデニーズは近年リニューアルされ、窓辺のカウンターがとても快適になり、1人でよく通っているようですが来月の父の日には子供たちと一緒に行こうと思っています。定番メニューの継続をデニーズの皆様、どうぞよろしくお願いいたします」という。ご主人がアメリカの方でということで、なんとなく行きたくなるんだろうね。きっとね。自分のふるさとのことを思い出してということなのかもしれませんね。
(中澤有美子)そうですね。
(安住紳一郎)ありがとうございます。
(中澤有美子)お便り、ありがとうございます。
(安住紳一郎)そしてもう1通、来ていますね。さいたま市のラジオネーム「埼玉のあの辺に住んでいます」さんから。ありがとうございます。
(中澤有美子)ありがとうございます。
(安住紳一郎)「先日の放送でデニーズ西浦和店の話題が出たので、初めてメールいたしました。昔、『はなまるマーケット』を見ていた時、はなまるエプロン隊で出てきた安住さんをテレビで見て父が母に『一緒に働いたことがある』と言っていたそうです。私の父と母はデニーズ西浦和店の前身となるファミール西浦和店で知り合いました」。そう。あのイトーヨカドー系のね、レストラン・ファミールっていうのが昔、あったんだよね。
「ファミール西浦店で知り合いました。父は社員、母はアルバイトでした。父は山形から上京しファミールに入社し、後に合併後、デニーズへ。いろいろ店舗を異動し今から31年前、デニーズ西浦和店で働いていました。ちょうど安住さんと同時期に働いており、当時珍しい名字、地方から来てバイトしていた学生と記憶していたそうです。
オオトモさん、ダイゴさん、カキタさんの名前を聞いた時に『皆さんを覚えている』と言っておりました」。すごいね。「いろいろ聞いてみたところ、西浦店は美女木店と与野バイパス店がなくなり、お客さんが集中してとても忙しかった時期らしいです」。すごいよね。この方、お分かりかと思いますけれどもコダマ店長の息子さんなんですよね。
(中澤有美子)ええっ!
(安住紳一郎)ありがとうございます。
(中澤有美子)そうなんですね。ありがとうございます!
コダマ店長の証言
(安住紳一郎)ありがとうございます。びっくりして私も本当、体が固まってしまいました。ありがとうございます。嬉しいです。「当時の証言になりますが、2人で出したモーニング新記録事件については覚えていないようでした。『なんならモーニングをワンオペで回したこともあるんだ』と自慢していました。安住さんに放ったと言われている『泣き言を言ってるんだったら皿の1枚でも下げてこい』『記録が出たよ。売り上げ記録だ』。この言葉は覚えていないそうです」。
(中澤有美子)そうかー(笑)。
(安住紳一郎)「言った側は覚えていないという典型例だと思いました。当時の父が申し訳ございませんでした」。そんなことありません。「あまり自分のことを話さない人なので、若かった時の父の人となりが想像できました。ただ、皿を下げる際の効率を意識するところなどは現在も変わっていません。ラジオを聞き、家族で爆笑していたら父は笑いながら恥ずかしそうに『当時は俺も30そこそこだ。今、思えば自分はクソガキだったよ。盛ってる。話を盛ってる』と言っていました。
その後、すぐに父はデニーズを退社し、脱サラ。食堂を開き、母と働いています。今でも外食の最前線です。数年前は忙しい昼時をワンオペで営業するなど、変わらずのパワフルさです。安住さんへ。父を恨んでいるかもしれませんが、デニーズのことは嫌いにならないでください」(笑)。すごいね。AKBの前田あっちゃんみたいな(笑)。「昔話をするきっかけを与えてくださり、ありがとうございます。『泣き言を言うなら皿の1枚でも下げてこい』。この言葉を一生、いじらせていただきます。コダマ店長の息子より」。
(中澤有美子)うわーっ!(拍手)。
(安住紳一郎)ありがとうございます。
(中澤有美子)ありがとうございます。すごい! おいくつぐらいになられるんだろう?