町山智浩『メイ・ディセンバー ゆれる真実』を語る

町山智浩『メイ・ディセンバー ゆれる真実』を語る こねくと

町山智浩さんが2024年7月9日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』について話していました。

(石山蓮華)そして今日は先ほどもお伝えいたしましたが。来月公開される『マミー』という映画を紹介いただく予定でした。昨日の放送でも告知しました。この『マミー』は1998年に起きた和歌山毒物カレー事件の真相を追ったドキュメンタリーなんですが、公開を直前に控え、判決が確定した死刑囚の親族に対して誹謗中傷が激化。さらに親族が自身のSNSXで昨夜、映画の内容変更や公開の中止を求める投稿をしており、配給会社としてまだ方針が決まっていないようなので今日は内容を変更してお届けします。

(町山智浩)はい。今日、実は和歌山の毒入りカレー事件のドキュメンタリー『マミー』をやるはずだったんですけれども。ちょっと今ね、公開の体勢を整えてるみたいなんですが。これはみんなが思ってることと実際は全然違うぞっていう映画ですよ。このドキュメンタリーは。警察と検察と裁判所とマスコミがでっち上げた事件なんだってことが本当にズバリ、当事者によって暴かれているというとんでもない映画なんで。ぜひ公開していただきたいなと思いますが。今日は代わりに急遽、別の映画を紹介することになりました。それはね、『メイ・ディセンバー ゆれる真実』というね、アメリカ映画です。

(曲が流れる)

(町山智浩)はい、この音楽は『メイ・ディセンバー』のサントラなんですけど。どんなものを想像しますか?

(でか美ちゃん)なんかちょっと重々しいというかね、シリアスな……。

(石山蓮華)そうですね。シリアスな感じ、しますね。

(町山智浩)ドラマチックなね。でもね、これ……まあいいや、後で言います。この音楽、すごいんですけども。ドラマチックで、メロドラマっていう感じなんですが。この映画ね、タイトルの副題に『ゆれる真実』っていうのがついてる通り、さっき和歌山カレー事件の話をしたばっかりなんですが。実際にアメリカで90年代にあった、女性教師による男子中学生との性関係事件があったんですよ。それを映画化するという映画なんですね。ややこしいんですが。

(石山蓮華)「映画化をする映画」?

30代の女性教師が12歳の教え子と性的関係を持った事件

(町山智浩)映画化する映画なんですよ。で、1996年、これは実際にあった事件なんですけれども。1996年にメアリー・ケイ・ルトーノーという30代の女性教師。旦那さんもいて、子供もいた女性教師がですね、自分の教え子である当時、中学生、12歳の少年と性的な関係を持って。それが発覚して、未成年に対する性的行為ということで刑務所に入ることになったんですね。この女性教師は。懲役7年かな? その時は。ところが、その時にその少年との子供を妊娠していて、彼女は獄中で出産をして。しかも、途中で仮釈放されてる間に禁じられていたのに彼と会って。それで結局、また収監されるんですけど。その時にまた2人目の子供を妊娠して。で、また獄中で出産した。その間に、本当の旦那とは離婚して、刑務所から出所した後にこの彼と正式に結婚して夫婦になったという事件なんですが。

これはいろんな形で映画とかドラマとかにアメリカではされてきてるものなんですね。それこそ和歌山カレー事件と同じで。で、これを事件から20年以上経った現在、映画化しようとするんですが。その映画化をしようとするのがナタリー・ポートマンっていう話なんですよ。この映画はね、ナタリー・ポートマン自身が制作してます。で、ナタリー・ポートマンはこの中で……フィクションなんで。ナタリー・ポートマン扮するハリウッド女優が、これとそっくりの事件を映画化しようとして、役作りのためにこの事件の当事者であるその女性教師と一緒に生活しようとするっていう話なんです。

(でか美ちゃん)なるほど、なるほど。メタ的な構造になってるってことですね。

(町山智浩)そうなんです。だから見ているうちに「えっ、どこまでが?」ってややこしくなってるんですけど。入れ子構造になっていて。で、この映画の中で描かれる事件はほとんど実際にあった事件と同じで。36歳の女性教師グレイシー。これをジュリアン・ムーアさんが演じますが。彼女は23歳年下の当時、13歳の少年と性的関係を持って、子供を産んで。で、それから20年以上経ったんで、彼らの子供も大学に行ったり、高校卒業したりする年になってるんですね。

そこに行って、ナタリー・ポートマンが彼らともう本当に密着して生活をして。しかもインタビューをして。この女性の元旦那にもインタビューして。近所の人にもインタビューして。とにかく、役作りをしなきゃならないんで、まあ一種の探偵ですね。ナタリー・ポートマンは。要するに、この事件の本当の真相は何なのか? 彼女の動機は何なのか?っていうことを探っていくというドラマなんですよ。で、アメリカでこの事件がどういう風に言われてるかっていうと、まず世間的に叩かれたのは彼女が旦那も子供もいましたから。

性的な欲望で若い男の子をいわゆるグルーミングですね。手なづけて性的関係を持った、非常に良くない女性なんだという批判があって。あともうひとつは彼女自身が主張してることなんですが。「私たちは運命の出会いをしてしまったんだ。本当の純愛だったんだ。ということで、世間から叩かれてるけれども、私たちの愛は本当に純粋です」という彼女側の物語があって。それは実はアメリカではテレビムービーになってるんです。1回。

(石山蓮華)メロドラマとして描かれてるってことなんですか?

(町山智浩)そうなんです。悲劇の愛として描かれたバージョンもあるんですね。

(でか美ちゃん)私の感覚だったら、というかこれはまともな感覚だと自分でも思うんですが。「本当に好きなら、手は出さないけどね」って思っちゃいますけどね。大人としてね。

(町山智浩)まあ、そうですね。相手がまだ少年ですからね。ところが、彼女は「彼は少年といっても他の子よりもずっと大人で、ちゃんとした判断力があったんだ」っていうことを主張してるんですね。

(石山蓮華)だいたいそういうことを言うなっていう気はしますね。

(町山智浩)そうなんですよ。でも、ナタリー・ポートマンが彼女を演じるには、彼女の動機とかその2人の関係性の真実を知らなきゃならないわけですよ。どういう風に演技したらいいかわかんないわけです。演技プランが出ないわけで。それでどんどん、彼女との関係を深めていくという話で。ナタリー・ポートマンがジュリアン・ムーアと親密になっていくうちに、どんどんどんどん2人が似てくるんですよ。話し方とか。

(でか美ちゃん)なんかそう聞くと、このBGMがだんだん、ちょっと恐怖心感じるBGMになってきた。

(石山蓮華)何が起こるんでしょう?

(町山智浩)そうなんですよ。もう化粧とか、服とかもどんどん似てきて。途中からそっくりになっていくというのが怖くて。「役者魂、怖い!」っていう感じなんですね。

(でか美ちゃん)なんか事件そのものっていうよりは、もうひとつ内側でもあり、外側でもあり、みたいな部分なんですね。その事件の映画だと思って見ちゃうと、ちょっと違うんでしょうね。

(町山智浩)ちょっと違うんですよ。そういうスキャンダラスなものというよりは、そういったものをドラマ化するっていうのはどういうことなのかという映画ですね。たとえば、それをひとつナタリー・ポートマンが演じて、映画でバーンとやったら、そこで描かれたものが真実になっちゃうじゃないですか。で、みんながそれしか覚えてないってことんなっちゃうじゃないですか。

(でか美ちゃん)そうか。作品によっては「ロマンチック」で消費されてしまうかもしれないし、とか。

(町山智浩)そうなんですよ。そういうことはいくらでもあって。前も話したんですけど。リチャード三世をシェイクスピアが悪役人として描いたから、歴史的事実は違ったのに、リチャード三世はずっと歴史上の悪人として、イギリスのその国王の系譜からも外されてたっていうのもありますから。物語にするっていうのは実はすごく責任のあることなんですよ。

町山智浩『ロスト・キング 500年越しの運命』を語る
町山智浩さんが2023年9月11日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『ロスト・キング 500年越しの運命』について話していました。

(町山智浩)で、もうひとつの問題はこれでも彼、ジョーっていう名前ですけど。この映画の中だと。彼は13歳の時に関係を持ってしまって今現在、父親になって、36歳になっていて。息子と娘がね、もう高校卒業、大学卒業になっちゃってるんですけど。それでナタリー・ポートマンが彼と話すんですね。そうすると彼は、36歳なのにほとんど13歳の子供のように話すんですよ。

(石山蓮華)うわあ……。

成長のチャンスを奪われた少年

(町山智浩)13歳でこういうことがあってしまって。それで彼女との生活の中に絡め取られていったんで、成長するチャンスを失ってるんですよ。これはなんとも……で、実際の事件の方も結局、彼は離婚するんですよ。だから、その中で誰が被害者で、誰が加害者なのか?ってことを見極めていかないとならないっていう風にナタリー・ポートマンは思ってるわけですけども。ただ、映画とか物語っていうのは誰かを悪人にするというひどいことをしてしまう、裁判的なことをしちゃう傲慢さがあるんですよ。それ自体にも非常に自覚的な映画なので、見てる方が振り回されるんですよ。これ、どう考えればいいの?っていうね。

(石山蓮華)これは映画を作ることとか、俳優としてその自分の体を使って誰かを表す。その自分の解釈によって人を表すことって、本当に言われてみるとすごい恐ろしいなって思いますね。

(町山智浩)そうなんですよ。その人を誰が演じるかでも全然違っちゃうわけですよ。それはイケメンの人が演じるか、汚いおっさんが演じるかで全然印象は違っちゃうわけですよ。

(石山蓮華)役作りをどこまでされてるかとかもそうだし。完全にフィクションの話でも、ちょっと現実の社会と重ねて見て「こうなんだ」っていう解釈してしまう人もいるのに。実際に起きた事件を題材にしていると、本当にその責任は大きいですよね。

(町山智浩)最近、Netflixでね、『Baby Reindeer(私のトナカイちゃん)』っていうシリーズが大問題になっていて。それは売れないコメディアンがストーカーの女性に追っかけられたっていう話をそのコメディアン自身が演じていて。ドラマ化したやつがあって、それがものすごく面白いんですけども。ただ、そのストーカーの人っていうのは実在するんですよ。で、Netflixだからそれこそ何億円も何十億円もの利益を上げてるんだけど、そのストーカーの人にはお金は行かないわけですよ。全然。ところが、そのストーカーの人が書いたメールとかは全部、そのまま使っているんですよ。そのドラマで。その著作権ってどうなるの?っていう話で、大問題になってるんですけど。

(石山蓮華)なんか、そのそもそもの元になった関係性が加害と被害っていうものがあったとしても、そこを作品にするんだったら著作権がどうしても発生するのではと思いますよね。

(でか美ちゃん)そうか。許可というか。

(町山智浩)そうなんですよね。で、この映画の場合にはね、この女性教師はもう既にがんで亡くなってるんですよ。で、男の子の方は現在、存命中なんですけれども。彼には連絡を取らないで映画化をしてるんですね。ただ、見てもらえばわかるんですが、彼はこの映画を非常に認めるだろうなと僕は思うんですよ。言えないですが。でね、さっきね、音楽がドラマチックだって言ったじゃないですか。この映画、こういう内容ですけど、こういうシーンがあるんですよ。

ジュリアン・ムーア扮するその女性が冷蔵庫を開けるんですよ。で、冷蔵庫の中を見た途端、この音楽が流れるんですよ。このドラマチックな……「なにがあったんだ?」って思うんですけど、「ソーセージが足りないわ。バーベキューするのに……」って言うんですよ。それだけのことで、メロドラマのような音楽が流れるんですよ。

(でか美ちゃん)ええーっ? なんで?

(石山蓮華)それは、ギャグってことですか?

(町山智浩)ギャグなんですよ! コメディなんです、この映画は、実は。

(石山蓮華)ええーっ?

(町山智浩)何ヶ所か、ちゃんと笑うところがあるんですよ。

(石山蓮華)メロドラマギャグ?

(町山智浩)そう。

(でか美ちゃん)でも、何だろう? その、恋に夢中の人ってさ、それぐらい、日々の全てがそう見えるみたいなね。すごく美化して言うならば。

(石山蓮華)「雨が降ってきた。私と連動してる!」みたいな?

(町山智浩)そう。その通りなんですよ。

(でか美ちゃん)みたいなのもギャグにして。なんかいろいろ、本当にメタ的な視点がいっぱい入ってますよね。面白そう。

(町山智浩)その通りなんですよ。ジュリアン・ムーアは自分がメロドラマの悲劇のヒロインになったつもりで生きてる人なんですよ。僕も結構、ありますよ。こういう時って。

(でか美ちゃん)あら? 恋してる時の町山さん?

(町山智浩)っていうか、時間に間に合わなくて遅刻して走ってる時に、頭の中で『ミッション:インポッシブル』のテーマが流れたりしてますから。それはテメーが時間に遅れてるだけだろ?って思いますけども(笑)。サスペンス映画の主人公になった気持ちで待ち合わせ場所に走ったりしてますけど。そういう人なんですよ。このジュリアン・ムーアは。

(でか美ちゃん)でもそれ、わかりやすいですね。冷蔵庫を開けるだけでこれが流れるなんて。

(町山智浩)でしょう? 冷蔵庫を開けるだけで、この音楽が流れるから。何、これ?って思いますけども。これはでも、そこに役作りのために関係性を調査しに入っていく女優さん、ナタリー・ポートマンは一種、観客の代わりですよね。観客の視点に近いもので、この事件の真相は一体何なのか?っていうことで入っていくから、観客はナタリー・ポートマンにものすごく感情移入して見てるんですけど、それもこの映画はひっくり返していくんですよ。

ナタリー・ポートマンへの感情移入もひっくり返す

(石山蓮華)えっ、だってナタリー・ポートマンはこの元になっている人に対して、どういうスタンスで行くんだろうっていうのが気になってしょうがないです。ジュリアン・ムーアに対して。

(町山智浩)でしょう? で、ちょっと驚くような一線の超え方をナタリー・ポートマンがするんですよ。

(石山蓮華)ええっ、気になるーっ!

(でか美ちゃん)気になるし、怖いよー!

(町山智浩)どんどん彼女と一体化していく中で、役作りのためにとんでもないことをしていくんで。観客はそこで、今まではナタリー・ポートマンのつもりで見てたのに。彼女に感情移入してね。「えっ、ここで観客を放り出すの?」っていうことまで起こってくるんですよ。これね、副題の『ゆれる真実』っていうのはまさにそれで。見てるうちにどんどんどんどん新しい情報が出てきたり、さっきまで言ってたことは嘘だって言われたり。で、全然、本当の真実が見えてこないんですよ。という映画でね。ただね、真実の部分が1ヶ所だけあるんですよ。

それは、誰も見ていないところでこのジュリアン・ムーア扮する年上の女性と、それと結婚した23歳下の夫が一種、決闘をするシーンがあるんですよ。対決をするシーンがあるんです。そのシーンで2人が言ってることは、このモデルになった本当の事件の女性教師と結婚した彼が、オーストラリアのテレビのインタビューで話したことをそのまま言ってるんです。つまり、ずっと虚構だと思っていたのが、そのシーンだけ本当になっちゃうんですよ。モデルになった女性教師と元生徒の2人が実際にテレビでその会話をして。それがテレビで放送されて、大問題になったんですよ。それはある種、この事件の真実を語っちゃっていたんです。

(石山蓮華)うわー! なんかもう、聞いてるだけで鳥肌が立ってきますね。

(町山智浩)という、とんでもない映画なんですけど。

(でか美ちゃん)早く見たいですし。ここまで聞いた上で「見たい、知りたい」っていう罪深さっていうのを思っちゃいますね。

(石山蓮華)見るんだったら、やっぱりドラマが見たいと思ってしまうこの欲望って、なんなんでしょうね?

(町山智浩)ねえ。でもドラマにすることでそれが事実として確定されてしまうという恐ろしさもあるので。この映画はそれを……非常にそれ自体に自覚的で、自己批判的に作ってる奇妙な映画ですね。

(石山蓮華)気になります。ぜひ、見に行きましょう。今日は今週12日金曜日に公開される映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』を紹介いただきました。

(町山智浩)あ、忘れてた。この『メイ・ディセンバー』っていうタイトルの意味はね、5月と12月っていうタイトルで。これは「年がものすごく離れてる」ってことを意味する英語の言い回しです。

(石山蓮華)5月と12月ぐらい離れてるっていう。

(町山智浩)そうそう。そういう意味です。言うのを忘れました。

(石山蓮華)町山さん、今日もありがとうございました。

(町山智浩)どもでした。

『メイ・ディセンバー ゆれる真実』予告

<書き起こしおわり>

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