町山智浩『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』を語る

町山智浩 クインシー・ジョーンズと楳図かずおを追悼する こねくと

町山智浩さんが2025年4月22日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』について話していました。

※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。

(町山智浩)今日はですね、『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』というバレエ映画を紹介します。

(曲が流れる)

(町山智浩)このちょっと格調高い感じが俺と全然合わないんですが。バレエ映画なんですけど、僕はバレエとちょっとだけ縁があるんですよ。カミさんが昔、バレエをやってたんです。それだけなんですけど。なんかね、バレエ映画を見る時にはわかんないことをカミさんに聞くんですよ。「これ、何をやってるの?」とか「これ、どうなってるの?」って聞くんですけど。このね、『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』という映画が今週、25日から劇場で公開されますが。これ、すごい映画でした。

まあ、なんというかですね……昔、『ブラック・スワン』っていう映画があったのご存知ですか? ナタリー・ポートマンがニューヨークのバレリーナで。白鳥の湖で石鳥を演じることになって。「邪悪な石鳥の心がお前にはわからねえだろう? おぼこいから」とか言われてセクハラされてですね。で、なんとかその役を作ろうとしてどんどん狂気に陥っていくという。だからホラー映画でしたね。『ブラック・スワン』は。

ちょっとすごかったですよね。で、あれはまあ、なんていうか、実話じゃないんですが。この『JOIKA』っていう映画は実話なんですよ。最近、あった話なんですね。僕も知らなかったんですけど。カミさんは知ってましたけど。これ、2000年代にあったことなんですよ。で、ジョイ・ウーマックさんという人がいて、この人がモデルです。モデルというか、この映画にもう実名で出てきます。1995年生まれで、15歳でボリショイ・アカデミーというですね。ボリショイ・バレエ団の下にあるバレエ学校ですね。そこに入って。

ボリショイ・バレエ団に入団した初のアメリカ人

(町山智浩)その後、ボリショイ・バレエ団に入団したという人なんですが。アメリカ人としてはそれは初めてだったらしいです。周りみんな、ロシア人なんですね。で、『JOIKA』っていうタイトルはこの人はジョイっていうのが本名なんですけど、ロシアなんでロシア語っぽくジョイカっていう風にロシアで呼ばれてたみたいです。で、その「ジョイ」っていうのは「楽しい」っていう意味ですけど。まあ、楽しみも何もなくなっちゃうような地獄の特訓の世界なんですよ、これが。

もう激烈でね、毎朝4時ぐらいに起きてね、暗いうちから学校の練習場に通うんですけども。で、そこでやるととにかくやっぱり、バレエだから。バレエってすべてそうですけど、主役を取るための競争なんですよね。ひたすら。で、落ちこぼれていくとどんどん「はい、荷物をまとめて帰って!」みたいな世界だから、厳しいんですよね。

これね、ヴォルコワ先生という先生役をダイアン・クルーガーという名女優がやっているんですけども。で、このジョイさんを踊らせるわけですけど。そこでね、「ジュッテ、ジュッテ、ジュッテ!」って言うんですよ。これ、ジャンプですね。で、それを延々と繰り返させて。今度は「フェッテ、フェッテ、フェッテ!」ってやるんですよ。これ、回転するんですけど。それをやっていると、もうずっとやらされてるから、足からじくじく血が出てるんですよ、もう。

これね、カミさんに言ったらね、「ああ、この子はボリショイに入るぐらいすごかったのに、この段階で血が出てるんじゃ、ちょっとおかしいわね」って言ってましたけど。「この段階だと、すでに親指の爪は両方とも完全になくなっていて、親指の先が角質化してるはずだ」って言ってましたよ。「出血してるっていうのは、それだけひどいことをされたんだろう」と言ってましたけど。なんか「私も爪、なかったし」とか言ってましたけど。まあ、すごいんですよ。もうなんかね、バレエっていうと優雅な感じがするんですけど、ものすごく暴力的な現場で。

ものすごく暴力的なバレエの現場

(町山智浩)その、まずそのバレリーナの人たちはね、バレエのそのトゥシューズですか。それをガンガンぶっ叩いてるんですよ。もうベチベチベチベチッ!ってぶっ叩いて、ガンガンガンガン!ってやってるんですよ。それは足に慣らすために壊すんですね。硬いままだとできないから。だからもうその段階で非常に暴力的なんですけど。で、血は出るしね。で、トイレに行くとね、ゲロを吐いてるんですね。これ、たぶん体型維持のためだと思うんですよ。説明はないんですけど、ゲロを吐いてる人がいるんですよ、いつも。「なんなんだ、これ?」って思うんですけど。

で、まあその地獄の特訓があるだけじゃなくて全員がライバルですですから。これ、バレエ物の基本ですけど、様々な妨害があるんですね。僕が子供の頃ね、バレエ漫画がすごく流行っていて。50年ぐらい前ですけど。いろんな雑誌に必ず……少女漫画誌には特にバレエ漫画が載ってたんですね。

ベタなのだと昔ね、『かあさん星』とか『バレエ星』っていう漫画があって。『バレエ星』っていう漫画があったんですよ。それはもうね、ライバルがね、トゥシューズに画鋲を入れてくるんですね。

(町山智浩)で、この『JOIKA』の中でもジョイカさんがやられるんですよ。そういうことをね。で、まあみんな、足の引っ張り合いだから、うまく踊れなかったりしてもこの先生は「なにフラフラしてんの!?」とか言って。で、「いや、靴になにか入っていて……」みたいなことを言おうとすると「言い訳はいらないわ! 荷物まとめて帰って!」ってやるんですよ。すごいきついの。これ、すごい厳しいだけじゃなくてね、このいじめみたいなもの。この激烈さみたいなものがひとつの試練としてあるんだっていう信念がこの先生にはあってですね。この先生がずっと言い続けるんですよ。特訓をしながらね。「あなたたちはどのくらい自分の人生を犠牲にできる?」って。すごい世界でしょう、これね。

あと、この先生自身が先生をやってるってことはバレリーナとしては挫折してるんで。その思いもあるんですよね。で、あとまあ痛いわけですよ。もうとにかく毎日、痛いわけですね。血だらけで。で、だいたいつま先で立つってこと自体が異常なことだし。しかもつま先で着地したりするんですから。人間の身体的な構造に逆らった動きをしているわけですから痛いわけですけど。そうするとね、「痛みを敵と思ったらダメよ」って先生は言うんですよ。「痛みなしではなにも成し遂げられないからね。もし朝、痛みなしに起きられるとしたら、それはもうバレリーナを辞めた時よ」って言うんですよ。

ただ、「毎年5000人がボリショイに入ろうとしてるんだから。そのぐらいやらなきゃ、無理よ」っていうことを言うんですけど。で、この地獄の特訓にジョイさんは耐えていくんですね。で、このジョイさんを演じている女優さんが全然、日本では知られていない人なんですけど。この人、すごいですね。演技も。タリア・ライダーという女優さんで。これ、前に紹介したことがある『スイート・イースト 不思議の国のリリアン』という映画で主役をやっていて。女子高校生をやっていた人なんですけど。今回、この凄まじい映画を演じきってるんでね、まあすごいですね。

これ、全身映ってるシーンでは彼女自身が踊ってるところもあります。彼女、元々踊りもやってたみたいですね。基礎があるみたいですね。ただね、ものすごく難しいところはこのジョイ・ウーマックさん自身がやってるそうです。モデルとなった彼女自身がやってるんです。スタントを。これ、かなりきついと思うんですけども。

バレエに政治が介入する

(町山智浩)で、それだけならいいんですけど。それはまあ、バレエの能力というかね、根性の話じゃないですか。でも、そうじゃなくて途中から……これ、プーチンの時代だから。「アメリカ人なんかをプリマドンナにするわけがねえだろ?」みたいな圧力がかかってくるんですよ。政治が入ってくるんですね。特にプーチンはすごく民族主義だったんで、そういう圧力がかかってきて。でもその中で「もうムダだから。無理だから。やめてアメリカ帰ったり、他のところ行った方がうまくいくんじゃないの? あなた、才能があるから」みたいな話で。お母さんとかもね、「もうやめなさいね。もう家に帰りなさい」っていう風に説得するんですけど。

でも彼女は「ここまでやったから、やるしかないわよ。ボリショイっていうのは世界のボリショイよ!」っていうね。で、「ボリショイ」ってどういう意味だろうと思ったら、それは単にね、「グレート」っていう意味なんですって。「偉大な」っていう意味らしくて。だから単にね、「大バレエ団」みたいな意味らしいんですよ。ボリショイ・バレエ団っていうのは。

で、まあやるんですけどこのボリショイ、最近というか2000年代からずっとね、スキャンダルがあって。その主役の座をめぐって……男性バレリーナですけど。男性のバレエダンサーの顔に硫酸をかけたりね。これ、本当にやってるんですよ? それだけじゃなくて、女性のバレリーナの人に実は性的な要求があったりして。で、そのお偉いさん……いっぱいいるわけですよね。要するにボリショイ・バレエ団って国が金を出してるから。そこに寄付している大富豪とか、いろんなのがいるわけですね。上の方に悪いスケベなジジイが。そういうのとセックスしたりするのは当たり前だったみたいな告白をしたりね。そういう地獄のような世界なわけですよ。

で、その中でこのジョイさんは主役を取るために何でもするんですよ。「ここまでやっちゃうの?」みたいなところまでやりますよ。「それをやっちゃう!?」みたいなことまでやっていくんですよ。この人ね、実は2000年代にアメリカの雑誌に全部、ぶっちゃけちゃったんですよ。あったことを。で、大変な事態になってっていうのが背後にあるんですけども。だからこのタイトルがね、『狂気』っていうのがついてるんですけどね。でもね、これを見ているとこのコーチに洗脳されていくんで。

「ああ、俺はここまで死に物狂いでやったことがないから、大した人間になれなかったんだな」とか思って、反省しちゃいましたけどね。そこらの人になっちゃったのは、やっぱりこの狂気が……だって本当にすごいんですよ。これを見ると。昔のね、スポーツ根性漫画とかって、ほら。バレエ物でもそうでしたけど「ここを踊ったら、もう一生歩けない」みたいなの、あるじゃないですか。『あしたのジョー』がね、最後の試合で燃え尽きちゃったりとか。そういうところまで行きますからね。

これ、すごいですけど。「そこまでやる?」っていうね。好きな彼氏もいるんですよ。ニコライっていうね、いい男性のバレエダンサーで。すごく貧乏して苦労してるから彼女のことを理解してくれる恋人もいるんですけども。まあ、そういうのも全部、ぐちゃぐちゃにしてきますから。この人。主役を取るために。泥にまみれて。

それで前に『TAR/ター』っていう映画を紹介したことがあるんですけど。あれで描かれていたそのクラシックの演奏家たちの間でのセクハラであるとかね。あれも全部、事実ですからね。あれも最近、バレたんですよね。特にロシアだしね。特にプーチンの国ですから。これね、ウクライナ戦争の前の話なんですけどもね。実際は。で、まあそういう政治は絡むしね、「性」も絡んでくるしまあ、大変な状況になっていくというね、とんでもないバレエ映画がこの『JOIKA』でしたね。

これね、タリア・ライダーというこの主演の女優さん、全くたぶんね、映画詳しい人も全然知らないと思うんです。今の段階でハリウッドのメジャーに出てないんで。でもこれを見ると「この人、大女優になるな」って思いましたよ。という感じで『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』、今週25日金曜日から公開ですね。

『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』予告

アメリカ流れ者『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』

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