松野泰己 スクウェアへの移籍と『ファイナルファンタジータクティクス』開発を語る

松野泰己 スクウェアへの移籍と『ファイナルファンタジータクティクス』開発を語る TOKYO M.A.A.D SPIN

松野泰己さんが2024年1月29日放送のJ-WAVE『ゆう坊とマシリトのkosokoso放送局』に出演。クエストからスクウェアへ移籍した経緯や『ファイナルファンタジータクティクス』の開発について話していました。

(鳥嶋和彦)それでいよいよ、スクウェアに来るわけだ。で、僕はてっきり坂口が抜いたと思っていたんだけど。

(松野泰己)それはかなり誤解がありまして。

(坂口博信)ここではっきりさせておきましょうよ。

(鳥嶋和彦)公式見解としてね。

(坂口博信)僕がいくら言っても、信じないんで。

(松野泰己)まあ、そんなこんなでそのクエストで頑張ってはいたんですけど。やっぱり、僕以外のラインがうまくいかなくて。その、さっき言った最初のアクションゲームが途中でポシャッたりとかして。そうすると、人が余るじゃないですか。で、オウガバトルチームに入れるんですけど、会社としては結局、それって開発的にオーバーなわけですね。人件費が。で、オウガバトルの件もそうですし、タクティクスオウガもそうですけども。その、ダメだったライン側の人間って結局、リストラをするわけですよ。割とすごい容赦なく、会社側が。で、そこがちょっと、僕は当時若かったんで。なんか、それを本当に申し訳ないなと思って。「何とかできたんじゃないかな?」って、すごく……。

(鳥嶋和彦)痛みに感じたんだ。

(松野泰己)そうですね。仲が良かった人間も辞めさせられるとかするし。逆に言うと、企画だったら僕が、グラフィックだったら皆川とか、そういった人たちがリストラする人間たちを選ばなきゃいけないじゃないですか。

(鳥嶋和彦)ああ、人選をあなたたちがさせられるわけ?

(松野泰己)最終決定はもちろん会社ですけど。「今、この中で2人、減らしてくれ」とか。

(鳥嶋和彦)それは嫌だね……。マネジメントがまずいね。

会社のリストラで心を痛める

(松野泰己)そういうのがあったんで、「ちょっともうこの会社は厳しいな」と僕は思って。で、「辞める」っていう話を、その(『タクティクスオウガ』の)マスターアップの前から、知り合いには結構言っていて。ニフティサーブを始めた時に、その業界の方々とも友達になることが増えまして。

(坂口博信)当時、コミュニティって言っていたね。

(松野泰己)ニフティサーブ。インターネットの前で。そこで『ゼビウス』の遠藤さんとかとはその時に仲良くなったりとかして。それで、オフ会の時とかに「辞めたくて。他の会社を……」みたいな話をしていて。で、マスターアップの時に、また伸びた時にスクウェアから「こういう理由で人を集めてるから、来ない?」って言われて。「ああ、いいね」ってなって。そこで行くことになるんですよ。で、その時の話っていうのは、たぶん坂口さんが解説しますけど。坂口さん自身はFF6のCG化で、ロサンゼルスにいたんですよね。で、僕らはその時にはまだ面識ないですから。

(鳥嶋和彦)ああ、そう?

(坂口博信)ほら!(笑)。

(松野泰己)で、僕は当時、副社長だった某S木さんがいて。S木さんがなんか、理由はわからないですけども。とにかくスクウェアで坂口さんとは別のチームを作るみたいな話があったらしいんですね。で、僕はそれしか知らないんですけども。要は「そっち側の方で新しく会社を起こすから、そっちに来ない?」って言われて。「いいですね」って言って行ったのが最初なんですよ。

(鳥嶋和彦)なんで僕が誤解したか?っていうと、その当時、六本木でいろんな人を誘っては飲み……。

(坂口博信)その「六本木で」っていう言い方、どうなの?(笑)。

(鳥嶋和彦)で、次々にいろんなゲーム会社のラインとか、主だった人間を抜きまくっていたから。

(松野泰己)時系列的にちょっと違っているんですよ。

(鳥嶋和彦)ああ、本当に?

(松野泰己)僕は言ってるのはこれ、95年の夏なんですね。7月、8月の話で。まだ当時、スクウェアはNINTENDO64の方に行く。任天堂の側に行くっていう話だったじゃないですか。で、僕も入社が決まった時に任天堂さんに行って、64のモックアップを拝見して、いろいろと教えていただいたんですよ。で、坂口さんが帰ってきて、ご挨拶とかをして、入社しましたってなった時。その段階で、要はおそらくなんですけど。当時、スクウェアはもうプレステに行くっていうことが決まったんですね。で、S木さんの会社は開発じゃなくて、流通会社にしちゃおうってたぶんなったんですよ。後から知りましたけども。

(坂口博信)デジキューブになるわけですよ。

(松野泰己)で、僕はそれを知らずに「結局、S木さんの方がポシャったんで」って言われて。「松野、そのままスクウェアに入ってくれ」と言われて「わかりました」って言ってスクウェアの開発に入っていって。で、それは坂口さん参加の開発部だったんですよ。

(坂口博信)ただ、なんか僕のラインだけだとそれがコケた時に一緒に会社がコケるのは嫌だっていうことで。当時、社長がやっぱり第2のラインを……それで、河津の『サガ』が生まれたりしてくるんですけども。その最先鋒っていうか。それで誘われた感じですね。だから最初は社内の敵だったんですよ。本来は。

(鳥嶋和彦)なるほど!

(堀井雄二)ライバルチームだったわけだ。

(鳥嶋和彦)坂口さんとはそういう経緯で初めて会ったんだ。

(松野泰己)僕はだから95年の9月、『タクティクスオウガ』の発売前に入社して。で、吉田と一緒に入ってきて。皆川は1ヶ月ぐらいで後に入ってくるんですけど。で、坂口さんがロサンゼルスから帰ってきて。CGの当時のやつが終わったんですよね。帰られて、再編成するみたいな話になって。

(坂口博信)ロスで……そうだ。PSの前だから当時、CGが必要になるんじゃないかっていうんで、リサーチに行ってた頃だ。

(松野泰己)3DのFF6のデモみたいなの、作ってらっしゃったじゃないですか。

(坂口博信)ああ、はいはい。シリコングラフィックスで。

(松野泰己)で、プレステに入るからってことで、会社内のチームが全部終わるのを待ってたんですよ。で、『サガ』はもう終わっていて。マスターも終わっていて、商品発売を待っていて。で、『聖剣』がまだ終わってなくてっていう時期でしたね。

(坂口博信)ああ、『聖剣』にバグが出ちゃった時期ですね。

(鳥嶋和彦)ああ、あった。そうだよ。

(松野泰己)あれ、厄介だったんですよね。

(鳥嶋和彦)発売がさ、こっちも痛手だったんだよね。出せないんだもん。

(松野泰己)ちょうど恵比寿から目黒にスクウェアが移ったばかりですね。あの時代です。

(鳥嶋和彦)あの時期か。

(松野泰己)で、プレステに入ったんで、ライン分けしようって言って『ファイナルファンタジータクティクス』を作り始めてるっていう感じですね。流れとしては。

(坂口博信)そこで初めてお願いしました。「オリジナル、やりたいだろうけど、頼むから1回、FFワールドで作ってくれないか?」ってお願いをしました。

(鳥嶋和彦)ああ、それでタクティクスなんだ。

「頼むから1回、FFワールドで作ってくれないか?」

(松野泰己)はい。ちょっと悪い意味ではない意味で聞いていただきたいんですけど。オウガまでは作品作りだったんですよ。自分の中では。FFTに関しては、むしろ商品作りだと思っていて。万人に受けて、ちゃんと売れるっていうものをちゃんと作ろうと。元々、大手に入りたかった理由のひとつっていうのは、とにかく独学でいろんなことをやってたじゃないですか。やっぱりそれで壁にもぶつかるし。なんか、自分のできていない部分も見えちゃうし。だから大手に入って、もう1回勉強し直したいという気持ちがあったんですよ。だから本当はディレクターをやりたかったわけじゃないんですよ。そういう意味では。どこぞのラインに組み込んでもらって、スクウェアのノウハウを勉強したかったっていう。

(鳥嶋和彦)こういう、真ん中で売ってきた人間の?

(松野泰己)も、含めて。いろいろ。

(坂口博信)いやー、ノウハウなんてものはないってことが、入ってわかったでしょう?

(松野泰己)いや、全然(笑)。ところが、入ったらプレステになったんで、ラインを1個、任されちゃって。結局、ディレクターをやることになったんで、あんまり変わらなかったっちゃ変わらなかったんですけども。立場的には。

(鳥嶋和彦)スクウェアに入って、坂口さんとかを見たり、仕事を始めて。何が一番、衝撃っていうか、大きな感じたことだった?

スクウェアの文化

(松野泰己)うーん……いろいろあるんですけど。一番大きかったのは坂口さんというよりは、当時のスクウェアの物作りの仕方っていうのが、プログラマーがプログラムに徹しているっていうことですかね。これ、どういうことか?っていうと多くの会社ってのはその「こうしたい、ああしたい」っていうのを全部、プログラマーが作っていったりするんですよ。仕様書がなくても、プログラマーが作っていく。まあ今は違いますけど、当時はね。そういうメーカーさんが結構、多かったと思うんですよ。カプコンさんもたぶんそうだと思いますし。コナミさんもそうだと思いますし。ところがスクウェアって結構、分業制がしっかりしていて。企画が仕様書を作るのは当然なんだけど、データも全部打っていって。で、プログラマーはどういうゲームなのかわかんないけど、とにかくオーダーされたプログラムを組む。で、データはお前らが流し込め。面白かろうが、つまらなかろうが、それは企画の責任だ、みたいな感じが結構強くて。それは斬新でしたね。僕にしたら。

(坂口博信)それは生い立ちによるんですよ。やっぱり、アクションゲームから来ると、どうしても絵書きの方が強いんですよね。彼らがどういうアニメーションしたいか、どういう風に操作したいか、から入ってプログラミングをするんで。いわゆる「企画」と呼ばれる連中がほとんど入り込む余地がないんだよね。

(鳥嶋和彦)ああ、もう形がそこでできちゃうから。

(坂口博信)それがRPGをいきなりやってたので、それが組織にそのまま反映されていて。やっぱり、その企画と呼ばれる、ないしはシナリオみたいなものの方が強いんですよね。

(松野泰己)だからそうなってくると、データ構造わかんなきゃいけないってなってくるので。必然的にプログラムをある程度、かじらなきゃいけなくなってくるので。

(鳥嶋和彦)ああ、そこではじめて?

(松野泰己)そうです。初めて今まではプログラムがわかんなくても、プログラマーの人たちがいいようにやってくれていたんですよ。ただ、今度はそうはいかなくなってくるので。

(鳥嶋和彦)分業化されてる分だけ、自分もちゃんと。

(松野泰己)データテーブルをきっちり作らなきゃいけなくて。それをやらないと、プログラマーが結局、吐き出して動くものにならないのでっていうところはありましたね。

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