安住紳一郎 35年ぶりに訪れた母校・芽室中学で嗚咽するほど泣いた話

安住紳一郎 14年前に秋田のボウリング場で出会った女性に再会した話 安住紳一郎の日曜天国

安住紳一郎さんが2023年12月16日放送のTBSラジオ『日曜天国』の中で母校・芽室中学校の開校50周年記念のお祝いで講演会に呼ばれた際の模様を紹介。35年ぶりに訪れた母校で記憶の蓋が開きまくり、最終的に嗚咽するほど泣いてしまったと話していました。

(安住紳一郎)それから先々週、12月8日なんですけども。私、自分の卒業した中学校に呼ばれまして、行ってきました。開校50周年記念のお祝いということで、講演会に呼んでいただきまして。在校生の皆さんも定期テストが終わったばかりで、インフルエンザもね、ちょっと流行っているという時で。受験も近いっていうのに体育館に全校生徒、集まっていただきまして、本当に嬉しかったです。私は北海道のちょうど地図でいうと真ん中からちょっと右下あたりにあります芽室町立芽室中学校というところを卒業したんですけれども。植物の「芽」の方ですね。芽キャベツの「芽」の方ですね。に、室町時代の「室」と書きまして「芽室(めむろ)」というところなんですが。

釧路地方にある「根室」と字も音も植物の「芽」と「根」でほとんど一緒っていうね。似ているんで、よく間違えられるんですけれども。畑作地帯で。ちょうど生徒の半分くらいが農家のご子息っていうような、そういう農村地域の町立、公立中学校の出身なんですけども。略して「芽中」なんてね、地元では言うんですけども。私はそこを卒業しまして。15歳ですよね。卒業してから、35年ぶりに校舎の中に入れてもらいまして。本当に、なんだかいろいろ記憶やら、感情やら、衝撃やら、後悔などが次々と、なんか蓋を開け始めて。まあね、ちょっとどちらかというとね、思い出史上主義みたいなところがあるから。

(中澤有美子)そうですよね。

(安住紳一郎)よりね、より取り乱してしまいますね。関係者の方々にご迷惑をおかけてしまいましたけれども。ねえ。校舎はね、ちょっと暖房のシステムなどリニューアル工事はされてるんですけど。基本の作りとか間取り、変わらず。なのでなんか、廊下の天井から下がっているチャイムが鳴るスピーカー付きのナショナルの時計とか。あのカーキ色とか、アイボリーのスピーカーの色とか、なんかそういうのを見るだけでもう一々、止まっちゃって。「安住さん、こちらへどうぞ」って言うんだけど、「ちょっと待ってください。この時計は……」なんて言って。「この時は30秒ごとにカチッといいますね」なんて言って(笑)。

(中澤有美子)アハハハハハハハハッ!

(安住紳一郎)「ちょっとずつ動きますよね。ずっと見ていたもんですから……」なんてつって。「30秒ごとにカチッと動きますよね」なんて言って。もう、何を見ても何かを思い出しちゃって。もう記憶の蓋が、ねえ。また香りとか匂いとか、ちょうどね、日差しの加減とかを見るだけでなんかもう……本当に私、病気なんじゃないか?ってぐらいパカパカパカパカ開いちゃって。なんか圧力鍋のピストンみたいな感じで、プスプスプスプスッ、ピシピシ……プシューッ!って。「安住さん、また何か、思い出したんですか?」みたいな。で、ほら。今、中学校にいる先生方は私の当時の先生方じゃないから。私がいろいろ言ってもね、もう「よく覚えてますね」とか、「ああ、そうですか」としか言えないですからね。もう本当になんか、付き合わせてしまって申し訳ないことをしたなと思いましたけど。もう、胸いっぱいですよ。

(中澤有美子)そうですか(笑)。

(安住紳一郎)当時は……まあ中澤さんもそうですけども。第2次ベビーブームのピークで。生徒がね、多かったんですけど。小さな町でしたけど、1学年7クラスあったのかな? 1クラス、50人手前ぐらいまでいましたから。46とか47、いたかな? 学年はたぶん、1学年で320、30ぐらいいたんじゃないかなと思いますけれど。で、世の中全体がね、まだちょっと荒々しい時代……1980年代ですからね。「どの時代が良かった」っていう話じゃないですけどまだ、今みたいにね、個人を大事にするっていうか、個人の時代ではないから。やっぱりこう、「お前たち、集団のことを考えてやれ」っていう教育の時代ですよね。

(中澤有美子)そうですね。本当に。

(安住紳一郎)なので、その校内暴力の後ろの方。先生方の、今で言うと本当にいけないことなんだけども。やっぱりちょっと言うこと聞かない生徒にはゲンコツ・ビンタっていうような、そのギリギリ最後の時代だったんですけどね。番組でもね、前に話しましたけど。ハセガワ先生に私が往復ビンタされた予備教室なんかがあったりして。「ちょっと待ってください。この予備教室は、私がハセガワ先生に往復ビンタをされた教室なんで。ちょっと、すいません。入ってもいいですか?」なんて言って。「お、往復ビンタですか?」なんて言われて。

(中澤有美子)アハハハハハハハハッ!

往復ビンタを食らった予備教室

(安住紳一郎)「すいません。ちょっと記憶の蓋が開いちゃったもんですから。ちょっとまた10年ぐらい前にラジオで話したもんで、記憶が鮮明で……ナガオ、カネタ、安住とここに立たされましてね。向こう側に立ったのがハセガワ先生です。で、ナガオくん、カネタくんは1発ずつ。そして私は学級委員だったっていうことで、ここで2発、受けたんですよね。『責任の2発』っていうやつなんですけど……」なんて言って。もう現役の先生方は「ああ、はあ……」っていう感じだよね。

(中澤有美子)そうですね(笑)。

(安住紳一郎)で、もう先生方なんか、俺より年下だからね。教頭先生ぐらいがもう同級生ぐらいだから。「へー!」「往復ビンタってもののたとえだとずっと思ってたんですけど、本当に手のひらと手の甲で、行きと帰りに2発もらえるなんて、思ってなくて。先生を怒らせてしまったということよりも、世の中に往復ビンタっていうものが存在しているんだという気づきの方にですね、私、行ってしまいました。13歳の時です」なんて言って。もう、止まらなくなっちゃって。

(中澤有美子)ねえ! へー!

(安住紳一郎)もう現役の先生方は「はあ、全校的にというか、社会全体が荒れてた時代ですよね」なんて言って。そうなんですよね。

(中澤有美子)話を合わせてくれて(笑)。

(安住紳一郎)うん。話を合わせてくれてね。今、全然違うからね。びっくりしちゃうよね。私の野球部時代の集合写真なんかも全員、ほら。部活の写真だからさ、バットとかグローブとかを持ったりするけど。野球部だからね。後列全員、片手でバットを持っているからね? バットは片手で持たないからさ。両手で持つんですよ。でも、片手で肩に乗せてるからさ、もう完全に殴り込みに行く野球部なのよ。うん。

(中澤有美子)ああ、そういう雰囲気をちょっと出しちゃうんだ。

(安住紳一郎)出しちゃうから。で、カメラを向けられると睨んじゃうっていうか。そういう野球部だったからさ。すごいよね。うん。で、生徒もすごいけど、顧問の先生もサングラスをかけちゃってさ。もうすごい、顧問の先生が反社にしか見えないからさ。

(中澤有美子)そうですよね(笑)。その生徒たちを統べるわけですからね。

(安住紳一郎)そうそう。大変なんですよ。びっくりしちゃうから。うん。中学校時代の写真、今一緒に働いている若い女性アナウンサーとかに見せると「えっ、これ漫画ですか?」って言われるからね。「漫画じゃないよ。実写だよ」っていう。

(中澤有美子)実写も実写(笑)。

(安住紳一郎)体育館、全校生徒がね、椅子を並べて座ってくれて。拍手で迎えてくださって。本当にね、嬉しかったです。今は1学年4クラスって言ったかな? なので体育館の半分ぐらいがね、全員が座ると、埋まるぐらいなんですけど。私の頃は体育館、いっぱいになってましたけどもね。体育館から見える、2階の手すりとかね。壇上に呼ばれて登ったんですけども。可動式のグーンッて15分ぐらいかかって下がってくるバスケットボールのゴールとか、非常口の重い重い鉄のドアとかね。なんか変わってなくて。まあ、今の若い人の言葉で言うと「エモい」っていうことになるんだと思うんですけど。あとは、制服ですね。それが、変わってないんですよね。

男子は詰襟の黒の学ランで、女子はオール紺っていうのかな? の、冬服セーラー服っていうんですか? セーラーのところに色が変わってるわけじゃなくて、全部が同じ生地で。で、北国だから、その冬服のセーラー服自体も厚手なんだけど、その下にブラウスとか、トレーナーみたいのを着て。その上にもう、オーバーオールみたいな感じでセーラー服をドンと着てるみたいな感じで。制服がね、変わってなくて。またステージの上からだと、そんなにみんなの顔が、マスクをしてたりするんでしっかり顔が見えるわけじゃないんで。なんとなくその制服の波……こっちに寄せてくる黒とか紺の色が変わってないから。やっぱり一気にね、35年前に私をいざなってくれる感じがして。もう、胸いっぱいね。

(中澤有美子)そうですか。

(安住紳一郎)当時ね、ちょっと学校が荒れていて。いろいろ先生方も大変だったと思うんですけど。3年生を送る会っていうのが卒業式の前の週にあったのかな? 生徒会主催でありましてね。当時、私たちはそれを「予餞会」っていう……「予めの餞別」みたいな。予餞会なんて呼んでいたんですが。それで生徒会の役員を私がやってたんで。3年生なのに、3年生を送る会の司会をやったんですね。

(中澤有美子)へー!

(安住紳一郎)思い出しました。ちょうどね、だから本当にそのステージに上った時にすぐ思い出しましたね。「あっ! 予餞会の時、俺はここで司会したわ」って思ってね。記憶がすごい鮮明に蘇ってきて。で、その予餞会。俺はアズって呼ばれていたんだけども。いまだに俺の同級生たちが「アズのあの時の予餞会の司会が、今のTBSでのキャリアを含めてもベストパフォーマンスだったな」って。みんながそう言うぐらい、よくできたのよ。その予餞会が。

(中澤有美子)ああ、そうですか!

中学3年生の予餞会の司会がベストパフォーマンス

(安住紳一郎)「えっ、ちょっと待って?」って思ったんだけども。「いや、俺の今の何を知ってるんだ?」って思う気持ちもありつつだけどさ。まあ、でもそうやって言うからさ。いや、夢中になってやったんだ。すごくやったの。なんか、先生のマジックショーとかさ。チガ先生の真剣居合い切りとか、あとはマエダ先生のカンツォーネとかね、リフティング大会とか、そういうのをやって。で、先生の特徴をいじり倒したりなんかして。「これはもう、マエダ先生は来年、担任を持てませんね。2年生の皆さん!」なんて言ってちょっとドッとわいたりして。ちょっと今に繋がるね、私っぽい感じの司会ぶりだったらしくてね。

(中澤有美子)へー!

(安住紳一郎)同級生たちがそうやって言うからさ。もう、私にとってはベストスコアを出したステージだからさ、乗っちゃってるんだよね。このね、12月8日、先々週もさ。同じ景色で「やったるわい!」と思ったんだけどね。でもやっぱりもう、令和の時代だからさ。今の中学生、大人じゃん? だからあんまり毒舌に笑わないんだよね。

(中澤有美子)ああ、そう?

(安住紳一郎)うん。すごく優しい。大人。何回か、大きく滑りました。

(中澤有美子)アハハハハハハハハッ! そんなはずじゃないところで?

(安住紳一郎)うん。「おかしいな」と思った。「ベストスコアを出したコースだったんだけどな……」と思って。うん。ちょっとね、それは今も響いています。

(中澤有美子)アハハハハハハハハッ!

(安住紳一郎)ちょっと私もまろやかになろうかなと思ってます。

(中澤有美子)ああ、そうですか。「これが今の時代か」と。

(安住紳一郎)うん。ちょっとね、やっぱり時代に合ってないんだなと思って、大きく反省しましたね。

(中澤有美子)まあ、そうは言ってもね。

(安住紳一郎)そうだよね。いやいやいや、でもね、年に1回あるかないかのね、お滑りでしたね。ちょっとね、引きずってますよ。「そこは笑ってほしかったな」と思ったけどね。「あいたたた……」というね感じでしたね。うん。芽室中学校を卒業して、隣町の高校に進学して、その後18で私、東京に来て今に至るということなんですけども。やっぱり東京来てからもね、何度もこの中学校での出来事を思い出しましたし。あとはまあ、皆さんもそうだと思います。一番多感な時期ですからね。いろいろね、良いことも悪いことも、きついこともあったし。怒られたし。なんかいろいろね、友達とのいざこざや先輩にね、ちょっとどつかれたりとか。先輩が不良ばっかりで怖かったし。ただ、やっぱり自分はここにいたんだっていうね、その思いでずいぶんこれまでの人生で助けられたな、なんていう、そんな気持ちになりました。本当にお世話になりました。いい時間になりました。あとは皆さん、中学校の校歌って歌えますか? 中澤さん?

(中澤有美子)中学校はちょっと……。

(安住紳一郎)そうだよね。高校もどうかな?って感じだよね。

(中澤有美子)そうですね。聞けば、出てくるかもしれない。

(安住紳一郎)そうだよね。私ね、中学校の校歌、結構ね、明るい校歌で。また故郷の情景、特に春先の雪解け時期になると私、大人になってからも……十勝地方っていうところだったんですけども。なんか十勝地方の春らしい景色を歌った歌なんで、なんか風呂場で鼻歌で歌ってたりしてたんで、いまだにちょっとね、歌えるんです。で、思い出すことはあって。なので「中学校の3年間、大事にしてください」みたいな話をした時に、「校歌ね、ちょっと歌えるんですよ」なんて言って、ちょっと鼻歌で歌ったんです。「みはーるかーすー♪ 十勝野に日はー♪」なんて歌ったら「1番と2番がごっちゃになってますよ」なんて、そんなみんなからの指摘もあったりなんかして。そしたら「じゃあ、一緒に歌いましょう」ってことになって。もうさ、この話を聞いただけでみんな、ウルッと来ちゃうでしょう? これは「あっ、ああっ!」って思った。もう、司会の人が「じゃあ、一緒に歌いましょう」なんてことになった時に「ああ、もう俺、感情が溢れちゃう! 大ピンチだ!」なんて思ってさ。「年末だからさ、もうダメだわ……」なんて思ってね。

(中澤有美子)耐えられるかな?

(安住紳一郎)もう、途中から止められなくなっちゃってさ。嗚咽で……(笑)。

(中澤有美子)嗚咽で?(笑)。そうでしょうね!

(安住紳一郎)嗚咽だよね。もうね。

(中澤有美子)立ってられないぐらいのね。

在校生との校歌合唱で嗚咽する

(安住紳一郎)もう「ああっ、はあっ!」ってなっちゃって。そしたらそれを見ていた、幼い1年生の女子なんかはもうびっくりしちゃってさ。なんか「急病人がいます!」みたいな感じになっちゃってさ。「このおじさん、なんで泣いてんの!?」みたいな感じで爆笑してるんだよね(笑)。そしたら、もうその無邪気なその子たちの笑い顔を見ていると、余計になんかこみ上げちゃったりしてさ。もう、恥ずかしいったらありゃしない。

(中澤有美子)アハハハハハハハハッ! 笑ってた?

(安住紳一郎)もう大爆笑してた。だって俺、白いハンカチもかみちぎってるんだもん(笑)。「ああっ、ああーっ!」ってやっているからさ。その後、同級生のK谷さん。私と一緒だからもう50歳の女性なんですけど。俺が「いやー、芽中に行ってきてさ。一緒に在校生が校歌を歌ってくれたんだよ。もう涙が止まらなくなってさ」なんて言ったら、K谷さんは「なにそれ? 安住。なんで泣くの? 泣く理由、わからんでしょ?」って言われて。

(中澤有美子)ああ、そう?(笑)。

(安住紳一郎)まあ、ちょっと厳しい子なんだけども。「いや、中学を卒業してからさ、いろいろあってね。こうやって35年経って、年の離れた後輩たちにさ、よくしてもらって。一緒に校歌を歌ってくれたら涙出るでしょや?」って。これ、北海道弁なんですけどね。「涙出るでしょや?」って言うんだ。そしたら「いや、安住。それ、なにさ? その涙、なんの涙さ? 昔を思い出して、つらかったっていう涙じゃないべさ?」って。「いや、つらいっていうわけじゃないけど、やっぱり何か、来るべさ?」みたいなことなってさ。「いや、安住。それ、はっきり言わせてもらうけど結局さ、それ、安住、『俺、頑張ったよね』っていう自分に対しての思いじゃないのかい?」なんて言われて。

(中澤有美子)お厳しい(笑)。

(安住紳一郎)うん。「厳しいな!」って思ったけどもさ。「でも、たしかに言われたらそうだな」って思って。「そうかもしらん。俺の頑張ったに対しての涙かもしらんな」って言ったらさ、「安住、あんたさ、今回はあんたの激励会じゃないからね? それ、50周年おめでとうございますでさ、その会であんたがお祝いを言いに行くんだよ? OB代表として。なんで自分のことにさ、涙してんのさ?」なんて言われて。「あなた、予餞会の司会が一番良かったんでないのかい?」なんて言われて。

(中澤有美子)また言われてる(笑)。

(安住紳一郎)なんてね、いつもね、厳しい言葉をくださってますよ。K谷さんね。

(中澤有美子)ああー、鋭いですね。

(安住紳一郎)鋭いね。「たしかに」と思った。同級生にも感謝ということですよね。ごめんなさい。私の話ばっかりでね。放送の許可、いただきましたので。皆さんにとっては何の関係もない、私の卒業した中学の校歌。私が泣きながら歌ってる様を、ぜひ笑って聞いてください。当日ね、録音させていただきました。そしてK谷さんもね、「これは安住、泣いてもいいわ」と言ってくれた、芽中生たちが私のために歌ってくれた合唱と合わせて、ぜひ聞いてください。

安住紳一郎&芽室中学校生徒『芽室中学校歌』

(安住紳一郎)芽室中学校の皆さん、ありがとうございました。力を私、もらいました。まだまだ、目標に向かって歩みを進めていきたいと思います。みんな、大好きよ! かわいくてかわいくて、食べちゃいたい。大好き。

(中澤有美子)フフフ(笑)。

(安住紳一郎)それでは、今日のメッセージテーマはこちらです(笑)。ちょっと、まろやかになったかな?

(中澤有美子)そうですよね。いい時間です。

(安住紳一郎)いや、いい時間。もう本当に……ありがとう。

<書き起こしおわり>

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