PUNPEEさんが2023年2月7日放送のJ-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』の中で自身の名前を「PUNPEE」にした理由について、高木完さんと話していました。
(高木完)機材の話でちょっと盛り上がり過ぎちゃいましたけども。そんな機材を使って、レコーディング……自分で作品を作り始めたのは?
(PUNPEE)だいたい、その高校の時にふざけて同級生を集めて。自分が作ったビート、トラックにラップして……っていうのをテープでだいたい100個ぐらい作って。ダビングで60分のやつをして。それをいろんな人に配ったのが初めてだったかもしれないですね。
(高木完)「配る」? 学校で?
(PUNPEE)学校で配ったり。あとはその時にちょうど初めてライブのオファーとかがあって。
(高木完)それはピンクノイズじゃないよね?
(PUNPEE)それがピンクノイズですね(笑)。それが、二子玉川のやつで。
(高木完)配ってたのは、MD?
(PUNPEE)いや、テープでした。
(高木完)カセットテープ? まだ?
(PUNPEE)2002、3年はまだカセットでしたね。
(高木完)ああ、あったっけ?
(PUNPEE)ありました。
(高木完)今となっては……でも20年前も、あったか。
(PUNPEE)20年前……MDで配ってる人って、デモMDの方が……。
(高木完)MDが高かったのかな?
(PUNPEE)かもしれないですね。
(高木完)カセットテープ、安かったか。
いろんな人にデモのカセットテープを配る
(PUNPEE)だからいろんな人にテープを渡しましたね。デモの。
(高木完)それはPSG?
(PUNPEE)PSGになる前身の。
(高木完)板橋録音会だっけ?
(PUNPEE)板橋録音クラブ。
(高木完)イタロクのね。
(PUNPEE)本当に「イタロク」って言ってました(笑)。
(高木完)イタロクで。でも、いつから「PUNPEE」っていう名義になったの?
(PUNPEE)もう高校の時に……中学校が結構、やんちゃな方々が多い学校だったんで。ただ、音楽好きな人たちっていうのはそのやんちゃな人の中にいっぱいいて。で、自分は音楽好きだったり、あとはゲームをすごい持ってたんで。そこでそういう、友達との交流ができて。でもその学校だと「自分はパンピーだな。一般ピープルだ。ヤンキーじゃないよな」ってなって。
(高木完)ああ、ヤンキーに引っかけて?
(PUNPEE)ちょっと、皮肉じゃないすけど。「もういいや。自分は一般ピープルだし、そのままこの名前でやっちゃえ」みたいな感じでPUNPEEってつけたのが、高3とか、そのぐらいだったと思います。
(高木完)ああ、ニックネームとして自分で……誰かに「おい、パンピー」って言われたわけじゃなくて、自分で自らつけたんですね。
(PUNPEE)自分で。業界の方が一般の方をパンピーって呼ぶみたいに……今はそんなに使われてないかもしれないですけども。なんか「パンピーでいいかな」って。
(高木完)名義で。ペルソナ的な。
やんちゃな人たちの中の「パンピー」
(PUNPEE)なんかわからないですけども、そういう……その流れでPUNPEEになっちゃいましたね。
(高木完)じゃあPUNPEEとして活動を始めたのが高校生?
(PUNPEE)18とか19とか。
(高木完)もうソロ作品はその頃ぐらいから作ろうってなっていくんだよね。きっと。
(PUNPEE)そうですね。ただその前に、2007、8年ぐらいに弟が……5lack(S.L.A.C.K.)が先にCDを出して。2008、9年ぐらいに。あと、PSGというグループもアルバムを出したんで。DJとかでやってたんですけども、ソロという意味では『MODERN TIMES』までは時間がかかりましたね。
まだまだ月曜の興奮冷めやらぬ#jwave TOKYO #maadspin #高木完 ナビゲートの火曜日も
興奮の一夜#PUNPEE くんとのトーク part.2後半の完さんの思いが詰まった
MAAD MIXもお聴き逃しなく??https://t.co/GqkahIuVQD pic.twitter.com/SIcHpNcLTY
— J-WAVE TOKYO M.A.A.D SPIN (@MAADSPIN) February 7, 2023
<書き起こしおわり>