高田文夫 高橋幸宏を追悼する

高田文夫 高橋幸宏を追悼する ラジオビバリー昼ズ

高田文夫さんが2023年1月16日放送のニッポン放送『ラジオビバリー昼ズ』の中で亡くなった高橋幸宏さんを追悼していました。

(高田文夫)ああ、そうだよ。高橋幸宏さん。

(松本明子)そうなんですね。YMOの。

(高田文夫)ねえ。本当に、70だもん。俺より若いんだもん。あれ、アッコ、YMO再生の時の記者会見にお前、突撃してるの?(笑)。

(松本明子)そうなんですよ。松村さんと。

(高田文夫)メール、結構いっぱい来てるよ。松ちゃんと。

(松本明子)1993年ですけれども。YMOさんのニューアルバムのタイトル『TECHNODON』。こちらのポスターがですね、YMOさんが布団に寝て。「YMOも、いつか死ぬ。YMO×」と書いてあって。そこの「×」のところを「電波少年」と呼ばせてくれないか?っていうことで、松村さんが言いにいったんですね。アポ無しで。

『電波少年』でYMO再生記者会見に突撃

(高田文夫)いろんなことに絡んでるね。本当に。でも、かわいそうだね。

(松本明子)フフフ(笑)。メールもいただいて、ありがとうございます。皆さん、よく覚えていらっしゃって。

(高田文夫)ほら。「電波で松村さんと松本さん、行っていますよ」って。そう。でも上品でよかったよね。幸宏なんて。景山民夫と仲が良くてさ。

(松本明子)ああ、そうなんですか!

(高田文夫)同じ山の手の少年っていう感じでさ、上品じゃない? 俺、好きだったんだよ。そうなんだよ。だからよく、『タモリ倶楽部』とかに出ていたじゃない? 高橋幸宏って。影山と仲が良くてね。それで、同じ年だからね。YMOと漫才ブームと。80年。

(松本明子)聖子ちゃん、トシちゃんも。

(高田文夫)たのきんと。だからあの時、日本の文化が全て変わったのよ。お笑いもすっかり変わって。80年に漫才ブームが来て、たけしさんが出て。それで音楽はYMOが出て。それでこっちがアイドル文化。聖子ちゃんとたのきんトリオが出て。それで80年から81年、日本の文化の変化だもんね。

日本の文化が大きく変化した1980年

(松本明子)昨日それ、太田さんも言っていましたよね。「80年代はすごかったんだ」って。80年のデビューが、YMOも漫才ブームもアイドルもって。すごい時代ですね。

(高田文夫)でも、本当にYMOってカラーにしてくれたよな。おしゃれで、かっこよくてさ。いや、もうみんな全てが新しかったよ。全部が初めてのことをやっていったからね。だから坂本龍一さんとかね、出てきて。すごいんだよね。ねえ。いろんな文化を残してくれて、本当にありがたいことでございました。

(松本明子)そうでございました。

<書き起こしおわり>

ナイツ塙 高橋幸宏を追悼する
ナイツ塙さんが2023年1月16日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』の中で亡くなった高橋幸宏さんを追悼していました。
宇多丸 高橋幸宏を追悼する
宇多丸さんが2023年1月16日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で亡くなった高橋幸宏さんを追悼していました。
星野源 高橋幸宏を追悼する
星野源さんが2023年1月17日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で亡くなった高橋幸宏さんを追悼。番組内でかける曲を幸宏さん楽曲縛りで選曲していました。
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