高田文夫『まつもtoなかい』中居正広の松本人志休養対応の素晴らしさを語る

高田文夫『まつもtoなかい』中居正広の松本人志休養対応の素晴らしさを語る ラジオビバリー昼ズ

高田文夫さんが2024年1月29日放送のニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の中で前日、放送された『まつもtoなかい』についてトーク。松本人志さんが休養のため、1人で番組をしなければならなくなった中居正広さんの見事な対応を絶賛していました。

(高田文夫)いや、昨日のね、『まつもtoなかい』、見事だったね! 中居くんが。

(松本明子)すごくかったですね!

(高田文夫)すごかったね! ほら、各番組、撮りだめがあるからさ。松本人志の番組は。みんな、だから撮ってあるやつを流しているけども。初めてだね。ピンでやるの。いやー、中居くん、惚れ直したね! あの最初の10分間の漫談(笑)。追い込まれた漫談。日本中が状況をわかってるわけだよ。そこでああやってさ、笑いを取るからね。

冒頭10分間の中居正広の漫談

(高田文夫)ドアが出てきて、上がってきてさ。ちゃんとドアをグッと開けてさ、階段を2、3歩行ってから「あっ、いけね。1人で閉めるんだった」っつって。ガチャッと閉めてさ。ちゃんとコントの王道をわかっているんだよ。「ああ、自分で閉めるんだ」って。「ああ、ええと、今日から1人なんだよね?」なんてさ。いや、最高だったね。「スタッフとか仲間とも、いろいろ話し合ったんですけどね。松本さんの番組、いっぱいあるけど。一番最初に倒れそうなのは、この番組なんだ? どういうことだ、それは!」って(笑)。

「倒れそうだって、それはどういうことだ? お前、言っただろ? 打ち合わせで3日前に言ったな? どうするんだよ。ちゃんとブッキングはできているの? ゲストは。どうする? 今日、叶姉妹を抑えていたら……話が弾まないだろ! 1時間。叶姉妹を抑えていたら話が1時間、持たないだろ?」って。笑ったなー(笑)。

(松本明子)すごかったですねー!

(高田文夫)いや、面白かったよ。やっぱりね。「だから松本人志の穴は私が埋める。で、私のその穴を誰かが埋める……埋められるか、そんなもの!」って(笑)。「松本人志の穴? 埋められるか! 大きなお世話だ!」って(笑)。

(松本明子)1人でしゃべっていましたね(笑)。愚痴を言っていましたよ。

(高田文夫)やっぱりああいうのって一番、ドキュメントで聞きたいもんね。それでさ、ニノが出たからさ。秋元康と。で、ニノが独立してすぐじゃない? だからあんまり事務所の話をしなかったのがさ、やっとね、久しぶりに中居くんと会ったから、いろんなことをしゃべっていてさ。おもしろいね。ああいうアイドルが私生活のことをしゃべりだしたからさ、すごい面白いんだよ。風通しがよくなったね。

(松本明子)はい。

(高田文夫)だってさ、ニノがいろいろと聞かれてさ。1人になってまだ2ヶ月ぐらいなんだろう? 「この間は自分で車を運転してさ。『フジテレビ』って言われたから『はい、行きます』っつってさ。そしたら湾岸スタジオに行っちゃって。そこから歩いてフジテレビに行ったよ」とかさ(笑)。「1人だから車を借りないと……リースしないといけないしさ。本番があると自分でスタイリストとヘアメイクに電話して発注して。それでやってもらって。そうすると向こうから請求書が来るから、それをまた振り込んで……1人は大変だよ」っつっててさ(笑)。

(松本明子)偉いですねー!

(高田文夫)全部、1人でやってるんだな。偉いよ。中居くんもずっと1人でやっているんだろう? 大変だよ。それでニノにさ、中居くんが「じゃあ、こんな状況だからさ、お前も来週、ここに来れるな? 来週もお前、ここに来いよ?」って追い詰めててさ。「お前、言っておくけど二宮。『一度、事務所に持ち帰って相談してからお答えします』っていうその手は使えないからな? 帰ったって事務所はないんだから。ここで決断しろ! 今、決断しろよ? 一度、事務所に戻って相談してから……っていうわけにはいかないんだよ、お前?」って(笑)。

(松本明子)「今、決断しろ」って(笑)。

(高田文夫)ああいうのも本当に面白いね。

(松本明子)ドキュメントですね。アイドルの。

(高田文夫)面白かったよ。それでさ、『まつもtoなかい』がタイトルだから。どうしようか?っつって。最終的にエンディングで1人になってさ。来週は……『だれかtoなかい』って書いてあるんだよ(笑)。

(松本明子)『だれかtoなかい』(笑)。

(高田文夫)どんな番組なんだよ? 「『だれかtoなかい』……とりあえず、サンドウィッチマンを抑えました」って(笑)。とりあえず抑えているんだよ(笑)。

(松本明子)いや、中居さん、すごかったですねー。

(高田文夫)でも、ああいう番組、ディレクターとか作家、構成をやっている連中とかさ、こういう不祥事がパッと起きて、長期休むとなると大変なんだよ。俺もそれ、痛いほど味わっているから。たけしさんが一番いい時。めっちゃめちゃ忙しい時にポーンと講談社の事件があって。「来週、どうする? 再来週はどうする?」とか、毎日話し合うわけだよ。各放送局のプロデューサーと。もう大変でさ。決断もなかなかできない。「もう少し、待とう。もう2ヶ月、待とう」とかさ。あれが大変なんだよ。

(松本明子)繋がなきゃいけないっていう。

ビートたけしの講談社襲撃事件による不在

(高田文夫)そうそう。帰ってくる場所も作っておかないといけないし。いろんなことがあってさ。それでその時さ、俺はたけしさんの番組をいっぱいやっていたからさ。それでたけしさんが出ないっていうんで、他の人が作ることになった番組もいっぱいあるわけだよ。そうすると、俺もちょっと暇になっちゃうわけだよ。それで「やばい!」って思って。それからだよ。必死で企画書をドーッと……北海道と仙台と大阪と名古屋にダーッと送ってさ。「なんだったら私、説明に伺いますから。やらせてください」っつって。3本取ったよ。

(松本明子)先生もそれ、自分で?

(高田文夫)自分でやったんだよ。企画書を送って。札幌、STVに行ってさ。で、その札幌の番組は「じゃあ、景山民夫を入れますから。生放送で土曜日の深夜、作りましょう」って。景山と古舘と泉谷しげるかな? で、サタデーなんとかっていうのを作ってさ。で、名古屋は名古屋でさ、まだ誰も手つけたかった阿藤快を見つけてさ。俺、司会にして。両脇に大阪から八方ちゃん。東京からヨネスケを呼んで。生で。それも土曜日の夜、生。それで俺はそっち、コントを手伝って。付き合って。で、その間で空いた曜日。金曜日、仙台に行って。『マル金ギャハハ倶楽部』っていう、小遊三と俺が司会でさ、やって。で、仙台に行ったのよ。もう、ネタを作るのが大変だっつって。「じゃあ、一般の素人のコントをオーディションして出しましょう」っていう。

そしたら、そこにやってきたのが鼻垂らした宮藤官九郎なんだよ。「先生、見てください」っつって、仲間を連れてさ、コントをやるんだよ。で、「チャンチャン」っていうとさ、あいつはパンツを下ろしちゃうんだよ。オチで必ず(笑)。「お前ね、お兄ちゃんね。これはテレビだからね。オチでおちんちんは見せちゃいけないんだよ?」っつったら「あっ、いけないんすか? いやー、高田先生は笑うと思って」って。「いや、『笑うと思って』じゃないんだよ。これ、テレビのオーディションだから」っつってな。「チャンチャン」っていうのでオチでちんちんを出すんだよ。毎週3、4人を連れてさ、「新作ができました!」なんつって、来るんだよ。「またお前か!」みたいな感じだよ。

(松本明子)アハハハハハハハハッ!

(高田文夫)だけど、変な話、その時があったから、俺と宮藤が出会えたわけだよ。宮藤も俺と出会えたわけだよ。たけしさんが休んだから。だから変な功罪はあるんだよ。それで俺は全国を飛び回っていたからさ。それで仙台で宮藤を見つけて。今じゃな、『不適切にもほどがある!』から。もうチョメチョメ、チョメチョメ言っているから(笑)。

(松本明子)「娘がチョメチョメしちゃうから! 大変だ! 急いで帰らなきゃ!」って。

(高田文夫)なんで娘が目を盗んでチョメチョメするんだよな?(笑)。「あーあ、『トゥナイト』、見てえなー」って(笑)。

(松本明子)「山本晋也監督、出てこねえかな」って(笑)。

不祥事はプラスに転換していかないとダメ

(高田文夫)そう。だからこういう時の不祥事はプラスに転換していかないとダメなんだよ、みんなな。ここでまた、いろんな手を考えてさ。ここはやっぱりディレクターとか作家の腕の見せどころだからね。で、タレントさんも昨日の中居くんを見ていて「頼もしいな」って思ったよ。やっぱり伊達じゃないね。30年間、トップを走った人っていうのは。面白いよな。言ってることは。素晴らしいものを見たなって思ってね。

(松本明子)本当ですね。中居さんね。

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました