かが屋・加賀 コント師たちが漫才を始めたきっかけを語る

かが屋・加賀 コント師たちが漫才を始めたきっかけを語る 佐久間宣行のオールナイトニッポン0

かが屋・加賀さんが2022年12月21日放送のニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』の中でよしもと漫才劇場の設立をきっかけにコント師たちが漫才を始めることになったと話していました。

(佐久間宣行)男性ブランコはコントやって、漫才やるじゃない? かが屋ってやらないよね?

(加賀翔 )僕らはやらないですね。なんか企画ライブの1コーナーで一瞬、やったことはあるんですけど。でも、ちゃんとは……。

(佐久間宣行)だってあのかもめんたるが漫才をやってるんだよ? 去年ぐらいからだっけ?

(加賀翔 )そうですね。去年、一昨年ぐらいから始められて。で、なんかライブとかで一緒になっていて、その時にちょっと話したんですけど。去年ぐらいにう大さんに会って「M-1に出るんですね」って言ったら「そうだね。今年はちょっと難しいと思うけど。2年あればなんとかなると思う」みたいなことを言っていて。本当に準決勝に行っていて!

(佐久間宣行)うーわっ! バケモノ!

(加賀翔 )「怖っ! 準決勝、行った!」って思って。

(佐久間宣行)演劇をやれば、岸田戯曲賞候補になって。漫才をやったらM-1の準決勝まで行くって……。

(加賀翔 )そんな室伏のエピソードみたいな。文化の室伏(笑)。

(佐久間宣行)「文化の室伏」(笑)。

(加賀翔 )やりゃできたんだっていう(笑)。

(佐久間宣行)どのジャンルでも、ある程度までは行けるっていう(笑)。

(加賀翔 )すごいですよね。でも、僕らは本当に漫才はやっぱり苦手意識というか。僕がNSCをやめたっていう。これ、先週のメールでもちょっと来てましたけども。

(佐久間宣行)じゃあ、先にそこから聞こうか。加賀くんは大阪NSC時代、よしもと漫才劇場ができるっていう時に……あ、まず大阪NSC時代っていうのを知らなかったんだけど。

(加賀翔 )そうなんです。実はね。

(佐久間宣行)で、よしもと漫才劇場ができるって知って。「コントができなくなる!」と思って加賀くんは中退したっていう……。

(加賀翔 )それは端折りすぎているんですけども。

(賀屋壮也 )こいつ、高校も中退してるんで。2回、中退してるんですよ。

(加賀翔 )そう。人生で2回、中退していて。まあ、それは端折りすぎているんですけど、事実です。

(一同)フハハハハハハハハッ!

(賀屋壮也 )マジです。

(佐久間宣行)俺、正直その昔の大阪の劇場事情がわからないわけ。千鳥とか川島さんとかから漏れ聞いたりっていうので、断片しか知らないから、本当にわかんないのよ。俺のイメージだと、よしもと漫才劇場ができたとて、そこまで……「コントができなくなる」っていうところまで追い込まれるっていうイメージがよくわかんなかったんだけど。そんな感じだったの?

(加賀翔 )NSC生というのは、とにかくはっきりとした情報がもらえてなくて。うっすらと回ってきた噂をみんなが誇張して回るんで。

(佐久間宣行)ああ、なるほど。しかも業界人気取りに近いところでしょう? 芸能人気取りで。まだNSC生なのに。

漫才劇場ができるという噂でピリつく

(加賀翔 )でも、その「漫才劇場ができる」っていう噂が出た時に、本当に結構ピリついたんですよ。「どうしよう?」って。その時にコントをしてる人とか、ピン芸人の人とかが「どうするんだ?」みたいな。「みんな、漫才をやらなきゃいけないのか?」っていう、結構シリアスな空気になってきて。

(佐久間宣行)その、宗教弾圧みたいなのに近い感じ? 歴史でいうと。

(加賀翔 )「漫才で統制します」っていう風になった時に……僕は元々、同級生に誘われて大阪NSCに入ってるんですけど。その子が入学前にばっくれたんですね。

(佐久間宣行)ああ、1人だったんだ。

(加賀翔 )1人で入ることになっちゃって。で、ピンでずっといたんですね。相方も見つからなくて。そこに馴染めなくて元々、やめようとしてたんですよ。元々、やめようとしてて、母親に「中退したい」っていうことを伝えたら「お前、高校も辞めて、NSCも辞めるの? NSC中退してる人なんて、いないよ?」って。

(佐久間宣行)「NSCを中退して芸人になれるわけ、ないだろ?」って。

(加賀翔 )「NSCなんて、たぶん中退するところじゃないよ?」って言われて。それで「帰ってくるな」って言われたんですよ。「お笑いでちゃんと1本、筋が通るまでは帰ってくるな!」って。結構ロックな人だったので。そう言われて。「じゃあ、僕はコントが好きだから、コントやります!」って決心した翌日に「漫才劇場ができます」っていう。

(佐久間宣行)建立ね!

(賀屋壮也 )昔の言い方(笑)。法隆寺とかの(笑)。

(佐久間宣行)建立することになったのね(笑)。

(加賀翔 )ビルの5階に建立されて(笑)。それで、本当に「もうコントができない」みたいな。で、先輩たちも結構「じゃあ、東京に行くか……」みたいな人もいっぱいいたんですよ。アイロンヘッドさんとか。

(佐久間宣行)そのぐらい、大きい出来事だったんだ。

(加賀翔 )そうです。だからロングコートダディさんとか、言ったらニッポンの社長さんとかも、コントやってたんですけど。そこからちょっとずつ、漫才をやるようになって。で、そこから生まれたロングコートダディとか、ニッポンの社長みたいなバケモノが今、ちょっとずつコントもできるようになってきて……っていうことだったんですけども。当時はたぶん本当に「漫才しかやっちゃいけない」っていうことで。

(佐久間宣行)えっ、本当に?

(加賀翔 )そう。本当です。

(賀屋壮也 )「最初の方は」ってこと?

(加賀翔 )そうです。最初は本当に。

(佐久間宣行)えっ、コント漫才は許されていたの? その中では。

(加賀翔 )だから、脱法コントを……。

(一同)フハハハハハハハハッ!

(賀屋壮也 )そんなの、聞いたことねえって……。

脱法コントに手を染めるコント師たち

(加賀翔 )だからよく、ニッポンの社長さんとかが「それ、漫才なの?」みたいな論争にたぶん巻き込まれやすいと思うんですけど。1回、サンパチの前に立って「どうもー!」って言えば、何をしてもよかったんですよ(笑)。

(佐久間宣行)なるほど! じゃあ、みんな脱法コントでみんな、やってたわけだ。建立した漫才劇場に立つために脱法コントに手を染めていたのね?

(加賀翔 )実はコント信者なのに……(笑)。

(佐久間宣行)サンパチを1回、拝んで……(笑)。

(加賀翔 )それで僕は東京に行ったっていう。

(佐久間宣行)でも、それは1人じゃできないもんね? 脱法コントもできないもんね?

(加賀翔 )できなかった。1人だともうしゃべるしかなかったんで。だからできなくて、東京に来て。それで「どうしようかな? お金を貯めよう」と思ってバイトしてる時に、そのコンビニのバイト先で賀屋と知り合って……っていう。

(賀屋壮也 )そうなんですよ。

<書き起こしおわり>

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