宇多丸 Coolioを追悼する

宇多丸 Coolioを追悼する アフター6ジャンクション

宇多丸さんが2022年9月29日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で亡くなったラッパーのクーリオを追悼。クーリオにインタビューした際の思い出などを話していました。

(宇多丸)ちょっと今日はですね、オープニングね、いろんなお話もあるんですけど。とあるアメリカのラッパーの訃報が……クーリオさんという、有名なヒット曲もあったりとか。あとは映画に出たりとか。映画のサントラ、主題歌なんかでも有名なクーリオさんという方が59歳で亡くなられてしまって。で、私はいろんな海外アーティストに当時、90年代に『ブラック・ミュージック・リヴュー』とかね、あとは雑誌の『Fine』というところでインタビューを複数しておりまして。

で、クーリオはその、いろんな方にインタビューした中でも、特にスイングした1人というか。スイングだけじゃなくてその後、彼のコンサートにおいてちょっとした出来事が起こったりとかですね。すごい個人的にも思い入れが深い人なので、ちょっとオープニングを使ってですね、クーリオさんと私の話を……そしてもちろんクーリオさんの曲をかけるということをさせていただきたいと思います。よろしいでしょうか? 

(宇内梨沙)もちろんです。

(宇多丸)では、始めたいと思います。アフター。

(宇内梨沙)シックス。

(宇多丸・宇内)ジャンクション!

(中略)

(宇多丸)そんな中でね、すいません。ちょっといいですか? はい。クーリオというラッパーがおりまして。なんていうかな? 髪がピョンピョンピョンとなった、その特徴的な髪型とおヒゲと……まあ特徴的な顔立ちをしているクーリオというラッパー。59歳で亡くなったということで。ちょっと死因とかはまだ発表されてないんですけど。なんかお友達の家でトイレで倒れてたっていう感じかな。59歳。

主に90年代とかに活躍したんですけど、それだけじゃなくて。近年でいうと2014年にはですね、あのBTS。デビュー間もないBTSがアメリカで音楽修行をするリアリティ番組『防弾少年団のアメリカンハッスルライフ』で同じく西海岸のベテランラッパーでありプロデューサーのウォーレン・Gと一緒にヒップホップについて教えるメンター的役割をしていたっていう。

(宇内梨沙)へー!

BTS×クーリオ

(宇多丸)だからそのBTSも繋がりがあったということで。だから近年の若い音楽リスナーであったり、あるいはそのBTSのファンの皆さん、ARMYの皆さんにも非常に親しみがあって。特に一番の大ヒット曲は『Gangsta’s Paradise』っていうね、『デンジャラス・マインド』というミシェル・ファイファーが主演の映画。ちょっと荒っぽい連中がいる学校の学園物というか。ミシェル・ファイファーが女性教師で……っていう。その映画の主題歌だったこの曲が一番ヒットしてて。あとは『Fantastic Voyage』とかね、いろんな代表曲あるんですが。

(宇多丸)そんな彼がですね、94年の『Fantastic Voyage』が入っている世界的にも大ヒットを飛ばしてる最中に日本に来日して。で、『ブラック・ミュージック・リヴュー』というR&B・ヒップホップ専門誌で私、レコードレビューであるとかインタビューとかを多数手がけておりまして。それの愛読者で今ここにいる構成作家の古川耕さんがいるという感じなんですけど。当時、私は94年ですから25歳ですよね。まだ早稲田にいるかな?

(宇内梨沙)ああ、学生の時。

(宇多丸)学生でまだいたとかっていう時で。ただ、文章があまりに堅苦しいので当時、だいたい50代だと思われていたという。そういうのもございます。「事程左様に」みたいなね、そういう世界なんですけど。で、いろんな人に本当にインタビューしたんです。時々、僕が話題に出す、たとえば2パックとか。でも2パックは単独じゃなくて、デジタルアンダーグラウンドの中の初期メンバー。新しいメンバーとしてやってきていて。その2パックとの出会いの話とか。

(宇多丸)あとは、これはあの記事にしたんじゃないな。ライブの……僕らが要するに前座の中の1組だったんだけど。バスタ・ライムズとのいろんな思い出とかあるんですけど。すごくいい人たちだったっていう人が何人かいる中で、特にやっぱりクーリオ……クーリオはもうその時点で、今年59歳だから当時、いくつだったんだろうな? 30代ぐらいな感じ? まあ、要は当時にしてからクーリオ、ラッパーにしては結構歳を食ってる方だったんですね。

(宇多丸)っていうのは、なかなか苦労人というか。その前もずっと、いろんなキャリアというか。ラッパーとしてもなかなか芽が出ない時期も長かったし。その前は、たとえばそういう囚人の高校生プログラムみたいなので、森林消防士みたいなのをやってたりとか。いろんな人生経験を積んでる方で。だからもうその時点で結構、ちゃんと大人だったんですよ。そういうのもあって……その頃、割とやんちゃなアーティストが多くてさ。日本人がさ、こんなインタビューをしに来たって、ナメてあんまりちゃんと話してくれない人も多い中で、クーリオはめちゃくちゃ話をしてくれるし。それでその話の全てがめちゃめちゃ面白いっていう人だったんですよね。

たとえば、この後にかける曲の内容ともちょっと関係するんですけど。やっぱりその、いわゆる暴力を美化するようなギャングスタ・ラップの流行みたいなものに対して、ものすごくクーリオ自身は苦々しく思っているって言っていて。「なぜなら、自分はサウスセントラルっていう、まさにギャングスタラップの本拠地的なところで育ったんだだけども、昔はこうじゃなかったんだ。いわゆるカラーギャングと言われるようなものも、昔はこんな風な感じじゃなかった。でも、メディアが『ギャングスターってのはこうだ』とか。

『カラーズ』っていうハリウッド映画が全米で公開されて以降、全米にそういうカラーギャング的なやつらが登場して。それで実際に人殺しとかしてるじゃないか。僕はそれは本当によくないと思う。許せないよ」みたいなことをすごく強く言ってたりとか。あと、いろいろ話してる中で歯に衣着せぬというか。同世代というか、同時代の……当時94年ですからね。

ナズというニューヨークのラッパーがいて。『Illmatic』というアルバムを出して。これがもう、ヒップホップ史上に残る名盤として、いまだにもちろん名盤として語り継がれてるし、評価もされてるし。当時、出た瞬間から……当時、西海岸のヒップホップがすごく大流行していて。その後にはサウス(南部)とかも台頭していくんですが。やっぱりポップ誕生の地としてのニューヨークがその威信をかけて作った作品で。めちゃめちゃ若い、うまいラッパーにニューヨークの方も名だたるそのトラックメーカー、音を作る人たちが最良のトラックをぶち込んでいて。最初から名作を作る気で作って、実際に名作になったという『Illmatic』というアルバムがあるんですけども。

そのことについて、インタビューしてる最中に「ねえねえ」って。どんどん語っていく人だから。「お前さ、あのナズの『Illmatic』ってどう思うよ?」「いや、僕は好きですけどね」「いや、いいと思うよ。俺もいいとは思うけど。あれさ、トラックがいいだけじゃね? あれはトラックメイカーのおかげでしょう? 俺もナズは別に悪いラッパーと思わないけど、トップとも思わないんだよな」みたいで。で、Tシャツを着ていて。それはRas Kassっていう当時、西海岸で活動していたすごく先鋭的なラッパーなんだけども。「これ、Ras KassのTシャツだけど。俺はRas Kassの方が全然いいと思うね」とか、そんなことをいろいろ言っていたりとか。

あとはその『Fantastic Voyage』のビデオの話とかもしていて。「もうラップのビデオって、なんか連中がウロウロしてさ。ウロウロしてるだけじゃん? そんなビデオ、誰が見たいんだよ? だから俺は車から人がどんどん出てくるみたいな面白いビデオを作ったんだよね」とか。とにかくね、話がめちゃくちゃ面白くて。

(宇多丸)これ、あれですね。『ブラック・ミュージック・リヴュー』の94年何月号かのインタビューで。もちろんバックナンバーを探せばあるだろうし。あと、後にそのインタビューだけ。西海岸アーティストのラッパーだけまとめた、別冊というのかな? 合本でもう1回、出し直したりして。そういうのも出ていて。それもたぶん絶版になっちゃっているのかもしれないけども。読むこともできますんで。若き25歳の佐々木くんのインタビュー記事を。でも僕のいろいろ書いた中でも、やっぱりクーリオのインタビューはすごい面白かったと思うし、当時もすごい評判になってですね。みんな読んで。たぶん、言っちゃなんだけど日本でクーリオのファン、あの記事を読んで増えたと思いますよ。誰もが好きになっちゃう内容だったと思うから。

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(宇多丸)で、さらにクーリオがその後、ライブをやったんです。東京で。箱はどこだっけな? とにかくライブをやって。それを見に行ったんですよね。仲間たちを引き連れてライブをやって。それで途中、その引き連れてる仲間たちと一緒にそのマイクを回して。いわゆるフリースタイル的なというのかな? 同じビートがずっと続いてる上で、仲間たちがマイクを回していくというような流れになった時に、クーリオが会場に向かって「この中に日本人のラッパーとか、いるか?」みたいなことを言って。

それで当時、僕はもうRHYMESTERを始めてましたから。「はいはーい! はいはいはいーっ!」っつって。そしたら「ああ、お前、お前! 昼間のお前じゃないか!」みたいな感じで。それで僕、「イエーイ!」ってあがって。それでマイクを持たせてもらって。そしたら、自分で言うのもなんですけど。たぶん、向こうが想定してた日本人が急に上がってきてやるラップの範囲・範疇をを超えてたんですよ。要するに、もう明らかにめちゃくちゃ驚いてて。

「ワオ!」みたいな感じで。で、もうめちゃくちゃ盛り上がって。「すげえじゃん!」みたいな感じになって。僕、なんか写真も撮ってもらっていて。ステージ上でもうクーリオとバーン!ってやっている写真とかも実家に帰ればあったりするんですけども。

(宇内梨沙)へー!

(宇多丸)だから、やっぱり飛び入りしてラップをさせていただいてですね。

(宇内梨沙)それは日本語でですか?

クーリオのステージに飛び入りでラップする

(宇多丸)日本語で。RHYMESTERの当時の歌詞の一部を引用しながら、フリースタイル的に絡めていくみたいな感じで。なので、めちゃくちゃ喜んでもらって。「ちょっと後で楽屋、来いよ!」みたいな、そういう感じで。だからすごい、そういう感じで、来日アーティストは多しといえど、めちゃくちゃ僕に向き合ってくれたし。ラッパーとしても絡むことができたし、ということで。まあ、思い入れが深いんですよ。

ということで、ちょっと59歳。元々ね、結構ラッパーとしては年上と思っていたけども、こうなってみればほとんど同世代だから。なんか、うーん。若いのにな……っていう。なにがあったんだかと思うけど。ただ、後年に至るまで、ただでさえおっさんラッパーとして登場したのに、ずっと活躍し続けて。人に知られ続けて、愛され続けたんだから。あの人柄だからね。その人柄もあるんじゃないかな? ずっと愛されてたんだと思うけど。まあ、大した人でしたよ。

なので、ちょっとすごくニュースを聞いてショックを受けて、しんみりしてしまいました。なので、ちょっと曲をかけたいんですね。これね、大抵のラジオ番組だったらかけたところで『Gangsta’s Paradise』ですよ。行って『Fantastic Voyage』でしょうよ。なんだけど、『It Takes a Thief』という94年のアルバムから、私が選びたいのはアルバムの最後の曲で『I Remember』という曲があるんですけど。フィーチャリングがJ Ro & Billy Boyっていう。J RoっていうのはあのJ.LOじゃないですけども。

『I Remember』っていう曲。これ、まさにさっき言ったギャングスタラップの時代になっちゃって……っていうようなことに近い考えを歌っていて。バースの中では「すごくよく覚えてるよ。ストリートでこういう風にして遊んだよな。喧嘩をしたとしても、お互い殴り合って。でも終わった後は握手し合って友達になったんだよ。そういう時代だった。でも時代は変わってしまって……これはないものねだりなのはわかるけども。でもあの時、もっと人生がシンプルだった時に戻ってほしい」みたいなことを言っていて。サビでは「昔は仲間とつるんで、ポーチで一緒にビールを飲んでたのに、今では奴らはドライブバイ(車で通りがかりに無差別に人を撃ち殺すギャングの振る舞い)をしているんだ」っていう。そういう、時代は変わってしまったっていう思いを淡々と歌ってるラップで。

そのインタビューした時のクーリオさんの、その年配ならではの良識みたいなものともちょっとリンクして。これがすごい僕としてはクーリオの本人のキャラクターにすごい重なるところがあったんで。ちょっと私からのですね、クーリオ追悼の1曲ということで選ばせていただきました。94年のアルバム『It Takes a Thief』に収録されておりますクーリオ feat. J Ro & Billy Boyで『I Remember』。

Coolio『I Remember feat. J Ro & Billy Boy』

(宇多丸)はい。亡くなってしまいましたクーリオのファーストアルバム『It Takes a Thief』から『I Remember』を聞いていただいております。ということでね、なんかちょいちょいベテランのラッパーというのかな? ベテランだけじゃないね。若い人とかも含めてだよね。アメリカのラッパーの訃報って結構来ますけどね。そうだね。振り返ってみると、日本のラッパーもね、オオスミくんが亡くなったり。もっと遡ればね、MAKI THE MAGICとかDEV LARGEとかECDとかね。そうだよなって。みんな、元気でいてねっていう気持ちですよ。

コンバットRECがね、「俺より1日でも長生きしろ」っていうね。「なんだ、それ?」っていう。でも、ありがたいことですね。お互い、そんな気持ちでやっていますよ。はい。皆さん、1日でも長くご健康、続きますように。あと、もちろんクーリオさん、お疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。あの時は本当にありがとうございました。それこそ「マイ・スイート・ホーメ」じゃないけども。あんまりまだラッパーとしてというか。もちろん日本語ラップシーンなんてもの自体がないに等しい時代。あるけど、すごく今と比べたらもう1万分の1みたいな。もっとかな? ないに等しいような時代の時。全然、あんまり人からもそんなに評価されることもない段階で頑張ってたわけですけど。

やっぱり「クーリオに褒められたんだ!」とか「2パックが褒めてくれた!」とか。それがどれだけ、マイ・スイート・ホーメと言いましょうか。

(宇内梨沙)今の宇多丸さんのエピソードを聞いて、宇多丸さんがその当時に感じた喜びみたいなものを私もちょっと感じられるような。共感できるような。

(宇多丸)ありがとうございます。そういうね、そうなんですよね。海外アーティストと絡むと、がっかりすることも多いんですよね。すごく、日本人とかアジア人そのものを軽んじてるなっていう人も正直……というか、そっちが多いんですよね。正直。「なんか俺、間違ったものに憧れてるのかな?」って思ってしまうこともいっぱいあって。

そういうのがあるから僕、『ヤング・ゼネレーション』っていう映画を……あれは自転車レースですけど。その、憧れが打ち砕かれてしまう瞬間みたいなものを描いた作品にちょっと心を奪われちゃうんだけど。でも同時にやっぱりそこで当事者たちの中の人が背中を押してくれたりすると、それはもうなにより励みになって。いい人もいっぱいいましたからね。

KRSワンっていうね、ブギー・ダウン・プロダクション。なかなかのうるさ型で知られるKRSワンとかもインタビューで、ちょっと段取りがガチャガチャしてたら。「もういいよ」っつって。椅子を持ってきて。ホテルの廊下ですよ? ホテルの廊下に椅子を置いて「ここでいい。ここでいいよ」っつって。「やろう、やろう!」っつって。

(宇内梨沙)へー! 面白い!

(宇多丸)そうそう。人柄がね、出ますよね。そういうところがね。ということで、改めましてクーリオさん、ご冥福をお祈りします。本当にあの時はありがとうございました。なんとかこんな形で私どももやっておりますということです。

<書き起こしおわり>

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