Awichさんが2022年6月13日放送のニッポン放送『Creepy Nutsのオールナイトニッポン』の中でラップを始めたきっかけなどについて話していました。
Creepy Nutsのオールナイトニッポン、今週もありがとうございました!
【radikoタイムフリー】https://t.co/9lrmMDSyLd pic.twitter.com/7f995O4Od4
— Creepy Nutsのオールナイトニッポン【毎週月曜25時〜】 (@creepynuts_ann) June 13, 2022
(DJ松永)Awichさんってラップを始めたのはいくつぐらいからなんですか?
(Awich)14歳の時に始めましたね。
(DJ松永)Awichさんの世代って周りにラップ書いている人、いました?
(Awich)自分と同じ世代はなかったですね。だから先輩とか探して。沖縄でやっている人たちを。
(DJ松永)いたんですか?
(Awich)いました。わかるかな? DJ Hinga HIGAってわかりますか?
(DJ松永)わかります、わかります。ああ、バトルDJじゃないですか! DJ Hinga HIGAさん。知ってますよ。
(Awich)DJ Hinga HIGAさんがいたクルーがあって。そこにめっちゃお世話になっていました。
(DJ松永)そうなんだ。へー!
(Awich)そこに14歳の時に乗り込んでいって。
(DJ松永)えっ、1人で?
(Awich)1人で。なんか、レコードショップをやっていたんですよ。そのプロダクションが。で、「そこに行ったら、DJとかラッパーとかいっぱいいるよ」って言われて。しかも、英会話の先生から言われて(笑)。
(DJ松永)へー! 英語もなんか小学校の時から習っていたみたいな?
(Awich)そうそう。英語も超好きだったんですよ。
(DJ松永)それはやっぱり、アメリカが近くにあったからっていうことですか? 沖縄で。
(Awich)そうですね。基地の中で最初は……本当に一番最初は基地の中で習い始めて。
(DJ松永)基地の中って結構自由に行き来できるんですか?
(Awich)自由に行き来はできないんですけど。その中にいる人たち、IDを持ってる人たちがサインインしてくれるんですよ。だからゲートで、たとえば身分証明書とか……子供の時は親の身分証明とかがあればいいですけど。サインインしてくれて。そしたら中に入れる。で、私は、これもめちゃくちゃなんかチャンプルーなシチュエーションなんですけど。沖縄にある米軍基地の米軍の人と結婚した韓国人女性。その方に英語を習っていました。
(DJ松永)へー! チャンプルーだなー!(笑)。えっ、でもその韓国の方は英語が上手かったんですか?
(Awich)英語、めちゃくちゃうまくて。で、しかもたぶんネイティブっていうか、アメリカ人から習うよりももしかしたらよかったのかもしれない。なんか、しゃべれない人がしゃべれるようになった経緯を教えてくれるんですよ。
R-指定;うわー、なるほど! そこの道のりを共有してると、だいぶ違いますよね。
(DJ松永)本物を見るよりものまね芸人の真似した方がものまねが上手くなるみたいな。
(Awich)それ。めっちゃそれなんですよ。たぶんネイティブには教えられない発音とか、発音記号とか。「こういう仕組みになってる」とか、そういうのを教えてくれたんで。
(DJ松永)へー! じゃあ、その14歳の時とかに歌詞を書いてて。もう既に英語は使っていた?
(Awich)英語、はい。もうめっちゃごちゃまぜでしたね。
(DJ松永)当時からなんですね。だって2007年に出したアルバムって当時、あれは何歳ですか?
(Awich)19か20歳ですね。
(DJ松永)20歳ぐらい。あの時から、なんかスタイルを確立していますよね?
(Awich)結構、そうですね。英語に逃げてましたね(笑)。
(DJ松永)いや、逃げてない。全然逃げてない(笑)。
(R-指定)ヒップホップの一番最初のきっかけって、何やったんすか?
(Awich)一番最初に……なんかいろんなラッパーたちがテレビに映るようになって。それこそ、よく記事で「Awichがラップを始めたきっかけはスチャダラパー」っていう風に出ていたりするんですけども。というよりも、『ポンキッキーズ』で出ていたじゃないですか。だから、『ポンキッキーズ』でラップというものを見て。「なにこれ?」みたいな感じで思って。で、そこから調べて。「日本にもZEEBRAさんとかいろんなラッパーがいるんだ」ってなって。で、ラップっていうのはアメリカから来てて。「じゃあアメリカのラップも聞いてみよう」と思って2パックに出会ったんです。
(DJ松永)ああ、そうなんですね。へー!
2パックにハマる
(Awich)で、そこから2パックにドハマりしちゃって。もう彼のインタビューとか、なんだろう? ドキュメンタリーとか。もう全部見漁って。もう彼のリリックが私の英語のテキストでした。だから私の単語帳とか全部、なんか2パックのリリックに出てくるような単語ばっかりだったんで。きっとサイコパスに見えると思います(笑)。
(DJ松永)ああ、そうなんだ。その当時? 10代の頃に書いていたやつが?
(Awich)そう。
(R-指定)じゃあ、ラップをしようって思ったのが2パックというか。入り口がそういう日本のメディアに出てきてたラッパーで。それで実際に聞いて「やろう!」ってなったのが2パックだったと。
(Awich)そうですね。
(DJ松永)じゃあ、結構あれですか? その2パックのインタビューとか言葉とか聞いて、その主義主張とか、言葉の内容みたいなものに感銘を受けた部分も大きかった?
(Awich)あります。あります。もちろん。やっぱり彼の、その自分の育った場所とか、黒人たちへのメッセージとか、若者たちへのメッセージみたいなのが一番……なんか私はそこがめっちゃヒップポップだなと思ってて。だからその自分が生まれ出てきた環境とか、そういう自分の周りにいる人たちとかをちゃんとレプリゼントするというか。その代表して何かをしゃべったり。
「お前らはかっこいいんだぞ」ってそこで言ってあげるための曲とかを作って。で、みんながやっぱりプラウドになるじゃないですか。「同じ場所で俺たちも生まれ育った」みたいな。「これがヒップホップなんだ」ってめっちゃ思いましたね。だから私もその沖縄のルーツとかをディグるようになったし。そこをなんか、歌詞とかにも入れたり。自分たちのいる環境とかを歌ったりして。なんかそこをかっこよく見せるようなやり方で。
(DJ松永)その時からそうだったんですね。なんかAwichさんて一貫しますよね。歌詞で出てくるワード。その、自分の哲学みたいなものとか、伝えたい思いみたいな。単語に1個、いろんな思いを落とし込んで乗せるじゃないですか。で、そのワードが年代変わってもずっと出てくるから。
(Awich)たしかにそうかもしれない(笑)。
(DJ松永)だから昔から本当に一貫してて。というか、やけに早熟だなと思ったんですよね。だから、めっちゃ子供の頃から考えていたのかなって。
(Awich)そう。なんかずっと夜ふかしして、物思いにふけってたっていうか。なんか日記とか書いたりしてたんで。
(R-指定)それこそ、ポエトリーリーディングとかもお好きやし、みたいなことも言ってはりましたから。だから、元々すごいワードとか、言葉自体の力みたいなところにすごい重点を置いてるスタイルなんやなっていうのをホンマに思いましたね。
(DJ松永)加えて歌唱がクソエグいからね。
(R-指定)すごいよな。
(DJ松永)ラップ、歌、もうそこの敷居を全部とっぱらって。で、パフォーマンスも。もう本当にマジですごい。だから、出るたびに食らうじゃん? やっぱりもう、「お手上げだぜ……」みたいな感じになる。Awichさんの曲が出るたびに。
(Awich)いやいや……(笑)。
(R-指定)「いい加減にしてほしい」って(笑)。
(Awich)アハハハハハハハハッ!
(DJ松永)「ちょっと1回、活動休止とかしてくれないかな?」って(笑)。もう、やめて(笑)。
(R-指定)「このハメ方でこのパンチラインを出してくる!?」って。
(Awich)ありがとう!
(R-指定)それでこれは前にAwichさんにも言ったんですけども。Awichさんがゆっくりラップする時が……ゆっくりラップをする時が怖いんですよ。
(DJ松永)食らうからな(笑)。
(R-指定)だから俺、『ラップスタア誕生』の審査員サイファーでみんなでやって。その時に全員のラップを初聞きやったんやけども。「やっぱり畳みかけ系でいこうかな?」と思ったら最後にAwichさんがゆっくりラップしだして。「ああっ、ヤバい!」って(笑)。
(Awich)フフフ(笑)。
ゆっくりラップするAwichさんはヤバい
(DJ松永)ゆっくりラップして……ゆっくり当てるのって、一番高度だもんな。
(R-指定)ムズいんすよ。
(DJ松永)あと、その人の人間力とか言葉とか、もう全部試されるだろうし。
(Awich)ムダを作れないっていうか。昔、私もその畳みかけみたいなのばっかりだったんすよ。音ハメみたいなのしかできなくて。なんかちょっとそこを自分的にも改善したいなって思って。それでちょっと練ってきた部分ではあるっすね。
<書き起こしおわり>